人類文明の崩壊、もしくは魔族ニーズロックの陰謀 ~出来れば長生きしたかった~

黒羆屋

人類文明の崩壊、もしくは魔族ニーズロックの陰謀 ~出来れば長生きしたかった~

 魔族の支配する暗黒大陸へと乗り込んだ勇者アルフレッド達一行。

 彼らの目指したのは魔族四天王が1人、飽食のニーズロックが支配する地域、通称「プラント」である。

 王国の領域の中にも魔族のシンパがいた。

 彼らは魔族との取引を行い、奴隷や人類圏にある食物を売り渡し、代わりに巨額の金品を受け取っていたのである。

 非道な連中だ。

 彼らは王国内に大きな人脈を築き、勇者といえどもうかつに断罪する事は出来なかった。

 それで、勇者一行はまず人間の裏切り者と魔族を切り離すべく、魔族側の窓口となっている魔人であるニーズロックを倒す事としたのである。

 その道は苦難の道、と言う程ではなかった。

 実の所、人類側には大っぴらに公開はされていなかったものの、暗黒大陸にも人類の生存圏は存在した。

 王国に何らかの事情ですめなくなった者、というのもいる。

 そういった人間を言葉巧みに誘い、暗黒大陸に連れて来たのもニーズロックであった。

 そういった者達の中にはニーズロックへの感謝を示す者達もいた。

 騙されているとも知らないで。

 アルフレッドたちは怒りを禁じえなかった。

 どうやらニーズロックは魔族とは思えないほど奸智に長けている存在であるようだ。

 魔族はその強大な身体能力、膨大な魔力の為、複雑な思考を苦手としている。

 男や女を性的魅力と魅了の魔術によって骨抜きにする淫魔達ですら、最終的には戦いで片を付けるような脳筋だ。

 その中に於いてニーズロックは異彩を放っていた。

 彼のやりようは魔族、というよりは悪魔そのものであろうか。

 相手のプライドをくすぐり、酒、美食、美姫を以って籠絡し、相手の痛い所を突き、さらりと危機を助けて恩を売る。

 まさしく「悪魔でさえ光の天使を装う」のである。

 気がついた時には、王国の善なる貴族達の中に少なからずニーズロックとの取引を行う者達が増えていた、という事なのであった。

 人類の生存圏にまるで蜘蛛の糸の様に勢力を広げて行ったニーズロック。

 このままでは魔族の侵攻があった時、王国が骨抜きにされている可能性も否定できない。

 焦りを覚えた対魔族連合軍本部は最終手段として人類の最強戦力である「勇者」を中核とした少数精鋭に現在可能である限りの最高の装備を与え、可能な限りのバックアップを行って暗黒大陸へと送り出したのである。

 そして辿り着いた「プラント」。

 アルフレッドは、

「は?」

 呆けていた。


 目の前にいたのはアルフレッド達と上背こそ変わらないものの、でっぷりと太り、不健康そうな肌をした1人の人物。

 彼こそが魔族四天王が1人、「飽食の」「貪食の」「大喰らいの」の二つ名を持つ魔王の最強の配下の1人、南面大公ニーズロックその人であった。

 魔族としても長い年月を生きてきたからなのか顔は深々としたしわに埋もれ、目鼻も判然としない。

 黒いローブを羽織った彼は、

「これはこれは勇者様、よくぞおいで下さいましたな。

 ワシがこの『魔族用食糧プラント』責任者、ニーズロックという老いぼれですわい。

 ささ、まずは中でお休みください。

 大丈夫、皆さまに出す者は全て聖大陸より持ちだした人間用のものばかりですからの。

 お疑いならばそれ、そちらの神官様に聖別鑑定をして頂けばよろしいでしょうから」

 そう、愛想よく笑うとアルフレッド達に背を向けた。

 つまり、今は魔将ニーズロックを葬る千載一遇のチャンスという事になる。

 …しかし、アルフレッドは勇者だ。

 魔族と対等以上に戦う事の出来る、女神に選ばれし勇者だ。

 勇者としての矜持がそれをさせなかった。

 無論、そういう人材でなければ女神は彼を選択しなかった筈だ。

 勇者とはそういう存在。

 人々に救済を与える存在であるが故に、勇者はその行為を恥じる事はない、そしてそれは「民から見て恥じる行動をしない」という事でもあった。

 勇者としての存在が、後ろを向いた老齢の魔族を斬ることを妨げていた。


 落ち着いた応接室。

 そこで、アルフレッド達はちょっとした歓待を受けていた。

「こんな甘いお菓子食べるのは久しぶり…」

 若干15歳にして魔導師の称号を得た天才少女「ベネッタ」が幸せそうな顔をする。

「しかし、何故暗黒大陸にこの様なものが…」

 呆然と目の前のクッキーと紅茶を見ているのは堅物の神官戦士「チャーリー」だ。

 この世界において、人間と魔族との戦いは双方の文明を何度も断裂させるほどの疲弊を強いていた。

 その際に、砂糖の精製法や茶の発酵に関しての知識も失われており、彼らの目の前にある茶菓子と紅茶、これは人間の社会においては王ですら嗜む事の出来ないものとなっていた。

 その呟きにニーズロックは答えた。

「ワシは長いこと生きておりますのでな。

 これはそうですな、4代前の魔王様に仕えておった時に、どうしても製法が知りたくなりましてな、魔王様を裏切る代償として勇者様より教えて頂いたのですよ」

「な!?」

 その言葉に唖然とする勇者一行。

 確かに、約500年前にこの世界を救った4代前の勇者は魔族の1人を改心させ、その者の手引きで魔王を倒した、という伝承があった。

 その当人が目の前にいるニーズロックであるとは。

 無論、ニーズロックが言っている事が真実とは限らない。

 しかし、異世界より召喚され、そして帰っていったという4代前の勇者は確かに様々な技術をこの世界に残していったという。

 砂糖をふんだんに使った菓子、そして茶の葉を加工して作ると言う黒茶(紅茶)、それは先代魔王が復活した際の動乱により、その存在を文献の中にのみ証明する幻の逸品となっていたのである。

 砂糖そのものは今の世界にも存在するが、精製方法が失われていた。

 茶はあるものの、それは緑茶であり、発酵のさせ方を研究する余裕もないのが人間世界の現状である。

 それを魔族が保管していた、という事なのだろうか。

「ああ、これは人間の領土で作られたものですな。

 作り方を確立するまでは、と思っておりましたが、もうしばらくすると人間の国でもこれらが入手できるようになりましょうて」

 更には人間に利する事までニーズロックは言い放った。

 これはおかしい、アルフレッドはそう思う。

 そもそも魔族とは何か。

 一言で言ってしまうと、


 人類の天敵


 である。

 彼らは「人喰い」だ。

 つまりは人間を食料とする知的生命体。

 会話は通じる、しかし、相手は人間を食料としか見る事が出来ない。

 魔族は弱小の、それこそ最底辺であるゴブリンならば鼠やリスなどの小動物を捕食する事もある。

 しかし、強くなればなるほど人を喰わずにはいられなくなる。

 魔貴族クラスともなると人の血肉以外を受け付けなくなるのだ。

 どうあがいても人間とは仲良くすることが出来ない、それが魔族だ。

 極々稀に人に恋した魔族、などという物語が生まれるものの、大概はどちらかの種族により悲劇的な結末を迎えるのが常であった。

 故に、人の食事を四天王たるニーズロックが供するなど、あり得ない話であった。

 のである。

 ならば、今目の前に並んでいる本来ならば質素、アルフレッド達にとっては宮廷の晩餐に比する食事はなんなのか。

「…ワシは、かつて他の魔族と変わらぬ存在だったのですよ。

 それを変えたのが4代前の勇者さまでした。

 皆さまもご存じでしょうが、あの方は『異世界からの勇者』様でした」

 それはアルフレッド達も知っていた。

 あまりにも有名な御伽話おとぎばなし

 聖なる姫巫女の嘆願に応じ、女神がい世界より強大な力を持った勇者を召喚、彼は姫巫女の嘆きを哀れに思い、魔王を打ち倒し、そして還っていったという。

 未だに真偽を疑われる話なのだが、それをニーズロックは真実だと言う。

「あの方は極端に『殺生』を嫌う方でしたなあ。

 驚いた事に、あの方が殺したのはたったお1人、当時の魔王様だけだったのでございますよ」

 その言葉にアルフレッド達は驚愕した。

 アルフレッド達は高位魔族の強大さを痛感している。

 騎士階級のものですら、通常の騎士では1対1どころか騎士団の中隊と五分以上に戦う事が出来る。

 互角に戦えるとしたら王国の同盟国である騎士自治領の者達くらいであろうか。

 四天王の下にいる魔将クラスになると人間の中で戦いになる者ですら両手の数で数えられる程度しか存在しない。

 その中に数えられているのがアルフレッド達3人。

 しかし、彼らをして魔族は侮れない相手だ。

 そして、それを極力「殺さず」に魔王へと到達する事、それがどれだけの苦難の道か。

 例え隠業に長け、魔王の前まで戦わずに到達したとしても、一瞬で魔王を暗殺するなど不可能。

 戦いは長引き、そうなれば四天王をはじめとした魔族の実力者が戦場へとなだれ込んでくるだろう。

 そうなれば多勢に無勢、数と力で押しつぶされるのは目に見えている。

 そして勇者というのはその正当性を主張する為に過度の隠密は出来ない、そうなっているものなのだ。

 その状態で殺した魔族が魔王1人、というのであれば、その時代の勇者がどれだけ強かったのか。

 己の代わりに彼がいてくれないだろうか、そうアルフレッドは考えてしまう。

 それだけの勇者ならば、どれだけの希望を人間に与える事か。

 そう考えていたアルフレッド達の耳に、ニーズロックの声が聞こえた。

「あの方からは様々な事を教わりましたよ。

 ワシの様な異形にも物おじせず、あれこそが勇者というものなのだ、これには勝ち目がない、そう思わせる方でしてな」 

 昔を懐かしむようにニーズロックはそう言った。

「あの方の住まわれていた世界には、ワシらの世界とは全く違う者や概念がたくさんありました…」

 巨大な建造物。

 動物に牽かせるでもない、魔力で動かすでもない高速で移動する乗り物。

 その中にニーズロックの気を引いたものがあった。

「信じられますかな、あの勇者さまは動物を捌いた事がなかったそうです。

 兎や鳥、魚ですら」

 そしてそれは彼の周囲にとって普通だったと言う。

「は? じゃあどうやって料理するのさ?」

 不思議そうな顔をしてベネッタがそう尋ねる。

「ベネッタ! 相手はいくら紳士的でも魔族だぞ、そんな事答える訳が…」

 チャーリーがそう言いとどめようとするが、

「いえいえ構いませんよ。

 そういった肉や魚はそれを扱う商店があるそうでしてな、動物などを大量に捌く屠殺工場が別に存在し、そこから各商店に肉が売られていくのだそうですよ。

 ずいぶんと効率的なやり方ではないでしょうかね」

 その言葉に、アルフレッドは違和感を持った。

 ニーズロックは言った。

 動物などを大量に捌く屠殺工場が存在する、と。

 工場プラント

 もしかして、ニーズロックは。

「…どうやら、勇者さまは思い至ったようですな。

 さよう、ここは精肉工場プラント

 魔族の腹を満たす為の人肉を加工する工場、なのですよ」


 アルフレッド達は椅子から飛びのき、武器を構えた。

 しかし、ニーズロックは椅子から立つ事もしない。

「…お待ちなさい。

 アナタ方の考えているものと、ここで行われている事はちと違いますな。

 別に、ワシはこの工場で聖大陸より連れてきた奴隷どもを殺し、捌いて食肉へと加工している訳ではありませんわい。

 正直、奴隷程度では魔族全体の腹を満たすのは全く不可能ですなあ。

 ここで行っている精肉は、全く違った概念で行われているのですよ」

 そう、ニーズロックは言った。

 そして、

「よろしければ、見学をしていかれませんか?

 確かにあなた方からすればおぞましいかもしれませんが、対象を牛や豚、鶏などに切り替えればそのまま人類圏でも使えるであろう者がありますでな。

 王国の復興には役立つと思いますぞ」

 そう、アルフレッド達を誘ったのである。




「これは…」

 アルフレッドは唖然としていた。

 巨大な水槽、それこそ幅は25メアメートル程もある巨大なものの中に、ピンク色の肉塊がいっぱいに詰まっていた。

 周囲には人型の作業員が忙しげに働いている。

「これは下級魔族用の培養肉のプラントですな。

 肉質は大したことはありませんが、なかなか人肉など口に出来ぬ者達にとっては十分なごちそうと言えるものです。

 ワシも普段はこちらを食っておりますな」

 ニーズロックがそう説明をした。

「…ねえ、これって」

「うむ、似ているな」

 アルフレッドの後ろで、ベネッタとチャーリーが顔を青ざめている。

「2人とも、どうしたんだ?」

 アルフレッドが不思議そうに聞いている、それに答えたのはニーズロックだった。

「お2人の懸念はまあ正当なものでしょうなあ。

 ここにある培養肉は、『再生地獄呪法』の応用にて作られておりますから」

 ニーズロックの言う「再生地獄呪法」。

 それは魔族が相手をとてつもなく憎んだ時に使うとされる悪夢の様な魔法だ。

 呪法を施された相手は激痛を伴いながらその肉体が変質し、このような肉の塊へと変貌する。

 そして苦痛に身をよじりながた泣き叫ぶのだ。

 哀れであるとその体に斬りつけ、生を終わらせようとしてもその肉体は再生を続け、更に肥大化する。

 呪いは強力で、今までに解除された、という記録は残っていない。

 そしてそのまま永遠に近い生を生きる羽目になるのだ。

 チャーリーは最上級の神官戦士であり、そのありさまとなった犠牲者達が収容されている教会の地下に行った事もあった。

 また、その解除法を探すために、ベネッタを初めとする魔法使いの塔へと赴いた事もあり、その呪法についてはベネッタも良く知っていたのである。

「ああ、一言申しておきますが、ここの培養肉はあくまでも呪法をして作られているだけでしてな。

 別に特定の個人をこの有り様にしている訳ではないのですよ」

 ニーズロックは再生地獄呪法を応用して、人間の体の一欠片からこの肉塊を成長させたのである。

 呪法は肉体を操作し、強引に成長を促す術と、激痛などでショック死をし、魂が肉体から離れるのを防ぐ回復魔法、そして術を解除されない為の抵抗魔法を組み合わせる事によって成り立っている。

 ニーズロックは長い時間を掛けて術を解析し、肉体操作、成長促進の部分だけを抽出したのであった。

 それを様々な人間を奴隷として購入、掛け合わせて繁殖させ、その中から培養に向いた個体の細胞を抽出、術を施して培養したのである。

「ああ、これの元になったものですが、親共々奴隷の身分から解放し、聖大陸に送り返しましたわい。

 それから寿命が尽きるまで片田舎の農村で暮らし、15人の孫に囲まれて大往生したとか」

 何かを懐かしむような顔をしつつ、彼は次の施設へと向かい始めた。

 呆然としながらもニーズロックの後を付いていくアルフレッド達。


 次の施設は先ほどのものよりも一段小さなプールが存在した。

 その中には、

「うぇっ!?」

 びくびくとうねる、やはりピンク色の肉。

「こちらは上級魔族用の食材を取り扱っているのですよ。

 そこのプールにあるのは肉と神経のみが存在する人体ですな。

 適度に刺激を与える事により、上級魔族の好む触感を実現したものですわい。

 引き締まった戦士の肉を再現するのは骨がおれましたが、それだけに好評でしてなあ」

 また、ある所には人間の下半身のみが、ある所には人体模型の様なものがたくさんの管に繋がれて存在していた。

「こちらは吸精鬼サキュバス・インキュバス吸血鬼ヴァンパイアの方々用の造精装置と造血装置ですな。

 お亡くなりになった名のある聖職者の方や、かつて有名出会った美姫の方から細胞を譲り受け、それを培養して作ったものですわい。

 どれもこれも苦労したものです」

 にこやかにそう話すニーズロック。

 それに対して怒りをあらわにしたのはチャーリーだ。

 彼は神官戦士。

 目の前にある造血装置とやらには彼の知っている聖人の名も刻まれていた。

 言ってしまえばこれは聖者の遺骸だ。

 古来より聖者の遺体、聖骸には奇跡の力が宿ると言う。

 それを魔族が持っていて良い訳がない。

 彼は武器を持ってニーズロックに襲いかかろうとし、

「!?」

 動きを止められた。

 ニーズロックの一睨みで、チャーリーは動けなくなったのだ。

 これが、四天王、か。

 アルフレッドは慄然とした。

「おやめなさい。

 ここにある者は全てワシが直接赴いて、彼らの承諾を得て譲り受けたものですな」

 ニーズロックはその視線を外した。

 とたんに膝まづき、肩で息をするチャーリー。

「ここにあるのは全てが『人の形』で出荷されませぬ。

 すべて滅菌され、痛まぬように冷蔵保存されて魔族の元へと届けられるのです。

 その結果どうなるか、お分かりかな?」

 まるで謎をかけるように言うニーズロック。

 しばし考えたアルフレッドは、

「さっきの勇者さまの話、か?」

 そう答えた。

 ニーズロックはにんまりと笑うと、

「さすがは今代の勇者さま、頭の回転も速いようで。

 左様、このままワシが質の安定した食材を魔族に供給する事で、魔族は人間を『食い物』と認識しなくなっていくでしょうて。

 さすれば人と魔が争わずに住み分ける事も可能かもしれませんなあ。

 ワシの目指しとるのはそこでございますれば」

 そう話した。


 アルフレッドは躊躇していた。

 ここは戦うべきなのか、それとも。

「…勇者さま、アナタは勇者さまでございます。

 その力と性質は神より与えられたもの。

 アナタ様が判断する事は、即ちワシのやり方が神にとって良いのか悪いのか、それを判断する事が出来るまたとない機会なのですよ。

 故に、アナタ様がどう判断したとしても、ワシは罵ったり、恨んだりは致しません。

 それが運命というものなのでしょうから」

 そう、ニーズロックに促され、遂にアルフレッドは口を開く。

「悩んだけれど、やはりあなたのやり方は認められない。

 これは人間の尊厳を傷付けるやり方だ。

 この施設を許容する訳にはいかない!」

 アルフレッドの言葉に溜息をつくニーズロック。

 これは即ち、神々は人間と魔族の共存を認めないという事だ。

 やはりそうなったか。

 ニーズロックはもう1つため息をつくと、

「なれば、ワシとこの施設を破壊するのは魔王様を倒した後にして頂く訳にはいきませんかな?

 ワシはここの施設の長であります故に、逃げる訳にはいきませぬ。

 なれば、王を倒した後でも構わんと思うのですが、如何に」

 アルフレッド達にそう提案してきた。

 アルフレッドはしばし考え、

「それも駄目だ。

 あんたは魔族としては破格に話の通じる相手だ。

 だから、本当は殺したくない。

 だが…」

 そう口ごもった。

 ニーズロックは彼を気の毒に思った。

 アルフレッドは間違いなく善良であるが、同時にこの世界の倫理に縛られている。

 倫理とは時代ごとに変わっていくものだ。

 今の世界は、ニーズロックのやり方を認めない、そういう事なのだろう。

 ならば仕方がない。

「では、尋常に立ち会うと致しましょうか。

 おお、申し訳ないが、職員達を逃がす時間くらいは頂けましょうな?

 なにせ、ここの職員達は皆人間族なのですからな」

 この言葉に、アルフレッド達は驚いた。

「何故人族を使っているのだ!?」

 その問いに、

「それはそうでしょう。

 魔族にやらせたら、つまみ食いばかりしますからなあ。

 人間たちならば、絶対にそのようなことがありませんでなあ」

 そう言うと、ニーズロックは近くのボタンを押した。

 とたんにサイレンが鳴り響き、職員達が慌てたように移動していく。

「もう10分もすれば皆避難しますでのう。

 申し訳ございませんがそれまでお待ちいただきたい」

 彼はそう言うと、アルフレッド達を応接間の方へと手招いた。


 アルフレッドは奇妙な心もちだった。

 今から殺し合いをするというのに、ニーズロックはあまりにも穏やかだった。

 戦い前である為、用心という事でチャーリーには出された茶菓子などに毒が仕込んでいないか調べてもらったものの、そういった様子もない。

 暫く所在なく座っていると、

「おお、皆の避難が終わったようですな。

 それではちょいと失礼をいたしまして…」

 その途端、ニーズロックから膨大な魔力が噴出した。

 一瞬でニーズロックから距離をとり、武装を構えるアルフレッド達。

 しかし、その魔力はアルフレッド達に向かう事はなかった。

 唐突に魔力の流出が収まる。

「今のは、一体…」

 そう呟くベネッタ。

 彼女は天才魔導師故に、今の桁外れの力に過敏に反応していた。

 それに対し、

「今のは契約の一部でしてな。

 ワシとこの施設が滅びる時には、彼らを解放して聖大陸に送り届ける、そういう約束になっておりましたのでな、それを実行したまで。

 我ら魔族が契約を重視する事はご存じでしょう?」

 それは事実だった。

 魔族は契約を裏切らない。

 契約の穴を突き、契約に違反しない範囲で悪さをするだけだ。

 しかし、先ほどの職員とやらはかなりの数がいた筈だが、

「それだけの力を使って大丈夫なのか?」

 敵でありながら、アルフレッドはニーズロックという魔族に惹かれていた。

 それはアルフレッドの持つ善性がニーズロックという存在を肯定していたためなのかもしれない。

 しかし、アルフレッドは勇者、魔族の敵対者である。

 こと今となっては戦うしかない、のであるが。

「なに、問題ございません。

 もともとワシは魔力での戦いよりも肉弾戦を得意とする種族でございますからなあ。

 ワシは元々ただのゴブリンでございました。

 それが500年掛けてここまで育ち申した。

 ただのゴブリンの力、勇者さまに披露申し上げましょう」

 そう言って、でっぷりと肥り、ゴブリンの欠片も見当たらなくなっていたニーズロックはアルフレッド達に拳を突き出したのである。




 ニーズロックはその胸に聖剣を突きたてられていた。

 その周囲数キロにわたって存在していた施設は、戦いの余波で綺麗に吹き飛んでいた。

 ニーズロックは無論、アルフレッド達も少なからぬ傷を負っていた。

 チャーリーの聖別された鎚矛メイスは砕け、聖騎士の鎧も大きく破損していた。

 ベネッタ自慢のレッドドラゴンの骨より削りだされた杖も、彼女の最大攻撃魔法に耐えきれず、粉々に砕け散っており、膨大な魔力も枯渇寸前にまで追い込まれていた。

 一番ダメージを受けているのは、ニーズロックの攻撃の矢面に立ったアルフレッドだろう。

 聖別された甲冑は既に原形をとどめる事無く砕け散っており、チャーリーの回復魔法がなければ何度死んでいたか分からない。

 しかしそれもここまで。

 魔族に対して絶対的な力を発揮する聖剣が突き立てられた以上、ニーズロックはこのまま死を待つのみだ。

「は、はは、お見事ですな、さすがは勇者様。

 やはり、ワシごとき、老いぼれ、では、太刀打ち、できませ、なん、だか…」

 ニーズロックは奇妙な笑みを浮かべていた。

 死に行く者、それも、志半ばにて死する者は笑みを浮かべないだろう。

「まあ、仕方、在りませんなあ。

 勇者様、1つお願いがございましてなあ」

 ニーズロックは己の胸に聖剣を突きたてたままのアルフレッドに言う。  

「なんだ?」

 痛々しい、そう表現するのがふさわしい顔をアルフレッドはしていた。

 戦いたくはなかった、しかし、彼は勇者として戦わざるを得なかった。

「…出来るだけ、早く、魔王様と四天王を殺す事です。

 今、ワシが死ぬのが、一番まずい状態ですから、なあ。

 人間の、世界を、守りたいので、有れば、全力で、事を進めるべき、でしょう、なあ…」

 ニーズロックの顔色は既に土気色だ。

 死相がその顔に浮き出ていた。

「分かった。

 是非もない。

 私は勇者だから」

 その言葉に、ニーズロックは満足そうにうなずき、いきなりカッと目を見開いた。

 一瞬身構えようとするアルフレッド達。

 その体を、

「回復魔法だと…!?」

 ニーズロックの最後の力を使って放たれた回復魔法が包む。

「何故…」

 アルフレッドの問いに、ニーズロックは答えなかった。

 既に彼は事切れていた。




 結論としてアルフレッド達は一度暗黒大陸にいる人間の支持者の元へと戻ることを余儀なくされた。

 装備が大きく破壊され、チャーリーとベネッタの戦力が大きく低下していた為であった。


 それが、人間の世界にとって、取り返しのつかないほど事態を引き起こす事になったのである。


「ば、馬鹿なああぁぁっ!?」

 肩から股関節まで一気に切り下げられ、聖なる力により回復力を抑え込まれた魔王が、絶叫を上げながら光の中へと消えて言った。 

「これで、勝った、のか…?」

 アルフレッドは呆然としていた。

 あまりの苦労の無さに。

 無論、魔王は桁外れに強かった。

 しかし、ニーズロックほど嫌らしくはなかった。

 ニーズロックは老獪、という言葉が良く似合う程、若いアルフレッド達の隙をついた攻撃を仕掛けて来た。

 それに比べれば魔王の攻撃はその一撃一撃は強烈であったものの、辛うじて捌ききれないほどではなかったのである。

 それに、だ。

「おかしいな、アル」

 チャーリーがそう声を掛けてきた。

「ああ、四天王の残りや、高位魔族どもがいない…」

 そう、魔王上に至るまでに出会った魔族は中位ほどが良い所で、10数人はいる筈の高位魔族たちが揃いもそろって出てこなかったのである。

 これはおかしい。

「…こうなると、ニーズロックが言っていた事が気になるわねえ…」

 出来るだけ早く、魔王と四天王を倒すべし。

 そう言っていたニーズロック。

 彼の真意は如何に。


 魔王城への行きと違い、帰りの道は苦難に満ちていた。

「喰い尽してくれる!」

 北面大公を名乗る邪龍タラスクが、

「あら良い男ね、骨までしゃぶってあげるわ」

 西面大公であり、吸精鬼女王サキュバスロードであるリリムが、

「殺す、殺す、殺すうぅぅっ!!」

 東面大公、殺戮を求める食人鬼王オーガロードアシュラが、

 そして15人の高位魔族たちが立て続けに襲いかかって来たのである。

 だが、彼らはそれを払いのけた。

 高位の魔族らを全て切り捨て、平らげたのである。

 これは魔の頂点であった魔王を倒し、その事で魔族という種族その者の力が衰えた、という事もあったのだろう。

 そして、魔王と戦った経験、それが勇者であるアルフレッド達を鍛えていたのである。

「これで、本当の終わりだ…」

 既に装備はぼろぼろで、アルフレッドの聖剣を除けばすべて交換する必要があるまでになっていた。

 疲労により、ベネッタの魔力の回復も遅い。

 チームとしての勇者パーティーは疲労の極みに在った。

 とにかく休息を、そう思い、支援者の元へと急いだ勇者達。

 そこで、彼らは本国、つまりは王国、聖教国、騎士自治領との連絡が取れないことを知った。

 アルフレッドは騎士自治領の、ベネッタは王国の、チャーリーは聖教国の所属だ。

 その本国からの連絡が全くなくなったという事だ。

 本来であれば、魔導通信により妨害が入らない限りは本国との連絡がとぎれる事はない筈。

 勇者達は急ぎ本国への帰途に就いた。


「これは…なんと…」

 アルフレッドは呆然としていた。

 騎士自治領は、文字通り壊滅していた。

 自治領を治める円卓騎士団の精鋭、それが全て「喰い荒らされて」居た。

 無事な遺体は1つもない。

 マシなものでも腹部の内臓が全て喰われ、苦悶の表情を晒している。

「騎士団長…」

 剣技だけで言えばアルフレッドを超える腕を持っていたウーサー騎士団長は、手足のみを残し、全て喰い尽されていた。

 四天王の1人、アシュラとオーガーの軍勢が自治領を襲撃した結果だった。


「…そんなぁ」

 王国は、王族の全てと主だった貴族が喰い尽されていた。

 邪龍タラスクとその眷属達の襲撃により、国としての中枢を失った王国は混乱の極みに有った。

 聖大陸には魔族も数多く住んでいる。

 王国の中枢が死に、兵士達を統括する貴族が消え、国防を纏める者がいなくなった状態、そこでは野盗と魔族が大手を振って民衆を襲撃していたのである。


「なんと…いう事だ…」

 聖教国の首都には、今聖職者が1人もいなかった。

 全てリリムと吸精鬼、吸血鬼によってカサカサのミイラと化していた。

 彼女らは聖職者の無垢なる生気を吸い尽していったのだ。


 なぜこのような事になったのか。

 一言で言えば、「飽食の代償」と言えるだろう。

 高位の魔族達はニーズロックの供給する培養人肉、血液、精液に満足していた。

 当然のことながら、人間には個体差があり、また、環境によってその体調は大きく変化する。

 例えば邪龍タラスクにとって、王族の肉というのは至上の美味だ。

 しかし、昨今王族ですら美味な物を食べられず、いささか栄養失調気味の状態。

 しかるにニーズロックの提供する肉はいわゆるグルメであるタラスクにとっても十分に美味であり、されにはそれが安定して供給されるのだ。

 わざわざ人間の支配地域に押し掛けてまでそれほど上手くない人肉を求める必要が彼にはなくなっていた。

 吸精鬼女王リリムにとっても同様。

 至上の存在である法王クラスの精などそうそうは手に入れる事は出来ない。

 しかし、ニーズロックはそれを提供してくれた。

 ならばわざわざ鬼門とも言える宗教国家に潜入してまで聖職者の精を啜る必要はなかったのだ。

 アシュラにとっては状況も変わるものの、ニーズロックは培養した古の優秀な戦士に偽りの記憶を埋め込むことで、アシュラの殺戮衝動を満足させ、その上で十分に質の良い人肉を提供できていたのだ。

 それらが相まって、人類の生存圏はもう20年もすれば500年前の水準に達する事も出来るのではないか、そういう状態にまで回復していたのだ。

 王族が魔族に狙われる事も少なく、女神崇拝の宗教は健全な発展を遂げ、騎士たちは己の技術を弟子に教え込み、戦闘技術は後世に受け継がれる。

 そうなることで、魔族と対等以上に戦う事が可能になっていただろう。

 少なくとも両者の関係は拮抗し、互いの領域を踏み荒らさない協定が結ばれていたかもしれない。

 しかし、そうなる前にニーズロックは死に、そして魔族にとっての食糧は供給されなくなった。

 それの被害をまともに受けたのは下位魔族だ。

 彼らにとって、ニーズロックの作りだした人肉は、今まで食べていたものとは雲泥の差であった。

 彼らは人肉を求め、聖大陸に殺到した。

 ひたすら人肉を求めたのだ。

 その結果、短期間で戦線が泥沼化した。

 良いものを食いたいがために気が弱く、脅せばすぐ逃げて言った筈の最弱のゴブリンが、よだれを垂らしながら己の身を守る事無く兵士に文字通り喰らいつく。

 それは被捕食者としての恐怖を煽る事になり、今まで維持出来ていた戦線が崩壊していった。

 また、高位魔族にとっても、最高級の食事を出来ていたことが不幸であった。

 彼らは「美味いモノ」を求めて群れをなし、国家の中枢へと攻め込んだ。

 今まで1体、2体ですら苦戦していたそれが群れをなして襲いかかって来たのだ。

 最大戦力である勇者がいない時に限って。

 人間達にとって災厄としか言い様の無い数日間が過ぎて言った。

 そしてその後、文明は崩壊した。

 一方、魔族たちにとって不幸だったのは、彼らが人類圏に攻め込んでいる間に彼らの長である魔王が勇者に討ち取られてしまっていた事だろう。

 本来であれば魔王を守護する筈の四天王が率先して人類圏に攻め込んでしまっていた為、勇者達に易々と魔王城に侵入され、万全の状態で魔王へ戦いを挑ませてしまった。

 その結果、魔を統括し、魔族に力を与える魔王を討伐されてしまったのだ。

 そして大きく力の減じた四天王をはじめとした高位魔族は次々に勇者たちに討ち取られていった。

 この先、魔族が勢力を盛り返すには人類以上の時間が掛かるだろう。

 結局、人間と魔族、どちらにとっても利の無い形で人魔の大戦は終わったのである。




 こうして人間は文明を維持する基盤となる「国家」というものを失った。

 勇者アルフレッド達はその力を振るいつつ国家の再建に努めたが、それを何とか成し得たのは30年の後。

 多くの命が飢餓や争乱、魔族の襲撃により失われた後であった。

 勇者たちは再建された国家の元首となり、魔族の襲来に備える戦士、魔導師の育成を行う騎士国、人々の心の安寧を担う聖教国、その2つの国を物資的に支える王国を作り上げた。

 その際、北の果てに住みつき、様々な文献や技術を保存していた村落の者たちの手助けが大きかった旨の記録が残っているが、彼らが文明崩壊前にどの国に所属していたのか、それを示す資料は残っていない。

 一説によるととある魔族が実験のために作りあげた村落であったとも言われているが、それは定かではない。

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人類文明の崩壊、もしくは魔族ニーズロックの陰謀 ~出来れば長生きしたかった~ 黒羆屋 @kurokumaya

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