095 罪月(シン・ムーン):2


最終決戦【ファイアー・イン・ザ・レイン:02】

EPISODE 095 「罪月(シン・ムーン) ACT:2」



 女性はひどい憤りを覚えていた。スミレ色の着物に身を包むその女性の名を高坂 すみれ という。

 外見的には30半ばほどの女性だが、未だ多くの男性を誘惑して止まない、熟成した美貌を持ち続ける。しかし彼女はその美貌の鼻から上を覆い隠すような、奇妙な面をつけていた。


 その面には、邪悪な赤い瞳の描かれた六芒星の上に、達筆な草書体で「主」と書かれている。何を隠そう、彼女はベルゼロスの守護のために英雄連から遣わされたサイキッカーの内ただ一人の甲種ヒーロー、魔術名コードネーム【菫太夫(スミレダユウ)】である。


 彼女は英雄連でも比較的高位の立場に居る者で、彼女ほどの甲種ヒーローが個人の護衛を務めるなど、なかなか見られる光景ではないのだが……彼女は苛ついていた。



 苛立ちの原因はわかりきっている。――サン・ハンムラビ・ソサエティ。世界的な犯罪組織であるがその全貌は不明。四年前に戦力を減らし、以降は惨めな消極活動を続け、我らヒーローと雲上人うんじょうびとの威光から逃げ続けていたはず。

 下等なネズミはネズミらしくしておれば良い物を、よりにもよって、我らがあるじの命を狙おうとするとは――。



 大広間前で扉を守る警備兵長の男をスミレダユウは見た。

「あるじは如何様いかようになされているか」

「社長はずっと”アレ”です。本社から一歩も出ず、食事を続けています」

 警備兵の責任者たる男は答えた。


 二人のいる場所は東京都杉並区、二週間ほど前に戦場となったホテルよりも奥の中野区側にやや寄る内側、株式会社ビーストヘッド・プロモーション、その本社ビルの上層階である。



 はた 和弘かずひろは事件後、疲労困憊ひろうこんぱいした様子で本社ビルへと戻り、それからはずっと施設内に籠り続け、外に出ずに居る。彼の起きている間はほとんどが食事の時間で、まるで賊の襲撃に備え力をつけようとしているかのようだった。



「左様か、あるじの望むものは望むだけ与え、決して不足のないようにな」

 女性が尊大に指示するも、苛立ち一つ見せることなく男は「は」と返事し敬礼してみせる。実に従順な男だった。



「おぬしはテンタクルランス、といったな?」

「は」

「あのお方はこの国の未来、日本そのものとなるべき方々の一人、ハンムラビのクズ共を決して寄せ付けてはならん」


「そのつもりです。社長は俺に進むべき道を示してくれた人、命に賭けて戦います」

「ほう、無認可の者にしては善い心がけだな」

 スミレダユウは、男の瞳の中に黒く燃える忠誠を見出した。



 彼はタスク警備保障の超能力者サイキッカー【テンタクルランス】。総隊長の雷光、そして同じく隊長クラスの拳骨射手(ゲンコツシューター)が倒れてしまった今、社に残された最後の隊長格の男だ。

 タスクの構成員の多くが不祥事を起こした元自衛官や警察官、前科持ちの暴力団員など、アウトローの再利用リサイクルである中、彼は厳密には犯罪者アウトロー出身ではない。


 彼は元は一般企業に勤める善良な会社員であったが痴漢冤罪の濡れ衣を着せられ、無実を訴えるも収監。その無実は晴れる事なく、職も新婚だった家庭も失い、出所後の彼を待ち受けていたのは虚無と――――悪しき謎のスカウトマンだった。


 彼はスカウトマンの手を喜んで取った。そして社会に復讐する事を望み、今度は自ら犯罪者となった。盗みも、殺しも、強姦も、食人さえもやった。

 バックホーなど、他の仲間は気持ちよかったり、楽しいからやった。あるいは金のためにそうした風紀を受け入れ、殺しを行っていたが、テンタクルランスはそうではなかった。


 彼は楽しいから殺したわけでもない、気持ちいいから犯したわけでもない、美味いから食ったわけでもない。

 ――すべては彼にとっての社会への復讐、そのためだった。



 男の忠誠に感心したスミレダユウはテンタクルランスへと近づき、甘い吐息と共に耳打ちする。

「貴公ら警備部隊、随分と戦力を減らしたようだが――このお役目無事果たされれば、このわっちが偉大なる英雄連に貴公の事を口利きしてやっても良いぞ」


「ありがとうございます」

 テンタクルランスは頭を下げた。彼も噂には聞いている、日本社会には、それを裏から支配する者たちがいる。――が、さらにその者たちを守護し、支配する真なる存在があるという噂を。


 その一員の資格を得られるというなら魅力的だ。テンタクルランスは思った。



「わっちは少し外の空気を吸ってくるでな、ここの守りは頼んだぞ」

 スミレダユウはそう告げると、敬礼するテンタクルランスに背に向け、テラスへと向かった。


 ビーストヘッド本社のビルから飛び出た形で取り付けられたそのテラスはベルゼロス本人をはじめとして、飛行能力持ちの能力者の出入り口も兼ねている。空中搬入用の大扉の横に取り付けられたドアを開き、スミレダユウはテラスへと出る。


「苛立たしいのう……」

 外の風を受けたスミレダユウが開口一番に悪態をつく。白い息が漏れた。



 季節は既に三月に入った。厳しい冬が続いていたが、それもようやく終わり、このところ一週間が気温が上昇しつつある。まだコートは必要だが、それもあと一週間にも満たぬ辛抱。春が訪れ、桜芽吹き、暖かな陽射しが間もなく降り注ぐ――――


 そのはずが、一体今晩の気温は何だ?


 上昇していたはずの気温はここ三日間連続で下がり続け、ついには氷点下を割ろうとしている。まるで一月の半ば頃まで季節が後退したのかと思うほどの寒さ、肌に良いはずもない。それも彼女の苛立ちを一層に強めていた。



「そちらは問題ないか」

 テラス上には固定機銃が二門置かれ、空からの賊に備えている。警備兵が振り返り、異常の無い事を報告する。

 一人返事もなく振り向かず、血走った眼で夜空を凝視する半袖姿の警備兵の背中をスミレダユウが見た。


「まだだ……まだ来ない、だが必ず現れる……奴らは必ず……」

 クランクプラズマはブツブツと呟き続ける。スミレダユウが派遣されたのはゲリラ作戦の被害を受け、丙種ヒーローの徴兵がおもうように行かなくなって以降の数日前の事であるが、その数日間この男はずっとこうだ。



「ち、可愛げが無いのお……」

 スミレダユウは舌打ちするとタバコを取り出し、ライターでそれに火をつけた。


 ぽたり、ライターを仕舞おうとしたスミレダユウの右手に何かが落ちた。それは冷たかった。スミレダユウは目を凝らす。


「雪……だと……?」

 それは確かに雪の欠片であった。面の奥、スミレダユウの表情が歪んだ。




 ☘



『こちらミラ8号、速報です。作戦第一段階「天候操作祈祷」成功です。Twitter上でも都内での降雪報告が飛び交っています』


『こちら気象操作部隊より「サニーフラワー」。敵の警戒を回避するため風はギリギリまで抑えています。作戦開始までに天候は吹雪に変化する予定。幸運を祈ります』



 入って来たテレパス通信は、気象干渉能力者「サニーフラワー」からの定時連絡と、彼女と組織の祈り手たちが合同で行った気象操作儀式の成功報告だった。



 ――この突然の雪は偶然の産物に非ず。ヒーロー戦力、特にその参戦が有力視されている陣風戦隊サイクロン、火焔戦隊ドラグーン、月下雷撃ドラゴンフライの三チーム対策だ。


 特に陣風戦隊サイクロン、彼らは強力な風使いの能力者集団だが、悪天候になったり雪のような不純物が大気に混じるとその飛行パフォーマンスが低下するという弱点を持ち、その機密情報はハンムラビ側に掴まれてしまっている。



 彼らが出てくると判っていて対策を打たないのは損、もう季節も春に差し掛かり、過ぎゆこうとしている季節を引き留める事は、例え天候に干渉する事が可能な超能力者サイキッカーであっても容易なことではなかったが、サニーフラワーと祈り手たちが力を合わせて儀式を行う事で、気象操作作戦は何とか成功しようとしていた。




 ――春へと向かう東京に、最後の冬の、最後の雪の夜が訪れた。



 ここは都内マンションの一室、作戦実行にあたりファイアストームが潜伏していたセーフハウスである。

 坂本 レイは報告を聴きながら窓の外を見る。輝くような白い雪は、この暗黒の街に蔓延る理不尽と暴力に嘆き悲しむ天使の涙のようだった。



 強固なライオットアーマーを装着し、ジャケットを羽織る。


 ピストルはザウエルP226とワルサーPPKを二丁ずつ。コンバットナイフを二振り、ジャケット内側にはスローイングナイフ多数。


 背中にはM4カービンをもとに開発されたH&K社のエンハンスド・カービンにM203グレネードを取り付けた仕様のものと、マチェットが二振り。


 左腕は「レイジング・ゲアフォウル」.454カスール発射機構搭載。第三世代マジカルミラー計画のドローン能力者ことクリスマス113号が上手く働くなら予備の補給もある。


 手にはOSV-96、これはロシアのセミオート・アンチマテリアルライフルだ。比較的装甲の厚いボディーアーマーを着込むサイクロンを確実に殺す為に彼が持ってきた。



 背と腰にはミラ36号ソフィアのサイキックドローンが計三機、しかもその三機すべてが拳銃を取り込んでいる。

 武装はそれぞれ、100発ドラムマガジン装備のFN-Five-Sevenピストルを銜え込んだものが二機、もう一機は非常に強力なデザートイーグルを装備…………。



 彼自身もここまでの重装備は四年近くないことだったが、能力仕様上、不要なマガジンを持ち歩かずに居られるのを良い事に、それこそ半ば常軌を逸した重武装だった。



 ――殺風景な部屋のテーブルの上には半分ほど口に入れたフランスパンの切れ端と、ハチミツ酒の瓶、そして空になったグラスが置かれている。


 サニーフラワーからの連絡が届く少し前に、サイキックドローンを介して祈り手たちの祈りの言葉が届けられ、その晩餐の儀式の一環で口にしたものだ。



「ソフィア、ついてこい」

『……行くのね』

 空中に浮かぶ四機目の卵型ドローンがゴールデンアイのようなオレンジ色に輝いた。


 レイは黒死鳥のヘルメットを被り――堕天使を狩る災厄の暗殺者、ファイアストームへと変身した。



『ついていくね』

 ミラ36号ソフィアのドローンは彼に付き添った。彼らは玄関の扉を開き、静かにセーフハウスを後にする。

 もうこの場所に戻ってくることは、ない。




EPISODE「罪月(シン・ムーン) ACT:3」へ続く。


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