第18話 白色の理想

 みずきと衝突した場所から五キロほど離れた場所にあった建物に入った。選考理由はない。ただ心も身体も休息を求めていたから、その場にあった建物にしただけだ。外装を確認していなかったため、どんな建物に入ったのかわからなかったが、しかしその問題は簡単に解決した。

一階はレジカウンターやいくつかのテーブルがあった。土足は禁止のようで、下駄箱があり、その横にはスリッパの入った箱があった。

入口から見て左奥に階段があったので、二階へ進む。

二階は左側の壁はガラス張りで、右側には更衣室があった。真ん中辺りに女子更衣室、奥が男子更衣室である。ガラス張りの壁に近づき、階下を確認すると、そこにあったのはプールだった。水は張っていない。プールには賑やかなイメージがあったため、閑散としているのが奇妙だった。

水が張っておらず、誰もいないプールを見るのは初めてかもしれなかった。学校では必ずどちらかが満たされていた。水が張ってないときは、誰かが掃除をしていた。誰もいない冬場にもプールの水はそのままで、ひどく濁っていた。

ましろはガラスの壁に寄りかかりつつ、床に座り込んだ。ようやく一息つける。そう思うと心が幾分か安らいだ。

「なんか、さっきのことが嘘だったみたいに静かだね」

『そうですね』

「えっと……。それであの魔法はなんだったの? 魔法陣が盾みたいだったけど」

『あれは防御魔法です。魔法と言っても大それたものではなくて、簡単に言えば、魔力の塊を薄く引き延ばしたものです』

「この杖の攻撃と同じものってこと?」

『近いですけれど、同じではありません。防御魔法には「事象の拒絶」の効果があります。先ほどのことに置き換えますと、芹沢みずきの攻撃を拒絶したということになります。ただこちらに使う魔力はできるだけ抑えたいので、先ほどみたいに弾き飛ばされたりしてしまうのです』

「じゃあ、強い防御魔法も使えないわけじゃないんだね」

『はい。ですが、弾き飛ばされない、または押されない防御魔法となりますと、相手の攻撃の威力などを計算しなければなりません。相手の攻撃に対して、こちらの魔力消費量が決定されるわけですから、瞬時にそれを行うとなると相当な技量が必要とされます』

 相手の攻撃の威力、魔力量を測り、それよりも上回る魔力で防御をしなければならない。慣れていなければ、ただの時間の無駄でしかなく、同時に魔力の無駄にもなる。今のましろには無理な作業だ。

「あのときはセレナが使ったの?」

『申し訳ありません。事態が事態でしたので……』

「ううん」ましろは首を横に振る。「ありがとうって言いたかったの。ありがとう。セレナが守ってくれなかったら、一撃だったよ」

『それにしても、芹沢みずきは本気でしたね。防御をしていなかったら、いくら魔法着とはいえ両断されてもおかしくはないほどの一振りでした』

「この服って結構すごい?」

 そういえば、前マスターとの論争しか聞いたことがなかったことに気付いた。ただの服ではないとわかっていながら、どんな服かは気にも留めていなかった。

『元々、精霊と戦っても生き残れるように作られたものですから、耐久値はかなりのものです。精霊は魔法を使いますから、その耐性があるのです』

 セレナと話しているうちに、心が穏やかになっていくことが感じられた。水面にできた激しい波紋が、少しずつ治まっていくような感覚。森林浴をしているときの感覚に似ているかもしれない。

 けれど、今、自分が置かれている状況を忘れてはならない。まだミッションの途中で、みずきと戦い、どちらかが敗北しなければこの空間から出ることはできない。終わらせたい戦いだが、戦いたくはなかった。大切な人を助けるために、大切な人を失わなければならないという楔が、ましろの心に突き刺さっている。

 なにか手はないか考える。

どちらも傷つかずにこの無益な戦いを終わらせる。しかし、それにはどうしても「ミッションを達成しなければこの空間から出ることができない」という制約が、ましろの前に立ちはだかる。裏をかこうにも、その策がなかった。シンプルな制約であるからこそ隙がない。

 ましろは考えを改め、届きそうにない理想を掴もうとするのではなく、解決できそうな問題から処理していくことにした。

まずはそう、芹沢みずきを正気に戻させることだ。

 あの生気を失った姿が、彼女のはずがない。なにかに取り憑かれたかのように言葉を呟き、その眼には結末しか映っていない。心の拠り所を失い、それを取り戻せる手段があったから、あの状態になってしまったのだ。

それは、ましろも同じだった。

人を生き返らせることができる。それを知ってしまったから、なにかから逃げ出すようにミッションを申請した。禁忌だとわかっていた。それを踏み倒してしまった現実に逃げたのだ。

しかし、逃げてきた現実の先にあった幻想は、現実と同じくらい悲痛なものだった。そしてその幻想もまた現実なのである。一般人としてのましろの現実から、魔法使いとしてのましろの現実に移っただけだ。

みずきと話がしたい。しかしあの状態のみずきが話を聞いてくれるとは思えなかった。

 八方塞がりとはまさにこのことだろう。いくら思考を巡らせようとも、辿り着ける答えは一つしかない。まるでその答えに辿り着けるように、数ある可能性の道を潰されているような感覚だ。

 ましろが知恵を絞り、どうやってみずきを説得できるか考案している最中に、セレナが声をあげた。

『マスター。なにか接近してきます』

 なにか、ということは、みずきではないということだ。みずきだとすれば、わざわざ「なにか」と言う必要はない。

 そしてこの空間において、「なにか」を作り出せるのは、ましろとみずきだけ。つまり、みずきからのなんらかの攻撃を意味している。

ましろは立ち上がって、ゴーグルを装着した。縁に付いているボタンを押し、画面を切り替えていく。この手の作業も、慣れたものだった。遊び感覚でいじっていたのが功を奏した。

 画面には、ましろを中心とした、簡易な俯瞰図が映し出された。距離を示すいくつかの円。そして、見覚えのない点がいくつも移動を行っている。正体不明と英語で表記された点は、四方八方へと進んでいく。ましろに向かって来ているのは二つだ。

 一つは、途中で止まった。

 そしてもう一つが、ましろの場所を示す円に重なる。

 後方からの激しい破壊音と、地響き。ましろは驚きと揺れで床に手をついた。衝撃が凄まじかったために、ガラス張りの壁が、シャボン玉が弾けるように崩壊していく。いくつかの破片が降りかかりそうになったが、セレナの発動した防御魔法によりやり切ることができた。

 すぐさまに立ちあがり、事態を把握するためにプールを見下ろした。

そこにあったのは巨大な岩だった。建物の壁を容易く打ち砕き、二十五メートルプールの半ばまでその先端が来ていた。建物に侵入していない部分もあるため、全体を窺うことはできないが、高さは十五メートル以上、幅もプールと同等くらいだ。見たことはないが、隕石のようだと、ましろは思った。

「これって……」

『おそらく魔法でしょう。魔力反応があります』

「どんな魔法なの? 隕石を降らせる魔法とか?」

『どうでしょう。魔法と言っても種類は様々ですから、これだけではなんとも言えません。しかし、なるほど。必要ないと思っていましたが、これはそういうことなのかもしれませんね』

 セレナの言葉に耳を傾けつつ、ましろはゴーグルに映る、おそらく岩の移動だと思われる点に集中していた。

みずきはなんのために魔法を使っているのだろうか。

居場所のわからないましろへの無差別な範囲攻撃だとしても、これでは魔力を無駄に消耗するだけだ。狙いを定めているとは思えない弾道。みずきの固有魔力の絶対量によっては、まだまだこの攻撃は続けられるだろう。むしろ継続できないようであるのなら、この手段をとるはずがない。

ましろの姿が見えないための攻撃であると考えるのが普通だが、しかしこれでは自分の居場所を知らせているようなものだ。ましろの攻撃手段を知らないためのこととはいえ、いささか無謀すぎる。わからないならば、変に行動を起こさない方が吉だ。

だが、考えようにもよれば、この無差別魔法はましろを本気で倒しにきているともとれる。姿を現さない相手ならば、隠れ蓑となっている街ごと破壊してしまおうという合理的な算段。あの大きさの岩を滑らせれば、降らせれば、いつかは必ず命中する。

ましろは頭を抱えた。どうすればいいのかわからない――いや、どうすべきなのかはとっくに決まっているのだ。

魔法使いとしてミッションをこなすというのなら、この魔法が発生している中心点に向けて、遠距離攻撃をすればいいだけだ。ましろの魔法杖ならば、今ある魔力を注げば、容易に達成することができる。

このままみずきと顔を合わせず、願いを叶えることができる。

意味のなくなった願いを。

理想ではない願いを。

近くに岩が着弾したのか、また激しい地響きが起きた。いつまでもここにいることはできない。けれど、行く場所もなかった。外に出たところで、もうあの街並みはなくなり、不自然なほどの岩の大群が目に映るだけだ。

ふと、自分の周りをあの花びらが飛んでいることに気付いた。不規則に速度を変えながら、まるでなにかに誘われるかのように移動していく。

『マスター。この魔法はおそらくマスターを誘っているのではないですか?』

「……たぶん、そう」

 自分の居場所を知らせたくて、無意味な魔法を発動している。その場から動かずに魔法を使い続けているのはそういった意味があることを、ましろは薄々勘付いていた。

みずきらしい堂々とした行動だから、その意図に気付けた。気付けて、もしかしたら正気に戻ったみずきがその場所にいるかもしれないと、淡い期待を抱いた。そうであって欲しいと願った。

 ただ、不安だった。現実に直面することが――あの状態のみずきがなにかにとり憑かれているのでもなく、操られているのでもなく、みずきの正気そのものであったとき、ましろにはどうすればいいのか見当もつかない。話し合うこともできない。理解し合うことも叶わない。自分たちが始めたことに決着をつけなければならない。

 この手で、親友を倒さなければならない。

昨日まで一緒に登校をし、同じ教室で学び、一つの机で昼食を食べた。自分のことを気にかけてくれ、その本心をさらけ出してくれた。かけがえのないものを失い、それを取り戻すために戦う親友を、トリガーを引いて倒す。そうしなければ幕は下りない。

ましろが失われることで、美雪が戻ってくる。それも構わないと思った。

けれど、そう考えるたびに脳裏に現れるのは、降り注ぐ雨と、天を仰ぐみずきの姿だった。その失意の姿が浮かび、それに重なるように舞子の姿が現れた。同じように天を仰ぎ、雨に濡れているせいか、その頬を涙で濡らしているのかもわからない。みずき、舞子の姿が脳裏に浮かぶたびに胸が締め付けられるように痛んだ。

『大丈夫ですか?』

「え? あ……ああ、うん。大丈夫だよ」

 みずきからの攻撃が止まった。魔力の温存を図ったか、あるいはましろからの応答が、応戦がなかったために、別の手段を思索しているのかもしれない。

『思考錯誤し、検討をした結果ですが、もしかすればマスターの魔力は、魔法使いとしては致命的なほど絶対量が少ない可能性があります』

「どういうこと?」

『あまりにも装備が充実し過ぎているんです。芹沢みずきを見る限り、魔法杖と魔法着しか装備はありませんでした。それに比べてマスターはゴーグルもあれば、魔法杖自体に能力が備わっています』

「でもそれは前のマスターさんの影響があるからって」

『そう思っていました。しかしそれは私の勘違いだったんです。マスターしかこの世界に魔法使いがいないと思っていたから、思い込まされていた、あるいはそれすら考えさせてもらえなかったために、そう発言してしまったのです』

「全然わからないよ」

『つまり私は外部からの影響で、思考能力に制限がかかっていたということです』

 そこまで言われて、ましろは思い出した。セレナは、ましろが漫画やアニメなどで得た知識の範疇にいる精霊ではないことを。精霊として個を持つのではなく、世界の一部なのだ。こことは違う別の世界では、世界の意志で人類を滅ぼそうとした。

 一時は世界と別離できたのかもしれない。そうしなければ、人類のために精霊と戦うことはできなかったはずだ。

 しかしここではまた繋がってしまっている。散乱した精霊の欠片を倒すために、世界から派遣され、再び人間と手を結び、魔法使いとして活動する。そういうプログラムを組み込まれていたのなら、この魔法使いどうしの戦いとは――。

「この状況は仕組まれていたってこと?」

『予定調和なのでしょう』

「そんな……」

『だからこそ、マスターの魔力を補助する装備があるのです。魔法使い――精霊の欠片と契約した人間を打倒するために』

 セレナが申し訳なさそうに話しているが、ましろの思考はすでに別のことに切り替わっていた。

思い込まされていた、という言葉が気になって仕方がない。セレナが思い込まされていた事実はそれだけなのだろうか。同時に、ましろもなにか思い込み、思い違いをしているのではないか。それが見つかれば、この状況を抜け出すことができる可能性がある。

「私の魔力量を補助してるものって?」

『あの花びらのようなものです。あれは魔力を回収する装置なんです』

 ましろがそれらに目を向けると、今は岩の周りを飛んでいた。なにかに誘われるようにして移動しているのは、空気中に分散された魔力に反応しているため。思い返してみれば、ましろが魔法を使おうとするときは、いつも飛び回っていた。今もそうなのだろう。五枚一組の計四つの花びらの集合体が、ましろの目に映る。どれも反時計回りをしていて、その回転で魔力を回収しているのだろう。

 セレナは話を続けた。

『周囲から魔力を集めるイメージ――今となってはおかしな話です。マスター自身の魔力を使うのなら、外側を固めていくのではなく、内部から膨らませるようにするものです』

「でもあのときは、私、凄く疲労したよ? 魔力を消費したためじゃないの?」

『魔力を消費したのは間違いありません。しかし、マスターは自身の魔力を放出したのではないのです。思い出してください。あのとき、マスターの身体を支えた羽が現れたことを。気付いてください。そのゴーグルはなにを原動にして動いているのかを』

 少なからず、魔法杖を扱うのには魔力を消費する。みずきの魔法杖の刃が魔力でできていたように。もしかすれば、この魔法着にも魔力を費やしているのかもしれない。そう考えれば、魔法使いの装備には魔力が関わってくることになる。なに一つとして、力の源なしに効果を発揮するものはない。

 無意識の内に、ましろの身体を支えるように魔法杖から伸びた羽。あれが魔力を使わずにできるものか。このゴーグルにしてもそう。なにかを原動力にしなければ、動くことはないのだ。

「じゃあ、私の魔力は身の回りのものを使うのに精一杯の量しかないってこと?」

『そうです。厳密に言えば、普段の状態では射撃に回せる魔力はほぼないということです。すべてあの遠隔装置が回収し、マスターの魔力へと変換しているのです』

「このことに気付けたのも、世界が情報を開示したからだよね」

『はい。魔法使いを倒すために必要な知識だったのでしょう。おそらくあちらも同様になにかしらの情報を開示されているはずです』

 この世界がなにを考えているのか、それは今のましろにとっては重要なことじゃない。それはこの空間で未来を掴めた方が考察することを許されることだ。

 生き残りたい。ましろは切実に思う。

 自分の居場所に。

 家族のもとへと。

 帰るべき場所なのだと。

 みずきを悲しませたくはないが、それと同等以上に舞子と詩郎を悲しませたくはなかった。

しかし、みずきとは戦いたくない。みずきを倒して美雪を生き返らせても、それはましろが望んだ理想とは違う。あの二人がまたあのアパートで暮らせることこそ、ましろが思い描く理想だ。

心の深いところでは、すでにわかっているのだ。その理想はあまりに高く、思い描くことだけで精一杯で、実際は空に浮かぶ雲のように掴むことのできないものなのだと。みずきを倒さなければならないと提示されたときには勘付いていて、けれどそのことに気付いていない振りをした。

そうしなければ、心が耐えきれなかった。

今の状態が決して落ち着いているとは言えない。今だってまだ不安で胸が張り裂けそうなのだ。見えない未来が怖い。選択した道の先にある未来を訪れる前に見ることができたのなら、こんな思いをせずに済んだのだろう。

未来を、答えを見てから先に進む。足元が明るく照らされ、迷うことなく、立ち止まることなく、歩いていける。

しかし、そんなことはできない。誰だって選択には不安を募るものだ。震え、怯え、考え、悩み、そして決断する。

ましろは魔法使いになることを選択したときを思い出す。魔法使いという未知の領域。その道を選択することに臆しただろうか? そんなことはなかった。自然と導かれるように、あの白いカードを掴んだ。期待をしていたのだ、今を変えられる可能性を。魔法使いになることで、見えなかった自分の一部分を見出すことができるかもしれないと思ったからだ。不安などなかった。

そして今、ましろはあのときと同じ場所に立っているのだ。ここから見えている場所は、決してゴールではない。その先にも道は続いているのだ。レールの上を走る汽車のように停車駅を目指しているだけ。その駅に辿り着いても、レールはまだ続き、それが一本道ではない場合もある。

魔法使いになることがゴールではない。

芹沢みずきを倒すことがゴールではないのと同様に。

問題となるのは、その先に続くレールが分岐しているかどうかだった。もしも分岐していなければ、生涯癒えることのない傷を負うことになるだろう。二度目の苦痛を味わうことになる。そして芽生えてしまうその感情を抑えなければならない。禁忌だということは嫌というほど身に染みた。

ましろは深呼吸を二度、三度と続けた。心を落ち着かせ、迷いがないか確かめる。たとえどんな答えが返ってこようとも、それを甘んじて受け入れる。この膠着状態から脱するためにはそうする他にない。

酷く唇が乾燥していて、緊張していることがわかった。自覚すると、自然に手が震え始める。ましろにとって好ましくない返答のことばかり考えてしまう。悪い方へ、悪い方へと思考が沈んでいく。空の青さを仰ぎ見ることができなくなる。掴みたい未来が捉えなくなる。

それでも、ましろは口を開く。

前に進むために。

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