獣の奏でる不協和音(ディスコード) ACT:3


EPISODE 056 「獣の奏でる不協和音(ディスコード) ACT:3」





 正直に言って欲しい。ここでやめておく事は勇気ある判断だ。



 わたしは、レナちゃんのアクセサリー、絶対に見つけたい。です――




 これは試合スポーツではなくて戦争への備えよ






 あ、あのね涼子ちゃん、落ち着いて聞いてね。野原さんのお家のお母さんが――




 ――涼子ちゃん大丈夫。私がついてるよ。


 悪い人達から、私が守ってあげる。

 そして、あなたの望みを――。





……




 ……涼子が目を覚ましたのは、自宅のあるマンションの自室のベッドではなかった。彼女が目覚めたのは横浜みなとみらい、ハンムラビ・ソサエティの日本ロッジ本部。その地下に築かれた都市シェルターの居住区画の一室だった。



 ワンルームの小さな部屋ながらもホテルかもしくはモデルルームの一室かのように磨かれた綺麗なフローリング。その一室の白く大きなダブルベッドの上に涼子の身体はあった。


 地下のため窓はなく、代わりに液晶パネルが取り付けてある。しかし電源は入れられていない。

 ベッド脇に立て掛けられた、ホテルにあるようなオレンジ色の照明だけが唯一、ほんのりと薄暗くワンルームの室内を照らしている。


 涼子がベッドから身を起こすと、エンドテーブル上で充電中の二つのスマートフォンの内、片方へと手を伸ばそうとする。



 その時、涼子が何者かにジャージの袖を後ろから掴まれた。涼子が思わずびくりと振り返る。




「レイだめ。私はじめてなの……」


 涼子に後ろから掴みかかった存在は、目を閉じたまま、そのような訳のわからぬ寝言を口にすると、まただらんと腕を脱力させ、スヤスヤと寝息を立てはじめた。



「ソフィアさん……」

 このような寝言を口にする存在は、地球広しといえどもソフィア以外には居ないだろう。



 あれは昨日の事だった。授業の最中、突如同階の職員室の方から悲鳴のような声が聞こえた。それからすぐにブラックキャットから「異常発生。学校からの離脱準備、速やかに」とメールの着信。彼女に連れられて涼子は一緒に学校を抜け出してきた。


 結局、その直後に学校は集団下校になったらしい。その理由は、ソフィアから部分的にのみ聞かされた。そして、麗菜の母親の身に起こった事も――。



 涼子が自分のスマートフォンを手に取った。ついこの間交換したばかりの新品。時刻表示、2月22日 金曜日 午前5時12分……。



 涼子は、レイやソフィアらの計らいによってハンムラビの支部職員らが住む居住区画の空き部屋の一つを提供して貰い、そこで一晩泊めて貰ったのである。まだ朝は早いが、疲れ切って夕方以降はずっと寝ていたせいか、眠気はもう感じない。



「学校いきたくない……ん」

 今日は平日の登校日、涼子は反射的にその一言を呟いたが、徐々に意識がはっきりとして目が開いてくると、気づいた。




「……そういえば休校だっけ……」


 ソフィアから聞いた話だと、学校で起こった昨日の騒ぎは、結局爆破予告事件という扱いになるらしい。……したがって本来は登校日となる平日ながら、今日は臨時休校だ。



 きっと自身が眠った後もずっと傍についていてくれたのだろう。涼子はソフィアを起こさないようにゆっくりとベッドから這い出た。



 ☘



 涼子はスマートフォンと財布だけを持って部屋を後にした。眠気はもうなかったが、部屋の明かりをつけてソフィアを起こしてしまうことに気が引けたし、少し気分転換に散歩でもしてみることにした。



 居住エリアを抜けると広場に出た。人通りはないが木々が並び、花が咲いている。といっても、ここは地下シェルター内のため、本物の空も太陽もないが。



 ――代わりにそこまでの寒さを感じることもない。ここが地上なら、2月の早朝を学校の指定ジャージと、その上に羽織った薄手のパーカーだけで出歩くのは大変気の引けることだろう。



 涼子はベンチに腰掛けると小さく溜息をつく。考えるのはやはり、亡き親友の事だった。




 麗菜れいなの部屋が無思慮に荒らされた事は涼子にとって大きなショックだった。あの晩は彼女もその怒りを抑えきれず、その拳を振るってしまった。



 だが、涼子以上に深いショックを受けた人物が居たのだ。それは麗菜の、生みの親である一人の女性だった。姉の居る涼子と違い、麗菜は一人娘で兄弟姉妹はいない。


 たった一人の娘が突如死んでしまって、しかもそれは棺さえ開けられないほどの最期で、その悲しみに暮れている矢先に盗みが入り、あれほど乱暴に故人の部屋を荒らされる。



 その苦痛たるやどれほどのものか、涼子にさえも想像がつかない。




 ――そして起こった、麗菜の母の自殺未遂。



 ……いや、それは起こるべくして起こってしまった事件なのかもしれない。



 「茨の鉄条網」作戦の後日、ハンムラビのエージェントが浴室で血を流し倒れている麗菜の母親を発見。その発見と救護処置が比較的早かったため、命こそとりとめたものの……その心の傷は遥かに深く、重い。



 その事を考えるだけで、涼子は胸を万力でギリギリと締め上げられるような気持ちになるのだ。




 ベンチに座り、物思いにふけっていた涼子だったが、その正面にあるものに目を向けた。それは3メートルほどの高さの、黒く磨かれた柱だった。


 涼子はベンチから立ち上がると、おもむろにそれへと近づく。どうやらそれは、何らかの碑石とか、記念碑の類のもののようだった。


「……」

 涼子がその石碑を眺めていると、後ろから声がかかった。

「それはですね……慰霊碑なんです」



 少しだけ聞き覚えのある穏やかな声に涼子が振り向く。そこにはゆったりとした歩調でこちらへ歩いてくる、非常に年老いた女性の姿があった。



「おはようございます。ローズベリーさん、でしたよね。この前もお会いしました」

「おはようございます。えっと……あの、ごめんなさい、お名前が……」


 老女は涼子の顔を見るとサイキッカーとしての彼女のコードネームを呼んだ。老女の言う通り、確かに涼子はこの人物に一度、二度会った覚えがある。それも最近のことだ。

 しかしソフィアのような深い付き合いのあった人ではないから、涼子はその老女の名前を思い出すことが出来ず、詫びた。




「私は【祈り手】の稲毛 セツと申します」

 老女は自らをそう名乗った。


「すみません、私、忘れちゃってて……」



 しかし老女は些細な事は気にせず、微笑んで言った。


「いいんです。いいんです。お気になさらないでください。この間、儀式や祈祷をお手伝いしましたね」

「はい、あの時はお世話に……」


 老女が言うと、涼子の中の数日前の記憶が蘇る。自身のサイキッカーとしてのコードネームを付ける時、そして数日前の作戦の外出前に行われた安全祈願の祈祷。それらの儀式を執り行ってくれた人物がこの人だった事を思い出す。



「いいえ、いいえ。それが私達【祈り手】の役目ですから」

「祈り手……」


「はい。超能力者のみなさんは祈り手のことを、カナ文字を当てて「プレイヤー」とも呼びますが、私はこちらの呼び方の方が気に入っています」



 セツは自らの呼称についてそう語る。涼子はまだそれを習っていないものの、この世界には三つの超常の力が存在するという話だけは、彼女の師たるブラックキャットとファイアストームから受けている。


 一つ目は超能力者サイキッカー、二つ目は超越者オーバーマン。そして……二人の教育者が、まだその知識が不要として、その存在を示唆するだけに留めていた存在がある。それが三つ目にして神秘の力を操る最後の存在……



【祈り手 (プレイヤー)】……。





「私達は超能力者ちょうのうりょくしゃや、超越ちょうえつせし方々のような力を持ちません。この通りの年老いたおばあさんです。……しかし、神に祈り、その願いを天へと届ける事ができます。ここでお会いしたのは天のお導きです。よろしければあなたのために、何かお祈りをさせていただきましょうか」


 セツはゆったりと優しい口調で語ると、涼子に向かって申し出た。



「あ、えっと……」


 突如の申し出に、涼子が少し困惑の様子をみせる。セツは涼子に向けて尋ねる。


「ローズベリーさん、あなたは何を望みますか? 平和ですか? 恋ですか? 学生さんでしたら、就職などでも……」



「私はその……」




 涼子が少し返答に悩んでいると、セツはおもむろにこのような話題を口にし始めた……。



「……前にある方に尋ねた時、その方はあらゆる怨敵の死と、そして復讐を望みました。私は彼の願い通り、その望みの成就と……そして彼の心にも安らぎがいつか訪れるように祈りました……」



「……」

 涼子は静かに老女の話を聞く。その内容は短くも、おどろおどろしく、それでいてどこかに深い悲しみを感じるような話だった。



 涼子はなぜだか、セツの口にした話の人物を知っているような気がした。




「あなたは何を望みますか? 私は老い先の短い老婆です。恥ずかしがることはありませんよ」

 その年老いた老女は涼子の瞳を見つめ、もう一度尋ねた。



 やがて涼子は、自身の胸に手を当てると、こう答えた……。

「わたしは……私は友達が、安らかに眠っていて欲しいと思います……」



「いなくなってしまった方でしょうか」

「はい……」



「……そうでしたか。まだお若いのに……それがあなたの戦う理由なのですね」


 年老いた女性の瞳が若き少女の瞳を真っすぐに見つめる。老女はこの組織の血や争い、憎しみにまみれた暗い部分を知っている。


 その上でそれぞれの人々が、それぞれの理由と信念で戦っている事を理解している。ゆえにセツは組織の中に10代の少年少女の混ざる事があっても、いちいちそれを取り沙汰す事もないが、涼子の言葉を聞く事でセツは、彼女がなぜこの場所に在るのか、その理由を解した。




「喜んで祈りましょう、あなたのお友達と、あなたのために……」


 しわがれた細い手が少女の手をとると、老女はとても静かな笑みを浮かべた。




 それからその石碑の前で、老女は祈った。



 一つは少女の親友の安らかなる眠りを願って、そして一つは少女の未来のために……。






EPISODE「獣の奏でる不協和音ディスコード ACT:4」に続く。




===


☘TIPS:人物情報



☘ 芦田あしだ 佳代子かよこ / アラクネ (旧CN:アラクネ・スリー)

性別:女 外見年齢:24 実年齢:29歳

所属勢力等:なし


LIKE:クモ、ドーナツ、サイダー、アイスクリーム、展望台、紫色。

DISLIKE:戦争、ネットカフェで隣から聞こえるイビキや喘ぎ声。ファイアストーム、ナイトフォール (二人を非常に恐れている)


 元サン・ハンムラビ・ソサエティの暗殺者にして戦争の生き残り。関西本部の所属だったが関東側との戦争終盤に敵前逃亡。しかしそのお陰で難を逃れ戦争を生き延びる。


 内乱のトラウマが彼女を臆病な性格に変えてしまい、以後の彼女は既に戦闘意志を失っているが、その意志が現本部側に伝わっていないせいで彼女の首に懸賞金がかかったままとなっており、全方位から命を狙われる気の毒な立場に。


 夢は暗殺者ではなく幼稚園の先生かお花屋さんになることだった。関東支部のアサシン、特に戦争当時の粛清担当として悪名高かったファイアストームとナイトフォールの存在に今も怯え、小さな泥棒をしながら宿を転々とする貧しい逃亡生活を続けている。

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