降霊術『ひとりかくれんぼ』の後で

ヤミヲミルメ

アユムくんとぬいぐるみ

 休み時間、四年二組の教室でコックリさんで盛り上がるクラスメイト達の様子を、アユムはスマホをいじりながらチラチラと見ていた。

『まぜて』と言いさえすれば断られはしないだろうと思う。

 けれどアユムはそれを言い出すことができずに、ただもじもじしているうちに、休み時間が終わってこっくりさんはお帰りになってしまった。


 下校中、一人ポツンと歩きながらスマホをいじって、自分だけでもできる降霊術を検索すると、良さげなものがすぐに見つかった。

“ひとりかくれんぼ”

 そのやり方は……



 ぬいぐるみの腹を切って、米と自分の爪を詰め、切口を赤い糸で縫ってふさぐ。

『最初の鬼はワタシ』と唱えて、ぬいぐるみを刃物で刺す。

『次の鬼はアナタ』と唱えて、水を張ったバスタブにぬいぐるみを沈め、自分は家の中のどこかに隠れる。

 そうするとぬいぐるみに霊が宿り、自分を探しにくるらしい。

 ぬいぐるみに捕まると殺されるので、そうなる前にぬいぐるみに塩水をかけて清め、『ワタシの勝ち』と唱えながらぬいぐるみを刃物で刺して、一連の儀式を終わらせる。



 自分の部屋の勉強机に並べた品を一つずつ指差して、足りない物がないか確かめる。

 米は台所から持ってきたし、赤い糸と縫い針は授業で使ったのがあるし、爪切りもある。

 儀式の始めにもシメにも不可欠な刃物は、工作用のカッターナイフを使えば良い。


 手に入れるのに一番苦労したのはぬいぐるみだった。

 小さい頃はたくさん持っていたはずだが、小学校に上がった際に親に処分されてしまったし、降霊術なんていうマユツバな遊びのためだけに新しく買うのは子供の財布には痛い。

 確か一〇〇円均一でも売っていたなと思い出して行ってみたが、百均のくせにその商品は五〇〇円。

 リサイクルショップに移動して一番安いのはどれかと吟味しているところをクラスの女子に見つかって、人形好きだと誤解されかけ何も買わずに逃げ出して……

 一回一〇〇円のクレーンゲームに挑戦したら、あっという間におこづかいが底を尽き……

 とぼとぼ歩く帰り道、通りかかったゴミ集積所にクマのぬいぐるみが一つポツンと置かれているのを見つけたのである。



 カチッ、カチッ、カチッ……

 カッターナイフの刃を伸ばす。

 ぬいぐるみが身にまとう、遊園地のロゴが入ったTシャツをめくると、あらわになった腹部はすでに、赤い糸で縫われていた。

「やん、えっち」

 ぬいぐるみの腕が動き、アユムの手を払いのけた。



「キミ、もしかして、ひとりかくれんぼをやるつもりなのかな?

 だったら、ちょーっと考え直してもらえないかな。

 ボク、見ての通り、使用済みなんだよね。

 ひとりかくれんぼの。

 つまりすでに霊が入っちゃってる状態なわけだからさ。

 わけのわかんないのをもう一体入れるのは、さすがに勘弁してもらいたいんだ。


 ボクが誰かはわかるよね?

 いや、中身がじゃなくて、外見が、さ。

 熊川ランドのクマーン。

 さびれた遊園地のマスコットキャラさ。


 キミは?

 名前、教えてよ。

 黙ってないでさ。

 びっくりしすぎて声もでない?

 まあ、仕方ないよね。

 目の前でいきなりぬいぐるみがしゃべり出したら、フツーはそうなるわな。


 このノート、キミの?

 岡崎……愛優夢くん?

 なかなかイマドキな名前だね。


 アユムくん、今、ヒマだよね。

 いやいやいや、一人で隠れんぼなんかするぐらいだから、ヒマでしかも寂しいに決まってるよ。

 だったらさ、ちょっと聞いてもらえないかな。

 ボクの身の上話をさ。


 身の上話と言ってもね、生まれにはこれと言って特別なものはなかったんだよ。

 工場で量産されて、船とトラックで運ばれて、みやげもの屋に並べられた、たくさんのクマーンの中の一つ。


 うん。その頃から“意識”はあったよ。

“意思”って呼べるほどのものじゃなかったけどね。

 お客さんがやってきて、ボクを手に取っては棚に戻したり、他のおみやげと見比べたり、素通りしたりするのを、毎日毎日ただ見てた。


 そしてある日、デート中の男の子がボクを買って、カノジョにプレゼントしたのさ。

 男の子はミチハルで、カノジョはエリナって名前だった。

 二人とも当時は高校生だった。


 ……アユムくん、きょとんとしてるね。

 言っとくけどキミも大きくなったら、女の子とデートをしたり、女の子にプレゼントを買ったりするようになるんだからね。


 あ、そっちのきょとんじゃない?

 ぬいぐるみのボクがしゃべってるのが、まだ信じられないのかい?

 疑り深いなぁ。

 キミだって降霊術なんかをやろうとするような人なんだから、この程度のことは信じなよ。


 エリナは毎日ボクを抱きしめ、毎晩ボクと一緒に眠って、どんなにミチハルを愛しているかを飽きることなく語り続けた。

 幸せそうだったよ。

 どれくらい幸せかと言うと……


 ……アユムくん、退屈かい?

 我慢して聞いてよ。

 すぐ終わるから。


 何で時計なんか見るのさ。

 パパもママもお仕事でしょ?

 まだ帰ってくるような時間じゃないでしょ?

 まったく子供ってやつはー。

 わかった、飛ばすよ。

 そんな長い話じゃないのに……


 うん。幸せは長くは続かなかった。

 二人は別々の大学に進んで、しばらくすると、様子が変わり始めたんだ。

 なかなかミチハルと会えなくなって、それは仕方ないってエリナも思っていたんだけどね。

 ミチハルに、急なバイトが入ったって言われてデートをドタキャンされた日にね、彼が他の女と一緒に居るのをエリナは見ちゃった。


 その日エリナは一日中泣いてた。

 でも次の日には元気になってた。

 知らない女とデートしてたのは、ミチハルではなく、双子の弟のチハルくんだったんだってさ。

 エリナの方から『あなたは双子なんでしょう!?』って訊いたら、ミチハルが『うん』って答えたんだそうだよ。


 アユムくん、わけがわかんないって顔だね。

 ボクもわかんないよ。たぶんミチハルもわかんなかったんだろうね。

 それ以降、ミチハルはどんどん大胆になっていった。

 エリナの態度のせいで調子に乗ったのかもしれないし、エリナのことが怖くなってエリナから離れたくなったのかもしれない。

 浮気相手との密会は、公然のデートに変わっていった。


 エリナの友達が『あれは絶対にミチハルだ。相手の女が彼をミチハルって呼んでるのを見た』って言った。

 さすがにエリナも追求した。

 でもその頃にはミチハルの方も慣れちゃってて『自分の本当の名前はミチルで、ミチハルはミチルとチハルをまとめて呼ぶ時のコンビ名』なんてぬかしてやんの。


 もちろんアユムくんは信じないよね、そんな話。

 でもエリナは信じちゃった。

 そんでもってミチハルは、ますますエリナから離れていった。

 チハルという知らない男がどこかの誰かとデートしてる夜、エリナはミチルを想いながらボクを抱いて一人眠った。


 ある日、ミチハルが告げた。

『もうウソは終わりにしよう』って。

『俺はミチルなんかじゃないし、チハルなんて奴は存在しない』

『俺はミチハルで、一人しか居ない』

『知っての通り、浮気していた。今はそっちの子の方が本命だ』


 そうしてミチハルはエリナのもとを去った。

 ミチハルの言葉は、エリナには受け入れられなかった。

 だけど彼女を愛するミチルという男がこの世に存在してないことは、どうしても受け入れざるをえなかった。


 エリナの友達は、エリナをなぐさめようとして、こう言った。

『ミチルなんてもともと居なかったんだから忘れちゃいなよ』

 その言葉はエリナには受け入れられなかった。


 別の友達はこう言った。

『ミチルはもう死んだんだと思ってあきらめな』

 この言葉を、エリナは受け入れた。

 前半だけ。

 ミチルは死んだと思うことにはしたけれど、あきらめることはしなかった。


 エリナは考えた。

 ミチルはどうして死んだのか。

 そして思いついた。

『チハルに殺されたんだ』


“別れを告げたあのミチハルは、ミチルではなくチハルの成りすまし”

“ああすることでこの殺人事件を、ミチルの存在ごと隠ぺいしようとした”


 さてアユムくん。

 こんなメチャクチャな妄想に走ったエリナは、その後どんな行動に出たと思う?


 ………。


 いや、何も思いつかないんなら答えなくてもいいんだけどさ、せめて考えるフリぐらいはしてよ。

 んっとね、ボクとしてはね、キミに『かたきうち!』とか言ってほしかったんだ。

 ミチルの仇討ちのためにチハルを殺すみたいなイカしたサイコね。


 そしたらボクはチチチッと指を振って……

 あ、ボクの手、指なんてないや……

 まあとにかく、そんなカッコつけたポーズをしながら『エリナはそんな簡単な女じゃないぜ』って言ってみたかったんだよね。


 エリナにとってはチハルなんかどうでも良かった。

 ただもう一度ミチルに会いたかった。

 そこでエリナはネットで降霊術について調べた。

 ミチルの魂を呼び出そうとしたんだ。


 手軽なのがすぐ見つかった。

 アユムくん、キミもやろうとしてたんだよね。

 ひとりかくれんぼ。


 エリナがね、ボクのお腹をハサミで切ったんだ。

 ジョキジョキと。

 あんなに大事にしてくれてたのに。


 この時に詰め込まれた米と爪。

 ほら、ここに入ってるんだ。

 触ってみる?

 気持ち悪いよ。

 米は一度、水を吸ってるわけだからね。


 エリナはボクに、ミチルとの思い出の品であるこのぬいぐるみに、ミチルの魂を憑依させようとしたんだ。

 最初から存在しない人間の魂を!

 そしてボクは、見ての通り、動いてしゃべれるようになった。


 でも、ボクは誰?

 降霊術に使われる前の記憶も確かにあるよ。

 けどそれは、意識であって、意思じゃない。


 もしかしたらもともとツクモカミか何か……

 ツクモカミってわかる?

 長い時間ずっと大事にされてきた道具には、自然と魂が宿るってやつ。

 そういうのだったのかもしれないけど、だとしたらそれは、ひとりかくれんぼをおこなった際に追い出された。


 ミチルじゃないよ。

 そんな奴、居ない。

 ミチハルでもないよ。

 彼は生きててピンピンしてる。

 エリナの生き霊?

 その辺の浮遊霊?

 わからないわからないわからない。


 一つだけわかるのはね、ボクはボクじゃないってことさ。

 つまりね、ボクなんてものは存在しないんだ。

 だから時期に消えてしまうんだよ。


 ねえアユムくん、わかるかい?

 ボクは怖いんだ。ボクは消えたくないんだよ。


 ボクはボクのままでは居続けられない。

 だったらボクじゃなくなってもいいからさ、居続けたいんだよ。

 だから……ね、アユムくん。






 ボクに、なってよ」






 クマーンのぬいぐるみが、塩水の入ったコップを蹴り倒した。

 ひとりかくれんぼを終わらせるために必要な塩水がアユムの髪とシャツを濡らし、机から落ちたコップがじゅうたんの上を転がっていく……


「誰のものでもない魂が、生き物でもないぬいぐるみの中で、在り続けることはできないんだ!

 だけどキミの魂がぬいぐるみに入れば、キミがボクになってくれれば、ボクは消えずに済むんだよ!

 キミがボクになってくれたら、ボクもボクのままではいられなくなるけど、それでも消えて無くなるよりはずっといいんだ!

 ボクには確かな魂が必要なんだ!!

 だからアユムくん!!

 キミの魂をちょうだい!!!!」


 クマーンのぬいぐるみの口は、糸で描かれた模様に過ぎない。

 だから開くわけがない。

 それなのにその口が大きく開いた。

 ぬいぐるみの中には綿しか詰まっていないはずなのに、鋭くとがった頑丈そうな歯が、白く光っていた。


「痛い! ………。痛い! 痛い!

 ア…アユムくん……?

 そんな……いきなりカッターナイフで刺さなくても……。

 あ! いや! やめて!

 痛い痛い痛い痛い痛い……!!

 呪文! 呪文を忘れてるよ!

『自分の勝ち』って唱えてから刺すの! ねえ!

 呪文を言ってからでないと、ボク、痛いだけだから!

 いや、マジで! 呪文と塩水ナシで刺されてもどうにもっ!

 痛い! 痛いってば!

 ねぇ聞いてる!?

 黙って刺してないで何か言ってよ!

 まさか口が利けないのかい!?

 ……もしかして、本当にそうなの?

 ごめんね、気づかなくて。

 それなのに呪文が必須なタイプの降霊術を試そうとしたなんて、ずいぶんチャレンジャーだねえ……。

 いやいや、ほめてるんだよ!

 そのアクティブさは素晴らしいよ!

 だからお願いだから刺すのをやめて、ねえ、謝るから!

 痛い! 痛い! 痛い!

 ねえってば! 耳、聞こえてる!?

 もしかして耳も不自由なパターン?

 じゃあ、ボクの長話、全然聞こえていなかったんだね。

 唇を読むとか、できないよねー、ぬいぐるみの唇なんて。

 ああー、せっかく情感込めて話したのに、全然聞いてくれていなかったのかー。

 悲しいなー。悲しいよー。

 でもそれ以上に……

 痛いんだよ痛いんだよ痛いよ痛いよ痛いんだってば!!

 ねえやめてお願いやめて!!!

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……!!!!」





 次の朝。


 アユムの父はいつものように食卓でスマホをいじってニュースを読み、アユムの母もいつも通りに夫を叱る。

 けれど今朝の父は珍しく妻に食い下がった。

 昨日起きた殺人事件の現場が、我が家の近くなのらしい。

 だから気になると父は言い、母は子供の目に入ると良くないと怒鳴る。


 二人が争っている隙に、アユムはこっそり父のスマホを覗き込んだ。

 事件現場は熊川ランド遊園地。

 被害者はアルバイトの大学生で、マスコットキャラのクマーンの着ぐるみを着た状態で遺体で発見。

 遺体には無数の刺し傷があったが、不思議なことに着ぐるみには傷はなかった。

 被害者の元交際相手の女性が警察の事情聴取を受けているが、彼女は容疑を否認している。


“おとなって、こわいなぁ”ぐらいの感想だけ持って、アユムは真っ赤なイチゴジャムを塗ったトーストをかじった。

 それにしても昨日のあれはいったい何だったんだろう。

 パパやママに言われたように、ただの夢だったのかなぁ。

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