辺獄(リンボ)の扉を叩く少女:ACT4

EPISODE 014 「辺獄リンボの扉を叩く少女:ACT4」



 東京都東部の住宅地に居を構える屋敷にクローバー総合相談事務所の看板はかかっている。探偵業や法律業を生業とする事務所である。



 今日は相談予約のない事実上の休業日だったが、突如飛び入りでやってきた少女の相談を急きょ受ける事となった。


 クローバー総合相談事務所の応接室兼リビングで向かい合うレイと涼子。

「それで、わたしではどうしていいかわからなくて……」


 涼子は目の前の探偵に一通りの事情を伝えた。親友が自殺した事、親友の日頃身に着けていた装飾品の行方を知りたい事、周囲には出来る限り知られず調査したい事、それとできることなら、親友が実際なぜ自殺したのか、その理由も知りたい、という事などを。彼女が見た不思議な夢の事などまでは口にしなかった。



「なるほど……事情はわかりました」

 机の上にはタブレットPCが立てかけられ、PCとリンクされた無線キーボードを叩きレイはメモを取る。



「おおまかな目的は二つ、まずは茨城さんの友達のアクセサリーの消息の確認。それと、その友達の自殺理由や状況などに関するこちら側での調査……相違ありませんか?」


「えっと……」


「失礼。その2つでいいかな」

 レイがわかりやすい言葉に置き換え、言いなおす。


「あ、はい。それと……できるだけ、レナちゃんの家族には……」

「茨城さんの家族や被害者の野原さんのご遺族には、できるだけ悟られず、内密に」

「はい」

「うーむ……」

 レイが腕を組み、顎を撫でながら唸った。


 ここはレイにとって臨機応変さを考える所だった。実際アクセサリーの行方だけなら、自殺少女の家族から直接情報を得る方が簡単だ。


 だが依頼主の涼子の「情報は得たいがこれ以上遺族を刺激したくない。遺族から直接問いただしたくない」という繊細な感情はレイとしても大いに理解できるものだし、そうした想いに最大限応えるのが、相談業務を受ける者の務めだ。




 それに今回の依頼、仮に受けると仮定して、アクセサリーの行方以外に少女の自殺原因も確かめるという目的もある。


 こちらに関しては、実際に遺体が発見された場所や、その状況なども知る必要も出てくるだろう。そう考えると、単に遺族に尋ねるだけでは解決しそうにない問題であるのも事実だ。




「あの……やっぱり、難しい、ですか……?」

「まあ、難しい部類では、あります……」

 涼子の問いに、レイは正直に答えた。


 事実複雑だ。まだ詳細までを涼子から聞いてはいないが、彼女が繰り返し「突然」というあたり、恐らく突如の自殺である事は違いないのだろう。


 なぜその少女が死んだのか、異性関係や友人関係などに突発的なトラブルがなかったかどうかも調べなければならない。


 これは表の技だけでは足りず「裏技」も必要になるかもしれない、とレイは思案する。



「やっぱり……」

 その様子のレイを見て、涼子は諦めの表情を浮かべたが、その様子を見てレイは、少女の不安を抑えつけるようにして言った。


「出来ないとは言ってない。契約交渉に移ろう」



 確かに難しい。だが状況が複雑、という意味を含む難しいであって、この問題が自身の探偵としての調査能力・対応能力の限界を超えた案件だとは微塵にも思っていない。


「でも、お金が……」



 涼子がそう心配していうと、レイはカバンの中の電卓とファイルケースを取り出し、ファイルケースから一枚のページを見せる。


「そうだな。大体こういう調査は相場でこれぐらい。こと内密に事を済ませるとしたらこれに追加で……これぐらい」


 営業用の料金表のサンプルが書かれたページを見せ、それから電卓を軽く左手で叩き、数字を見せる。



 レイが提示する金額は、笠原のオーディーレ探偵事務所で見せられた数字よりさらに高額だった。涼子はめまいのする思いで、その数字に対してこう答える。

「私……こんなに持ってないです」


 するとその返答をわかっていた上で、レイはこのような話を始めた。

「知ってるよ。一つ茨城さんに教えておこう。この業界じゃ、未成年者、特に学生と仕事の契約を結ぶのは禁忌(タブー)なんだ。どうしてだと思う?」


「お金がないから……?」

 涼子が自らの想像力で回答すると、レイは静かに首を横に振った。


「学生でもお金を持ってる子は最近多い。例えば学校に行かずアルバイト漬けになるとか、他にも援助交際とか、正体不明の薬やハーブを売りさばく手伝いをしたり、親のお金を引き出して30万も50万も持っている学生だっていることにはいる。

 実際、それぐらいあれば金額上は探偵を雇う事は余裕で出来る」



 それは事実だ。若いからといって、学生だからといって、無条件にお金を持っていないわけではない。レイは自身の半生の中で、今挙げたような人間は何人も見て来た。

 お金を持っている学生など、探せば居るのだ。特に女の子の中には一定数そういう子が。


 ゆえに問題の本質は、金銭を持っていない事ではないのだ。


「ただな、法律で決まってることがあってね。「未成年が勝手にした契約は、一方的に解除できる」ってのがね」


 レイはそう言い、続ける。


「例えばこっちが学生さんの仕事の依頼を受けたとするだろ?


 きちんと仕事をこなして、報酬を私が受け取ったとする。でも学生さん本人もそうだし、そのお父さんやお母さんが一言「そんな契約は知らない」といえば、例え仕事をきちんとやっていて、詐欺とかしてなくても、無条件で貰った報酬を学生さんやその家族に返さなきゃいけない。なんとなく、言ってる事はわかる?」


 民法第何条など専門的な事をレイは省いたし、もちろん法律である以上は原則と共にその例外事項もあるが、そうした法律が存在するのも事実。


 未成年者を詐欺から守るための契約関係の強制キャンセルのシステムなのだが、それは稀に、法律を知っている未成年者やその保護者が、悪用の為に用いることがある。



「お仕事をしても、貰ったお金を返さないといけない……?」

 辛うじて理解できた涼子が確認を求めると、レイは頷いた。




「そうそう。未成年の学生さんとかを詐欺とかから守るための法律だから、必要な法律だけどね」

 とは言うが、彼の表情たるや「いかにも複雑」といった具合だ。


「ただ――この法律があるから、探偵さんも弁護士さんも不動産屋さんも、返金や訴訟が怖くて君みたいな学生さんの依頼や相談は受けられないし、絶対受けない。


 この法律があるお陰で大多数の未成年は詐欺から守られるかもしれないけど、この法律のお陰で守られないっていう人もいる。――例えば茨城さんみたいに困っていて、味方に困っていて……契約できる協力者や雇える人間を探している、そういう子はね」



 外はもう陽が沈み、暗くなっている。レイはソファーから立ち上がり、ガラス戸の外の闇を見た。

「しかし困ったな、どうしようか……」


 レイが軽く息をつき振り向く。そのとき涼子には、振りむいたレイの右目が一瞬、金色に淡く光ったように見えた。


「俺も仕事でやるからにはタダでは受けない。……今まで俺を欺き、騙し、いいように利用し、そして使い捨て、処分しようとする人間には山ほど出会った。その中には君ぐらいの年頃の子もいたし、それよりもっと若い子もいた……」



 彼の表情がそれまでとまるきり変わった。怒りとも、憎悪とも、悲哀ともとれる表情を突然見せるレイ。予想していなかった彼の表情に彼女は困惑し、そして少しだけ恐怖した。その時のレイの感情や心境が、少女の理解を越えており、どうしていいかわからなかったからだ。


「金額の多い少ないは全く問題じゃない。問題なのは信用、そして信頼だ。君が例え1億をこの場で払ってくれたとしても、未成年の君はあとでいくらでも俺を欺くことができる。


 それでも君は、私を欺くことなく、お互いに契約を守れると、約束できるかい?」



 だがその男は、ただ怯えているだけだった。ただ、恐れているだけだった。


 それは彼にとって、背中を刺される事。あるいは、裏切りを受ける事。あるいは、失望する事。あるいは、落胆する事。あるいは、失う事。自分の中の、何かを。



 そういった事を恐れ、不安で、怯えていて、それを気難しさで隠そうとするだけの、孤独な男に過ぎなかった。




 ただ彼のそれの中には、怒りや憎悪、悲しみや絶望などの感情が、深い深い闇の中で、さびついた色の血と、硝煙とで混じり合っていたがために、それらを知らぬ涼子には、レイの瞳の奥にある心が読めなかった。



 涼子は、レイの気持ちを汲み取る事ができなかった。ゆえに、彼の側に立つ事もできなかった。だが彼女には一つだけこの場で出来る事があった。



「あの……わたし、まだ高校生でお金も全然ないですけど……大学受けて、アルバイトして、就職もちゃんとして、働いて、何年かかかるかもしれません。でも必ず払います。

 だから……助けて下さい。私、この事がわからないと……突然レナちゃんが死んじゃって……どうしていいかわからなくて……なにかがわからないと、わたし、前に進めないんです……だから……」


 それは、正直で、誠実であることだった。


 次第にうつむきながらも、必死でレイに訴えかける少女の姿が、レイの中にかつてあり、しかし失われてしまったものを、一瞬取り戻させてくれた。





 ――レイ。

 あなたは沢山苦しんだけど、その分、本当は誰よりも人に優しく出来る人よ。

 その優しさで、誰かを救ってあげられる。


 あなたのしてきた事は、無駄じゃないっていつかわかる。




 レイの脳裏を、既に争いを離れて久しい戦友の言葉がよぎった。

(あなたは俺をいつも信じてくれる。俺に、何ができるだろうか……)




 レイは、この少女がどこまで信頼に値する人間かは依然として測りかねている。だが、目の前でこれほどまでに苦しみ悩む少女を、出来る事なら救いたいと、救ってやりたい。そうレイは思った。



 レイは少女の前でひざまずくと、胸を押さえてうつむく少女の手を取り、こう言った。

「わかりました……。この仕事、どうか受けさせて欲しい」




EPISODE「辺獄リンボの扉を叩く少女」END

EPISODE「冥府の扉は開かれた」へ続く。


===


☘TIPS:世界観


 聖ハンムラビ協会 (サン・ハンムラビ・ソサエティ)の日本ロッジ本部はかつて、東京湾上に築かれた都市「ヌーベル・トーキョーシティ」にありましたが、数年前に起こった戦争によって破壊され、放棄されてしまいました。


 ……彼らはその後、どこに消えてしまったのでしょう?

 それとも戦争で、彼らは全て死に絶えてしまったのでしょうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る