メメントモリ ACT:6


EPISODE 092 「メメントモリ ACT:6」



 ローズベリーこと茨城 涼子は、その日自らの学校へと向かった。戦闘の傷によって身体がまだ少し痛んだが、「これ」が彼女の本業であるため、いつまでも学校を休み続けているわけにも行かなかった。


 彼女は教室で授業を受ける。……学校を休んでいる間も多少の復習はしていたが、やはり、勉強のカリキュラムに置いていかれてしまった感は否めなかった。




 ――涼子が気が付くと、季節は既に三月に入っていた。冬休みが開けて間もなくに起こってしまったあの恐ろしい出来事。それから色んな出会いや、物語があり……。三学期の終わりはもう、近かった。


 多少欠席が増えてしまったが進級に支障はなく、今から一か月後には彼女は高校二年生になるだろう。新しい春の季節と新しいクラス、そういう未来がきっと彼女を待っている。しかし――――


 涼子は後ろを振り向いた。一人だけ、進級の叶わない生徒がこのクラスに存在した。それはもう、この世からはいなくなってしまった少女。

 麗菜れいなの机の上には花瓶と、涼子が欠席がちの間、満足な手入れが行き届いていなかったのか、花瓶にはしおれた菊の花が一輪差したままだった。


 その陰気な花を、「生前、煌びやかで華やかだった麗菜には到底似つかわしくない花」だと、涼子は相変わらずに思った。




 終業の鐘が鳴ると涼子は席を立ち、教室後ろのロッカー上に置いていた花束と、麗菜の机の上の花瓶を手に、水道へと向かった。


 涼子は無言で花瓶を洗い、花を入れ替えた。彼女は新しく、鮮やかな赤と白の薔薇の花を花瓶へと差した。これは、涼子と麗菜のために、レイとソフィアの二人が持たせてくれた花だった。


 二人の計らいに、涼子は深く感謝した。レイとソフィアが居なければ、彼女はここまでやってこれなかっただろう。どこかで挫折して光を失っていたか、あるいはビーストヘッドの手によって、自身までもがひどい目にあっていたかもしれない。



 彼女が花瓶を持って教室に戻ると、昼食中の生徒たちが涼子を見た。だがそれ以上は、誰も声をかけなかった。彼女は黙って花瓶を机に置き、スマートフォンと水筒、それと弁当を手に持つと、そそくさと教室の外へと出ていってしまった。



 ☘


 涼子は階段を駆け上がると屋上の扉を開けた。学校の屋上というもの普段は施錠している事が常であるが、扉は既に”先客”が開錠を行った後だった。


 扉を開けると、冬の終わりの風が涼子に吹き付けた。冷たい風だったが、室内の籠った陰気な風よりもずっと心地がよく、彼女は新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。呼吸の循環によって沸き上がるエーテルもまた、彼女の肉体と魂を満たそうとしてくれた。



 茨城 涼子はスマートフォンのマナーモードをオフにすると、スピーカーから音楽を再生し始める。そして水筒と弁当箱を置きながら、彼女の魂が求めるままに歌い、踊りだした。


 ニューシーカーズの古い歌謡曲「アイドライク・トゥ・ティーチ・ジ・ワールド・トゥ・シング 」。

 「パーフェクトハーモニー」あるいは「愛のハーモニー」としても知られる曲だ。


 この曲を世界で有名にしたのは欧米で放送されいたコカ・コーラのコマーシャル、しかも五十年ほど昔の時代のCMとして歌われていたその歌を知っている女子高生は極めて珍しい。


 実際涼子個人の歌の好みも、今時のJ-POPのナンバーが多く、その中でこの曲は異質だ。だが麗菜がこの曲を知っていて、二人で一緒によく口ずさんだ。


 麗菜が死んだあとも、涼子の新たな親友となったソフィアがこの曲をよく知っていて、やはり一緒に歌った。



 ――そして彼女は最終決戦を前にして、もう一度踊り、歌った。世界中を平和にしたい、愛の溢れる場所に変えたい、そういう世界を私は見たいと願うこの歌を。


 歌い、踊ると驚くほど気持ちがよく、今日の空模様のように気持ちが晴れた。生徒や教師の誰もこの小鳥のさえずりを聴いてはいなかったが、一人だけがこの歌を聴いていた。


 屋上階段の出入り口の上に座る女性は静かに

「嫌いじゃないわ」

 そう述べると立ち上がった。感情の読めぬポーカーフェイスの女性、ダイバースーツの如く全身ピッチリとしたコンバット・インナースーツの上に、コートを羽織ったその人物はサン・ハンムラビ・ソサエティのサイキックエージェントの一人、魔術名コードネームは「フラット」である。



 その手には陸上自衛隊が使用する89式の軍用ライフル。彼女のトレードマークである大きな丸メガネだけは唯一変わらなかったが、女性の涼子が見ても思わず息を呑むような、スタイリッシュで凛々しい格好をしている。


「フラットさん」

 涼子は彼女の姿を認めると、元気よく宙返りとバックフリップを繰り返し、オリンピック体操選手のような動きを披露した。今や人間という枠を完全に超越してしまった涼子の優れた身体能力をもってすれば、金メダリスト程度の動きは造作もない事だった。


 涼子は最後にスマートフォンを空高く投げると、一緒に高く舞った。そしてフラットと同じ高所に着地すると、スマートフォンをキャッチ。続けて両手からつるのロープを伸ばすと、置いた弁当箱と水筒を掴み、手元まで引き寄せてみせた。


 これが彼女が夢の中で親友から預かった超能力サイキックにして最後の遺産。彼女は与えられたこの植物生成能力を

 【薔薇色の人生(ラヴィアン・ローズ)】と名付けることにした。親友の生前に運営していたブログサイトと同一の名称であり、その親友が歩む事の叶わなかった薔薇色の人生を十字架として背負い、いばらの道を代わって歩んでいくという、涼子なりの決意でもあった。



 涼子は適当な所に腰かけ、弁当箱のポーチを開く。

「フラットさんもどうですか?」

 涼子が、遠くを見つめるフラットを食事に誘った。


「私は良いわ。任務中は出来るだけ飲食しないようにしてるの」

「そうですか」

「気持ちだけ受け取っておくわ」

 フラットは顔を合わせず、遠くの空を見つめていた。


 フラットの仕事は涼子の体調安定化の手伝いともう一つ、本来護衛担当でありながらゲリラ作戦によるヒーローの間引き行為に出て行ってしまったファイアストームとブラックキャットの代わりに、涼子のボディーガードを務める事だった。


 精神操作能力とは非常に便利なもので、涼子の姉と母の記憶を操作し、「香港からホームステイしにやってきた留学生」という設定で勝手に彼女の家に上がり込み、今では姉と二人で茶を飲んでいる。まるで妖怪「ぬらりひょん」だ。


 涼子が食事を摂る間も、フラットは空を警戒する。簡易結界を張っているとはいえ、この場所は敵に知られており、また襲撃が来ないとも限らない。

 特に第一次杉並区攻防戦で目撃された宇宙戦闘機型のドローンは恐るべき制空能力を持った敵とフラットも報告を受けている。もしまた襲撃されれば、非常に厄介だ。



「具合はどう」

「大丈夫です。少し頭がぼんやりしますけど……」

 フラットに対し、涼子が答えた。


「精神安定化の副作用よ。記憶には出来るだけ触れないようにしているけど、記憶の欠損が起こったら報告して」

 フラットは言った。


「はい。ありがとうございます」

「いいわ。仕事だから」

 遠くを見つめたままのフラットは、涼し気に言った。


「フラットさん」

 ふいに、涼子が口を開く。


「なに?」

「あの、聞いてもいいですか」

「軍機(※軍事機密)に関わる事でなければ」


「フラットさんは、どうやって能力者になったんですか?」

 涼子はフラットに尋ねた。涼子は自分が具体的にいつから超能力者サイキッカーになったのかよくわかっていないが、なんとなく、「あの夢」を見た時からじゃないかと思っている。


 だが、他の者はどうやって超能力者になったのだろう? かつてソフィアは自分の出自をそれとなく口にしたが、触りの部分ですらあまりに重く、ショッキングな内容で、それ以上聞いてはいけないように感じてしまった。


 いつも仏頂面のブラックキャットや、時折深刻そうな表情をみせるレイには、より尋ねづらかった。しかも今では任務とやらでほとんど顔を会わせる機会がない。




 だがフラットはこう答えた。

「一度死んだのよ」

「えっ!」

 涼子が思わず目をギョっとさせ、食事の手を止めた。


「自殺したの。生きてるのが嫌で、浴槽で手首を切ったわ」

 フラットが答えると、彼女に聞く事も失敗だった事に涼子は気づいてしまった。涼子は内心質問した事を後悔してしまった。


「でもきちんと死ななくて、目が覚めたら本部の医療区画に居た」

 フラットは言った。

「その時にはサイキッカーになってたわ。内戦の終わった直後の事ね」



「あ、あの、すみませ」「いいのよ」

 フラットは髪をかきあげると、遠くの空から敵がやって来ないかを警戒し続ける。

「大したことじゃないから」

 ポーカーフェイスの女性は、決して表情を崩さなかった。


「ローズベリー。ファイアストームから報告を預かってる」

 そう言うと、フラットはコートから仕事用のスマートフォンを取り出し、一つの画面に切り替えた。

「あなたにはこれを見る権利があると」


 フラットが見せるそれは、署名のリストであった。

「これは……」

「今回の軍事作戦の支持者の内、個人スポンサーのリスト」

 フラットは指をスワイプさせリストをスクロールすると、リストの一つを指差した。


「野原 健二と、野原 冬子。野原のばら 麗菜れいなの両親よ。ビーストヘッド・プロモーションの代表取締役の暗殺に出資と署名を行ったわ」

「そんな」

 涼子は耳を疑った。だが、確かにその名前はあった。涼子の知らぬことであったが、密かにハンムラビ側と遺族側の間で接触が行われ、遺族は彼らの暗殺を……正式に依頼した。


 涼子としてもショックではあったが、麗菜の両親の気持ちを思うと、涼子は何といえば良いかわからない複雑な気持ちになった。


 それだけでもショッキングだったが、フラットは続けてこう告げた。

「同時に、健二氏が横浜の不動産の売却交渉を始めたわ。転居するみたい」


 その報告を聞くと、涼子はその滑らかな眉間には勿体なさすぎるような。しわを寄せ、こう呟いた。

「……京都だ」


「京都?」

 フラットが聞き返すと、涼子はこう言った。

「レナちゃん、小学校の頃はもともと京都の方に住んでたみたいで……四年ぐらい前に、こっちへ引っ越してきたんです。京都でテロがあったから……」

 それはハンムラビの職員も知らない、涼子だけが知っている野原家の事情だった。



 ――それは今から四年~六年ほど前の時期だった。日本は未曽有のテロの危機に晒されていた。過激派組織が日本転覆を企みテロを起こし、日本中を混乱に貶めた。日本政府は自衛隊に防衛出動を要請。国際連合も国連軍を派遣。多くの犠牲を払いながらも見事テロ組織を壊滅させた――――

 世間には、そう伝わっている。



 テロを恐れて多くの人々が疎開したり、転居した。野原家もそうした家庭の一つであった。


 涼子と麗菜が中学時代に仲良くなれたのには、涼子の受けていた同級生からの虐め(暴力犯罪)から麗菜が救ってくれた事によるが、前述の事情により両親と共に神奈川へ引っ越してきて日が浅く、麗菜にとっても当時まだあまり友達が居らず、孤独だった。そうした背景もあった。



「……」

 ハンムラビの経験した戦争に関しては彼女自身も傍観者であったため、フラットはあえて口を閉ざした。


「そっか、きっと京都に帰っちゃうんだ……」

 涼子は寂し気に呟いた。


「あと、二つ伝言を預かっているわ」

 フラットは伝言を告げた。

「一つは野原家のご家族から。「娘の為に、ここまでしてくれてありがとう」と」


 あと一つ、預かっていた伝言もまた涼子に伝えた。

「もう一つは任務中のブラックキャットから。「貴女は進む道を選べる」と」


「……私に、選べますか」

「わからない。でも私は選んだ」

 フラットは率直に答えた。


 涼子は少し考えた。処方されている向精神薬を麦茶で流し込むと

「ありがとうございます。私、寄りたい所が見つかりました」

 と、フラットに頭を下げた。

「少し遠いんですけど、行く事はできますか」

 彼女の表情は力強く、彼女の堅い決心の現れのようだった。


「上に聞いてみるわ。回答次第では行けるでしょう」





EPISODE「メメントモリ ACT:7」へ続く。



===


☘世界観・人物情報


☘ 落合 照之てるひさ / テンタクルランス

性別:男 実年齢:38

所属勢力等:(株)タスク警備保障


 拳骨射手と総隊長の雷光、二人の幹部が倒れ、彼はタスク警備保障最後の隊長となった。可変式の槍を操る男で、その実力は二人に勝るとも劣らない。


 犯罪者出身の者たちが多い中、テンタクルランスは一般の善良な会社員勤めの男だったが、痴漢冤罪によって無実の罪を着せられる。社会に復讐を誓った男は出所後に待ち受けていた謎のスカウトに乗り、犯罪組織の一員となった。

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