辺獄(リンボ)の扉を叩く少女:ACT1


EPISODE 011 「辺獄リンボの扉を叩く少女」



 その日の彼女は学校を休まなかった。


 いつものように朝食を摂り、いつものように自宅を出て、いつもと変わらない時間にいつもの電車に乗った。ここしばらくの不眠と、昨晩の夜更かしで涼子の目もとには隈が出来ていたが、その日、彼女の目は完全には死んではいなかった。



 睡眠不足のせいで、電車ではいつもよりも深く居眠りをした。駅員に肩を叩かれ、電車が既に終点についた事を告げられると、涼子は慌てて起き上がり、駅員に頭を下げ駆け足で改札へ向かう。



 いつもの通学路を通って、いつもと同じ席につく。いつもの時間に始まる授業。



 例えその”いつも”が、表面上だけでしかなく、かつて彼女が好んだ”いつも”とは似て非なるものでも、涼子は表面上普通に一日の学業スケジュールをこなす。


 授業の最中や休み時間に、時折涼子は後ろを振り返る事があった。白い花瓶の置かれた麗菜の席。それでもその日、涼子の心は前を向いていた。



 彼女は授業中も、休憩時間の間も、昼休みの食事中も、考えることがあった。彼女が想うのは、あの日の夢の事だ。


 あの夢を見た時、あの夢の中で麗菜に会った時、時系列を考えればあの時既に、麗菜は自らの命を絶っており、この世には既に居なかったはず。あの時自分自身、普通ではなかったのだから、冷静に考えれば普通ではない夢を見る事そのものは道理とも言えなくもない。


 夢の中の麗菜との会話も、願望が生み出した夢や幻だったかもしれない。



 でも涼子は、あの夢をただの夢と思いたくなかった。あの夢には何か意味があるはず、そう思いたかった。夢に現実の意味や理由を求める事が、狂気に至る道だったとしても。


 だがそれが妄想から来る狂気にしろ、ただの幻にしろ、現実にしろ、涼子には一つ、確かめたい事実があった。



 ☘



 涼子は放課後、行動を開始した。


 授業が終わると、涼子は表面上いつも通りに帰り支度を行い、いつもの道を使って、表面上は普通に帰路を辿った。


 家についた涼子は、通学カバンを部屋に置き、私服に着替えただけですぐに家を出た。向かったのは麗菜の家。彼女には調べたいことがあった。知りたい事、確かめたいことがあった。


 涼子はスマートフォンからメモを見る。「レナちゃんのアクセ(ネックレス・イヤリング)」と書かれたメモ。記憶しているあの不思議な夢の中での、麗菜との会話を反芻はんすうする。あの時「ネックレスとイヤリングを無くした」と、たしか夢の中の麗菜は言っていた。あの夢が完全な幻覚や妄想の類だったかを精確に判断する材料は涼子の記憶の中にあった。



(レナちゃんのネックレスとイヤリング……。あの夢が本当なら……)



 涼子の死がわかったということは、当然彼女の当時の所持品も一緒に見つかっているはず。なぜならば、あの薔薇のイヤリングとネックレスは、運動する時と授業中の時以外は、それを着用しない学校内ですらアクセサリーケースに入れて大事に持ち歩いていたほどの、彼女のお気に入りだったものだからだ。



 例え死の瞬間にあったとしても、彼女は最後までそれを持ち歩いていたはず。


 ……という所までは涼子の中に強い確信がある。だが、もしあの夢の麗菜の言ったことが確かなら、涼子の確信とは裏腹に、アクセサリーは行方不明のはずだ。



 涼子はそれを直接確かめたくて麗菜の家のすぐ前まで来ていた。ここに来れば、麗菜の家族に尋ねられれば、それを直接確認できるかもしれない。




 ……だが、涼子はそこでしばらく立ち尽くした。



 意を決して玄関のインターホンを押そうとして、手が止まってしまったのだ。

 あと2センチ、この右手の人差し指を押し込むだけで良い。それで家の呼び鈴が鳴る。家に麗菜の母なり家族が居れば、彼女のネックレスとイヤリングが帰って来たかどうかを尋ねる事ができる。



 ……が、葬儀の日の麗菜の母の顔を思い出した時、涼子のインターホンを押そうとする指をそれ以上進めることができなかった。


 涼子は、2~3分ほど立ち尽くし、インターホンの前をうろうろした後、結局何もせずに帰ってしまった。



……


 その後近所のファミレスに、ドリンクバーを一人分の注文だけで席に居座り、頭を抱える涼子の姿があった。

「はあああぁ……」


 涼子が深い溜息をつく。



(どうしよ、レナちゃんのお母さんにアクセサリーのこと、聞けなかった……。どうしても知りたかったのに……)


 自分の目的を達しようとする過程で、あの葬儀の日の憔悴しきった麗菜の母親の顔を思い出してしまい「レナちゃんの自殺現場からアクセサリーが遺品として見つかりませんでしたか?」などとデリカシーに欠ける事を尋ねる自らの姿を想像した時、涼子は言い知れぬ罪悪感を感じ、インターホンを鳴らせずに逃げ帰ってきてしまったのだ。



 麗菜の母に直接尋ねようとしていた内容に比べたら、きっと自分の判断は正しい、と自らに言い聞かせる。


 でも、その事を涼子はどうしても知りたかった。仮にそんな事を知ったところで、アクセサリーがあったにしろ無かったにしろ、世界で一番の親友の命は二度と戻って来ないことを考えたら、自らの目的と行動はあまりにも滑稽で、無意味だ。


 それでも涼子は、自分自身が前に進むためには、こうするしかないと、これが唯一の道であるとも思っている。しかし……。


(どうしよう)

 ドリンクバー分の会計を済ませ、退店する涼子。まだ大したことはしていないはずなのに、いつの間にかもう日は暮れていて、店を出ると冬の夕暮れの寒さが涼子の身体を小さく震わせた。

「さむい……」


 店を出て、家へと向かう涼子だったが、帰り道、コンクリートの壁に張られた一枚のチラシにふと目が入った。

 スーツを着た40代ほどの初老の女性が明るく微笑むポスター。「オーディーレ探偵事務所。実績を持つ女性探偵たちは、貴女の情報を必ず守り、その悩みに確実に応えます。」



 そのポスターをまじまじと凝視すると、スマートフォンを取り出しポスターをパシャリ。撮影。現代人らしい行動である。

「……これだ!」

 涼子は閃いた。


 ☘



 翌日、その日も涼子は学校から帰って来ると、その足ですぐに出かけてしまった。向かったのは昨日見かけた広告の出どころ。涼子の最寄り駅から学校に向かう電車と逆方面へ向かう電車に乗る。目的の駅で降りてからはスマートフォンから見れるGPSマップを頼りに現地へ向かう。


 涼子はビルの中に入るとエレベーターのボタンを押す。上階へと向かうエレベーター。上階に到着しエレベーターから出ると、すぐ目の前に扉があり、そこが彼女の今日の目的地だった。

 辿り着いたのは、オーディーレ探偵事務所。



「あのー……すみませんー……」

 涼子が恐る恐る扉を開ける。白く磨かれたフローリング、白い壁、観葉植物、ビルの外装からイメージしたよりはずっと綺麗で、広いオフィスだ。


 20代後半ほどのスーツ姿の女性が訪問者に気付くと、涼子のもとへ向かう。

「いかがなされましたか?」


「あ。相談で電話を入れていた茨城いばらぎなのですが……」

「あ、はい。承っております。先生がお見えになるので、しばらくこちらでお待ちください」

 女性がそう言うと、涼子はオフィス奥の敷居の向こうのテーブルへと通された。

「しばらくお待ちください」

「あ、はい」


 部屋の中に漂うアロマの香りが涼子の鼻をくすぐる。涼子は落ち着かぬ様子でソファーに腰かける。女性が紅茶を淹れて持ってきてくれた。


 紅茶を淹れてくれた女性が机を後にすると、入れ替わりとなる形で初老の女性がやってきた。



 涼子が昨日、あのポスターで見たのと同じ顔の女性だ。初老の女性は涼子の顔を見ると、少し意外そうな顔をした。それを隠すようにその女性は軽く会釈する。顔をあげた時、女性の表情はポスターと同じ笑顔になっていた。


「本日はようこそお越しくださいました。オーディーレ探偵事務所の笠原です」



EPISODE「辺獄リンボの扉を叩く少女:ACT2」へ続く。



===



☘TIPS:世界観


 数百年前、魔女狩りを免れた魔女たちは世界を呪いました。その呪いが今も世界を覆い続け、ある者たちには脅威を、ある者たちには恩恵を与え続けています。

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