NHKへようこそ!:ACT3-A


EPISODE 035 「NHKへようこそ! ACT:3」



「ごめんね、私の洋服だから少し大きいかも」

 涼子を散歩に誘ったソフィアだったが、彼女が最初に選んだ行動は、入院の身で先日一日それを浴びていなかった涼子にシャワーを与える事だった。


「大丈夫です。すみません、お洋服まで……」


 シャワー後の涼子の黒髪はまだ湿り気を帯びており、血行の良くなった若い肌は薄桃色を帯び、ツヤツヤとしている。


 涼子の着衣は下着ごと先日の暴走時に破けて失ってしまったため、病院着以外に衣服が無い状態だった。そんな彼女に気を効かせてソフィアは新品の下着だけでなく、自分のデニムパンツやらブラウスやらカーディガンなどの着るものを持ってきてくれたのである。



 ソフィアの身長は167cmと女性の中ではやや高く、そして無論、涼子よりも高くそれゆえ服の丈が若干長かったが、着る上での大きな問題は生じない。むしろウエスト周りでは涼子の私服よりソフィアのもののほうが狭いくらいだった。


「いいのいいの。それに私ほとんど外には出ないから、こういうの持っててもあんまり着る機会ないの」




 簡単な手続きを済ませて病院を出たが、そこに空はなかった。あるのは白い天井だった。



 そこからも少し進んだが、やはり歩いても空は無く、先に広がっていたのは彼女の良く知る横浜ブルーラインの駅ような地下鉄のホームに似た空間。……いや、確かにそれに似た雰囲気があったが、人はまばらで、警備員二人がそこを巡回している。彼らはぼんやりとした表情だがライフル銃をたずさえており、表情とミスマッチな物々しさをかもし出している。



 構内はずっと白い歩道として遠くまで続いており、歩行者用の道と隔てられたホームに到着したのは、横浜の観光スポットを走る周遊バス、通称「あかいくつ」に酷似したレッドとクリームカラー塗装のモノレール車両だった。


 横浜ブルーラインの青い車両と、そこから乗り降りするサラリーマンなら知っているが、病院と合体したこのような駅も、このようなモノレールも、彼女は見た事がない。


「涼子ちゃん、こんな所知らないってカオしてる」

「……ハイ」

 涼子は知らない光景を前にキョトンしていた。


「この場所のこと、ちょっとずつ教えてあげるね。まあまあ楽しいと思うよ」




 彼女は今実際に自分がどこにいるのかさえもよくわからないまま、ソフィアの後をついてモノレールに乗り込んだ。ソフィアの後についていけば、この場所が何なのか、いやそれだけではない、涼子自身が今置かれている曖昧な状況への答えも得られるのだろうか?



 二人を乗せたモノレールは無人走行を開始した。一応モノレールの先頭には車掌らしき年寄りの男性が居たが、彼は運転を担当しないのか、椅子に座って週刊誌を読みふけっている。


 モノレールは走るが一向に空は見えない。車内の照明はその空調と共に煌々と活動していて快適なものだ。車内の壁掛けモニターが天気予報を伝える。



「ふふふ、私ね、涼子ちゃんと一度直接お話してみたかったんだ」

 涼子を横から見つめるソフィアがニコニコとした表情で言った。


「私の事、知っているんですか?」

 涼子が尋ねるとソフィアは笑顔で頷く。

「うん、坂本くんとは仲良しだから、あなたの事も知ってるよ。裏であなたのお友達の調査、一緒に手伝ってたの」


「そうだったんですか」

「ね、彼にはあれから会った?」

「はい、昨日の夕方に」

 涼子は答える。


「また「すまなかった」とか、「調査を辞めた方がいいかも」とか言い出したでしょ?」

 ソフィアが言う。彼女の予測はまさに図星だった。

「は、はい」

「ハー……もう、彼いつもそうなの。人一倍真剣だから、人一倍考え込んじゃうのよね」



「そうなんですか」

「うん。一昨日の事はちょっと説明が難しいんだけど……、やっぱり悪い人たちが涼子ちゃんの事、狙って来たみたいなの。だから彼、自分が調査を続けちゃったせいでこうなっちゃったんじゃないか。涼子ちゃんのトラウマになっちゃったんじゃないか。って、とても悩んでるみたいなの」


 レイ本人に代わってソフィアが彼の悩みを打ち明ける。彼の性分を理解する彼女は、涼子拉致の一件で彼がまた責任感や罪悪感を必要以上に感じ、自身の行動と決定を悩んでいるだろうと既に読んでいた。


 恐らく当事者の涼子と同じかそれ以上にレイの心境は複雑にこんがらがっている事だろう。ソフィアが涼子の面倒を積極的に見ているのもそのフォローが理由の半分ぐらいだ。



「あ、あの……大丈夫です。怖かったですけど……もっと怖くて辛い事は、もうありましたから……」


 一昨日の出来事がまるで現実感のない事であった事も一因ではあったが、誘拐そのものの彼女のショックは、少なくとも表面上は少なかった。

 だがそれは彼女の心に傷がないという意味では決してない。自身の誘拐やそれに伴うストレスでも釣り合わない程に、既に負った親友の死によるストレスと心の傷が深いだけのことなのだ。



 落ち着いてこそいるものの、涼子の暗く、深く沈んだ表情を見て、ソフィアは心に共感するものを感じると、こう口にした。


「そっか……。ほんとはね、私達二人も色々大切な人、なくしちゃったから、わかるんだ」

「……」


「私はお父さんを。レイレイは……私にもあんまり話してくれない」

 ソフィアは言った。

「それはたぶん家族とか、友達とか、仲間とか……私よりもっと沢山、色々無くしちゃったからみたいなの。隠してるけど左手だって、あれ本当は義手よ。大怪我して無くなっちゃったの。もっと彼の事、知ることが出来たら良いんだけど……」


 そう語るソフィアの青い瞳は、その時も深い悲壮の色に満ちていた。



「そう、なんですか……」

 それを聞かされ、ソフィアの悲しみに満ちた表情を見ると、涼子はどのように答えれば良いかわからなかった。


「だからね、全部はわかってあげられないかもだけど、少しは涼子ちゃんの気持ち、わかるの。あっ、このハナシした事ナイショでお願いね。彼、私にもあまり話そうとしないから」

 ソフィアが人差し指を口元に当ててジェスチャーを作る。涼子は頷き、今聞かされた事を自らの心の内にしまっておくことにした。

「わかりました」



 それからソフィアは、こう申し出た。

「ねえ、もし涼子ちゃんがイヤじゃなかったら、私達二人はこれからも涼子ちゃんの事、助けてあげたいな。大丈夫かな?」


「あっあの、こちらこそ、色々親切にして頂いて……。あの、色々わからないことだらけですけど、よろしくお願いします」

 それはソフィアにしては少々遠慮がちな申し出だったが、涼子にとってはレイのように調査中断の打診をされるよりも、そうした打診の方がずっと喜ばしかった。涼子が座席のシートに座りながら、深く頭を下げる。



「ウンウン、オーケイ。……これからも友達のアクセサリー、探すってことでいいよね」

「はい。どうしても……お願いします」

 涼子の親友の遺品への執着は未だ強く、それが今の彼女の原動力、そして心の支えでもあった。その意志は未だ固く、目にはまだ光が残されていた。



「オーライ、私達に任せて。レイレイには私から言っておくから」

「ありがとうございます」


「いいの。それに彼ならきっとこう言うよ。「お礼は目的が果たされてからでいい」ってね」


「はい」

「レイと私で、必ず涼子ちゃんの事守るからね」

「ソフィアさん、ありがとうございます」

 涼子は再三礼を述べた。ソフィアは微笑んで頷いた。




……



 そのままモノレールは二人を乗せて走る。壁のモニターには路線図のようなものが表示されている。医療区画前、セントラル西、セントラル東、居住区画1、居住区画2……。こんな駅名のラインナップを構えた電車の路線を涼子は知らない。


「あのそれで……どこに向かってるんですか?」

 疑問を我慢しきれなくなった涼子が、ふいに尋ねた。

「Well……うーんとね。その前にまず、私達が居るのは地下だって事から話したほうがいいかも」

「地下?」


「そう。このモノレールは横浜の地下を今走ってるの。それで……」

『間もなくセントラル東に到着します』

 二人の会話を遮るように、車内に女性のアナウンスが響いた。


「涼子ちゃん、次で降りよっか」

「あ、はい」


 ソフィアに促されるままに涼子はセントラル東駅でモノレールを降りる。ホームへと降り立つと扉を抜け、エスカレーターに乗って上へと上がる。



 エスカレーターで上階を目指す途中、ソフィアがふいに尋ねた。

「涼子ちゃんってフリーメイソン、黄金の夜明け、テンプル騎士団とか、そういう名前は知ってるタイプ?」

「いえ……」

 涼子は首を横に振る。ソフィアの挙げた名を彼女はどれも知らない。



「じゃあ「秘密結社」っていうのは聞いたことある?」

「一応……でもよくは知らないです」


「私達の会社もその仲間って言ったら……信じて貰えるのかなあ? ……いややっぱダメかも。


 まあでも”私達”の組織って結構お金があって、横浜の地下に病院とか、地下を走るモノレールとか、こういう小さな街も持ってるの」


 エスカレーターを上がりきると、彼女の目に映ったのは巨大ショッピングモールとおぼしき建物の姿と噴水。そこを行きかう人々の姿。


 人通りはそれほど多くないが、建物はとても大きく、涼子の地元にこのようなものは存在しない。

 近所のイオンよりも大きい。海老名市か横浜市の中心地にいかなければ眼前のこれに匹敵するショッピングモールは見つけられないだろう。


 涼子は目の前の建物を見て、海老名や横浜にある巨大ショッピングモール「ららぽーと」を思い浮かべていた。



「ちょっと凄いでしょ」

「おおきい、ですね……」


「地上に出なくても、とりあえずここでなら一通り揃うかな。スーパーもあるし、コンビニもあるし、そこはハンバーガー屋さん、レイレイがよく来てる。携帯ショップに、映画館に、本屋さん。ジムに武器屋さんも……。ヨガ教室は……なかったかな? クレープでも食べない?」

「あ、たべたいです」



 涼子が空を見ようとするが、涼子の居るここは地下でありそこに空は無かった。だが、人工光を放つ空と見まごう青い天井が涼子の遥か上高さ数十メートルのところにはある。



 秘密結社……と言われても涼子にはよくわからない。だが彼女の眼に映る事実として、太陽の届かぬ地下深くに、その地下都市は確かに存在した。


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