カムフライ・ウィズミー ACT:1


EPISODE 041 「カムフライ・ウィズミー ACT:1」



 カメラに搭載された暗視装置の機能が、眼前に映る夜の街を白く染め上げる。静かな夜だ。太陽が隠れてもこの街は未だ眠りについておらず、コンビニエンスストアのほか、近隣の民家やマンションもまだその明かりを灯している。モニターに映し出される時刻表示は22:59。


『どう? 何か面白いもの見つけた?』

 モニターの時刻表示が23時を告げる。

「……否定ノープ。異常無しだ」


 M4カービンは破壊されたため代わりの銃を取り寄せ中。スコープ付きのM1ガーランドライフルを構える男が戦闘用のフルフェイスヘルメットを脱いだ。


『今日で三日目?』

「それは教育の方だ。こっちは通算五日目になる……が、来ないな」

 絶滅したペンギン、オオウミガラスの頭部をどこか想起させる意匠のそのヘルメットを置くと、暗闇のマンション屋上でファイアストームが白い息を吐いた。


 二月十四日 木曜日。今週から始まった茨城 涼子、あらためサイキッカー:ローズベリーの警護も五日目の夜を迎えている。今晩はブラックキャットを休ませ、代わりにファイアストーム自身が近隣のマンション上からその警護を行っている。


 彼は銃を下げると、ヘルメットの傍に置かれたリュックサックの中から二本の水筒とマグカップ、そしてプラスチック容器で保護された小箱を取り出す。


『平和が一番よ』

「異論無し。されどの人の平穏、未だ訪れず」

 ファイアストームが答える。ドローン越しにソフィアは言った。

『詩人ね、そういう所素敵よ』


「今ローズベリーはどうしている」

『今日が何の日か知らないの、今一生懸命自分を”慰めてる”んだから、そっとしておいてあげて』

 ソフィアの告げる衝撃的な報告に、ファイアストームは思わず閉口する。


「……悪かった」

『……ウソ♡』

「ああそう……」

 ファイアストームはため息を吐き、それからプラスチック製の耐熱マグカップに水筒の中身を二本とも注ぐ。中身はそれぞれチェリー・ブランデーと常温に冷ましたローズヒップティー。冬の夜空の下、マンションの屋上で作るブランデーの紅茶割りである。


『テストの勉強して、お風呂はいってー、また勉強してー、今はあなたの言いつけ通り、瞑想してる。明日で試験おしまいなんだってー』


「瞑想はサイキック修練の基本だ。ミラ、お前も欠かさないように」

 ファイアストームは涼子に帰宅後も毎日最低15分の瞑想を日課として課した。瞑想はサイキックを磨く上での基本修練だ。一時間も二時間もチベットの修行僧のように瞑想をし続ける必要はない。短くとも深く、自分の心の中に潜る習慣をつける事が、サイキックの確かな強化に繋がる。



『はーい。それにしても、本当に来ないね。結界強くしすぎちゃった?』


 既に魔女のまじないを利用した簡易な結界を茨城家には張ってあるため、自宅への直接襲撃率そのものは減っている。ただし、既に敵は大胆不敵にも一度登下校中の涼子を襲った立場、ここ数日の敵の音沙汰の無さは、茨城宅に張った簡易結界が直接の原因とは考えづらかった。


「前回の襲撃地点は登下校ルートだ。結界と霊的防御の強さは関係ない。来るときは来る。それでも来ないのは……向こうは立て直しが辛いと見る」


 ファイアストームが答えると、ブランデーをグイとあおる。


 前回の襲撃でファイアストームが片っ端から敵対者を返り討ちにした結果、敵側はサイキッカー3もしくは4名、オーバーマン2名、その他モータル戦闘員も十名程が死亡、もしくは推定死亡。倒し損ねた指揮官級もあの混乱の中だ、恐らく無傷ではないだろう。


 これが零細ぜろさいの有志自警団組織なら”消滅”と判断されて然るべき被害だ。だがファイアストームはこれが終わりだとは微塵にも思ってはいない。むしろ、これはまだ始まりに過ぎない。彼はそう考える。


『このまま諦めてずっと、何も来ない?』

「いや、必ず獲物に執着する。カンだが、そういうタイプだ。……いずれ来るさ。それまでは稼いだ時間で彼女を教育し、迎え撃つ準備を進める」


 彼はプラスチック容器から取り出した小箱を見る。ハート形の小箱で、赤い三つ葉のマークの上にハートマークのシールが逆さに張り付けてある。 

 Dear Ray。箱に張り付けられた手書きのカードを見て、暗闇の中にレイは小さな笑みを浮かべた。今夜の空はとても冷えるが、雨は降っていないし、戦闘も無く、悩みの幻覚症状も無い。ローズベリーの教育も進んでいる。そんなに悪くない日だ。


 レイは小箱のリボンを外し、包装を丁寧に剥がすとその蓋を開けた。中にはイチゴチョコレートを溶かしてハート形に象ったチョコレートが収められていた。彼は両手を併せ短く祈る。

「いただきます」

『どうぞ。早くしないと次の日になっちゃうからね』

 レイはチョコレートをかじり、紅茶で割ったチェリー・ブランデーをまたあおる。ファイアストームが小さく声を漏らす。


『どう? おいしい?』

「嗚呼……美味しいよ。体が温まる、ありがとう……」


『良かった。抹茶味にするかブランデーを混ぜちゃうか悩んだんだけど、レイレイ甘酸っぱい方が好きかなって、わたし……』


……


…………



 時をやや遡り、都内の会員制バーのVIPルームに、闇は在り。


雷光ライコウ、きみ、派手にやられたねえ」

 タバコをふかして笑うのは、ウグイス色のスーツと、笑みを浮かべた時のえくぼが印象的な30歳ほどの若い男。はた 和弘である。テーブルには上司たる畑と、野球帽を被ったもう一人の男の二人。雷光はこの男を知っている。


「は……申し訳ございません」

 彼のテーブルへとやってきたのは藤本 功。「雷光(ライコウ)」というコードネームを持つサイキッカーである。


 スーツ姿の彼の右足はギプスでガチガチに硬く固定され、松葉杖を突いている。超越者としての超身体能力スーパーフィジカルを兼ね備えるサイキッカーであっても、高速道路上から慌てて飛び降りる事の代償は決してタダではなかった。右足及び右足首骨折、右鎖骨骨折、右手首、右肩亀裂骨折。それが彼の払った代償だった。雷光は空いた椅子に松葉杖をかけ、しんどそうに腰を降ろす。



「うんうん。まあ仕方がないよ、僕としても予想外だった。三浦君死んじゃったしね、勤続長かったし好きだったのに……悲しいよ。怪我はどうだい」

「この程度は……任務は続行できます」

 雷光の瞳には今なお闘志、そして作戦失敗と、部下や同僚を多く死なせた責任が宿る。されど畑は笑顔で彼をたしなめる。


「いやいや良いんだよ。君は僕の大事な矛で、大事な盾だ。無理はしなくていい」

「はい……」


「飲み物、どうする?」

熱燗あつかんでも構いませんか」

「お姉さん、この人に熱燗を。僕はカシスオレンジで」

「かしこまりました」


「しかし……男の方は只のゴミかなと思っていたのに、凄いねえー、興味が湧いてきちゃったよ。彼の事、もっとわからないのかな。彼ともお近づきになりたい。招待状でも書きたい」


 畑はアイアンハンドを殺し、拳骨射手を殺した敵の存在に、怒りを感じるどころか、新発売のオモチャを前にした幼児のように目を輝かせ、強い興味と関心を示していた。だが、ライコウは畑に強く警鐘を鳴らす。


「……距離を取ってですが、対峙してわかりました、奴は人間としてだけでなく、サイキッカーとしても並じゃない、恐らくプロ……。そして奴には間違いなく強力なバックアップ……かなりの力を持った組織が後ろについています。余りに危険です」


 一体彼は何者か、彼とあの少女に手を出したが為にアイアンハンド、拳骨射手、ダットサイト、三人のサイキッカーを喪い、サンゲフェザーはその耐久力が幸いしてか、辛うじて一命をとりとめたものの、頸椎と脊椎の損傷が激しく意識不明の重体、彼の目が覚める事は二度とないだろう。戦力としては死亡と記載する事との間に違いはない。


 実質、四人のサイキッカー、さらに能力を持たないまでも超人的な身体能力を持つ超越者オーバーマンを二名、つまり六人もの特殊戦力を損失している。



 そこまでの犠牲を払って得たものは何か? あの男も少女の方も非常に危険で、かつサイキック由来の光学迷彩性能を持った航空艦とも呼ぶべきような……大型の軍用機を運用する程の組織規模を持ち、向こうも援軍として追加のサイキッカーを呼び出せる……連中に仲間が何人いるかは当然不明。


 要するに敵の方が上手うわて。たったそれだけの……悲惨な情報だ。犠牲に対して得た情報が少なすぎ、暗すぎる。



 少女に関しては本名や通学校、自宅等、素性はわかっているものの、男の方は東京を走る私鉄である京成線の利用と東京・横浜近辺での目撃情報があり、それに基づいて襲撃が行えたのみで、実際の所、その自宅さえ特定できてはいない。要するに正体不明。



 彼の補足と襲撃に一役買ってくれたダットサイトも、今は三途の川の向こうに逝ってしまった。


 あるいは直接肉弾戦で渡り合ったサンゲフェザーさえ無事であれば、敵のコードネーム等、もっと情報があったかもしれないが……。


(プロ……? 俺だって、プロだろうに……!)

 自らの発言を振り返り、雷光は歯をくいしばった。


 そう、無論プロという意味では、雷光もプロのサイキッカーだ。だがあの戦闘は、自分の存在など、あの敵と比較したらアマチュアレベルに収まってしまうのではないかと彼に悩ませる、それだけの存在だった。


 それをどれだけ否定したくとも、敵のあの冷たい瞳と、目的達成の為には屍をいくつ重ねる事もいとわない容赦の無い戦いぶりが、今も雷光の脳裏に焼き付いて、離れる事は無い。




「ふむ、危険? 誰を前にしてそんな事を言っている?」

 畑の表情から一瞬笑顔が消え、雷光を鋭く睨みつけた。雷光の背中に怖気が奔る。


「……失礼しました」

「あの……私は大丈夫なんでしょうか……」

 野球帽を目深に被った中年男性のビールジョッキを持つ手が微かに震えていた。


「ホラホラ、友達を怯えさせてはいけない」

「すみません。何分職業柄、神経質なもので……」

 雷光がもう一人にも深く頭を下げた。サイキッカーである以前に、一人の社会人である男の苦労である。


「イヤイヤマアマア、君の気持ちはわかるけどね。……さて、まだ良いのが居たよね。クランクプラズマと……そう、あの三人組を出そう」

「彼らですか、しかし三浦を容易く殺した相手です……下手に行かせれば犬死にします」


 雷光はそう答えた。拳骨射手は自分たちの中では間違いなく精鋭であり、上位戦力であった。彼がお気に入りの部下とセットで挑み、ああも容易く返り討ちに遭ったというのは、現実であっても認めたくはない。


 畑の言う、クランクプラズマを始めとする三人、というのが具体的に誰の事を指すかは想像こそつくが、拳骨射手とアイアンハンドを恐らく単独で殺したとおぼしき相手、その三人をぶつけて勝てる相手とは思えなかった。



「しかし偵察が必要だ。ダットサイト君、偵察では優秀だったのに殺されちゃったし、威力偵察でもしないとダメだろう?」


 畑が殉職したサイキッカーの一人に言及する。ダットサイトは非超越者の為、腕力や耐久力は人並みで、ゆえに戦闘力そのものは低いサイキッカーではあったが、探知・追跡に向いた能力を持っていた。

 生前の彼は畑らのグループにとっての眼であり、それを失ってしまった事は大きな損失だった。



「しかし、我々の戦力は限りがあります。今三人を失えば、本社の防衛戦力が……」


 雷光は野球帽の男性を一瞥してから、気まずそうに畑へ上申する。自分たちはたったの一日で総戦力の三分の一程を殺害されている。これは非常に深刻な被害だ。それに加えて更にサイキック戦力を失うことになれば、自分たちの本拠地の防衛戦力の喪失に繋がりかねない。


 もしその状態で、守護結界を破壊される事があれば……。


 だが畑は既に、その憂慮すべき事態に対する腹案を持ち合わせていた。



「それについては心配に及ばない。もう一人、友達を紹介しよう」

 畑が言うと、一人の男が現れた。……いや、男だろうか? その人物ので立ちはこの店の中で浮いていた。


 上等なコートを羽織ったその下には、騎士の鎧を想起するかのような、メタリックで輝かしいボディーアーマーが緑色に輝く。ブーツとガントレットは黄色く塗装され、真っ赤でとても大きな二つの瞳が相手を見抜かんとする力強いデザインのフルフェイスヘルメットの首元では、深紅のマフラーが無風の店内の中にあってもゆらめいている。


 雷光はその人物を見たのは始めてだった。だが……彼のボディーアーマーとコートについた紋章……紫の六芒星の中心に、瞳の形をした赤い太陽の描かれたその紋章が、それが一体何を示す物であるかを……雷光は知っていた。



「……! こいつは……」

「こいつ、とは不躾ぶしつけなんじゃないか? 私は味方だ」

 フルフェイスメットの人物が声を発するものの、その人のおおまかな年代や性別など、基本的な情報の手がかりまでをボイスチェンジャーモジュールが覆ってしまう。



「雷光? 彼は協力を申し出てくれたんだよ。なのに彼に失礼ではないかね」

「……大変失礼しました。何分、お目にかかるのが初めてであったもので……」


 そこへ店員が注文のアルコールを持ってテーブルまでやってきた。

「お待たせしましたお客様、熱燗と、カシスオレンジになります」

「私も酒を飲んでも?」

「ああ、好きなのを頼んでくれたまえ」



「はい、ご注文は……? ……???」

 女性店員が熱燗を机に置き、その奇妙な出で立ちの男を見た時、目を細めた。いま、常人たる彼女の視界には、その人物の首から上が、白いモヤがかかったように視えている。常人であるがために、目の前のサイキッカーの姿を正しく認識する事ができていないためだ。


 女性の態度に気付いた男は、あまりにもわざとらしく咳き込み、こう答えた。

「……? ああ! ゴホ、ゴホ、すまない、ちょっと風邪気味でね」


 するとどうだろうか。「風邪気味」という男の暗示を受けた女性は、その現実認識を改竄され、モヤのかかって視えていた男の首から上が、風邪用のマスクをした、メガネをかけたビジネスマン風の若い男性に視えるようになった。



「……! 失礼いたしました。お大事になさってください」

「ありがとう。とりあえず生を一つ」

「かしこまりました。すぐにお持ちします」


「近頃は感受性の強い人間モータルが増えた」

 男が席に座ると、畑は中断していた会話をまた再開し、新たな人物をこのように紹介した。


「そうだよ雷光、それでいい。私達は仲良くしなければ。彼のコードネームはサイクロン、困っている私達を、悪い連中から守ってくれる「本当のプロ」さ……」


「そういう事だ。”アマチュア”は後の事など気にせず、大人しく私たちに任せてくれれば良い」

 サイキッカー:サイクロンは腕組みし六芒星の紋章を威圧的に輝かせると、ヘルメットの奥で鼻を鳴らした。



EPISODE「Come fly with me」YET END.


EPISODE「gonnna fly me? (ガナフライ・ミー?) ACT:3 (LAST ACT)」へ続く。




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☘TIPS:世界観


 おめでとうございます! 本作は作中時間にして一か月をついに経過しました!

(※EP:アイドライクトゥ~の物語開始時刻を起点とする。)

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