デス・ア・ダンシング・オン・ザ・パンドラボックス:LAST ACT


EPISODE 032 「デス・ア・ダンシング・オン・ザ・パンドラボックス ACT:3」



 ファイアストームの左手の、漆黒の人差し指がその引き金を引いた。後方宙返りで舞い上がったフラットの真下を、金色に淡く輝くグレネード弾が駆け抜けて行った――。



 グレネード弾がつるの幹の下部へと着弾。ファイアストームはそれでも攻撃の手を緩めず、M4カービンマガジン内部の弾薬30発をすべて敵へと撃ち込む。カービン銃に取り付けられた樹脂製の半透明マガジン内に収められた、金色に淡く輝くエーテル複製5.56xmm弾が次々に吐き出されて爆炎の向こうへと向かっていった。



 高速道路上のアスファルトに根を張りそびえていた植物のモンスターであったが、激しい打撃、斬撃、銃撃、爆撃、精神波攻撃による行動阻害まで集中して受けたことにより、ようやく明確なダメージが現れた。

 繭と幹を支える根元から下部にかけて受けた被害は深刻で再生が追いつかず、自重を支えきれなくなったモンスターが、バランスを崩して倒れた。



 片側射線を塞ぐようにして倒れ込んだモンスター。衝撃で風圧が起こり、戦闘によって損傷を受けた道路や中央分離帯のガレキから発生した粉塵が舞い上がる。



 キュイィィィィィ……

 タスケ……テ……



 戦場のエージェント二人は金切り声のような怪物の悲鳴と、その悲鳴に埋もれた少女の助けを呼ぶ声を確かに聞いた。


「待ってろ……、俺が必ず助ける」

 ファイアストームは呟きながらカービンの給弾を行う。この少女は度重なる理不尽によって苦しんでいる被害者なのだ。何としても救い出す。そして得体の知れぬ邪悪は勿論のこと、国家の手先ヒーローにとてこの少女の身柄と命は決して渡すわけにはいかない。


 泥沼と化した戦い、迫るタイムリミット、残り時間は12分を切っている――。



 ファイアストームは日中からの連戦による負傷と疲労によって消耗、フラットも顔色は変えないがダメージを負っている。

 能力暴走中の涼子を取り込むつるの化け物は、横倒しになりながらもまだ動きを見せている。だが、モンスターもまた消耗している。戦闘開始の時点と比べると、明らかにその再生能力に陰りが見えていた。



 対超能力者サイキッカー戦において、再生能力持ちと戦う際のセオリーは大きく二つ挙げられる。



 一つ目は、相手の再生能力を上回る高火力で攻め続ける事。

 ――そして二つ目は、スタミナ切れに追い込むこと。




 超能力・異能力・魔法・霊能力・神懸かり・奇跡……国やコミュニティによって様々な呼び名で呼ばれるが、その存在を人々が認知し自らの手にとった時、その力を奇跡の力、神々の力、無限の力、魔法のエネルギーとして認識することは、超能力が引き起こす不可思議不自然な事象の数々のなかで、唯一自然なことといっても良いくらいだろう。そして事実、半分ぐらいはその通りだ。



 だがその認識には、大きな誤解と見落としがあるのだ。超能力サイキックは、一見無限のパワーに見えて、無限ではない。



 テレビゲームを遊んだ事はあるだろうか? ロールプレイングゲームは? 剣と魔法の存在する幻想の世界で、炎や氷、風や雷を操る魔法使いを勇者の冒険の従者として引きつれ、旅をした経験は?


 それがあるならこの問題の答えは既にわかっているはずだ。


 ――魔法の行使には、マジックポイントを消費する。そしてマジックポイントが枯渇すると、魔力を行使できなくなる。


 超能力サイキックも本質的には同じだ。異次元から膨大な、奇跡とも言えるエネルギーを取り出し行使できる一方、完全な無制限ではない。


 ……たかがゲームと? 否! 心のエネルギーこそ無限ではない、有限にして限界を持つ力だ。だからこそその力は時として尊いものであるし、感動の情のみをかすみの如く食べて生き続けられたサイキッカーも歴史上に存在しない。



 魔法使いのマジックポイントが枯渇するように、フルラウンドを戦い抜くボクサーにも体力の限界が存在するように、エコカー自動車のガソリンもいつかは枯渇してしまうように、超能力者サイキッカーにも一種のスタミナ切れが存在するのである。




 ファイアストームも連戦続きで消耗していたが、植物の化け物はそれ以上に消耗していた。それは化け物のエネルギー源となっている涼子自身のスタミナがまだ追いついていない事もそうであるし、能力の暴走による激しいエネルギー消費もそうである。


 怪物の巨体を維持し続け、その上更に損傷個所の再生修復など、いかにエネルギー消費の多い事かは想像に難くない。能力に目覚めた直後の未成熟な少女一人の魂を燃やして動かす代物としては、その怪物の力はあまりにも背伸びがすぎるのだ。スタミナの枯渇が見え始め、動きが鈍り、再生能力は衰えを見せている。



 ――勝機。給弾し終えたファイアストームはフラットと共に畳みかけようとするが、植物の化け物も抵抗を行う。襲い掛かるつる、フラットは警棒とマチェットの二刀のまま、つるの槍を捌き、つるのムチを斬り落とす。

 ファイアストームも銃撃でつるを撃ち落とす。敵の攻撃の勢いは落ちている。対処はもはや容易に見えた。


 その時、撃ち落とされたつる、斬り落とされたつる、叩き落とされたつる、回避され中央分離帯に突き刺さったつる、そのすべてから一斉に無数の”トゲ”のようなものが生えた。



 何か来る――。奥の手? 恐らくまだ未見の攻撃パターン。敵の新たな行動の予兆を感じ取った二人のエージェントが戦慄する。次の瞬間、複数のつるから無数のトゲが分離し、一斉に発射された。



 その攻撃に狙いなどというものは付けられていなかった。戦場となっている道路一帯に飛んでゆく無差別の範囲攻撃。だがそれゆえにその攻撃の回避は却って困難。

 足の親指ほどのサイズの植物のトゲが飛散してゆく。地上から空中に向かって飛んでゆくもの、壁や地面、中央分離帯のガードレールに突き刺さるもの、横転あるいはスピンなどでクラッシュした車両やバイクに突き刺さるもの、そして怪物と対峙する二人のエージェントを襲うもの。


 ファイアストームがフラットに正面から飛びつき、足払いと共に彼女を押し倒した。彼のカーボンの黒腕がアスファルトに倒されたフラットの頭部を転倒の衝撃から守る。


 その軌道の全てを追い切れないほどのトゲの弾丸スコールが二人を襲った。トゲの弾丸がフラットの足に突き刺さる。

 だがフラットに覆いかぶさった彼女よりも背の低い男の背中が、彼女の胸と腹部、そしてそれに集中する各種臓器を、損傷から守る。


 連戦続きの疲労とダメージで、ファイアストームのエーテルフィールドによるバリアの出力は減衰している。複数のトゲの弾丸がフラットの盾となった男のレザージャケットを貫通し、戦闘で汚れたシャツを破り、その背中へと突き刺さる。


「ぐっ……」

 ファイアストームは歯を食いしばって、己の身を傷つけ突き刺さる植物の激痛に耐えた。


 そしてその男を唯一守るもの、後頭部を守る、右手に持ったM4カービン。その後頭部への衝撃。カービン銃が盾となってトゲの一発を受け止めてくれた。


 超能力者同士での戦いにおいての酷使、度重なる銃本体へのダメージ、引き金を引いてもいないのに銃声と共に弾丸が発射された。


 ――とうとう暴発、M4のダメージはもはや限界。それでも幸運だった。もしグレネードの方がこの状況で暴発していたら、二人はどうなっていたかわからないからだ。終わっていた可能性さえある。



「フラット、前言撤回だ。手数もやはり問題だ」

「そのようね」

 押し倒されてもフラットは顔色を一つも変えず、短く返事した。




 キュイィィィィ……。植物の怪物がいた。損傷の深く、再生の間に合わないつるが白い薔薇の花びらと化して、宙に散ってゆく……。



 この怪物モンスターもまた、限界が近いのだ。再生速度が間に合わないだけでなく、その巨体と能力を既に維持しきれない段階に差し掛かろうとしている。


 あと一息押し込めば勝てる。なのに化け物の最後の抵抗と、戦いへの執着は激しい。



 四本の植物のつるが二人の足首を一本ずつ掴んだ。そして二人をゆっくりと持ち上げた。


(マズい……)

 敵が何をしようとしているのかはすぐにわかった。ファイアストームの視界に逆さの地表が見えた。


 ――叩きつけられる、アスファルトに。それは不味い。逆さ吊りになりながらも脱出すべくカービンの引き金を引く。



 パンッ……。飛び出した銃弾はたった一発。


 ……マガジン内に弾薬はまだ残されている。射撃モードはバースト射撃モード。引き金を引けば、三発ずつ弾丸が射出される、正常ならばだが――


「SHIT!」

 ファイアストームが悪態をついた。排莢口にひっかかった金色の薬莢を見る。恐れていた事態がついに起こってしまった。

 やはりM4はもう限界だった。ジャム――弾詰まりによる動作不良をとうとう起こしたのである。



 彼の能力【孤高の戦争遂行者(ワンマンアーミー)】が実銃を用いる能力である以上、ジャムや暴発などの動作不良・故障の宿命もまた、抱えている――。


 排出された薬莢は超能力由来によるエーテル複製弾であるため、直接排莢口から取り出さなくとも自動的に消滅する。だがそれでは間に合わない。


 ファイアストームはフラットの方を見た。マチェットでつるの一本を切断し、拘束から逃れようとしている。ファイアストームは残されたM203グレネードランチャーの作動を信じ、そちらの引き金を引いた。


 アタッチメント武装のM203はまだ正常に稼働する状態にあった。グレネード弾がフラットを拘束する残りのつるを爆破した。拘束が解け、落下するフラット。直後、ファイアストームを掴むつるが勢いよく振り下ろされた――。



「がはッ……」

 ファイアストームの身体がアスファルトへと叩きつけられた。もはや半分使い物にならないカービンを盾にすることで、後頭部へのダメージを和らげ受け身を取るも、エーテルフィールドによる超常のバリアを以てしても受け流しきれないダメージ。 カービン銃の銃身に大きな亀裂が入る。全身の骨が砕けるかと思うほどの衝撃、肺が圧迫され、息が止まりそうになる。


 つるの触手は再度ファイアストームの身体を持ち上げた。そしてまた彼を地面に叩きつけた。今度はうつ伏せ側になるように、正面から彼を落とした。


 頭部へのダメージを防ぐべく、両腕と半壊したカービン銃で受け身を取ろうとする。――衝撃。ファイアストームの意識が一瞬ブラックアウトした。M4の銃身ががついに耐久限界を超え、銃口からボキリと折れた。

 鼻と額を強打し、額の傷が更に広がり血が零れ落ちる。鼻からも出血。生身の右腕の骨に大きな亀裂。




 残り時間9分――。



 ファイアストームは朦朧としながらも戦局について考えた。もうトゲの弾丸は飛んでこない。恐らくもう怪物側にはあれを連発するだけの余力が残されていないのだろう。これが恐らく、最後の抵抗……この最後の猛攻に耐え、押し返すことができれば、勝てる……。



 勝てる……? 否、敗北は許されない。


 何としても勝たなければならない。この叩きつけ攻撃をもう数発受ければ、ファイアストームの頭部は塀から落ちたハンプティ・ダンプティのように砕け散り、無残な死を迎えることだろう。

 だが本当に恐ろしいのは、敗北による肉体の死、そのものではない――。彼はもっと恐ろしい事を避けるために今、その命を賭して戦っている。



 怪物は三度目の叩きつけを行おうと彼の身体を持ち上げる。骨にヒビの入った右腕は、その握力を維持しきれずにカービン銃を取り落とした。だが構わなかった。どうせ今のダメージで壊れ、捨てる所だったからだ。



 拘束を脱したフラットは二刀で敵の攻撃を凌ぎながら幹本体へと接近。二本の獲物を突き刺し、精神波を流し込む。

 ファイアストームが彼女の精神攻撃に合わせるように、両腰のホルスターからザウエルP226ハンドガンを二丁引き抜くと、彼を拘束するつるの触手向けて銃撃を行った。


 触手がダメージを受け、ファイアストームを空中で手放す。落下し横受け身を取る。


「ミラ……メインアームをやられた。まだ何かあったか……?」

 朦朧とする意識の中、ファイアストームが通信で呼びかける。



『まだサイガがあります。既に追加物資の投下準備中です。投下まであと10……』

 ミラ36号ソフィアの応答。限りある時間と選択肢の中、彼女は既に追加支援の準備を進めていた。


「流石の手回しだ」

 ミラ36の応答を耳にし、彼女の手回しの良さに気づいたファイアストームが勝利を確信し、危機的状況にも関わらず笑みを浮かべた。



『あなたの相棒サイドキックですから、私だってこれぐらい』

 ミラは笑って返事を返そうとしたが、通信の向こうの彼女の表情は緊張でこわばり、平時のような笑顔をうまく作る事ができなかった。




「残り時間は」

『活動限界まで残り8分30秒……。物資投下、いきます! 受け取って!』

 戦闘中で危険な状態にも関わらず、上空のコウノトリが高度を落として接近。そして後部ハッチが開くと、そこから一つの金属ボックスが空中投下された。


 ファイアストームは立ち上がると、フラットにその場を任せて物資の降下地点へと駆けた。

 戦場に放棄された車両のボンネットを直撃するようにして投下されたそれへと近づくと、彼はボックスの蓋を開いた。


 パラシュート無しでの物資投下だったが、中身の状態は極めて良好だった。中にはM4よりも長身の黒い銃が一丁収められていた。


 これがミラ36号ソフィアが、上空からその戦局を見て事態を先読み想定し、投下準備を裏で進めてくれたジョーカー。それは一見無骨な現代ライフル銃に似た武器だった。だが、ライフル銃ではなかった。

 そのジョーカーの名は、イジェマッシ・サイガ12。いわゆる東側の大国ロシアのイジェマッシ社が開発したショットガンである。



 それは特徴的なショットガンで、アメリカなどの西側でショットガンの主流となっているポンプアクション機構を採用しておらず、通常のライフル銃と同じボックスタイプマガジンを備えているセミオートショットガンであり、見た目はショットガンというよりはライフル銃に酷似している。


 それも当然。本銃サイガ12の開発経緯を辿れば、世界一普及したアサルトライフルにして、かの有名なカラシニコフことAK-47をベースに開発された銃である。

 あれの設計から50年後ほどに作られた銃ではあるが、その系譜であるために折り畳み式のストックやグリップなど、外観にその面影を未だ強く残している。



 空のボックスマガジンにエーテル複製12ゲージ弾を給弾、装着。フラットが奮戦してくれているお陰でこの状況下でも準備に余裕がある。

 コッキングを物理的に邪魔しているセーフティレバーを下に引き下げ、ボルトハンドルを引く、そしてヒビの入った腕でボルトを押し込み、初弾を装填。そして――発射!


 ファイアストームを狙ったつるの槍が、一撃で吹き飛んだ。


 サイガ12に装填されたエーテル複製12ゲージスラッグ弾。ショットガンの代表特性である散弾を発射しない代わりに、その大型ショットシェルをそのまま一発の小型砲弾として撃ちだす、極めて凶悪な一撃。


 足を負傷し動きの鈍っているフラットを支援すべく、間髪入れず射撃。連続発射されたスラッグ弾が彼女を狙うつるを次々に吹き飛ばしてゆく。



 残り8分。だが勝負はあった。セミオートで連続発射される12ゲージ弾と、それを吐き出すサイガの圧倒的火力に、怪物モンスターはもう対抗する力を残していなかった。



 破断されたつるが再生しきれずに、次々と花びらに代わり散ってゆく。連続して響くサイガの銃声が地獄のハーモニーを奏でる。

 ファイアストームの額と鼻から流れ落ちる血。フラットの負傷した右足から流れる血。横転したワゴン車、戦場脇で引っ繰り返ったままのウラルカスタム。



 ――放棄された車は黒煙を吐き、怪物のつるは道路を食い荒らし、中央分離帯は大きく損傷し、破断し、歪み、大穴が空き……壁には無数の弾痕が刻まれ、荒れ果てた夕暮れの戦場。そこに舞うその白い薔薇の花びら…………。それは幻想と狂気、そして死と混沌の混ざり合った美しくも恐ろしき黄泉の光景に他ならなかった。



 ファイアストームは給弾しながら前進。道路上に倒れた幹へと、マガジン内部に給弾された8発の散弾を全力で撃ち込む。次々発射され、空中で拡散した無数の散弾がつるの幹を深く傷つけてゆく。


 キュイィィィィィィィイイィィ……。怪物の悲鳴。


「終わりだ」

 ファイアストームが呟く。暴走する涼子を守る怪物は、その能力維持の限界をついに迎えると、つるのほとんども、そして幹も分解消滅を始める。つるの怪物は白い花びらへと変わって行き、徐々に小さくなってゆく……。


 そして最後に、彼女を取り込み守る、つるの繭だけが残された。ファイアストームはサイガを地に落とすと、左腕でタクティカルサスペンダーからコールドスチール社のコンバットナイフを引き抜き、繭へと突き立てる。フラットも一緒になって、彼のマチェットで繭を形成するつると、そのトゲを払ってゆく。



 つるの繭が切り開かれ、その中身が露わになった。着衣が破け、ほとんど全裸になった涼子が、うつろな表情をしながらも、繭の中に守られていた。


 能力の発動によって彼女の髪は白く、瞳も紅の色に変色していたが、くれないの色の瞳は弱々しく点滅し、髪の色も元の黒髪へと戻りかけていた。



 フラットが彼女の背中から伸びるつるをマチェットで切断すると、ファイアストームは涼子の両脇に腕を差し込み、その身を引きずり出す。


 彼女のひどく憔悴した様子がすぐに見てとれたが、彼女の若い肌はなめらかで美しく、血まみれのファイアストームとは対照的に、涼子に目立った外傷は見られなかった。




 主である涼子から切り離されたつるの繭が、力を失い自壊すると花びらに変わった。白い花びらは風に乗って宙に舞うと、光の塵となって消えて行った……。




「茨城さん、俺のせいで……すまなかった」

 ファイアストームが涼子に謝罪の言葉を語った。涼子は返事をしなかった。暴走状態にある彼女の意識は、心理状態は今、一体どうなっているのだろうか。


 返事をしなかった代わりに、涼子がその目線を合わせた。彼女は一つ瞬きすると、瞳から紅の色の光を失い、眠るようにして意識を失った。彼女の髪の色も、もう元の黒髪に戻っていた。


 ファイアストームは彼女を抱えたまま中央分離帯に腰かけ、傷ついたジャケットを脱ぐと、彼女の乳房と秘所を隠すようにしてそれを被せた。


 ジャケットの下の彼の背中は争いによって傷つき、白いYシャツが彼の血で赤く染まっている。しかしそれは心に深い傷を負いながらも、卓越した戦闘技術と強い意志で、強固な信念を貫き通した戦士の背中だった。




 フラットが無言で私物のリップクリームを投げてくれた。ファイアストームはそれを受け取り礼を述べる。

「ありがとう」

「今日のは貸しにしておいてあげる」

「お前のお陰で今日は楽勝だった」

 傷ついたファイアストームが乾いた笑いで返した。その右の瞳の輝きは急速に失せてゆく。



 ファイアストームは、コウノトリが未だ浮かぶ空を見た。夜の闇が世界を包みこもうとしていた。空には鋭い三日月が浮かび、先ほどまで白かったそれは徐々に輝きを増そうとしている。それは大いなる闇に抗う者たちを照らす輝きと、その道標のようにも思えた。



 ファイアストームは受け取ったリップクリームを併用して、彼女の口に張り付いたテープを慎重にはがしながら、右腕にはめたデジタル腕時計の液晶を見ると、無線ごしに宣言した。

『こちらファイアストーム。エンジェルを確保、無力化に成功。残り6分……俺の勝ちだ。ミラ、コウノトリにロープを降ろさせてくれ』



『ああ、よかった……。すぐにロープを降ろさせます。作戦域から速やかに脱出してください』

 ミラ36からの応答は早かった。




 そしてこの時ようやく、コウノトリから降ろされる回収用のロープと共に、ファイアストームの長い一日、そして彼の新たなる戦争の、その初日となった一日が終わりを告げた。







A Tear shines in the Darkness city.

 Fire in the Rain.


第五節【反撃】へ続く。

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