冥府の門は開かれた

EPISODE 015 「冥府の門は開かれた」



 その後もクローバー総合相談事務所では、引き続き細かい話し合いが行われていた。坂本 レイはタブレットPCからカレンダー機能を開き、スケジュールを確認する。



「茨城さん。週末に時間は取れますか」

「はい。大丈夫です」

「ではその時に横浜で会いましょう。契約書類を持ってきます。ボールペンと、あと印鑑……まあ、一応持ってきてくれるとありがたいです」


 レイは言う。仕事の契約を結ぶにあたって、正式な契約書と委任状を作りたいが、涼子にその用意が今回無かった。どの道、他にもこの依頼について涼子から細かく聞いておきたい情報などもあったが、時間だ。


 だいぶ遅くなっているし、今日はこのぐらいにして高校生の彼女を家に帰さなければならない。



「印鑑……探してみます」

「この際シャチハタでも構いません。どうせキャンセルしようと思えばできる契約書なので……」

「わかりました」


 どうせ、これからしようとしているのは涼子側が破ろうと思えばほぼ一方的に破れる約束と契約だ。それでもレイは、いや……、だからこそ形だけでもきちんとした契約の形と、信頼関係の形を契約書という形で作りたかった。



「あと、その時に依頼料の前金も……」

「あの……」

「何か」

「いいんですか? この金額で……」


 涼子が机の上の紙に目を落として尋ねる。この依頼に際して、レイは前金――という名の手付金を要求はした。


 一番の理由は、依頼完了後に料金を払うこととなっても、涼子の身分ではすぐに成功報酬を払えないし、中途中途でかかる諸経費の請求も同様であるからだ。



 ゆえに手付金という形で前金をレイは請求したが……涼子の視線の先にはボールペンで書かれた「30,000」の文字。レイが要求したのは、たったの三万円だった。


 涼子の資産能力から言えばそれでも決して安い数字ではない。現に彼女は今日、数千円程度しか持ち合わせがない。それでも3万円ぐらいなら、用意しようと思えば用意できなくもない金額だ。



「実際の所、金額よりは誠意で見てるから。茨城さんの資産能力ならこれぐらいが妥当かなって……財布見せて貰った時に。……それに、変に高額にして、君が悪い方法や、ヘンな方法でお金を取って来たりしたら、その方が俺は悲しい」



 笠原からの前評判はその通りで、事実レイは気難しい男だった。一度彼がNOと突っぱねたらTNT火薬でも動きそうにもないような頑固さも感じる。


 しかし涼子は、その彼が彼なりに、自分に対してとても優しく接してくれる事を理解できた。


 そしてその優しさは、きっと人一倍のものだ。涼子の他に誰を頼って良いかもわからないこの状況で、彼の存在は涼子にとっての安心となりつつあった。




「あの……ありがとうございます」

「結果がどうなるかはわからない。お礼は結果が出てからで良いですよ」

「はい」


「もう結構暗いから、近くだけど駅ぐらいまでは送らせてください」


 そういうと、レイが懐から車のキーを取り出す。駅までの送迎ぐらいは彼の営業の内だ。

「ありがとうございます」


 キーをいったん机の上に置き、タブレットPCやファイルケース、筆記用具などをまたカバンの中に戻すレイ。だがその動きがピタリと止まる。数秒ほど彼は何かを考え、涼子に言った。


「あー……、そうだ。茨城さん、相談なんだけど……」

「はい?」

「敬語辞めて、もっと普通に話しても平気かな。……実は結構話しづらくて」

 レイが少し困った様子で言った。


「あ、ぜんぜん大丈夫です! わたしも敬語とかぜんぜんなんで」

 涼子は腕の高さで両手を小さく振り、口を大きく開け照れ恥ずかしそうにそう答えた。

「そうか、よかった。じゃあ週末よろしく茨城さん」

「はい」



 レイはそのとき、それが作りものであっても、涼子の明るい表情と、微笑む表情を初めて目にした。


 レイから見て彼女はずっと暗い印象の少女だったが、彼女の抱えた事情をかんがみれば仕方のない事だ。これがあるべき正常かつ、本来の彼女に近い姿なのかもしれない。




 自分はそれを取り戻せるだろうか、ふいにレイはそんな事を考えた。


 あらかたタブレットPCなどの雑貨を仕舞い終えたレイ。彼が立ち上がり、玄関に向かおうとした時の事だった。


(なんだろう……これ)


 それは少し緊張の解けた涼子が、ほんの好奇心からした事に過ぎなかった。彼女はテーブル上のボウルの上に置かれた白い卵状の物体がふと気になって、それを指でつついたのである。


「!」『!』


 ソフィアに衝撃が走り、レイもまた、思わず戦慄した。


『レイレイ、ピンチです!』

 ソフィアがレイにテレパシーを送る。レイは思わず左手で自分の顔を覆った。



(動くなよ、絶対動くなよ……)


 最悪だ。だからきちんと隠れていろと言ったのに。レイは内心ぼやいた。


「ああそれ……」

「あ、ごめんなさい! つい!」

 レイに声をかけられて、涼子がはっと我に返る。


「いや、取引先がくれたオモチャで、置きっぱなしだったんだ」


(やはり”コレ”が見えてる。眼が開いてるのか? 祈り手の家系か? それとも……)



 テーブル上のソフィアを見て、レイが一瞬顔をしかめる。

「そうなんですかー」


 それからレイは思い立って、このような事を尋ねた。


「……茨城さん、これは仕事に関係ない質問なんだけど……、以前、もしくは最近、変わった夢を見たりしなかったかな」

「……いいえ」



「そうか……変な事聞いてごめん。それじゃ玄関で待ってて。すぐ車持ってくるから」

 だが質問の時、涼子の目が一瞬泳いだのをレイは見逃さなかった。




…… ☘




 約束通りに週末、涼子とレイは会った。


 涼子の地元は直接避けて、横浜東部――いわゆる都市部のレストランで二人は話し合った。結局涼子は実印を探して持ってきて、契約書にサインと印を行い、手付金として提示された三万円をレイに支払った。本当はこのお金は、また親友と旅行など遊びに行くときのために、彼女がお年玉などから貯めていたお金でもあった。



 その後、涼子から彼女自身がわかる範囲での事情を聞き、レイも短期的な調査の展望や中間報告の予定日などを伝えた。



 そして食事し、コミュニケーションアプリなどの連絡先を交換した。それから、何かわかれば中間報告の予定日よりも早く情報を伝え、場合によっては呼び出す事になるかもしれないとも伝え、食事を終えると二人は別れた。



 涼子と別れたのち、レイは一人冬の風に当たり、横浜の街を行きかう人々を眺めながら思案する。




 ……契約は成立した。幸い表も”裏”も、前の仕事を片づけ終わった所で、スケジュール的な余裕はできている。時間は十分ある。



 少女の要望を可能な限り叶えながら、依頼目的を達するにはどうしたらいいか。できるだけ聞き込み、特に自殺少女の遺族からの聞き込みは避け、詳細な情報を得る事が求められている。


『レイレイ、女子高生とのお食事はどうだった?』

 姿を隠していたソフィアがどこからか降下してくると、レイに声かけた。


「ああ、最高だったよ」

『カワイイし、良い子そうですね』

「うん……まあね」


 ソフィアの言う通り、確かに良い子そうな印象は受ける。だからこそ、何とかしてやりたい気持ちも、レイには多分にある。


『それで、どうする予定ですか?』

「やっぱりこれは……裏技使った方が早いだろうな」

 ソフィアが計画を尋ねると、レイはスマートフォンを取り出した。


 ☘



 ――同日夜、彼は横浜市内のバーに来ていた。レイが扉を潜ると、既にテーブル席に座って待っていた相手が手をあげて答えた。

「よう」

「悪いなクロウラー」


 クロウラーと呼ばれた男は、レイが懇意こんいにしている情報屋の一人だ。年は四十過ぎの男性、今日もカーキ色のスーツに身を包んでいる。


「仕事だからな、気にするな。すみません、注文を」

 レイが席につくと、クロウラーが店員の女性を注文のために呼びとめる。

「はい」

「山崎12年をロックで。お前は」


 クロウラーが注文すると、レイに目配せする。

「レッドアイを」

「かしこまりました」


「今日は確か……”坂本”としての仕事か?」

 早速クロウラーが仕事の話題に入った。


「ああ、そっちの方で揃えたい情報があってな」

「急に呼び出すとは、急ぎだったのか?」

「いや、そういうわけじゃないが……早めに仕事に取り掛かりたかった」

「そうか。まあいい」



「お客様お待たせしました。山崎のロックと、レッドアイです」

 アルコールが二人のテーブルに運ばれる。クロウラーの方には山崎12年ウイスキーのロックが、レイの手元にはレッドアイの名を持つ、ビールとトマトジュースのビアカクテルが置かれ、輝くような赤のビールがグラスから泡を立てていた。



「坂本、これがお前の欲しがってるものだ」

 クロウラーがUSBメモリを机の上に置いた。レイがそれを受け取り懐に収める。

「助かる。金はいつもの口座で構わないか」



「ああ、構わん。だがお前……この情報を何に使うつもりだ?」

 レイによる入金場所の確認に同意するクロウラーだが、険しい表情でレイを見ては、情報の使途を問いただす。



「言う必要が?」

 レイが酒を飲みながら言うと、若干の沈黙が流れた。


「……」

「……いや、ない。だがその情報、扱いに注意しろ。まあお前にとっては慣れたことだろうから、危険すぎる、とまでは言わないが……危ないぞ」

 沈黙を破ると、クロウラーがウイスキーをあおった。


「なんだと?」

 レイが怪訝な表情でクロウラーを見た。クロウラーは続けてこう言った。


「お前が急に情報を欲しがったのもそうだし、普通の”表”の仕事でこんな情報が必要になるとは思えん……坂本、お前が開けようとして今手にかけているのは、地獄の門の扉かもしれんぞ」

「……帰ったら情報を確認する。忠告、覚えておく」




……



 その後レイは帰宅し、地下にある情報解析用のPCの前に座った。この地下PCはネットワークから独立しており完全なオフライン。加えてこの部屋なら電波も外に漏れないため、万一ファイル自体にウイルスや位置発信のGPSトラップなどが仕込まれていても、回避あるいは最小限のダメージで解決する事ができる。


 クロウラーから買い取った情報入りのUSBをPCに接続する。特に、ウイルスやトラップの兆候は今の所ない。

「……」




 地獄の門の扉に手をかけている。クロウラーから言われた言葉のことをレイは考えていた。



 PCの画面が真っ白になり、黒い文字が表示される


 「まだ頑張るの? 頑張るだけ、また争いが増えるのに」




「クソ……」

 レイが悪態をつき、目を閉じ、カーボンの左手の親指と人差し指でまぶたを抑える。しばらくして目を開けなおすと、文字列は消えており、PCのデータ管理用のアプリケーション「エクスプローラ」の画面に戻っていた。




「ソフィア」

 レイが呼ぶと、ソフィアの卵状ドローンが姿を見せた。

『レイレイ、どうしたの?』

「依頼主の茨城さんの事、どう思う」


『あれはまだ男性経験のない乙女です。仲間の匂いはわかります。急いでクリームパイを作りましょう』



 ソフィアがいつも通りの品のないジョークで和ませようとするが、レイの表情はいつになく険しかった。


真面目シリアスな話だ。……お前が”視えてた”」

 レイが振り向いてソフィアを見た。


『私のドローンは普通の人間には見えませんからね~。どこかで眼が開いちゃったんでしょうか? それとも、祈り手の家系? 密教系の家庭の人に特に多いですよ』



 この喋る卵状のドローンの姿は、見える人種と、見えない人種がいる。レイは勿論前者の人間だが、およそ一般的な大衆は後者に属する。


超能力サイキックの才能があるのかもしれない」

 レイが言った、彼の右目が一瞬金色に輝く。


『でも、超能力者サイキッカーって感じの子じゃなかったですよね、いたって普通の……』

「目覚めたばかりか、あるいは発現寸前の状態で止まってて、まだ自覚がないのか……」

 この間涼子に「変わった夢を見なかったか」と尋ねた時の、彼女の表情を、レイは思い出していた。



『だとすると、不安定な状態ね』


 ソフィアがPCのモニターに近づき、レイと一緒に画面を見た。中身は警察から横流しされた捜査資料や、検視結果などの資料、現場写真のデータなど。どれも持ち出し禁止の持っているだけで危険な資料だ。


 それを軽く見て、ソフィアが驚愕の声を漏らす。

『ウッソ……。まさかそれが……くだんのデータ……?』

「ああ……クロウラーの言ってる意味がわかった。これは確かに、ヤバい」


 レイの表情がいつにも増して険しい理由を、ソフィアもようやく理解した。クロウラーから買ったこの情報に、確かに求める人物、野原 麗菜の自殺と、それに関する事件の情報はあった。




 ……だがその内容は、あまりにも常軌を逸したものだった。



 自殺場所とされている場所は都内の公園。……だというのに首吊りなどに用いるような自殺用のロープやカッターなどは一切なし。代わりにあったのは、数は十を超える大量の大型スーツケース。




 投棄されたスーツケースの中にあったものは……こんな情報を信じたくはないが、この資料や写真が確かならば、すべて人体のパーツ……。共通しているのはどの遺体もバラバラで、漏れなく胴体部分が無いこと。それと、手足の数と頭部の数も合っていない。



 去年の日本の年間自殺者数と、年間行方不明者数を併せるとその人数は15万人近くにものぼる。

 しかし、その中の一体何人が本当の自殺で、本当の行方不明なのだろうか。その精確な数など、恐らく日本警察も実数の把握などしていない……いや、できていないのだろう。



「だが奴は一つ間違ってる。地獄の門なら……もうとっくに開いてある」





――それも、俺たちじゃない。誰か、この地獄の門を開けた奴がいる。






EPISODE「冥府の門は開かれた」END.

EPISODE「ふくろうの腕を持つ男」へ続く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る