068 すべてはこの日のために:02


EPISODE 068 「決戦! 死神の処刑場! ACT:2」




 日の沈む時刻。空は暗くなり、地平線の向こうには消えてゆくオレンジの夕焼けが残滓ざんしのように遠くに映し出される。背後からの空からは暗く大きな雲が迫り、月と星を呑みこもうとしている。


 少女は息を吐く。漏れ出た白い息が空気を撫で、冷たい街の中に消えていった。




 駅近くのコンビニ前でローズベリーは一人その時を待っていた。紅色のパーカーと青いカーゴパンツに身を包み、その下には戦闘用のインナースーツとガントレットを装備している。パーカーの下にはソフィアとの戦闘で負ったインナースーツと肉体にダメージ痕がまだ若干残っており、肩には薄い青痣を残している。


 ファイアストームはどこだろうか、近くで見張っていると聞いたが……彼女が白い息を一つ吐くと、その目の前に黒い乗用車が停車した。後部座席扉が開くと共に運転手が降車し、涼子へ頭を下げた。


茨城いばらぎ様ですね」

 運転手の男が涼子の顔と身体的特徴を見て言った。

「はい」

「ホテルまでお送りします」

 運転手が涼子の手を取ろうとしたその時、運転手の背中を怖気が走った。


「この子に気安く触るな」

 彼の背後にはいつの間にか男が立ち、その首筋にコンバットナイフを添えていた。


「嗚呼……あなたが噂の……」

 その気配と、首に迫る死の恐怖によって、運転手は背後に立つ存在こそが話に聞かされた「黒腕の死神」なる男であると一瞬にして悟った。


「この格好だと面倒な連中の目に付きやすくてな。連れていって貰おうか」

 ファイアストームは専用装備:ノーザンヘイトと付属ジャケットをヘルメット付きで既に着込んでいる。敵地への潜入とあれば最低限でもこの装備は必要と判断しての事だが、超能力者や異常物を正常に認識できない一般人相手はともかく、この格好ではサイキックを認識できる面倒な人種に発見される恐れがある。ローズベリーから離れて周辺を監視していたのもそのためだ。


「……喜んで」

 運転手は自身に拒否権が無い事を悟り、額に脂汗を浮かべた。




 ローズベリーとファイアストームは車両の後部席に乗り込み、運転手の案内を受ける。


 運転手がバックミラーに写る異形のシルエットを見た。彼の瞳には、名状しがたき黒い霧が人の形を取り、その中から覗かせる白い亡霊の一つ目によって、こちらを睨みつけているように見える。

 運転に集中できるのは彼にとって幸いだった。そうでなければその姿を直視し続けるあまりに、恐怖で正気を失ってしまうかもしれなかったからだ。


 ファイアストームはマチェットを持ち、運転手を油断なく監視する。少しでも不穏な動きを見せれば後ろから座席ごと、運転手の心臓を刺し貫くつもりだ。



 ローズベリーはこの現実から逃れるようにサイドガラス越しに外の景色を見た。休日の街を行き交う家族や学生のカップル、同性の友達同士で街を歩くペアが目に入る。


 涼子は彼ら彼女らのことが、自分からとても離れた場所で暮らす人達に思えた。でも、ついこの間までは、自分もその中の一つだった気がする。なのにその頃の感触が、もうわからない。


 ……平穏と切り離され、異常な世界に一月以上置かれた涼子の感覚は、既にほかの同年代の子たちと違うものに変質してしまっていた。


 ただそれでも、彼女は親友のために前へ、前へ進み続けるしかなかった。





 やがて、車はホテルの玄関前で停車した。

「こちらとなります」

 運転手は先んじて降車し、車両の後部ドアを開ける。


 まずローズベリーが降車、続いてファイアストームが降車し、マチェットを背部に収める。そして車内に戻ろうとした運転手に一言、彼の去り際にこう忠告した。


「これからここは墓場になる。命が惜しければこのまま家に帰れ」

 運転手は生唾を飲み、何も言わずにそのまま車を発進させた。



 車が去り、二人はホテルの玄関前に立つ。「ブラッドカップ・イン」……。表向き宿泊施設でありながら一般向けにはその営業実態のない謎の建築物であるため、その内部構造はハンムラビ・ソサエティの情報力を以てしても不明。中に一体何が待ち受けているのか……。



 ファイアストームが進もうとすると、二人の警備員が彼らに立ち塞がった。

「止まれ」


 彼らの黄色の防寒ジャンパーの下には緑色の警備服が顔を覗かせている。防寒ジャンパーにも「TUSK」の文字と、牙のエンブレムが刻印されている。間違えるはずもない、連中の仲間だ。


「招待を受けた」

 ファイアストームは答える。

「知るか、ここは立ち入り禁止だ」

 制止を無視して押し通ろうとするファイアストームの肩を警備員の一人が掴む。


「そこをどけ」

 だがファイアストームは右手でその腕を掴み返し、低い声で言った。ファイアストームは肩に延ばされた腕を力づくで引きはがし、その握力で締め上げる。


「痛っ……おい、離せ……離してくれ!」

 超身体能力スーパーフィジカルによって発揮される人外なる腕力で、万力の如く男の腕をミシミシ締めあげる。そして……ゴギリ、不愉快な音と共に男の腕が折れ曲がった。ファイアストームの後ろに立つローズベリーは恐怖に思わず目を瞑り、その耳を塞ぐ。


「ア”ア”ア”ア”……!!」

 ファイアストームがようやく手を離すと、警備員は低い唸り声のような悲鳴をあげ、折れた腕を抑えてうずくまる。


「このっ!」

 もう一人の警備員が懐から警棒を引き抜こうとする。だがそれよりも速く左の裏拳によるスナップが警備員の顔面を捉える。


「がっ! ……うああっ……!」

 カーボンの黒腕に一瞬で鼻骨を砕かれたもう一人の警備員が、おびただしい鼻血をボタボタと流しながらうめいた。


 ファイアストームはその男の手首を取り、その場で人質に仕立て上げると、うずくまった警備員を蹴り飛ばし、自動ドアの先へと強引に押し通った。


『ファイアストーム、状況は問題ありませんか』

 ファイアストームの小型ショルダーバッグの中のドローン経由で、ミラ8が若干怪訝な様子で状況を尋ねた。


『異常はない。引き続き待機』

 ファイアストームはテレパス通信によって平然と答える。鼻血をこぼしながら頭を垂れる肉の盾を手にした顔の見えぬ男が侵入すると、広大なエントランスフロアは暴力の気配に凍り付いた。



 彼はエントランスの受付台に男の頭を叩きつけると、受付の女性を冷たく見て、その正体を明かす。

「ハンムラビ・ソサエティの者だ。ハタ 和弘カズヒロの要件で来た」


 警備員の血しぶきが受付女性の顔にかかる。女性は緊張し表情をこわばらせてこそいたが、取り乱さずにこう答える。

「伺っております。ご案内しますので、こちらへ」


 常人ならこのような荒事と修羅場を目の当たりにすれば恐慌状態に陥り、取り乱し叫び声をあげるものだが、清掃員といい受付の者といい、反応が大人しすぎる……否、ただの人間モータルにしては血と暴力に慣れ過ぎている。あまりに不気味な反応だった。



 女性の案内で、肉の盾は手放さぬままファイアストームはエレベーターに乗り込む。無論ローズベリーも一緒だ。女性がボタンを押すとエレベーターは上昇してゆく……。



 エレベーターの電光パネルの数字がカウントされていくが、奇妙だった。12階を越えると数字は13を飛ばして14へと変じた。15、16、17……そして20を越えた次の階、本来の20階となる場所でエレベーターは13階の電光表示を示し、止まった。

 悪趣味。ただその一言で済ませたい所だが、わざわざキリストの死や悪魔サタンを連想させる忌み数を持ってくる辺り、建物の設計段階からして良からぬものだという事と、ここが自分たちを殺す為の仕掛けを用意した処刑場だという事を、ファイアストームは容易に想像する事ができた。


 エレベーターの扉が開くと劇場フロアのロビーのような広い空間が目に入る。天井までの高さは10メートル近い。ロビーだけでも大型のサイキッカーであっても存分に跳ね、暴れられるだけの高さと奥行きがある。


 床には大理石が敷き詰められ、窓は一定の高さごとに鋼鉄フレームが補強として通っているものの、それ以外は全て強化ガラス張りとなっており、この暗黒トウキョウの街にうごめく欲望の輝きを一望することができる。



「やあ、やあ、待っていたよ。茨城いばらぎ 涼子ちゃん、そして黒腕の死神よ……」

 ロビーエリアには多数の武装警備員が立つ。そして、その中から一人の男が現れた。ウグイス色のスーツに赤いネクタイをピシっと締めた男は、30代ほどの男性。

 彼がその口角を上げると頬に大きなえくぼができ、それが非常に印象的で……虫唾が走る。



「会いたかったよ二人とも。私がタスク警備保障の主人にして、ビーストヘッド・プロモーションの代表……ハタ 和弘カズヒロだ」


「末端への通達はしっかりと行っておくことだ」

 ファイアストームは関節を極め締め上げていた肉の盾を大理石の床へと投げ転がす。自身の手足の一人、そのひどくやられた姿を見ると畑は口角をさらに上げ、目を見開いた。


「オオオオ! これは凄い! もう一人は!? 殺したのかい!?」

 畑は突如、熱をあげた様子で転がった警備員とファイアストームを交互に見ては尋ねた。


「殺してはいない。片腕を砕いただけだ」

 ファイアストームは冷たく答える。


「オオ! それは凄い! 君、少し舐めさせてくれ!」

 すると突如! なんということを……! 畑は倒れた警備員の頭を顎を掴み仰向けにすると、今なおボドボドとおびただしい出血を続ける鼻へと自身の舌を這わせ、その血をなめとったのである。



「ンンンッ……! 君の魂に刻まれた戦いの記憶の味……燃えるような……」


 さらに一口、彼は死神を見据えながら男の鼻血を舐める。男の瞳がみるみる快楽の色に染まってゆく。

「……理解わかる。これは一朝一夕いっちょういっせきの暴力ではない……君の魂と一つになって焼け付いて、泉のように湧き出る暴力の一滴ひとしずく……」


 立ち上がったハタは高くにある天井の光を見つめ、舌でなめとった鼻血を口の中で咀嚼し……喉へと流し込む。


美味スウィート……」

 畑はその身を小刻みに震わせ、目をとろんとさせると甘く囁いた。


 その異常行動に圧倒され、ローズベリーが生理的な恐怖をその身に感じ取った。畑は振り向き、その口角を一層強めて、感嘆の吐息を漏らしてから

「ハァー……。まこと申し訳ない。君がどんな反応をするのか知りたくてわざとこうしたのだが……素晴らしい、死神よ、本当に君は素晴らしいよ」

 と、死神の振るった暴力を讃えた。



 次に、畑はトロンとした表情のまま、配下の警備員を見下ろす。

「それで君。君は確か、石原 俊平しゅんぺい君だったね」

「? は、はい」

 警備員の石原はその名を呼ばれ、鼻を抑えながら返事する。


「2年前に大学を中退して、職に困っている所を僕が拾ってあげた」

「はい……」


 そして、畑は言った。

「ありがとう。君を拾って良かった」

 直後、彼は懐から拳銃を引き抜き、至近距離で石原の頭を撃ち抜いた。銃声と共に、石原が一瞬にして物言わぬ肉の塊と化した。


「――だって、こんなに気持ちよくなれた」

 返り血が頬につく。飛び散った石原の脳漿のうしょうと、広がってゆく血だまりを前にして、畑はニコニコと笑っていた。




EPISODE「決戦! 死神の処刑場! ACT:3」へ続く。

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