第2話 雨
スマホがメールの着信を知らせるとそこには池橋舞子の名前が表示されていた。
僕は目の前にいる田代良に気付かれない内に、机に置いてあるスマホを手に取りメール画面を表示した。その瞬間に僕の表情が緩んだ感じがしたから、目の前にいる田代に何かしらの質問をされることは目に見えていた。
「お?その嬉しそうな表情は理香子ちゃんかい?お暑いねぇ」
歳の割に中年じみた聞き方をしてる表情はまさに、おっさん そのものである。
これに対して否定をすると更に質問攻めに合い事態に収拾が付かなくなる事は明白だから、適当に相槌を打ちつつ舞子へ返信をする。
「理香子ちゃんとはどうなんだよ?」
理香子 という女性は僕が3年半近く付き合っている彼女の事だ。田代に対して改めて理香子と付き合っている事を報告した覚えはないが何故か知っている。
「別に、どうってことはないさ」
「やっぱし遠距離恋愛は大変なのか?」
「まぁ、栃木と大阪だからな。『東京大阪間の遠距離恋愛』ってのはよくある話だけど、そうじゃない所が地味に大変だ」
「なるほどね。それにしても大雑把な和樹がよくもまぁ3年も遠距離が続くよな、人は見かけにはよらない。ってことか」
何かを悟っているような素振りをしながらタバコの煙で輪っかを作っている田代が能天気に見えて、悩みの類とは無縁な人間が本当にいるものなんだと初めて知った。
だが流石の田代でも、2人の間に途方もない程の溝があると言う事を推し量ることは出来ない。
いや、田代だけではなく、周りには上手くいっているように見えるのだろうが本当のことは2人にしか解らない。
そう思えた瞬間、この理香子関連の話しがとても不毛な物に思えてきてしまって、
タバコに火を付けながら田代に聞こえるか分からない声で小さく呟いた。
「俺は...前に進みたいんだ...」
翌日、和樹は大阪へ行くために東京に来ていた。和樹が大阪へ行くときは電車で東京まで行き、夜行バスが出る時間まで東京で理香子に持っていくお土産を買う。これも朝の日課と同じように恒例のこととなっていた。
東京駅周辺は帰宅時間ということもあって人がごった返していた。
東京駅地下街で理香子へのお土産を適当に見繕い、レストランで夕飯を食べ終わる頃には、時計の針は22時を回っていた。
「よし...そろそろ時間だな」
ため息交じりに和樹は呟き、仕事帰りのサラリーマン達の喧騒で溢れている店を後にして夜行バスに乗り込んだ。
夜行バスは夜の首都高を走り抜け様々な人を乗せてひたすら目的地まで向かう。
初めて大阪に行くために夜行バスに乗った時の事を、和樹は今でも覚えている。
大好きな彼女に初めて会える喜びや一抹の不安と初めて行く大阪に、言葉では形容できない気持ちが幾重にも織り交ざって和樹の心臓を高鳴らせた。
それこそ、高速道路の繋ぎ目の所を通る毎にバスが若干上下に揺れる度に目を覚ましてしまっていた。
それなのに、今となってはアイマスクなしでもバスが東京を抜ける頃には眠りに付ける程になっていたし、目を覚ます頃には新大阪の近くまで来ている。
バスは定刻通りに新大阪に着いた。
そして和樹はスマホを取り出し理香子に電話を掛ける。
電話の向こうでは2人の好きな曲がコール音として流れている。
「もしもし」
「俺だけど、今新大阪着いたからこのまま御堂筋線で先に難波まで行ってる」
「わかった」
たった数秒の会話でさえ、今の僕らにとっては数分の事のように思えてしまう。
付き合い始めた頃は、こんなんじゃなかった。
数時間の会話でさえたったの数分の会話にしか思えなかったし、夕飯が終わってから部屋に戻って、すぐさま理香子と会話をし始めて気付いたら夜が更けていた事なんて数えきれない程あった。
和樹が理香子との待ち合わせ場所の難波に着いて、待ち合わせ時間を1時間余り過ぎた時、理香子から電話が掛かってきた。
「もしもし、和樹?」
「うん」
「いま、待ち合わせの場所の外にいるんだけど、出てきてくれる?」
「分かった」
外に出てみると、雨が降っていて和樹の目の前には傘もささずにずぶ濡れの理香子が立っていた。
2人はそれ以上近づく事もなく無言なまま、お互いの事を見つめていて、2人の間には雨の音がか弱く聞こえていて近くて遠い距離横たわっている。
最初に沈黙を破ったのは理香子の方だった。
「雨が降ってるの...」
それだけ言うと理香子は灰色の空を見上げ、その目からは雨なのか涙なのか、それともその両方が零れ落ちて、ずぶ濡れになった地面に吸い込まれていった。
「もうこれ以上歩けないよ、私歩けない」
「...理香子...」
今の和樹には、2人の前に横たわっている距離を飛び越えて理香子の涙を拭う事も抱きしめる事も出来ない。
まるで2人の心模様を映すかのように空が泣いていた。
やっと君に、出逢えた。 @kapimasa
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