辺獄(リンボ)の扉を叩く少女:ACT3

EPISODE 013 「辺獄リンボの扉を叩く少女:ACT3」



 次の日、涼子は学校が終わると家にも戻らずに、その足で別の場所へ向かった。向かった先はもちろん、昨日笠原から渡された名刺の出どころとなる探偵事務所である。



 横浜から電車を乗り継いでJRを経由して東京方面へと向かい、そこから京成線で現地へ向かう。春になれば普段通学に使っているローカル線の渋谷までの直通ルートが開通するのだが、その開通をあと二か月近くも待っていられるほど涼子も悠長ではない。



 電車の中で今一度、笠原から貰った名刺を見る。事務所の名前は「クローバー総合相談事務所」、そこにいる人は「坂本 レイ」という名前の人らしい。



 一応名刺に書かれてたURLサイトのアドレスは昨晩PCで開いてみた。そのWEBサイトは確かに存在した。長身で7:3分けにした甘いマスクの白人男性が、子犬を抱えていて、その腕に白人女性が抱き着いている広告。……あの白人の爽やか長身イケメンが坂本さんなのだろうか?


 E-mailフォームやTwitterアカウントも確かに存在したが、Twitterアカウントの方はあまり呟きがされておらず、色々連絡方法も不安だったので、一日も状況を改善したかった涼子は勢いでそのまま現地へと直接向かっている次第だ。




「どんな人だろう……」

 東京都の東の端へと向かう京成線の電車の中で、少女は新たな出会いに思いを馳せた。




 ☘


 クローバー総合相談事務所は、東京都の23区内に存在する。といっても、横浜からは結構距離的に離れており、地理的には東京都の東の端、千葉県寄りといった所だ。その区の駅から比較的近い住宅地に一軒の屋敷が立っている。




 もう何十年も前からある土地と屋敷だが、建て直されたり、所有者が変わったりした今もなお、その屋敷は使われている。それは周囲にある他の住宅より一回りも二回りも大きい。



 高い塀で守られた屋敷には、横幅だけでもマンションの玄関扉の3倍はありそうな、大きな木製の門扉。門扉には「クローバー総合相談事務所」の看板が打ち付けてある。


 表札には「大島 久之ひさゆき」と書かれた古いプレートの真上に「坂本」の比較的新しいプレート。


 それと警備会社のシール、猛犬注意のシールも、「監視カメラ作動中」の注意喚起シールまで……ああ、「セールス・宗教勧誘お断り」のプレートも……。




 ……門扉の前に立つ涼子。笠原から「気難しい人物」という噂は聞いている。



 一体どんな人なのだろうか? 突然来てしまったが……いや、今ごろ考えても遅いが、その人は突然の相談に乗ってくれるような人なのだろうか?


 制服姿の数千円しか持っていない女子高生を、門前払いせずに受け入れてくれるような人だろうか……?




(あのサイトのイケメンさんだったらいいな……)

 多くの不安を抱えながらも、門扉の前で少女がふと思った。




……



 今日はわりと良い天気だった。まだ相当寒いが、この間の暴風雨の夜よりはずっとマシで、昼寝には向いている。


 ソファーで男が寝息を立てていた。仕事の最中だったのか、パソコンは立ち上がったまま。ソファー近くのエンドテーブルに置かれた充電中のタブレットPCはスピーカーに接続され、日本でも人気が爆発したヒーロー映画の挿入歌にもなった、AC/DCの名曲ハードロック「Shoot To Thrill」を流している。



 他にも飲み終わって空になったマグカップや漫画雑誌、肌色の手袋などが置きっぱなしになっている。



 ソファーで昼寝する男のもとへ、卵状の白い浮遊物体が近づいてくる。物体に刻印された36の数字と、剣に巻き付いた蛇の紋章。中心部分がオレンジ色の光を発し、若い女性の声が響いた。

『レイレーイ! おーきてー!』


「……」

男の返事はない。女性はめげずに再度呼びかける。



『レイレイ! 大変ーーー!!』

「……ソフィア? 一体どうした……」

 男が気怠そうに目を覚ますと、左目だけを開けて自らの目を覚まさせる理由を問う。


『お客さん来てますよ! お仕事の!』

「どっちのだ……」

『表!』

「……どっちが”表の仕事”だったっけ……」

『行政書士と探偵業!』




「予約はない。今日は誰も来ないはず……」

 ようやく男が体を起こすと、左手の黒いカーボンの指を開閉させ、エンドテーブル上に置かれた肌色の手袋へと手を伸ばす。



 人工皮膚とシリコンで出来た擬態手袋を左手にはめる。手首までを覆うその手袋を着用し、長袖の服を着る事で、彼の左腕から先が義手である事を誤魔化すことができる。


 手袋をはめる男に、ソフィアと呼ばれた女性の声はこう告げる。

『出てあげないとだめよレイレイ。だってだって……JKよ!』








 男の動きが止まった。





「……はい?」

 眉を吊り上げて、男が聞き返した。

「JKというのは、ああ、自衛官か。相談ならば乗……」

『女子高生です』

 答えるソフィア。


「女子高生が来てる? ウチに?」

『はい。黒髪清楚系の女子高生ですよ』

 再度ソフィアは答える。





「終わりだ」

 男が暗い表情で言った。

『えっ』




「女子高生がウチに来るなんて、この世の終わりだ」

 男がYシャツのボタンを留め、ネクタイを取る。


『でも』

「ソフィア、ウチの主な業務内容」


 男が短く問う。ソフィアは次のように答えた。


『浮気調査、ストーカー相談、盗聴・盗撮機の発見破壊と逆追跡……最近はリベンジポルノのデータ回収とかも……』




「この世の終わりだ。死にてえ……」

 レイはまるでこの世の終わりのような目をしていた。探偵業としてはこれが最もポピュラーにしてコンスタントに儲かる仕事。


 とはいえ、どれもこれもただれたセックスの仕事ばかり。


 これが21世紀の日本の探偵のスタンダード……。絶望せよ、シャーロックホームズ。






 自らの行う業務内容でありながらも、それを生業としている自分のもとを、女子高生が予約もなしに尋ねて来るなど……つまりそういうことなのだろうか……。



『ま、まだわかりませんよ。遺産相続や放射性廃棄物処理場の建設反対の相談かも……』

「ああ、2年か3年か、それぐらい前にやったな。放射性廃棄物の行政相談……まだ玄関に?」


 あれは何年前の仕事だったか、とにかく色々最悪で、あの時は確か、表の仕事では収まらなくて……まあいい。


『はい。早くしないと帰っちゃうかも。きっと困ってるお客さんですよ』



 ソフィアに急かされるレイがインターホンの画面を見た。



 画面に映し出されるのはインターホンをじっと見ながら立ち尽くす制服姿の少女。それを見て、レイは顔を手で押さえ嘆いた。

「嗚呼、本当に女子高生だよ……」


 世が末であることは知っていたが、まさかここまでとは……。




『この辺の制服じゃありませんよ、県外から来たのかも。早く出てあげましょう』

(だとしたら、それでウチに飛び込みで来るとは、余程か……)



 何せよ世も末である事に違いはなさそうだが、ソフィアの言うことの方が今は正しい。困ってなければこんな所には来ないだろう。


 何にせよ、放ってはおけない。レイは受話器を取った。


「もしもし?」

 モニターごしに、驚き体を小さく跳ねさせる少女の姿が見える。


「こちらクローバー総合相談事務所の坂本ですが、もしかしたら、ウチへのご用件か何かでしょうか……」

 まあ、少なくとも宗教勧誘とヤクルトのセールスではなさそうだった。二度とジャックダニエル・ウイスキーをヤクルトで割るものか。




『あ……はい。その、相談で……』

「はいはい、今開けます。寒いでしょうから中までお入り下さい」


 この厳冬の時期にこれ以上制服姿の少女を立たせておくのは忍びない。インターホンのボタンの一つを押すと木製の門扉が自動で開く。


 自宅内に設置されたエレベーターを使い、レイは三階から一階へ向かう。

 エレベーター内に置かれた鏡を見ながら、レイはネクタイを締めなおす。ソフィアの卵状ドローンも一緒だ。


「女子高生ってことは、やっぱストーカー相談の方かな……」


 レイが呟く。彼はこれから受けるであろう相談が、せめて援助交際における脅迫の相談やリベンジポルノの相談でない事を願った。もうそういうのは食傷しているからだ。



『ペットの捜索だってやってます』


 ソフィアは言う。レイは懐かしき捜索依頼の内容を思い出し、こう言った

「ワシントン条約で飼育が禁止されてるペットが依頼主の家から逃げ出して、それを多摩川まで捕獲しに行った時の話するか?」


『あれは完全に猟友会の仕事でしたね』

 エレベーターを出る二人。

『女の子ってそういう話大好きですよ』



「ソフィア、念のためお前は下がって隠れていろ」

 レイが指示すると、ソフィアは下がってゆく。


 レイが玄関の扉を開ける。学生服の上にコートを羽織った黒髪の少女が、白い息を吐き、寒さに頬を赤らませていた。




 涼子も男の姿を見た。背丈は自分とさほど変わらない背の低い男性。白髪の多い男で、左目元には傷があり、目元の隈は濃ゆい。二十代ぐらいの若さに見えながらも、どこか疲れ切った印象の男性。

(あのサイトのイケメンさんじゃない……)

 涼子は真っ先に、目の前の男性と、広告に出ていた長身の爽やか白人男性とを比べた。




 これがレイと涼子の出会いだった。




「いらっしゃい。寒いからとりあえず上がって」

 最初に口を開いたのはレイだった。外の空気が中に入り込む。Tシャツの上にYシャツを着ているだけのレイにはかなり寒く感じる。


「は、はい」

 涼子にとっては、レイに招き入れられて入った家の中は、空調がよく利いておりとても暖かった。

「少し待ってて貰ってていいかな。今日予約なかったから準備できてなくって……」

「あ、はい、大丈夫です。こちらこそ急にごめんなさい」

「いや、いいよ。今日はこっちの家居たし。座って待っててね。コートはそのへんにかけといて」

「はい」



 玄関を潜ってすぐ正面に階段と、その隣にテーブルと座り心地の良さそうなチェアがある。レイの誘導で涼子はコートを脱ぎ、階段近くのハンガーにかけ、チェアへと腰を下ろす。



 テーブルの上にはコーヒーカップなどを置くためのコースターと、何十年前からそこにあるかもわからないアンティークな古い黒電話。


 小型の本棚には、週間少年誌や青年漫画雑誌の今週号のナンバー、女性向けのファッション雑誌、他にもアニメ情報誌、ゲーム情報誌、映画雑誌など、どれも最新号で、妙に雑誌類の備えが充実している。

 ……よほど几帳面なのだろう。



「本も色々あるから、良かったら好きに読んでて」

「ありがとうございます」


 涼子はファッション雑誌とアニメ情報誌の2つで迷い……ファッション雑誌の方を取った。


「紅茶、コーヒー、ジュース、コーラ、アルコール……はマズイな。大体何でもあるけど、飲みたいものあります?」


 一旦家の奥に入ったレイが、ドリンクの注文を聞くために姿を見せた。

「あ……じゃあ、紅茶でおねがいしてもいいですか」

「オーケー」


 レイはオーダーを聞きキッチンに入ってゆく。ティーカップを持ち出し、箱からローズヒップティーのパックを一つ取り出すと、お湯を注ぐ。



『レイレイ、若くてキレイな女の子が来たから、ちょっとドキドキしてる?』

 ソフィアのからかう声がレイの頭に響く。


「仕事だから黙ってろ? それよりちゃんと隠れてるのか?」

『心配しないでよ。平気』




 レイは涼子に紅茶を出すと、また三階までエレベーターまで上がる。Yシャツの上にベストを着こみ、テーブルの脇に置かれたカバンを手に取る。タブレットPCの音楽再生を止め、スピーカーとの接続を外すと、カバンにタブレットとそのスタンドを放り込む。


「あとは……」

 ソファーを離れ、つけっぱなしになっていたデスクトップPCのスリープボタンを押し、机の上に立てかけてあったファイルケースを手に取り、やはりカバンの中に放り込む。


 荷物を詰め終わるとエレベーターを降り、一階の涼子のもとへと戻っていった。



……



 一階のリビング兼応接室に二人は移動し、レイは仕事へととりかかる。

 机にはタブレットPC。レイのコーヒー。それと涼子側に置かれた、レイに追加で淹れて貰ったお代わりのローズヒップティー。



 リビングはブラウン色調にゴシック模様の壁紙に、同じ色の天井。天井にはシャンデリアが照明として設置されており、オレンジカラーの明かりで室内を照らしている。


 他にも大型の薄型テレビ、小型のワインセラーや涼子にはよくわからないアルコール類の入った棚や、ピカピカと輝くジュークボックスなども置いてあるのが見えた。涼子はジュークボックスの実物を見たのはこれが初めてだ。



 昨日見た笠原の「オーディーレ探偵事務所」も、いかにも現代探偵の事務所といった感じの雰囲気ではあったが、こちらのクローバー探偵事務所は、それよりも涼子が元々イメージしていた空想上の「探偵」の根城にとても近い場所だった。


「ええっとそれでは……申し遅れました。クローバー総合相談事務所の坂本 レイです」

「あ、茨城いばらぎ涼子です」

 互いに自己紹介。レイから差し出された名刺を涼子は受け取る。



「……」

(どうしてそこにいる?)


 レイがテーブルの端を怪訝けげんな表情でみやった。何も入られていないボウルの中に、まるでリンゴかバナナの代わりとでも言いたげにソフィアの小型ドローンは収まっていた。



『隠れろと言われたので』

 ソフィアの囁き声がレイの頭の中に響く。この声は涼子には聞こえない。


(ああ、言ったはずだな……)

『大丈夫ですって、普通の人間には私、見えませんから!』

(もし普通じゃなかったらどうするんだ……)



 レイは頭を抱えそうになったが、これ以上、馬鹿ソフィアにも構っていられないので、そのまま放っておく事にした。どうせソフィアの姿は「普通の人間の眼」では見えない。問題は無い……はずだ……多分。




「茨城さん、本日は、何かお困りの事やご相談の事があって、お越しになったということでよろしいでしょうか」

 向かいのソファーに縮こまって座る少女に、レイが話題を切りだした。

「あ、はい。あの……」

「何か」

「その私、お金とかあんまり持ってなくて……相談料とか、依頼料とか……」


 涼子がおそるおそる最初に口にした話題は、金銭都合の話だった。が、そんな事は学生服を見ればわかることだった。そんな事を気にしてこの少女を招いた覚えはない。


「お金の事は気にしなくて良いよ。相談料取る所もあるけど、俺は少なくとも持ってない人からは取らないし、依頼料や予算にしても……茨城さんは今学生さんでしょうか?」


「はい。今高校生です」

「お住まいは?」

「横浜です」


 涼子が答える。地図上では一見近そうにも思えるが、横浜も西や南側に住んでいるとしたら、この東京の東側まで来るには結構な時間がかかる。ソフィアの見立てが正しい事を確信し、レイは内心頷く。となれば……。



「結構遠いですね。平日に制服のまま、一人でこちらまでお越しになったのは、ご家族などには内密に解決したい問題があるから……。そうですね?」


 そう言い当てた時、涼子の表情の変化をレイは見た。

(当たりか)



「は、はい。そうなんです……」

 一瞬で自分の複雑な状況の一端を言い当てられ涼子は驚いた。この程度の事はレイには朝飯前の事ではあったが、涼子は目の前の男に鋭さと知性を感じ、それが継続した緊張状態にさらされ続けている涼子に安心感を与えた。


「少なくとも今日私が費用や相談料をその場で請求する事はない。後の事は後で考える。だからまずは事情を教えて欲しい」

 レイがもう一押しする。

「じつは……」

 あとは涼子が自らの口で、事情を語りはじめてくれた。




EPISODE「辺獄リンボの扉を叩く少女 ACT:4」へと続く。



===



TIPS:



場所・組織【クローバー総合相談事務所】



坂本玲レイが経営する個人事務所。

探偵業務だけでなく行政相談をはじめとする法律相談・法業務も並行して行っているため「探偵事務所」とは名乗らずこの名前になっている。



浮気調査、盗聴盗撮・ストーカー調査、行方調査、結婚調査、各種行政相談、遺産相続etc……。


百戦錬磨の探偵があなたのどんな悩みとも誠実に向き合います。

初回相談無料。e-mail/Twitterフォームあり。要事前予約。不定休。

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