第9話 白色の探検

 放課後、ましろは、みずきと一緒に下校し、「朝の待ち合わせ場所」で別れ、家路についた。

朝は走っていてあまり気にしていなかったが、今日の気温は例年よりも低いらしい。夕方にもなるとその寒さは際立ち、頬を赤く染め上げてしまうほどだった。そろそろマフラーを出すべきかもしれないと、みずきと話したことを思い出しながら、家の鍵を開けた。

 いつもどおり誰もいない。いつも通り防犯対策の「ただいま」を言った。

 舞子は昼から仕事のため、今日は帰りが遅くなるだろう。詩郎の方は通常通り、七時前には帰宅するはずだ。

 洗面所で手を洗い、うがいをしたあと、自分の部屋へ向かう。

 鞄を置いたあと、再び一階へ戻る。昨日は報酬としてココアが部屋にあったが、今日は自分で用意するつもりだった。自分でできることは自分でしたかった。

 ココアを作り、部屋に戻る。

いつもならリビングでドラマの再放送を見ている時間だ。以前に見たものを見返しているだけだったので、見なくても支障はない。

『マスター、今日はどうしますか?』

部屋に戻り、一息ついたころにセレナが話しかけてきた。登校のとき以来だった。

「んー。行こうと思ってるよ。イメージトレーニングの成果が見たいし」

『わかりました。準備ができたら、呼んでください』

「セレナってさ」ましろはセレナを見た。学校にいる間は制服で見えないようにしていたが、今は制服の上にある。

『はい?』

「精霊なんだよね」

『そうです』

「今はこの宝石の中にいるみたいだけど、本当の姿ってどんななの? やっぱり羽が生えてるの?」それはましろの勝手なイメージだった。セレナは女性の声なので、そこから天使を思い描き、それから羽のある姿を思い浮かべたのだった。

『どうでしょうね。ずっとこの姿ですから、憶えていません』

「ずっと?」ましろは訊ねた。

『はい。詳しくはわかりませんが、相当な年月が経っているはずです。それにここは私がいた世界ではありませんから。それも本当の姿を思い出せない原因でしょう』

「元の姿に戻りたい?」

『いえ、そういうのはないです。今さら戻ったところで、どうしたらいいのかわかりません。それこそ今みたいに、使命のようなものがなければ、たぶん私は消滅を選ぶでしょう』

「そう……、なんだ」

 人間と精霊は違う、そのことはわかっていた。生き方からなにまで、すべてが異なっている。だけど、それでも理解できると思っていた。感じ取れると……。

 しかし、セレナの言葉には重みがなかった。感情を捨ててしまっているのか、あるいは人間の理解を超えるものではなかったか。少なくとも、ましろには、セレナの心が見えなかった。心が繋がっていると言っても、一方通行なのかもしれない。

『他に聞きたいことはありますか? 答えられる範囲で答えますよ』

「そうだなぁ……」

 訊きたいことは山ほどあった。山ほどあったが、そのすべてが訊いてはいけないもののような気がした。

「今はないかな。向こうに行ったら、魔法のことを教えてね」

『もちろんです』

 ココアを飲み干したあと、向こう側の世界に移った。どのように風景が変わっているのか確かめようとしたが、ましろが認識をしようとすると、すでに移動が終わっていた。人間の脳が認識するのが不可能なほど速いのだろう。

 セレナがかっこよさと可愛さを両立させようとして、ちぐはぐになってしまった衣装を着るのは二回目だけれど、不思議と違和感を持たなかった。それどころかましろは少しかっこいいと思った。ゴーグルは首にかけられている。

 部屋の中にいたためなのか、こっちに来ても自室にいた。自分の住んでいる家を壊すのは気が引けるので、行儀よく玄関から外へ出た。

 ましろが唯一慣れないのは、この世界の色だった。色褪せてしまっていることが、ましろの心を不安にさせる。色が変わり、やがては地面に落ちていく木の葉を連想させた。まるで世界が終わっていくような、そんな気分にさせられた。

 前回、ましろが破壊してしまった箇所は、なにごともなかったかのように元の形を取り戻している。

「頑張ろうね、セレナ」

 そう言うと、手には魔法杖が現れた。すでに射撃モードになっている。しかし、蕾は閉じたままだった。

それは無意識下でのことだった。ましろはただ頑張ろうと思っただけで、魔法杖を取り出したいと思ったわけではない。だから、驚いて地面に落してしまった。

『どうかなされましたか?』

「突然、杖が現れたから驚いちゃった……」

『ああ、それは私が説明していなかったせいですね。前回は適正の魔法杖を決めるためにあのように時間がかかってしまいました。今はマスターが思えば、すぐに現れますよ。またその逆もあります』

「そうなんだ」

 試しに魔法杖が消えるように思うと、微かな光を発して消えていった。そして現れるように思うと、その手に握られていた。さっきは気付かなかったが、現れるときも微かな光が発せられていた。

『あとはマスターのやる気にも反応するときもあります。他にも、形を変えたりできたりします。変えると言っても、「銃」というカテゴリから脱することはできませんが。その辺りは追々説明していこうと思いますが、いかがなさいますか?』

「うーん……、そうだね。また今度にしようかな。今日は魔力の制御を覚えたいし」ましろは魔法杖を消した。

『わかりました』

 ましろはゴーグルをして、精霊がいないか確かめる。前方、そして左右、最後に後方を見渡したが反応はない。意味があるかどうかはわからないが、念のために下を確認し、続けて空を仰いだ。やはり反応はなかった。

「今日は、いないみたいだね。これって近くにいないってことで、別にこの世界から精霊がいなくなってるってことじゃないんだよね?」

『その通りです』

「じゃあ、ここから移動してみてもいい? 他の場所からも見てみたいし」

『構いませんよ。なにか問題があれば私が言いますので、とりあえず、やってみたいことはやってみるべきです』

 そう言われて、ましろはこっちの世界に来て初めて、家の敷地の外へ出た。

 まずは通学路を歩いた。見慣れた景色がこっちでは目にどう移るのかを知りたかったからだ。ただ色褪せているだけなのはわかっているが、それでも想像と実際に見るのとでは感じ方が違う。

今日は走って通った道を歩くのは新鮮だった。一日に二度登校することなんて、これまで人生で一度もなかった。みずきは何度か忘れ物を取りに来ていたらしい。そんなことを話していたことがあった。

道の真ん中をキョロキョロと辺りを見渡しながら、歩くのも初めてである。実際にやるのは危険すぎる。それに周りに人がいれば、迷惑をかけてしまうかもしれない。だからこうして歩けているのも新鮮に感じていた。誰もいないからこそできることだ。誰もいないから車も自転車も通らない。

いつもみずきと待ち合わせをしている場所に到着した。そこで待っていたはずのみずきを想像して、明日はちゃんと起きようと誓った。

学校に辿り着いたところでましろは立ち止まり、周囲を確認した。やはりゴーグルに反応はなく、画面には緑がかった街並みが見えるだけだ。

「特になにもなかったね。精霊もいないし」

『人間の負の感情に集まりますから、この辺ではそういうものがなかったのでしょう。平和な場所ですね』

「うん。いい街なんだ」

大切な家族、友達がいるこの街を悪く言うことはできない。たとえどんな悪人が住んでいようと、ましろにとっては大事な場所なのだ。いろんな思い出が詰まっていて、そこかしこに散らばっている。

セレナが辛い世界にいたことは知っている。だからこそ、この街で平和に暮らして欲しいと思うのと同時に、楽しい思い出を作って欲しかった。前のことは忘れて欲しいとは言わない。けれど、それを上回るほどの楽しさを感じてもらいたかった。

「さてと、魔法の練習をしなくちゃ」

 ましろの手に魔法杖が出現した。慣れてしまうと本当に便利な機能である。出したいときに出せて、しまいたいときにしまえる。なんとなくボールペンとシャープペンシルを連想させた。

『魔力制御に必要なのは、魔力量を測る力です。前回は言いませんでしたが、いくら魔力の塊が大きくなろうと、密度が伴っていなければ威力は出ません。威力が出ないということは、遠くまで魔力が続かないということです』

「大きくするのと小さいままだったら、どっちがいいの?」

『どっちがいいとははっきりと断言できません。同じ魔力量だとして、大きい塊は小さい塊より射程が短くなりますし、小さい塊は命中度がシビアになってきます。一長一短と言ったところでしょう』

「難しいね」

『そうですね。ですが、マスターにはそれを補助してくれるゴーグルがあります。ですからあまり深く考えずにゴーグルの指示に従ってもらえばいいかと』

「やっぱりすごいゴーグルだね」

『ただし、あくまでゴーグルはターゲットとの距離などを計算して必要な魔力量を算出しますので、そこにマスターの魔力残高は計算されていません』

「要求される量が、私の魔力を超えちゃうことがあるってことだよね?」

『そうです。ですが、これは滅多に起こりえないことです。マスターが無理をなさらなければいい話ですから』

「あれ? そうすると魔力制御の練習をする必要はないんじゃないかな? だってゴーグルが全部……とは言わないまでも、ほとんどやってくれるんでしょ?」

『そうではありません。マスターは人間なのですから、もちろん疲労をします。それに必ずしも万全というわけにはいかないでしょうから、やはりマスター自身の力で計算をした方がいいです』

「えっと……」ましろは情報を整理する。「つまり、私のやるべき魔力制御は、私の魔力量と疲労を計算しないといけないってことだね」

『本日のような状態が続いてもいいのなら、計算をする必要はありませんが、そうはいかないですよね?』

 魔力制御を怠れば、自分の私生活に影響が及ぶほどの疲労を得てしまう。毎日ここに来なければいいとも考えられるが、それでも精霊が場を汚してしまうことを考えるとそうはいかない。悪影響を与える精霊を倒せるのは自分しかいないのだから。

『ゴーグルで算出される魔力量を目安にしてください』

「わかった」

ましろは魔法杖を構えた。今回は魔力を放つつもりはないため構える必要はないのだが、こういうのは雰囲気が大事なのだ。実践により近い方が、練習になる。

構えると同時に、蕾が開き、四本の枝が伸び、花びらが飛び上がっていく。枝の方の役割が反動を軽減させることは前回のことでわかっていた。しかし、飛び上がっていく花びらがなんのためなのかは不明のままだ。

花びらは全部で二十枚ほど。五枚一組で、二組はましろの周辺を、残り二組は少し離れたところを飛んでいた。一定の場所に留まってはおらず、しきりに移動している。それにときどき回転をしていた。

ましろは気になって、セレナに詳細を訊くことにした。

「ねえ、セレナ。この飛び回ってる花びらってなんなの?」

『それについては、私もわかりません。ゴーグルと杖は見覚えがありましたが、それについての情報に憶えはありません』

「そうなんだ……。そうなると余計に気になるね」

『そのことは私が調べておきます』

「どうやって?」

『記憶を探ってみます。もしかしたら、類似したものを使っていた魔法使いがいるかもしれません。多種多様の魔法使いがいましたからいないということはないでしょうけれど、記憶にないという可能性はあります。そのときは考えてみるしかありませんね。意味のないものはないはずですから』

「わかった。このことは任せるね」

『はい』

 その日の練習は、イメージトレーニングのおかげで難なく終えることができた。集中力が高まっていることを、ましろは感じていた。魔力を集中させている間、周囲の音が消えた。元々音のある世界ではないが、外側からの音だけでなく、内側からの音も聞こえなくなるほどだ。ただ魔法杖の先端に集まる魔力だけを見つめていた。集めた魔力の大きさを五分ほど維持する。その時間は短いようで、とても長い時間だった。

 セレナは、制御の方は恐ろしいほど上手くいっているとましろを称賛した。昨日まで魔法使いと縁のない生活をしていたとは思えないほどらしい。

 元の世界に戻り、ましろはまず風呂場へと向かった。今日は魔法使いの練習では疲れなかったが、遅刻をしまいと全力で走ったため汗をかいている。お湯につかって、汗を流したかった。

 湯船にお湯が溜まるまでは、リビングでテレビを見た。再放送のドラマがやっていたが、それを見ていたら目的を忘れてしまいそうなため、今回は面白くないニュースにチャンネルを回した。

ときどき、ましろがニュース番組を見ていて思うのは、どうしてどの番組もラーメンの特集を組むのだろうということだ。同じ番組で一週間に二、三回やっていることさえある。勿論、内容はいつも異なっていた。行列のできる店、変わったメニューのある店など……。それらを視聴者に興味をわかせるようにして編集をしている。

そんな企画を見て、ラーメンを食べたくなることはたしかにあった。しかし、その店に行こうとは思わなかった。結局のところ、ましろのようなラーメンに興味のない人にとってその企画は、空腹感を助長し、手の届きやすいカップラーメンの売り上げに貢献しているだけなのだ。その店のラーメンを絶対に食べたい、と強く思わない限り、カップラーメンで落ち着いてしまう。

だから、ましろはそんな企画をやっていた番組から逃げるようにチャンネルを変えた。それに今はラーメンという気分ではない。どちらかといえば、甘いものが食べたかった。

スイーツ特集をやっていた番組が都合よくあり、ましろはようやくリモコンを離すことができた。

それから十五分ほどして、リビングに風呂がわいたことを知らせる電子音が鳴り響く。ましろはリモコンを使って、テレビの電源を落とした。



「もし、私がセレナのいた世界にいたら、活躍できてた? みんなを守って、みんなを幸せにできてたかなぁ」

 湯船に浸かりながら、ましろは訊いた。

白い湯気が、天井まで上っていく。そして水滴になって湯船に戻ってきた。粒が落ちるたびにピチャンと音が鳴り、水面に波紋が広がった。

『戦力にはなったと思います。マスターがまともな訓練を受けていたのなら、充分に可能性のある話です』

 腕をぐっと前方に伸ばすと、首にかかっている鎖がチャリっと音を立てた。銀色のこの鎖は、見た目は鎖だが実際はそうではないらしい。だから錆びる心配はないと、セレナは説明してくれた。だが、そうはいってもましろにはただの鎖にしか見えないし、錆びてしまったらどうしようという不安も拭いきれずにいた。

そもそもなにかを身につけたまま、湯船に浸かるというのが慣れなかった。どうしても違和感が残ってしまう。

『魔法使いとしての素質があれば、候補生のリストに載ってしまうような世界でしたから。自ら志願してくれる者がいるというのは、正直に言うと手間がかからずによかったんですよ』

「素質って?」

『魔力の絶対量が基準値を満たしていることです。魔力量がそのまま「魔法使いとしての強さ」ということに置き換えることができます』

「それはわかる気がするよ」

『たとえ基準値を満たしていなくても、それを補ってくれるパートナー、つまり精霊がいれば問題はないんです。あとは魔法杖もそうです。魔力量が「魔法使いとしての強さ」に置き換えることできますが、本当に必要なのは、誰かを守りたいなどの信念――「心の強さ」ですよ』

「それが前のマスターさんなんだね」

『ええ。あの人は魔法使いとしては完璧でした。魔力量もそうでしてが、やはり心の強さが際立っていましたね。問題があったと言えば、それが強すぎたことですね』

「強過ぎちゃいけないの?」

『悪いとは断言できませんが、決して正しいわけはありません。あの人は自分の信じる道を生きました。たとえそれが、所属していた部隊を敵にすることになっても、突き通していました』

 人類を脅かす精霊と闘う魔法使いが――人類を守りたいと願う魔法使いが、なんのためにそのために集まった部隊を敵に回すことをするのだろう。普通に考えれば、それは裏切り行為である。人類でありながら、人類の敵に回ったことになる。守りたいものがあるために魔法使いになったのに、それを守ろうとする機関と対立してしまうことを選んでしまう理由。

「それは」ましろは訊く。「友達のため?」

 そう訊いたのは、前マスターに自分を重ねて考えてみたからだ。自分ならどんな理由でそのような行為に及ぶのかを想像した。すると、答えを簡単に見つけることができた。

『はい。あのときは大変でした。何度も謝罪の言葉を呟いていました』

「どうして?」

『私が精霊であるのに討伐されないのは、人類側だったからです』

「あ」

 忘れてしまいそうだが、セレナも精霊なのだ。それも、ましろが退治しなければならない精霊と同じ。たとえ内心で、声で味方であると謳っても、立ち位置が違えば討伐の対象となってしまう。セレナは元々そちら側のものなのだから。

『魔法使いと魔法使いの戦い。これほど無益なものはなかったでしょう。一対一の戦いならまだしも、多数対一でしたから、それは大変でした』

「勝ったの?」

『勝ち負けはありませんでしたよ――と言いたいところですが、あの人の勝利ですね。結局、すべて元に戻りましたから』

「外側の話ばかりだから、あまりよくわからないけど、よかったんだね」

『すいません。この件については、詳しく話すとすごく長くなりますから、こうして手短に話すしかないんです』

「いいよ」ましろは言う。「あんまり長いと、私が茹でダコになっちゃうもん」

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