第10話 白色の影響
「そういえばさ」
登校中にみずきが唐突に話を切り替えた。さきほどまではニュース番組内のラーメン特集の存在意義について話していた。
今日はいつも通りに目を覚ますことができた。疲れも残っていない。すこぶる快調である。
「なに?」
「私たちがたまに使ってる近道あるじゃん?」
「うん」
その近道は、ましろが昨日使わなかった道だ。自動車が滅多に通ることのない道で、ましろたちの待ち合わせ場所から中学校までが最短の距離である。他の道は曲がり角や信号が多い。普段、その道を使わないのは、その道が寂しいからだ。灰色に囲まれた道を通るのは、少し気が引けた。それならば、遠回りになるとしても、見栄えのいい道を選びたいと、二人の総意だった。
昨日は急いでいても使わなかったのは、みずきのことや魔力消費のための疲労で、そこまで頭が回らなかったからだ。
「事故があったんだって」
「え? 本当に?」
もしかしたら精霊の欠片の影響かもしれない、とましろは頭の片隅で考えていた。そうだとしたらそれに気付けなかったのは、魔法使いとしては失格だ。
こちらの世界に影響が出さないことが第一の目的なのだから、それすら失敗しているようではこの先が思いやられる。
ましろはひっそりと反省をした。
「うん」みずきは頷いた。「昨日の朝にね、トラックが民家に衝突したんだってさ。滅多に車なんか通らないのに、たまに通ったらこれだよ。笑っちゃうよね」
「……笑えないんだけど」
「ちょうど通学時だったらしいよ。ましろが知らないってことは、昨日は通らなかったんだ。運がいいね。通ってたらぺしゃんこになってたかも」
そう言って、みずきは笑みを浮かべた。
笑えないよ、とましろは呟いた。
「でも本当によかったよ。ましろがもし病院送りとかになってたら、私、運転手のこと病院送りにしてたもん。あやうく犯罪者になるところだった」
「じゃあ、怪我人はなかったんだね。よかったぁ……」ましろはほっと胸を撫で下ろした。
「まったく、ましろは優しいねぇー。私には到底辿り着くことのできない境地にいるよ。もしかして聖人君子なんじゃないの?」
「そんなことないよっ!」ましろは精一杯の手ぶりで否定した。それはおおげさすぎるほどである。
「それと怪我人はいなかったわけじゃないよ」
「え?」
「運転手は病院送りになってないだけで、怪我をしてたらしい。ま、といってもかすり傷程度って聞いたけど」
みずきは本当にその事故のことに興味がないようだった。ただの世間話のつもりで始めたそれは、みずきにとっては真剣な話ではなかった。ジャンルを決めるとするなら、笑い話に含まれているのだろう。ところどころに散りばめられている、砕けた冗談もその表れだ。
優し過ぎる。
ましろは以前にもみずきにそう言われたことがあった。誰にでも分け隔てなく優しさを見せているその態度が、出会ったばかりのみずきの癇に障ったのだ。
なにが癇に障ってしまったのかわからなかった。自分らしく、素直な自分でいたはずなのに、それがみずきの怒りを起こす火種となってしまった。中学校での初めての友達。それを失うのが怖かった。ようやく手に入れたものが、手のひらから零れてしまうのは、あまりにも辛い。だからましろは訊いた。優し過ぎることのなにがいけないのかを。
「優し過ぎるってのはさ、つまりは特別ってのがないんだよ。――これもちょっと違うかな。平等過ぎるのは、人間のやることじゃないって感じ。わかる? 私の言ってること」
みずきはましろの疑問に、言葉を選びながら答えた。自分の思っていることを、完璧に相手に伝えることは難しい。だからみずき自身がしっくりくる言葉を選んでも、ましろに届かなければ意味がないのだ。そのことをみずきはわかっていたし、ましろも彼女の言葉を理解するように努めた。
しかし関係の崩壊という幻想は杞憂に終わった。まだ出会ったばかりの二人はお互いのことを知らな過ぎただけで、思っているほど相手の印象は悪くないものだった。
ましろはみずきの言葉を受けて変わろうとは思わなかった。それで変わってしまえば、十数年間の自分を否定することになることがわかっていた。
人として、みずきのことが好きだった。会って数日も経たずに、本心を、思っていることを率直に告げてくれる。それはましろの中では新鮮な出来事だった。みずきが友達でいてくれれば、どんなに楽しいだろうか。
だからこそ、彼女には変わっていく自分ではなく、ありのままの自分を見せた。これが私なんだと見せつけた。誰にでも優しい。優し過ぎる。人間らしくない。評価が変わらなくてもいい。ただ、友達として認めて欲しかった。
その甲斐があってか、二人は多くの時間を過ごすことになっていった。学校内ではもちろん、休日にも遊びに行くような仲。
ある日、みずきに謝られた。「前に酷いこと言っちゃったよね。ごめん」と頭を下げられた。
「私、ましろの優しさが羨ましかったんだと思う。眩しかったんだと思う。ましろのようになりたかったんだ。誰にでも優しくできるような、そんな人になりたかった。だけど――なれなかった。あんな酷いことを言ったのも、たぶん嫉妬だったんだ。だからごめん」
このとき改めて彼女と友達になれたことを誇らしく思えた。自分とはまるで違う性格だけど、だからこそ一緒にいて楽しい。思いを正直に話してくれることが嬉しい。
だから、ましろはこのとき「ありがとう」と告げたのだ。
優しいことは悪くない。だけど優しさをばらまくのは罪だ。
みずきがそう言ったことをまだ憶えている。
「運が良かったんだね」
ふと昔のことを思い出しながら、ましろは言った。
「それは当事者じゃないとわからないなぁ」
「どうして?」
「運の良し悪しは、当人がどう判断するかによるでしょ。たとえば、怪我をしなかったことで、上司にああだこうだ言われるかもしれない。病院内だったら、それほど怒鳴られることもないだろうしね」
「そうかなぁ。怒られるときは怒られるものじゃないの?」
「そうだよ。怒られるときは怒られる。だけど一括して怒られるよりは、分割して怒られた方が一回の精神的ダメージは少ないと思うんだ」
「合計したら同じだよ?」
「……普通は合計とかしないの。まあ、どっちもどっちなんだけどね」
それからは別の話をしながら、登校した。いつものようにみずきが面白おかしく冗談を言ったり、からかったりで、ましろは表情を信号のように切り替えて大変だった。
マフラーが必要だと思ったが、今日は昨日よりは肌寒くなく、むしろ日が少し眩しいくらいだ。授業に体育がなかったのは幸いだ。こんな日に運動をすれば、嫌でも汗をかいてしまう。二日続けて汗だくになるのは気が引けるものだ。
教室に着き、ホームルームでクラス担任が定時連絡で、事故に気をつけるよう促していた。
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