Opening Execution:LAST ACT-B



 ――栗平の頭を走馬燈が駆けた。子供の頃、赤ん坊の自分育ててくれた両親。

 もう死んでしまった、優しかった祖母。

 小学校の遠足。中学で始めた出来た彼女、初デート、初めてのホテル、高校時代になってからの彼女との別れ。


 高校時代のバトミントンの大会、2人目の彼女、すぐ別れた。高校卒業、大学で出来た3人目の彼女、一緒に行ったショッピングモールの道。




 あれは、2年近く前の出来事。神秘的な体験をした。ある夜それは起こった。世界と自分が一つになる感覚。



 白昼に突如見た、火災で燃える山、山を焼く炎と自分が一つになる夢。あの夢で見たオレンジ色の空、忘れられない。





 この因果を呼んだ一年前のあの日、その発端は些細な事だった。


 居酒屋で、仲間と、そして新しい彼女と飲んでいた時の事だった。

 バイトの店員が、皿を取り落として、彼女のコートを汚した。



 店員を土下座させて、蹴り飛ばして、見せしめとして写真を撮影した。

 知らない男が割って入ってきた。迷惑だとか何とか言っていたような気がする。




(迷惑したのはこっちの方だし、ムカついた。速攻ボコって、脅し程度に焦がしてやろうと思って)



 ――ちょっと焦がして脅かしてやる。それぐらいの気持ちだったのに。

 予期していなかった。男が暴れた時に燃え広がってしまって、最終的に店そのものが――。


 もちろん、警察から事情を聞かれた。本当の事は言わなかった。

 手から炎が出せるなんて言った所で、誰が信じただろう?


 その後は特に何もなかった。何日かその事で悩んだりもしたけれど、店員があんなミスさえしなければ、そもそもこんな事にならなかった。




 …………そうだろう?

(俺は悪くない)




 ……あれが起きたのは、それから二か月ぐらいした後の事だった。



 ある日、家に知らない男が乗り込んできた。あの時の居酒屋の店長だとか名乗っていたが。顔なんていちいち覚えていなかった。


 中年男の髪は脂ぎって乱れており、息も荒く、その匂いが鼻について不快極まった。

 そしてそれ以上に、とっくに終わった事を蒸し返す相手の態度が不愉快だった。



(もう終わった事だろ)


 

 警察だって特に何も言って来なかった。なのにその男は人の家に突然来るなり「お前がやった」「お前の仕業」と、何度も何度も………。

 ……とっくに終わった事なのに。栗平にとってはそれがたまらなく不愉快だった。


(俺は悪くない)


 文句があるなら警察に言え。そう言い返すと

 その男は「警察には何度言っても、取り合ってくれない」と言っていた。


(じゃあ来るなよ。俺は悪くない……!)


 その後、男を押しのけて気分転換へパチンコをしにいった。

 だが、その間も男はずっと執念深く追って来た。何時間かして、店を出るとまだ立ってた。イライラと生理的な不快感が、恐怖に変わった。


 駐車場に呼び出して、ちょっとばかり痛めつけてみた。力量差は圧倒的だった。そうすれば、もう二度とこんなストーカー紛いの事はしないだろうと思っての事だった。




 ……そこで帰ろうとしたのに、男は興奮しながら急に包丁を取り出してきた。そして揉み合いになり、その時の勢いで……男を焼いた。



 加減はできなかった。首から上が黒茶色に焼け焦げ、元の顔がどんなものであったか思い出せないものとなった。焼肉屋の和牛の肉の匂いとは違って、焼けた肉は臭かった。




(俺が悪い?)



 ――違う! あれは、仕方がない事だった。悪くない。絶対に、自分は悪くない。



 それまで直接的に人を殺めた事はなかった。自首しようかとかさえ思った。だけど、よく考えてみれば包丁を出してきたのは向こうの方ではないか。



(こっちは就活だってあるのに、台無しにされたくなかった)



 そうだ。



(俺は悪くない)


 誰も見てなかった。だから、誰かに見られる前に走って逃げた。


 数日して警察が来たけど、知らないって答えたらそのまま帰って行った。

 そして、二度と来なかった。





(俺は悪くない)


(俺は悪くない)



(俺は……)


 …………


 ……




 意識が戻ったが、まだ悪夢は覚めていなかった。


 死神は尚も冷酷にオレンジチークを見下ろしていた。ザアザアと土砂降りの雨が降り続く中、死神は沈黙し、何も言おうとしない。その沈黙は栗平の行いを咎める意の沈黙のようにも思えた。



 耐えかねたオレンジチークが、自らその口を開いた、


「わ、悪かったよ……ごめんなさい……。俺、あの時あのオッサン、殺しちゃって……、でもあいつだって包丁持ってたんだ。俺だって殺されるかと思ったし、せ、せいとう、正当防衛だろ普通……」


(だから、俺は悪くない)




 栗平は涙ぐんで弁解した。しかし、死神は尚答えない。



「……」

 ミラは、さきほどから喋り続けている。

『ではここで問題です! あなたを殺してくださいと依頼したのはどちらでしょうか? 1:会社員のご家族 2:居酒屋の店主さんのご家族。なんと正解者の方には豪華ペア旅行券が……」



 ファイアストームは栗平の左腕を切断したマチェットを、右後ろでしゃべり続けるミラの前に向かって立て、彼女を遮る。瞬間、ミラはピタリを話すことを止めた。



 ファイアストームは息をつくと、ようやくその口を開いた。


「……一つ勘違いしているかもしれないが、俺は復讐の是非とか、お前に罪がないかどうかとか、そういう事を論じに来た訳じゃない。お前の懺悔や改心に対して期待はしていないし、また、俺もこの行いを止める事はない。そして」


 ファイアストームは血を浴びたマチェットを、再び背に戻す。直後


「フンッ!」

「がああああああああ!」

 ファイアストームが力強く、オレンジチークの右膝めがけて、己の右足を落とした。

 プロレスや総合格闘技で用いられるスタンプ攻撃。オレンジチークの右膝が逆方向に折れ曲がった。



 もはや立ち上がって、この状況から逃れようと試みる事さえできない。逃亡の望みを完全に断つと、ファイアストームは続けざまにこう告げた。



「単に俺の信念上、そしてお前に奪われた者たちの都合で、お前を殺しに来ただけだ」


 ファイアストームが、ジャケットの下に装備したサスペンダーからコールドスチールのコンバットナイフを引き抜き、逆手に持つと、宣告した。




「最期の時だ。祈れ、お前の信ずるものに」


 最期の瞬間は、もう目の前まで迫っていた。





「あ、あ……」

  ボタボタと、重く鈍い大粒の雨が未だ降り注ぐ。冷たい、寒い。左腕だけじゃない。全身の感覚がもうない。弱々しく光る街灯の光が、なぜかとても明るく感じた。



 色んな事があった。良い事や、悪い事。トータルで見ると、多分良い事の方が多かった。これからもそのはずだった。


 自分には未来があった。明日があった。それは明るかった。その全てが今、奪われようとしている。

名前も正体も知らない、謎の、頭のおかしい殺人鬼に奪われる。嫌だ、どうして。嘘だ。





「死にたくない……」






 最期に呟くと、一筋の涙がこぼれた。涙は降り注ぐ雨と混じって、すぐに消えた。

 姿勢を落とし、体重を載せるようにして、ファイアストームは短剣を振り下ろした。



 その姿勢は祈りにも似ていた。


 刃が栗平の首へと振り下ろされた。刃がぶつける瞬間、一瞬だけオレンジの膜が薄く薄く、刃の到達を隔たろうとしたが、その膜は本当に一瞬で消えてしまった。


 深々とナイフが喉元へ突き刺さる。死神に声を奪われた栗平は、断末魔の叫びをあげる事さえついに許されなかった。喉に突き刺さったナイフを、ファイアストームはそのまま横に引き抜いた。


 刃は栗平の頸動脈を通過し、深く傷つける。勢いよく血が噴き出した。ファイアストームの衣服に、帽子に、ガスマスクのバイザーに、大量の返り血が付着する。

 最期に栗平は大きく体を痙攣させ……口からこぽりと少量の血を吐いた。






 ……そして、二度と動く事は無かった。

 一つの灯火いのちが、今消えた。


 嵐のような処刑が、ついに終わった。



顧客カスタマーは殺害の証拠を望んでいます。またその手段として”写真撮影を強く希望”しています。オプション達成によって個人報酬額が20%割増される契約となっています。ぜひ』

「了解」


 ファイアストームはコンバットナイフを収めると、懐からスマートフォンを取り出した。カメラ機能を立ち上げ、今さっきまで栗平であったものを、何枚か撮影した。


『任務達成。ファイアストーム、ご苦労様でした。今日は完封勝ちでしたね』

「対策勝ちだ」ファイアストームが言った。


 今回の戦い、返り血にこそまみれてはいるが、ファイアストームはかすり傷一つ負う事がなかった。

 もちろん彼我のレベル差の問題でもあるが、相手の住所、生活サイクルや能力に至るまで、情報を手に入れ、予測を立て、延焼対策と鎮圧用に大型消火器まで持ち出して、天候も発火能力者が調子を出しにくい天候をわざわざ狙った。



 いくつか戦闘場所の候補を立てて、駐車場であれば引火・誘爆の危険が高い大型車両などは事前の根回しで撤去した。全てがお膳立てされていた。

 そして組織も、絶対に勝てるレベルの相手をぶつけた。当然の結果ですらあった。


「死体はどうする」

『お客様カスタマーはテイクアウトまでは望んではいません。実物など見たくもないと。警察には自殺として処理されるでしょうから、そのままで結構です』



「了解……」




 ファイアストームは、さきほどまで命の灯火があり、そして自らがその手によって吹き消したものをもう一度見ると、小さく呟いた。


「……牙持たぬ人よ、仇は討った」




 それからファイアストームは深く溜息をつき、雨と返り血を多分に吸い込んだ帽子を脱いだ。

『レイレイ、今日はお疲れ様。セーフハウスまでの道をナビするよ。暖かいシャワーとお食事、それとワインをご用意して待ってますね』





 空を仰ぐ。降り注ぐ雨は、ガスマスクのバイザーについた返り血を洗い流そうとする。

 血の涙を流しているかのようだった。





第二節【Opening Execution. (邦題:公開処刑)】


 &


EPISODE「ヘヴィ・レイン」END.



A Tear shines in the Darkness city.

 Fire in the Rain. (邦題:雨の中の灯火)




第一節【茨城 涼子 プロローグ】


および


第三節【開戦前夜】 へ続く。

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