073 すべてはこの日のために:07


EPISODE 073 「戦場に奇跡は起こらない ACT:2」




 現実世界、地獄と化した殺戮のホテルホール内の涼子の瞳に、くれないの光が灯った!

「ゲホッ! ゲホッ! ハァーッ……! ハァーッ……!」

 意識を回復した涼子ことローズベリーは咳き込み、大きく呼吸する。



 彼女の身を抱きしめるファイアストームが、未だ光明真言を唱えながら少女の背中をさする。

「かえっ……かえらな……きゃ……げほ、げほ……」

 ローズベリーは狂気に抗いながら、ソフィアより課せられた己の使命を言葉として絞り出す。


『ファイアストーム! 突入はまだか!?』

 修羅場に割り込むバケットヘルムからのテレパス通信。中の具体的な状況がわからない。しかし混沌の最中にある事だけは外部の者からでもわかる。


『今は不味い、指示があるまで待機!』

 ファイアストームがバケットヘルムら救出班の動きを制する。

『了解、いつでも行けるからな』



『エイト、自我安定プログラム一時停止! 俺が手動で回復させる! 突入に備えてドローンの周辺警戒を強めろ!』

『了解』


 断続的な自我安定儀式プログラムをマニュアルに沿って繰り返していたミラ・エイトだが、ファイアストームの指示に応じてその儀式を中断する。


「ローズベリー! 聞こえるか!」

「さかもと、さん……」


 代わってファイアストームが直接手動で、ローズベリの自我回復行為に乗り出した!

「復唱! 私は私の名を知っている!」

「わたしは……わたしのなまえをしっている……」


「続けて復唱しろ ! お前は茨城 涼子。魔術名コードネームはローズベリー。なんじは汝の名を知っている!」


「わわたしは……いばらぎ りょうこ。こーどねーむは、ローズベリー……」

 ローズベリーはそのくれないに輝く瞳を不安定に明滅させながら、ファイアストームの必死な呼びかけに応える。



「良し! 君は朝貌アサガオ高等学校に通う高校一年生! ヒーローでもない! 暗殺者アサシンでもない、君はちょっと空手が得意なだけの、ただの平凡な女子高生だ! だけど普通の女の子の君がなぜ、この地獄を歩いてきたかを思い出せ! 汝は汝の使命を知っている!」


「わたし……レナ……レナちゃん……」

 まるで走馬燈かのように、彼女の心に沢山の思い出が血となって巡ってゆく。初めて麗菜に救ってもらった日、初めて遊びに行った日、見学で初めて道場に連れて行って貰った日、映画を観に行ったり、遊園地に行ったり、彼女が声優になった時は、家族ぐるみでパーティを開いて……。すべては、すべてはあの子のために……。




「そうだ! 君は君の親友の死の真相を求め……遺品の奪還を求め……そしてその子の、人としての尊厳を取り戻しに来た!!」


「そうだ……アクセサリー……さいごのやくそく……」

 ローズベリの瞳の輝きが強まってゆく。バラバラになりかけていた自我が再結合され、茨城 涼子という人格を再構成してゆく。



「そしてよく聴け! ここにいるクソッタレは、君の友達の命を奪うだけでなく、友達に君を売らせようと、その魂さえ汚そうとした!」

「……」

「だがお前の友達は最後まで君を売らなかった! 君の友達は誰よりも立派だった! その人が信じ、守り抜いた君の力を……信じろ! 立て!」


 ファイアストームは立ち上がり、その黒腕でローズベリーの身体を引き起こした! ローズベリーは再びこの地獄に、この邪悪に立ち向かうために立ち上がったのである!


 足元をふらつかせるローズベリーの腰に手を回し、ファイアストームが少女の身体を支える。死神の怒りと憎悪に満ちた眼差しと、テーブル上でその一部始終を眺め、二人の敵対者に拍手を送る邪悪なる獣の歪んだ快楽の眼差しがぶつかり合う。



「美しい……美しいよ……こんな光景を見たのは始めてだ。あまりに美しすぎて、君達を殺せと合図する事ができなかったよ」

 畑はその瞳に涙を浮かべている。二人の道化が繰り広げるショーに彼は感動し、拍手によって名役者たちの演技を讃えていた。


「発狂しかけた少女を深淵しんえんより救う死神の姿……神々しく、まるで……壁画に描かれた奇跡のワンシーンを目の当たりにしているようだった……」

 畑はここで達した。その感動の瞬間を何度も反芻はんすうし、興奮に下半身を小刻みに震わせる。



 愉快に瞳を濁らせる邪悪な獣を、死神は厳しく見つめる。

「素人、戦場に奇跡は起きない」

 そして、この世の全ての絶望を知る死神の男は、こう言い放った。

「あるのは積み重ねが生む必然だけだ」



 超能力を無限の力と? それを操る超能力者は奇跡の存在だと? ……ファイアストームはそのようには考えない。

 超能力サイキックは万能無限の力に非ず。戦場に於いては数ある武器の一つでしかなく、語学力や料理の能力、運転の技術と同次元の、単なる技術スキルの一つでしかないと考えている。


 ――超能力は、魔術は、神秘の力は人間の可能性をほんの少し広げるだけ。ありとあらゆる不可能を可能にできる力では決してない。奇跡なんか起こらない。




 あるのはただ、鍛え学んだ技術スキル。日々ひたむきに学習し、鍛えた超常の力。そして積み重ねてきた人生、歩いてきた道のり……様々な出会い、別れ、喜び、悲しみ、怒り、憎しみ、善悪を超越し包括するその全て…………

 それこそが大魔術師アレイスター・クロウリーの定義する”魔術”であり、魔術と、それから成る儀式の蓄積エクスペリエンスこそが、人間を真に強くする。



 戦場で起こるのはすべての積み重ね。すべての経験と出来事の蓄積が呼ぶ必然でしかない。彼女の積み重ねが、そしてファイアストームの積み重ねが、畑の張り巡らす悪意に打ち勝っただけのことでしかない。




 彼はローズベリーの後ろに回ると、タクティカルサスペンダーと合体して彼女の背部に装着されたショルダーバッグを開き、その中に桐の箱を収める。兵工科自慢の耐衝撃性に優れたバッグだ、そうそうの衝撃では壊れまい。



 そしてショルダーバッグを閉じると、そっとローズベリーの首に手を回し、トパーズを埋め込んだ、小さな野茨のネックレスを装着させてあげた。

「……ああ、私……レナちゃん……」

 ローズベリーがネックレスを握りしめる。彼女の頬を一筋の涙が伝う。彼女の喜怒哀楽が正常に回復し、その自我が今、完全に再構成された。




「ローズベリー、これから俺たちは帰るぞ」

 と、ファイアストームは少女に低く告げた。

「帰る……」


「そうだ。ソフィアが、ヤエが、ブラックキャットが、稲毛さんが、君の家族が……多くの人が君の帰りを待っている」

「そうだ……帰らなきゃ……!」

 ローズベリーの脳裏に、新たな友達の顔が浮かんだ。そうだ、ローズベリーは約束したのだ。必ず無事に帰ると。今の彼女は亡き親友の影を追うだけの少女ではない……今の茨城 涼子には、帰る場所と、彼女の帰りを待つ新たな親友がいるのだから。



「辛い事は沢山あるだろう。だが、今は取り戻したこれを持ち返り、無事に帰ること、そして戦う事だけを考えろ、いいな」

「……はいッ! ファイアストーム先生!」


 ローズベリーはふらつく足取りと視界の中で自我を強固に保ち、地に足を踏みしめ、構える。


 畑は懐から無線インカムを取り出し、耳に装着。すると彼の女性秘書から通信と報告が入る。

『――社長、【特別聖歌せいか隊】、魔法の詠唱準備が完了。狙撃班も配置につきました』


「良し、聖歌隊、出撃。護衛部隊も前進。【雷光ライコウ】と【ミートメイカー】くんも戦いたまえ」

『――”ジョーカー”はいかがなされますか』

 すると畑は薄ら笑いを浮かべ、こう答えた。

「出動を要請してくれ。フフフ……ピンチだ」

『かしこまりました』



 同時に、ファイアストームもミラのサイキックドローンを中継器としたテレパスによって後方部隊への指示を行う。

『ファイアストームより救出部隊へ通達、これより戦闘を開始する。【バケットヘルム】、ただちに出動。【リトルデビル】もいつでも出られるつもりで。ミラ8号、救出班と航空部隊の指揮を補佐しろ』

『了解』『了解』『了解』

 と、次々に応答が返って来る。



「どうやら……そろそろお別れの時間のようだね」

「そうだ」

 ファイアストームが、ローズベリーが、滅ぼすべき邪悪と向き合う。互いに交わす言葉はついに尽き、いよいよ以て互いがその実力行使によって相手の存在全てを否定しようとする。

 今までの日々の積み重ねの力が、敵の喉元に届くか、届かぬのか、あるいは命も、人の尊厳も、全てを失うのか…………それが試される真の分水嶺ぶんすいれい



 ――ついに、本当の戦いが始まろうとしている。ローズベリーはネックレスを握り、決意を胸に抱いた。

 



「こんなに感動を与えてくれた君たちの物語が、ここで終わってしまうなんて本当に惜しいよ。でも大丈夫、君達は僕のお腹の中で養分かてとなり、一つになって生き続け……僕たち雲上人うんじょうびとが住まうこの美しい東京くにを間接的に支えていくんだ…………包囲部隊、突入」



 後ろから武装警備員たちが突入すると、出口に繋がる二つの扉が硬く施錠される。一か月以上前にここで麗菜たちがそうされたように、出口を塞ぎ、このホール内で二人を処刑するつもりだ。


 ホール前面のステージからは、死装束に身を包んだ5人の女性、ジェラルミンシールドで武装した警備員たち、そして大鉈を持った女性と、日本刀を手に持ったスーツ姿の超能力者サイキッカー、タスク警備保障総隊長 藤本 いさお こと【雷光ライコウ】がその姿を現す。


 ホールの両サイドの小テラス上からは配置についた狙撃兵がその銃口を向ける。総勢30名以上で編成される処刑部隊が、少女とそれを庇護する死神を滅ぼすための処刑場に執行者として集っていた。



「ええと……そうだ。死神よ、君の名を聞かせてくれないか」

 死神の処刑を目前にしても、畑はまだカシスオレンジを悠々と喉に流し込んでいた。


 ファイアストームは憎悪の眼差しで観客気取りの愚か者を睨みつける。

「我が名はファイアストーム、雲上人うんじょうびとを自称する愚か者よ、汝、神の息がかかった者にあらず」


「ファイアストーム……僕に素晴らしい感動を与えてくれてありがとう」


「俺が貴様に唯一与えるものは滅びだけだ。貴様の未だ知らぬ恐怖と痛みの中でなぶり殺しにして、その首を組織の門前に吊るしてやろう」

 災厄の暗殺者ファイアストームはその右の瞳に黄泉よみの空の如き金色の光を灯らせ、滅ぼすべき悪を真っすぐに見据えていた。




EPISODE 「死神は処刑台に舞う ACT:1」へ続く。

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