第17話 白色の戸惑い

「なに、これ……。どういうこと?」

『芹沢みずきが魔法使いだということでしょう』

「なんで? 私しかいないんじゃないの?」

 焦りを隠しきれない。戸惑うことしかできない。

 しかし思い当たることはあった。

 毎日のように精霊を倒しにきていたが、何回かは遭遇することができないときがあった。セレナが気にしていなかったため、ましろも「そういう日」もあると思い込んでいたのだ。そしてそれは、突きつけられた事実と照らし合わせば、いとも簡単に紐解かれる。

 ましろが討伐する前に、みずきが討伐をしていたなら――。

 そう考えれば、辻褄が合うのだ。

 みずきがある日から懸賞に当たるようになったことも、精霊討伐の結果だとすれば、なにも不思議なことはない。むしろ、魔法使いの使命を知っているましろからすれば、それは当然のことだ。

『私も初めて知りました――いえ、知らされていなかった。あるいはそこまで制御されていた。これが今の世界の意志ですか』

「全然、わからないよ。ちゃんと説明してよ」

『「精霊」退治の中に私も含まれているということです。そして同様に芹沢みずきのパートナーも対象になっているのでしょう』

「だってあれは欠片を退治するだけなんでしょ? だったらセレナは関係ないよ」

『いえ、私は欠片なのでしょう。マスターなしではなにもできない精霊もどき』

「そんな……」

 身体の力が抜けていく。突き付けられた現実の理解を拒絶しようとしている。芹沢美雪を生き返らせるために芹沢みずきを倒さなければならない。それを叶えてなんの意味がある。叶えた先には、ましろが望んだものはない。本末転倒も甚だしい。

『倒してきた精霊と私の違いは、世界側だったか人間側だったかの違いでしょう。あの欠片は魔法使いたちが倒した精霊の残骸で、私たちは精霊たちを倒していた魔法使いの一部。この世界は、本当にすべての精霊を消すつもりなのかもしれません。精霊を倒すためのシステムの中に、マスターは組み込まれた』

 ましろが魔法使いになろうと思ったのは、友達を倒すためじゃない。自分が誰かのためになれるのなら、そうしたいと思ったからだ。願いを叶えて、誰かが喜んでくれるのなら、それだけでいいと。

 しかし、このミッションはあまりにも非情である。

「でもどうして魔法使いなの?」

『これは推測ですが、もしかしたら同じ願いなのかもしれません。マスターも芹沢みずきも一人の人間を生き返らせたい。ただそれが同一人物だったために、調整が入った可能性があります』

「同じ願いなのに――」

 同じ願いなのに、どうして争わなければならないのか。

 言いかけたところで、セレナが呼びかける。

『マスター。魔力反応があります』

 ふと、背後を振り返ると、そこには芹沢みずきの姿があった。道着のような水色と黒色の装束を着て、ガリガリと魔法杖で地面を引っ掻きながら近づいてくる。形状からして鎌のようだ。

「みずき……、ちゃん」

「どうしてこうなっちゃったんだろう。なにがダメだったんだろう。私が間違えた? そんなことない。母さんが? もっとありえない。私たちはなにもしてない。悪いことなんてしてない。それなのに、どうしてこんなことになってるんだろう」

 その声に覇気は感じられない。

ただ呟いているだけのようだ。

「なにもかもなくなっていく。頑張ってたのに。落ち込んだりしなかったのに。笑って過ごしてきたのに。父さんがいなくてもよかった。母さんがいれば充分だった」

 その目に生気は感じられない。

光が灯ってない。

「ようやく幸せになれると思ったのに。こんな不思議な力を手に入れて、小さな幸せを拾い集めていたのに……。その幸せが一気になくなった」

 その表情は恐ろしかった。

無理に笑顔を作ろうとして失敗している。

「私たちはどんな罪で罰を受けたの? なにをしたっていうの? もっと死ぬべき人間はたくさんいるじゃない。どうして母さんが死なないといけなかったの? どうして私から全部奪っていくの?」

 ましろは、みずきから距離をとるように後退した。いつものみずきじゃない。それ以上になにかがおかしい。禍々しいなにかをみずきは纏っているようだ。その気迫に、ましろは後退するしかなかった。

 恐怖心――それがましろを支配していた。

 そしてそれを生み出しているのは、間違いなく普段のみずきと今のみずきとのギャップだろう。あるいはましろの中にいる「芹沢みずき」という人物像との食い違いだ。

 そのせいで、目の前にいる親友を、親友と思いたくない自分がいる。親友だからこそ確認するまでもなく本人だとわかる。わかってしまう。

「取り戻すんだ。母さんを返してもらうんだ。母さんとまた暮らすんだ。母さんと話すんだ。母さんとご飯を食べるんだ。母さんと出かけるんだ。母さんに名前を呼んでもらうんだ。母さんに褒めてもらうんだ」

 みずきから目が離せない。怖いもの見たさとは違う。蛇に睨まれているのだ。その気迫に後退どころか、動くことも、呼吸をすることもままならない。嫌な汗が背中を伝っていく。

 目の前にいるみずきと、普段のみずきを重ねるのは不可能だった。彼女はもうましろの知っている芹沢みずきではない。葬式会場にいた彼女とも違う。完全に我を失い、願いのために光を手放している。

 彼女に見えているのは、このあとの生活だ。

 母親と二人で仲睦まじく暮らす。ただそれだけ。

「もう戻れない。だけど戻すんだ。ましろを倒して、母さんを取り戻すんだ」

「みずきちゃん!」

 その叫びは、みずきの耳には、心には届かず、空しく色褪せた空間に響くだけだった。みずきの前進と呟きは止まらない。

『マスター。ここは一時撤退すべきです』

「でも、みずきちゃんが」

『マスター自身、今の状況に戸惑っています。彼女を説得するのなら、正気に戻させるのならマスターが冷静でなければなりません。それには時間が必要でしょう。ですから、どこか遠くで身を潜め、心の休養をとるべきです』

 魔法使いに、心の乱れは禁物である。魔力を操るためには心が安定していなければならない。それを瞬時に行えるのは、心に刻まれたイメージが存在するからであり、焦りや戸惑いはそのイメージをぶれさせ、靄をかける。そうなってしまえば、思うことも上手くいかない。

 今回の場合は、特に心の休養が必要とされる。突然の美雪の死、その絶望から友達を救うために行うミッション、その内容が件の友達の討伐。畳みかけるように、ましろの心を乱すものがあった。

『来ます!』

「え?」

 一瞬だった。みずきの姿はましろの視線の先になく、虚空だけがそこにある。

そして左側に大きな魔法陣が描かれた。その色で、自分の魔法だとわかったが、ましろの思考はいまだ追いついていないため、展開された理由までは把握できなかった。

そしてその魔法陣の向こう側、ましろのすぐ横にみずきの姿があった。

鎌を振る前の姿勢。

そこから一気に振り抜き、困惑するましろの身体を吹き飛ばした。

二、三転し、ビルの壁に衝突したが、不思議と意識は途切れない。

「な、なに……?」ましろは身体を起こしながら言う。「なにが起こったの?」

『説明はあとです。今は逃げることを考えてください。防御は私の方でなんとかします』

 吹き飛ばれたせいで、みずきとの距離は幾分か離れている。しかし、さっきの動きから考察すると、この程度の距離は彼女にとって取るに足らないものだろう。一気に間合いを詰めてくるに違いない。

みずきはゆらりと身体を動かす。

今すぐにでも話をしたかったが、セレナの言葉を思い出しそれをぐっと堪える。それをするのは今でなくてもいい。今は休息を求められている。ましろは身体を起こしたと同時に、一気に走り始める。目指す場所は、みずきに気取られない場所だ。

だが、一歩目を踏み出し、二歩目のために足を地面に付けた瞬間、背にぞっと寒気を感じた。思わず振り返ってしまいそうだったが、それに気付いたセレナの声で抑制される。しかし、セレナはさらに続けた。

『高く跳んでください!』

 その叫びに近い声に頷くことすら躊躇われ、地面についた左足に精一杯の力を込め、走りながら跳躍した。走り幅跳びの要領だったが、加速はできていない。遠くへ跳ぶことも、ましてや高く跳ぶこともままならないため、できるだけ足を曲げた。

 足元を通過したのは、鎌の刃だった。淡い青色をしており、悲しみを表しているかのようだった。

 上手く避けられ、着地と共に駆け出す。そしてましろは目を丸くした。視界に映るすべての物体がある位置を境目にしてずれていたからだ。そのずれは少しずつ大きくなり、建物や木々が一斉に同じ動きをし始める。

 ましろは先ほどのみずきの攻撃を思い出していた。ましろの下を通過した刃は斬撃を発生し、それが周囲の建物等を斬り裂いたのだろう。

避けていなければ、ましろも分断されていた。そう考えただけで、身体が震えた。自分の死を連想してしまったのもそうだが、なにより親友が本気でましろを倒そうとしていることが怖かった。

同時に、悲しくもあった。

これは夢でも、空想の話でもない。

紛れもなくましろのいる世界で起きていることだ。

ましろの思考が、ようやく現実に追いついてく。追いつくだけで精一杯だが、それだけで身体は軽くなった。不思議な言い方をすれば、やっと自分の身体であることを認識できた。どうやって動かしていたのか思い出せた。

切断された建物たちが、音を立てて地響きとともに崩れていく。視界にあっただけのものが倒壊しただけで、ましろは世界の終わりを感じていた。それだけの揺れと轟音が、ましろを包んでいる。

「これじゃあ、簡単に追いつかれちゃうよ!」ましろは叫んだ。

『ええ。そうならないためにも、マスター、後方に攻撃をしてください』

「みずきちゃんを攻撃なんて」

 できるわけがない――そう言いたかった。

 ほんの数日前まで一緒に笑い、同じ机で弁当を食べ、同じ教室で生活をともにした相手を攻撃できるはずがなかった。

 みずきはましろの一番の友達だ。その矛先を向けることなど、考えられるはずがない。

『命中させる必要はありません。ただ相手の動きを止められればいいのです。防御してくれれば幸いなのですが、あの機動力では可能性は低いでしょう。ここは思い切って攻撃するべきです』

 そうでなければマスターが消えてしまいます、とセレナは言った。

 できることならば話し合いで解決に持ち込めないか、

美雪を助ける他の方法があるのではないか、

それをみずきと模索していきたい。

しかしセレナの言うとおり、ましろだけがそう思っていても、みずきが正気に戻らなければ、その場を設けることもできない。

一人ではダメなのだ。

二人が揃ってこそ、ましろの思い描く理想がある。

「……ギリギリを狙えばいいんだよね」

『はい』

「わかった」

 駆けながら、魔法杖に魔力を集中させていく。走りながらの魔力集中は初めてだったのだが、これまでの反復練習や、今回は杜撰な密度でも問題ないことが、ましろの心の安定を保った。命中させてしまったときのことを考えたが、みずきのあの動きなら大丈夫だろうと思った。

 セレナが『今です』と合図を送った。それに合わせ、ましろは飛ぶように身体ごと振り返り、魔法杖を構えた。

みずきの姿はすぐ近くにあり、鎌を振ろうとする瞬間で、突然のことに目を見開いていた。「ごめんね」と声に出さずに謝り、トリガーを引いた。銃口に集まった魔力が放たれ、薄桃色の光がましろの視界を浸食していく。

みずきの姿が見えなくなるのは、あっという間だった。至近距離からのカウンター攻撃に、対応することはできたのか。それは視界が晴れるまでは不明のままだ。

ましろの放った攻撃は、幅は広く、距離は短いもので、少ない魔力でもできる至近距離用の攻撃だ。もちろん、ましろは至近距離用と区別していたわけではない。少ない魔力でできる攻撃をしただけだ。

 拡散された魔力が徐々に消え、ましろは尻もちをつきながらも、晴れた視界にみずきの姿がないか捜した。

みずきの姿はなかった。

攻撃はビルの一階の一部分の壁と走っていた地面を、弧を描いて削り取っていた。

『あの距離でしたから、多少のダメージを負い、一時的に撤退したのかもしれません。しかし、なぜあの攻撃方法を? あれでは芹沢みずきに直撃することはわかっていたはずです』

「わかんないけど、そうした方が今はいいのかなって……」

『防衛本能ですか。選択としては最良でした』

「怪我させちゃったらどうしよう」

『それは大丈夫でしょう。ここは一先ずこちらも身を隠すべきです』

「――そうだね」

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