獣の奏でる不協和音(ディスコード) ACT:4
EPISODE 057 「獣の奏でる不協和音(ディスコード) ACT:4」
「この地下都市を作るために何人もの作業員の方が事故で亡くなられました。この石碑は、彼らのための慰霊碑なんです」
慰霊碑を前にしてセツはこの石碑の由来を語る。涼子もまた、その隣に立ち彼女の話に耳を傾けていた。
「……かつての戦争で旧本部が破壊された時、私達はここまで逃げることによって生き延びました。作業員の方々は兵士ではありませんでしたが、多くの命を救いました。私は彼らのために、時折ここに祈りに来るのです」
セツが非常に高齢だったこと、そしてファイアストームやブラックキャットからその事を教わっていなかったせいで、涼子はセツの話す「戦争」を、第二次世界大戦のことかと誤解した。
実際にハンムラビが大戦争を経験したのは4年前と比較的最近の事なのだが、涼子は当時の事情を一切知らない。
涼子のために祈ったセツは、慰霊碑へと向き直ると手を合わせて静かに祈る。涼子の瞳には、祈りを捧げている最中のセツの周りに、細かい光の粒子が舞っているように映っていた。
涼子も一緒になって、慰霊碑に向かって祈った。
目を開き、慰霊碑をもう一度見直した。その黒い柱には人の名前がいくつも書かれている。その中には漢字で彫られた日本人の名前もあれば、ローマ字で書かれた中国人などのアジア人の名前、まったく読み方のわからない国の名前も中にはある……。
慰霊碑の根元に目をやると、そこにはいくつか供え物がある。「JACK DANIELS Old No.7」と黒いラベルシールの張られた未開封のウイスキー瓶と、未開封のタバコパックが一つ、彼女の目についた。
本物の空を持たぬ地下都市に雨は降らない。嵐が吹き、風が供物をさらってゆくこともない。したがって、雨風によってこれらが朽ちる事もない……。
二人はベンチに腰掛けると、他愛もない話を始める。
「ローズベリーさんはこの辺りにお住まいなんですか」
「はい、横浜の……希望ヶ丘のあたりに」
「ああ、そうでしたか。あの場所も昔と変わりました」
「セツさんもこの辺りのお住まいなんですか?」
涼子が訊く。するとセツは言った。
「私ですか? 私はこの地下で暮らしています。友達も多いですし、良いお医者さんが沢山いますし、兵隊さんも守ってくれますし、良い所ですよ。よく太陽が恋しくなるので地上まで歩きにいきますが」
「そうなんですか……」
確かに、この地下都市は買い物に困らないし、病院もあるし、住む場所もある。言われてみればそう悪い所ではないように感じた。
「あ、あの、聞いてもいいですか」
「もちろんいいですよ」
「【祈り手】って、どのような人々なんですか?」
セツの許可を得た涼子が好奇心で尋ねたのはその事だった。
「あなたは確かファイアストームさんのご指導に預かっていましたね。祈り手について、どの程度までご存じでしょうか」
「
涼子は答える。一応その存在を示唆される程度には聞かされたが、二人の超能力の先生からは、まだそれ以上のことを教わっていない。
するとセツはまずはじめに、こう切り出した。
「そうですか。しかし【祈り手】といっても、わたしたちは普通の人とほとんど変わりません。他の人と同じ身体を持ち、同じ速度で生き……そして同じように病にかかり……やがては朽ちて死にます」
そして一呼吸置き、セツは言った。
「ただ、私達には天に祈り、願うための力が与えられました」
彼女はゆったりとした穏やかな口調で続ける。
「私達の家が守られるように、私達の家族が無事に戦地から帰ってくるように、怪我や病気が良い方向へ向かうように、そして……悪しき敵の
「……」
「少しむずかしいですか? 簡単ですよ。人々が神社や教会で神に祈ることと本質は変わりません。私達【祈り手】は少しだけ神や霊との距離が近く、そのために祈りや願いが、他の人よりも天に届きやすいだけです」
セツは自身の説明を噛み砕いた。それは漠然と、あるいは抽象的な表現であったために
だが涼子は祈り手のイメージを、祈祷師・神官・あるいはチベットの僧侶らのイメージと重ね合わせる事で、その理解を若干深めることができた。少なくとも、超能力者や超越者とはぜんぜん違う種類の人たちのようだ。
「教えてくださりありがとうございます」
涼子がペコりと丁寧に頭を下げる。
「いいえ、いいえ。……ローズベリーさん、実を言うと、あなたに関するお話を少し聞いています。TUSK(タスク)という人達と戦っているとか……」
セツに言われ、涼子は一瞬だけ返事に戸惑った。そして、自分が既に彼らとの激しい戦いの最中にその身を置いている事を自覚した。
「えっと……。そう、です」
涼子はこれを肯定した。彼女の両の拳にはまだ、戦いの記憶が焼き付いていた。
「それは、あなたのお友達の為だったんですね」
「はい……」
「……何か、お悩みですか?」
涼子の表情に浮かぶ戸惑いの表情をみたセツが、少女に心の内を尋ねてみた。
「え、いいえ、そうじゃないですけど」
「……」
「……最近、新しい友達が出来たんです」
沈黙を破って、少女はこう切り出した。
「その友達に聞きたい事があるんですけど……友達は教えてくれなくて……でも……」
「でも、知りたいんですね?」
「はい」
「そして、理由があって、敢えて黙ってるであろうお友達に、それを尋ねても良いものか迷っていらっしゃる。そうですね?」
「……そうです」
涼子はゆっくり頷く。まるでセツに、自身の考えを全てを見通されたような気持ちになった。
涼子の迷いを受け止めたセツは、彼女の為にこのような言葉を贈った。
「このような言葉があります。「汝の意志するところを行え、これこそ法の全てとならん」。ペルデュラボという高名な方が残した言葉だそうです」
それはおよそ100年ほど前の時代にその名を世界に轟かさせた伝説のサイキッカー:ペルデュラボ……またの名をアレイスター・クロウリー。彼の残した偉大なる言葉であった。
「私はこの言葉を「迷う事なく自身の意思を貫き通すべし、そうすれば道はおのずと開かれる」。そう解しています。ローズベリーさんが大切な事のために真剣に取り組むなら、相手も真剣に応えてくれるのではないでしょうか」
「あの……セツさんの言う通りかもしれません。ありがとうございます。私、友達にちゃんと相談してみようと思います」
セツのアドバイスに納得した涼子は自身の内にあるその意志を固めると、ベンチから立ち上がり、感謝に深く頭を下げた。
「ええ、それが良いと思います」
「あの、それでは私、お先に失礼します」
そう言い涼子はまた頭を深く下げる。セツは穏やかな笑顔で彼女に応えた。
「はい。……険しい道かもしれませんが、どうか負けないでください」
涼子は駆け足でその場を後にする。セツは少女の背中を見守り、その姿が見えなくなると、ゆっくりとベンチから立ち上がった。
EPISODE「獣の奏でる
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☘TIPS:人物情報
ペルデュラボは伝説の魔術師として世界に知られる
彼の表の名、アレイスター・クロウリー名義で出版された書物は、その意志さえあれば今日でも一部、邦訳されたものを入手する事が可能です。
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