睡蓮の三角コーナー

空色の不思議な少女に出会ったあと、彼女は本日の目的である下関 しものせきの総理官邸前を目指すことにした。新下関駅に着いたのは19時にもなろうという時間で、そこから歩いて10分ほどで目的地の三角コーナーのある道端の街灯とベンチが見えてくる。歩いているうちに彼女は空腹を感じたため、三角コーナーを確認したのち、さっき来た道を少し戻って近くのコンビニでお茶とおにぎりを買い込むと、総理官邸に訪れた。


列島半消失以降に建てられたこの総理官邸は、再建築に伴い、国家技術の粋が散りばめられている。その一つが総理の住む横長の建物の裏から そびえ立つ広域情報網連絡監視システムSui-Ren すいれん電磁重力波受信塔 でんじじゅうりょくはじゅしんとうである。この巨大な電磁重力波受信塔は、その名の語源ともなっている睡蓮 すいれんの花に似た形状をしている。中心から睡蓮の花びらのような薄くて細長いアンテナが、放射状に数十基配置されていている。その半透明のアンテナの内部からは、スイカくらいの大きさの重力波の観測装置である、相互測位球 そうごそくいきゅうがいくつかふよふよと浮いている。下から当てられている照明の光を白銀色の相互測位球が受けて、花びら自身がちらちらと またたいているように見える。


重力波の検出装置が開発されたのは、ほんの10年ほど前のことであった。相互測位球とは、複数個のスイカくらいの大きさの球が他の球との無限遠方規準点 むげんえんぽうきじゅんてんからの位置を常に監視することで、微小な重力波の発生とその方向を検知することができる、重力波の観測装置である。細長い水槽中に沈め、放射状に配置することで、地震や装置自身の揺れを相殺して、観測精度を高めることができる。


列島半消失の際に、重力波を測定をしていた世界各地の相互測位球が一斉に重力波の発生を検知したため、消失の現象が起こる時には重力波が同時に発生していることが確認されたのだ。

これにより、仮設政府は総理官邸に巨大なアンテナと重力波の検出装置を置くことで、リアルタイムでの消失の状況の把握と、迅速な対応をとれるように、この施設を建造した。そのアンテナと重力波の検出装置の複合設備、およびそれらを制御するシステムの総称がSui-Renである。

Sui-Renの機能の一つは、鹿児島から名古屋までの各地の電波塔に直接アクセスすることが出来、各地の警察や消防、自衛隊、さらには個人所有の携帯電話に直接回線をつなげることが出来る。これによって避難誘導を迅速に行えたり、各地の様子を事細かく把握することができるようになった。これは通信事業の会社と政府が協力することで、有事の際に、個人情報を政府が直接扱えるようになるということである。Sui-Renのシステムが提案された際、この点を指摘する意見もあったが、実際に日本の首都が消失してから、間もなく仮設政府の設置や救難支援を行えたのは、通信事業の会社が主導して、各業界の人々に声をかけたためである。したがって、有事の際の通信事業者の重要性を再認識したため、この提案は可決されることとなる。

もっとも、列島半消失のその後の1週間以降、新たな消失は確認されず、Sui-Renのもう一つの機能である重力波観測装置は、研究者たちが遠い宇宙で発生した重力波を観測するのに使用されている。


彼女は、総理官邸内の一般市民開放区画の公園で、残暑の熱をゆっくり冷ますかのように優しく訪れる夜風に当たりながら、おにぎりを頬張 ほおばった。公園から少し先に聳え立つSui-Renの電磁重力波受信塔は、さながら夜の観覧車のような、すこしロマンチックな雰囲気をまとっていた。


夕食を済ませ、彼女はまた三角コーナーのある街灯とベンチのところまで来た。ちょうど三角コーナーのある街灯とベンチは、一般市民開放区画の公園と柵を挟んで反対側にある。公園から三角コーナーを目指すなら、総理官邸の入口まで戻ってから道沿いに進んで行くか、公園内の立木がいくらかある落ち葉に包まれた林を進んでショートカットするルートがある。暗くなってからしばらくしたこんな時間に、小さいとはいえ林を突っ切るのは少女のすることではないなと、まともなことを考えた彼女は、通常ルートをとることにした。


遠回りとはいえ、10分もせずに三角コーナーの前に到着する。しげしげと街灯に照らされた三角コーナーを見た彼女は、

「置いてある場所はともかく、別にこれが怪しいわけではないし、なんだよただの三角コーナーじゃないか。」

と見下したような視線を三角コーナーに向けた。そしてひょいっと三角コーナーを手にとる。重さはさっき北九州市の金物屋で持ったものと同じくらい、何の変哲 へんてつもないただの三角コーナーである。引っくり返して、三角コーナーの裏側をのぞき込む。どれくらい前から置いてあったか知らないが、ほとんど汚れていないように見える。

「誰かが手入れしてる、、、とか?」

そんなこともあるのだろうかと思い、三角コーナーからの興味がなくなりかけた頃、三角コーナーのフチに折れ曲がったバーコードのような凹凸があることを見つけた。果たしてこれが特別なものなのか、さっぱりわからないが、そういう三角コーナーが下関の総理官邸前で、街灯とベンチに挟まれて置いてあることは確認できた。


三角コーナーを元あった街灯と壁のあいだに戻すと、彼女はベンチに腰掛けた。

三角コーナーはほとんど何の変哲もないただの三角コーナーであった。今日のタスクはこれにて終了である。


ふと、彼女はもったいないなと思った。今日はせっかく不思議な少女と出会えたのに、このまま終わってはちょっともったいないと。

そして彼女はいたずらをかんがえた。

昨日の掲示板が立てられたのが、たしか22時過ぎ。建てた主が新下関ベッドタウンくらいに住んで通勤しているとすれば、昨日の21時頃に三角コーナーと対峙していたと考えられる。

建てた主は今日も調べてみようなんてことをレスしていた。今は20時ということは、あと1時間ばかりここらで張っていれば、掲示板の主を特定することが出来る。


そして彼女は、いたずらの道具を揃えるために、またコンビニに行くことにした。

まことに子供っぽいことを実行しようとしている、子供っぽい容姿の28歳の足どりを、巨大な睡蓮の花は静かに眺めているのであった。


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