辺獄(リンボ)の扉を叩く少女:ACT2



 部屋の中に漂うアロマの香りが涼子の鼻をくすぐる。涼子は落ち着かぬ様子でソファーに腰かける。女性が紅茶を淹れて持ってきてくれた。


 紅茶を淹れてくれた女性が机を後にすると、入れ替わりとなる形で初老の女性がやってきた。



 涼子が昨日、あのポスターで見たのと同じ顔の女性だ。初老の女性は涼子の顔を見ると、少し意外そうな顔をした。それを隠すようにその女性は軽く会釈する。顔をあげた時、女性の表情はポスターと同じ笑顔になっていた。


「本日はようこそお越しくださいました。オーディーレ探偵事務所の笠原です」



EPISODE 012 「辺獄リンボの扉を叩く少女 ACT:2」



「あ、電話をかけた茨城です」

「はい。茨城さん、ご友人の事でご相談があるとか……」

 笠原が口火を切り、早速仕事を始める。涼子もそれに応える。

「あ、はい。その、実は……」




 涼子は相談内容を話した。友人が自殺した事、友人の身に着けていたアクセサリーの行方が気になる事。遺族に直接尋ねる事が忍びなくて、他の方法を取りたいが、自分一人ではどう調べていいかわからない事。


 友人が本当に自殺してしまったのか、もし自殺なら、その理由を調べたい事。できるだけ話した。だが涼子が一通り悩みを吐き出し終わる頃、笠原も非常に困った表情をしていた。




「そうですか……。それはお気の毒に……」

「いえ……ありがとうございます」

「しかし、少し困りましたね……、確かに我々は探偵で、優秀な調査員を何人も抱えてはおりますが、うーん……」

「むずかしい、ですか……?」

 涼子が問うと、笠原はこのような説明を始めた。


「確かに、行方調査などの業務も我々では行っておりますし、その部門のスペシャリストも在籍してはおりますが……そうした調査のご依頼は、あくまで御存命か、御存命の望みがある方に限った話でして……」


 笠原は言う。

「探偵というとどうしても皆さま、ドラマの探偵やシャーロック・ホームズのようなものをご想像なされるものかと思いますが、あれはあくまで探偵業についてをご存じない方が作った創作、フィクションでありまして……。

 あくまで”本来の探偵”というものは、捜査権や逮捕権などを持たない一般の調査員ですので、そうした調査を行う事は難しいんです」




「つまり、できない……ということでしょうか……?」

 涼子が要約して尋ねる。



 笠原は両目を瞑り、眉間にしわを寄せ、出来るだけ慎重に説明と弁明を行おうとする。


「……いえ、全くできないということではありませんが……ただ、茨城さまのご事情をお聞きする限り、既にご友人の方は自殺によってお亡くなりになられていて、捜索やご遺体の発見なども既に警察の管轄内で行われたものと思われます」


 更に笠原は続ける。

「そうした直接的な形による人の死に関する事件の捜査・検証は我々探偵の管轄外でございまして、もし御遺品についてお知りになりたいということでしたら、やはりご遺族の方に尋ねることと、その上で事件現場のことなどに関しては、警察にお問い合わせいただくのが一番かと……」




「そうですか……」

「一応、アクセサリーだけなら「紛失なされた装飾品の捜索」という形で探せない事もありませんが、その際もご友人のものであれば、その方のご家族の合意が取れないと法的なこともあって、我々も動けないんです」



「合意、ですか……?」

 まだ十六歳の涼子の頭では、専門家の口にする専門的な話や用語の全てを理解はできなかったが、どうやら探偵でも涼子が望む調査をする事は難しい、ということと、彼女が想像した名探偵や探偵ドラマと現実の実態は異なる事は、とりあえず理解できた。



「失礼ですが、茨城さまは今お年の方はおいくつでしょうか?」

「えっと、16です」

「学生さん、ですよね」

「あ、はい」

「アルバイト以外に正式なお仕事などをされているわけではありませんよね」

「はい」



「調査業務となると、日数とそれに伴う費用がかかりますので、2週間の調査契約で費用が、目安ですが大体これぐらいの額に、なってしまうんですね」



 当人も好き好んで、という顔ではなかったが、笠原は手に持ったバインダーを開くと、探偵を雇用する際の基本費用と調査業務の料金モデル表、という名の現実を無慈悲に叩きつける。



 探偵を雇うと結構な費用になる。という事を知らなかった涼子が思わず目を見開く。新車並、とはいかないまでも小型のバイクの値段に匹敵しかねない契約料金、これを見せられた意味と年齢職業を問われた理由、そして出会い頭の探偵の意外そうな表情の意味を涼子は理解した。



 …… 一介の女子高生がそうやすやすと雇えるような相場ではないのだ。


「こんなに、するんですか」

 口をあんぐりとひらいたまま、涼子が言った。


 笠原は、申し訳なさそうにもこう告げる。

「どうしてもこの業界の相場はこれぐらいになってしまうんです。とてもお辛い事情だと思うので私共としても、何とか力になりたいのは山々なのですが……、費用の面から考えても一度、ご両親やご家族の方にもきちんとご相談いただくべきだと、私は思います」


 一人の大人として、社会人として、プロとして、正しい事を言った自負は笠原として当然にあったのだが……それでも涼子の表情を見ていると、笠原は胸の締まるような思いではあった。



「そうですか……そうですよね。わかりました」

 相談の結果に涼子は浮かない表情だ。だがこの女性探偵、笠原の言う事も、もっともな事であるようにも感じ、納得しきれずとも、するしかなかった。



「ごめんなさいね、せっかく来て貰ったのに」

 涼子の表情にいささかの隠しきれない失望の色を見て、笠原が少し申し訳なく言う。



 笠原とて悪気があるわけではない。笠原自身は理に適ったことを少女に説明したに過ぎないし、涼子の知らぬ事ではあるが、この探偵業の世界も医業や法律業の一部がそうであるように、自身の社会的立場を良い事に、顧客に暴言を吐いたり、年齢や社会身分、資産能力の程度で差別する事務所も悲しい事だが無いわけではない。




 それらを基準にすれば門前払いされてもおかしくなかった涼子の相談に耳を傾け、要望に応えられないまでも笠原の対応とアドバイスは、相当に誠実な部類であったといっても良いだろう。



「いえ……、こちらこそお金もないのに、相談に乗ってくれて本当にありがとうございました」

 涼子も無知な普通の少女なりに、それをなんとなくでもわかっていたからこそ、相談料も取らずに相談に乗ってくれた笠原に感謝し、深く頭を下げた。


「名刺渡しておくから、茨城さんのご家族の許可が取れて、改めて依頼を、という時はまたご相談に乗らせていただきますから、連絡してください」

「はい、ありがとうございます」



 笠原は自らの名刺を涼子に渡す。涼子はそれを受け取ると、コートを羽織ってオーディーレ探偵事務所を後にした。






「……」

 少女が去り、相談客のいなくなった探偵事務所。笠原はスーツのポケットからタバコを一本取り出すと、それに火をつけた。



 もう日は沈み外は暗い。ビルのオフィスの窓から見える暗黒の街を眺める。彼女が想うのは、どこか思いつめた表情の、先ほどの少女。

 笠原は暗黒の街に向かって煙を吐くと、少女を最初に出迎えた女性スタッフの名を呼んだ、


「水野さん、ちょっと良いかしら」

「はい?」

 水野、と呼ばれた女性が返事する。


 笠原は灰皿にまだ吸い切ってもいない長いタバコを押し付けると、デスクを目指しながら彼女にこう告げた。

「さっきの子に渡したいものがあるの。悪いんだけどまだ追いつけると思うから、渡しにいってきてくれないかしら」





……


 夜の海老名の街を、少女がとぼとぼと歩く。この街は神奈川の中でも近年の発展が著しく、遊びやショッピング、食事の誘惑に満ちた街ではあるが、とてもどこか寄っていくような気分ではない。



「だめかあ……」

 涼子が白い息を吐いた。


(でもお母さんに言ったら、なんて言われるかな……)


 涼子はうつむき、暗い足取りで駅方面へ帰り道を歩く。


(やっぱりレナちゃんのお母さんに、直接聞かないとダメなのかな……。もっと私に勇気があればいいのかな。でも、直接聞くの、ちょっとつらいかも……)



 そんな事を心の中で呟いていると、後ろから聞いた女性の呼び止める声が近づいてきた。


「あのーーー!」

 近づいてきたのは声だけではない。涼子が振り向くと、高いヒール靴にも関わらず一生懸命走って来る女性の姿を認めることができた。さきほどの探偵事務所にいた女性スタッフの一人だ。


「あの……?」

 首を傾げる涼子にスタッフの水野が追いつく。ヒール靴にスカートスーツで無理に走ったこともあってか、水野は息を切らしている。


「はあ、はあ……えっとすみません。先生からこれを渡すようにと……すぐに出すので待っててください……」

 荒い息の水野が財布を取りだし何かを探し始める。

「あ、あの、大丈夫ですか……?」



 涼子の心配をよそに、スタッフの水野が財布から取り出して渡したのは、一枚の名刺だった。

「あの、これをどうぞ……!」


「……これは?」

「ま、まだ待っててくださいね……!」

 涼子の質問をよそに、水野は今度は携帯電話を取り出すと、どこかへ連絡をかけだした。


「……あ! 先生ですか? 私です。ぜえ……見つけました……。あ、私は大丈夫です、少し運動不足かもしれませんけど……。あ、はい……ぜええ……はい、大丈夫です。代わります!」



 水野自体が果たして大丈夫かどうかはさておき、電話は無事つながったようだった。水野が携帯電話を涼子に差し出す。


「あ、もしもし……」

 右手には渡された謎の名刺。左手で携帯電話をとり、耳を当てる。

『あ、茨城さん? 帰り道に呼び止めてごめんなさい』


 電話から聞こえる声の主はさきほどの女性探偵、笠原だった。

『できれば今日の相談もご両親やお友達の家族の方にしてくれるのが一番なんだけど……なんかあなた、そんな感じじゃないぐらいに思いつめた顔してたから……。役に立たないかもしれないけど、その名刺も渡しておくわ』



「あの、これは?」


 涼子がこの名刺の正体を尋ねると笠原はその品にまつわる前置きを語りだした。


『それねえ……知り合いってほどでもないんだけど、かなり癖の強い探偵がウチの業界にいてね、昔名刺を貰ったことあるのよ。正直いって相当の変わり者。クセが強くて、神経質で、頑固で、しかも結構グレーな探偵だから業界の評判は微妙だし……、特にあなたみたいな若い子には正直勧めたくないんだけど……』


 ハアと、電話口に漏れる溜息。溜息を吐き終えると笠原は続けた。


『お金のない外国人とか、まあ……あなたみたいな複雑な事情を抱えたお客さんを抱えてるところで、事実としてお客からの評判は良いところではあるわ。聞いた話だけどペットの捜索とか貴金属の捜索とか……行方不明者の捜索も得意でやってるみたいだから、普通の探偵がダメでも彼ならあるいは……嗚呼、でもねえ……』



 そう語る笠原の複雑そうな心境が、電話越しにも伝わって来るのがわかった。



 受け取った名刺を涼子はようやく見た。まるで歯科医の診察券かインターネットカフェの会員証のようにプラスチック加工された名刺。右上には緑色の三つ葉のクローバーを腹に抱えたペンギンの絵。動物園で見るペンギンとちょっと違うが……ちょっとかわいい。



 そして記載された情報「クローバー総合相談事務所 坂本 レイ。調査・追跡等、探偵業務/行政相談・遺産相続等、各種法律相談」名刺にはそう書かれていた。



 その名刺に電話番号は書かれていない。


 代わりにE-mailアドレスとツイッターのアカウント、ホームページとおぼしきURLサイトのアドレスの記載は一応あった。



 その名刺は作りを見るだけでも、作り手の几帳面さがうかがい知れ、かつ電話ごしに笠原の言うところの「変わり者」という表現の根拠を後押ししてくれそうな代物だった。



『まあ……ダメかもしれないからあまり期待はしないで。でも他に手がなくて、あなたひとりで友達の事を抱えるぐらいだったら、ダメもとで行く程度の価値はあると思うわ。その名刺、私はいらないから持ってなさい。そして要らなくなったら捨てなさい』



「あの……こんなにしてもらって、本当にすみません。私……」

 電話越しで涼子の姿など向こうには見えないが、少女は深々と頭を下げる。


『気にしないで。これは仕事じゃなくて、何もしてあげられない、ただのおばさんのお節介だから。

 でも出来れば”あんな探偵”を使うよりは、ご家族の方にもちゃんと相談したほうがいいわよ。次も相談料までなら取らないから、今度は家族の方を連れてウチに来なさい』



「はい、その時は。お電話、戻しますね。ありがとうございました」

 涼子がそう言い、まだ少し息の荒い女性スタッフに電話を返そうとした時のこと、笠原は最後に、呟くようにこう口にした。

『……わかるといいわね。お友達のアクセサリーの行方』



「はい。……今日は本当にありがとうございました」

 涼子はもう一度深く頭を下げた。笠原のかけてくれたその言葉は、闇の中を今も一人さまよい続ける涼子への、何よりもの激励の言葉だった。





EPISODE「辺獄リンボの扉を叩く少女:ACT3」へと続く。


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