Opening Execution:ACT2



「エージェント:ファイアストーム。そろそろ予定降下地点に到着する」

 ヘリコプターの操縦桿を握る若い男性の呼ぶ声で、ファイアストームは現実に引き戻される。

「準備はいつでも出来ている」

 黒い帽子を被った男性が、ヘリの後部で応答した。ヘリコプターは高度を下げ、大型スーパーの屋上駐車場の真上へと移動する。



「会場はここから2km先、対象の情報と、深夜なのでこれ以上はヘリの音がミッションに影響をきたすかもしれん。ここでも構わないか!?」

「ありがとう、十分だ! 後は徒歩で接近する」



「了解。どうかご無事で」

 ヘリ後部に同乗する中年女性が、大きく揺れる輸送ヘリの扉を開ける。同時に、横から殴りつけるかのような激しい雨と風、そして冷たい風が黒帽を被るファイアストームを襲った。

 帽子が飛ばされぬよう、彼は左手で軽く帽子を押さえる。


「今日は最悪の天気だ。滑って転ぶなよ!」

中年女性が大きな声で隣の黒帽の肩を叩くが、その大声さえも風の音でかき消されそうだった。

「行ってくる! エージェント:ファイアストーム、任務開始!」

 ファイアストームは頷くと、ヘリから垂らされたロープを手にし、地上へと降下していった。




 第二節【Opening Execution:2】




 ファイアストームが降り立ったのは、営業時間を遥かに過ぎた深夜のスーパーマーケットの屋上駐車場であった。超常現象からのアプローチによって静粛性の強化と、特殊光学迷彩とを得た”組織”の輸送ヘリ、チヌークHCが、ロープを格納しその側面扉を閉じると、他者の目につかぬよう作戦域を離れようとする。

 ……やがて、ヘリコプターの生み出す音や風圧が遠ざかってゆく。



 ヘリコプターが現場を離脱すると、その場には深い闇と、土砂降りのように降り注ぐ重い雨と、激しく吹き付ける冷たい風の中、一人の男だけが残された。


 ――それは一般人の格好としてはあまりに重武装で、異様で、物々しく、そして禍々しささえ感じる格好の男性だった。


 背丈だけなら、その男性の背格好こそは大したこともない。身長は160センチの半ばほどであろうか、日本人の平均身長と比較してもそれは低い部類に入る。


 特徴的なのは首から上。男の顔はバイザー型のガスマスクで覆い隠され、その上さらに、この漆黒の闇と同じ色のデニムキャップを被っている。


 服装は、一見は黒いレザージャケットに、青のカーゴパンツを履いた普通の男性の格好にも見えそうだったが、よく見ればその実態はかなり異なる。



 よく見れは、特殊繊維で編み込まれた、薄手の全身タイツ状の、グレーカラーを基調としたコンバット・インナースーツの存在を、雨で濡れたYシャツの下や首元に認める事ができるだろう。



 そのインナースーツの上の、白いYシャツの上には海外の警察官が好んで装着するようなタクティカルサスペンダーが。そのサスペンダーに備え付けられた収納ポケットには、暗器となる小型銃:ハイスタンダードデリンジャーや、コールドスチール・コンバットナイフなどを筆頭とする小型の凶器が顔を覗かせる。


 武器だけではない。他にも鎮痛剤などをはじめとした、戦闘用薬物の調合されたアンプルなどが収められており、男の目的が通り魔めいて単に暴力を振るう事には留まらず、あらゆる過酷な戦闘行為を想定しているという事が伺える。




 更にYシャツの上に着こんだ黒いレザージャケットも、一見すればバイクスーツとしても使えそうな市販品のそれに近いが、外見だけでも肩や背中側で装備品を保持できるような細かい改造がみてとれる。


 背には山刀(マチェット)と、その上に非常に小型の肩掛けショルダーバッグ。更に今回はその上にさらに、マンションや一般家庭に置かれているものより一回り大型の消火器まで背負ってきている。これ一つだけでもかなりの重量だ。


 ズボンも、それ自体は市販の安い青いカーゴパンツだ。だがその下にはインナースーツを着こんでいるし、後ろの腰には小型のポーチ。両サイドにはホルスターが装備され、その両方とも殺意の籠った重く重厚な金属物が収められている。



 それは、こと物騒事に疎い少女が見ても一目でわかりそうなほどの、明らかな重武装だった。



 ――さらに、男の片腕は生身ではなかった。その腕は、機械によって出来ていた。


 男は、炭素繊維強化プラスチックの骨格で出来たカーボンフレームの左手をゆっくりと開閉させる。それからその黒い機械の指を、耳に装着したマイク付きイヤホンに添わせると、ガスマスクの男は言葉を発した。


「ミラ・サーティンシックス、聞こえるか。こちらファイアストーム。今輸送ヘリから降下した。交戦予定地域は2キロメートル先。これより交戦予定エリアまで移動する」


『はあい。任務ジョイン参加デューティー! いつも通りわたし、ミラ36号(サーティン・シックス)がドローン36、ドローン81と共にサポートするから、頑張ってくださいネ!』


 聞こえて来たのは若い女性のどこか陽気な声だ。今日も彼女ミラは上機嫌だ。この陰鬱な天候で行う陰惨な仕事の最中でも、彼女さえ居れば退屈はせずに済みそうに思えた。

 男は駐車場のフェンスに向かって走り出すと、その重装備からは想像もつかないほどの身軽な動きを見せた。男はフェンスに足をひっかけると、そのまま片足の力だけで跳躍し、そのままフェンスを飛び越えてしまった。



 着地するとすぐに闇を背にしたまま、そのふちに手をかけ、しがみつく格好となる。

『無理しちゃダメですよ?』

この闇の中でも地表ぐらいは見えるが、それでも10メートルはあろうか、ここは大型スーパーの屋上、常人ならば落ちてただでは済むまい。

「これぐらいは問題ない」



 そう、常人ならば、の話だが。



 男はそのまま壁を蹴って手を離すと、闇夜にその体の全てを差し出した。

『アッ! その消火器どうするんですか! 重いですよ!』


 重力が男を捉え、地に叩きつけんとする。だが男は地表への激突寸前、着地に邪魔な背中の大型消火器を外し上に放り投げると、五点着地による受け身によって落下衝撃を分散し、そのまま前転すると遅れて落下してくる消火器を超人的腕力によってキャッチしてみせた。


「だから大丈夫だ。すぐに合流する、出入り口の監視は頼んだぞ」

『アイ、アイ』

 周囲に人が居ない事を確認すると、ファイアストームは受け止めた消火器をバンドで再度背に固定し、彼は暴風雨の降りしきる闇の中を走りだした。



 ☘


 ――かつて神々の時代があった。神々は人類を作り、人々を愛したが、神々が人類にこの地球ほしの管理を任せ去って行った後、悠久とも呼べる時の中で、人々は神々の存在も、その本当の名前さえ忘れてしまった。



 ――かつて、英雄ヒーローと呼ばれた人々がいた。彼らは人類の中から現れ、人々の代表として立ち、生まれ持った力によりてこの世の闇をはらった。彼らは強く、高潔で、それでいて、正しかった。ゆえに、人々から敬愛された。



 だが彼らが最後に人々の前に現れてから、既に長い年月が経過した。英雄ヒーローはどこかに消えてしまっただけで、まだ死んではいないと言う人が存在する。だが、彼らがどこへ消えてしまったのか、その真実を口に出来るものは、今となってはほとんどいない。





 

 ――英雄が消えた後の時代の狭間に、名も無きひとりの人間がいた。




 彼はただの人間だった。弱く、哀れで、力を持たず、助けを求める、一人の民衆だった。


 彼は祈った。神よ、我を救い給え。

 彼は祈った。英雄ヒーローよ、我を守り給え。




 しかし、祈りは届かなかった。


 彼は神も、英雄もこの世には既に居ない事を確信すると、世に絶望し、命を自ら断った。その今際いまわに、名も無きその人は、世を恨むようにして天につばする。



 ――この世界にあるのは、ただ闇だ。この世界を例え100万ドルの光が照らし、光の街を創り、世界を照らそうとしても、我らの住まうは光届かぬ辺獄リンボを流れる黒き大河の底の闇。

 暗黒の雲の下で雨に怯えて生きる下層の者にとっては、雲の上に住まう人々の作っている世界など意味はなく、本質的には闇のまま。何も変わる事などない。



 最期に男はこの社会、この国への憎悪の言葉の数々を抱き、そう嘆いた。




 そして男は生まれ変わりの存在と、死の川のその先に、剣と魔法、夢と希望、そして美しい愛に満ちた素晴らしい世界が自分のことを待ってくれていると信じて、旅立って行った――。





 時代の進みと共に社会の輝きは増す一方で、その闇もまた深くなる。


 その闇とは、光射さぬ世界のことであり、陽の光に見捨てられた者たちの事であり、あるいはその世界の住民が振りかざした暴力・理不尽によって、心の光を奪われた者たちであり、悲しみを知る者や孤独なる者である。


 彼らは光射さぬ場所へ追いやられるのみならず、その叫びも時として闇の中にかき消される。



 ――だが、闇の全てが彼らを見捨てた訳ではない。

 彼らを照らす光の全てが潰えた訳ではない。

 闇の中に星々の光が弱々しくとも輝くように、月の光が闇を照らすように、それらは存在する。



 彼らの組織は聖(サン)・ハンムラビ・ソサエティ――。



 ……




 暴風に立ち向かうがごとく闇夜を駆ける男のペースは一向に落ちなかった。重装備でありながら、彼はある時は壁を蹴り上げては三角飛びの要領で民家の屋根に登り、建物と建物の間を身軽なフリーランニングで飛び越えては、目的の場所へと向かう。屋根を伝う雨も、吹き付ける風も、ファイア・ストームの行く手を阻むことはできない。


 そして一つのマンションの手前の屋上に辿り着くと、ついに彼は走るのを止め、マンションのベランダが見える地点で身を低くした。



「ミラ、どこだ」

 ファイアストームが呼びかける。


『私はここです。ファイアストーム』

 女性の声が答えると、闇の中から大きさはソフトボールほどの、卵にも似た真っ白な卵形状の物体が姿を見せた。その物体には36の数字と、剣に巻き付いた蛇の描かれた組織の記章。


 男が右腕にはめたデジタル腕時計のライトを押すと、緑色の淡い光が画面を照らす。現在時刻は2時39分。大人も含め、もう多くの人間が寝静まっている時間だ。


「状況を教えてくれ」

 ファイアストームが尋ねると、ミラと呼ばれた卵状のそれは、中心部分をオレンジ色に光らせながら、彼の頭の中へと言葉を伝える。

『81番 (エイティ・ワン)は玄関側を監視中。目標は20時ごろ帰宅し、それからは出入りを行っていません。消灯も1時ごろに確認しています』

「わかった。在宅と前提して強襲を行う。構わんな」

 レイが向かいのマンションの一室に目をやる。その部屋はカーテンが閉められており、明かりは見えない。



『許可します。再確認となりますが、依頼主カスタマーの希望は目標人物の殺害。殺害方法は一任されていますが、依頼主は目標以外の人物の死を望みません。ゆえに広範囲に影響を及ぼす爆発物の使用は極力避けてください。過失が認められる場合、血の代償の対象となります』

「わかってる。目標の追加情報は?」


『大きな追加情報はありません。処刑対象ターゲットの名前は栗平 房田ぼうた、21歳男性。同居者はいません。特に注意すべきデータとしては、以前お話したように超能力者サイキッカーです。事前調査では、疑似発火を主体とした典型的なパイロキネシスのPSY(サイ)のようですが、決して侮らないでください』

「わかった。他には」

『これも前お話した通りですが……超人能力(スーパー・フィジカル)も並行して保有しています。超能力サイキックは疑い濃厚、程度のレベルですが、こちらの方は組織での記録があるので確実です。超人並のパワー、スピード、タフネスがありますが、ケーキ作りが得意かどうかまでは不明です』

「ケーキだって?」

 ファイアストームが思わず聞き返した。


『ただのジョークですよ。もっとリラックスして?』

「あ、ああ……」


 ミラ36号は咳払いしてから、話を本筋へと戻す。


『ただ事実として、4か月前に一度、こちらのエージェントの追跡を振り切っています。それ以外の戦闘データはないので、あるのは単なるスペックだけで格闘戦の技術までは無いものと推察されますが、逃げ足は早いことと、能力的に周辺被害が面倒そうなので、あまり遠くに行かせないことが望ましいです』


「わかった。他には?」

 ファイアストームが追加で尋ねると、女性はこう答えた。


『ハマってるゲームのランク上げがはかりません。後でランク上げを手伝ってください』


 緊張した表情のファイアストームが呆れて少し鼻で笑うと、こう言い返す。

「……お前の方がランクは上だろ。ファイアストーム、これより強襲するぞ」

『どうぞ。私は離れて応援してますから』

 ミラの言葉も聞き終わらない内に左腕に装備したワイヤーガン機構に手を触れると、向かいのマンションのベランダへの黒く細い架け橋がかかる。



 そして跳躍……しようとした時、ファイアストームが思わず踏みとどまった。

『どうしました?』

「一つ聞き忘れてた」


『何でもどうぞ?』

 すると、アサシンはこう尋ねた。


「どんなケーキを今食べたい気分だ?」

『チーズケーキがいいかも』

「今日も死ねなさそうな夜だ。ファイアストーム、交戦開始エンゲージ

 暗殺者ファイアストームが、死と闇の統べる暗黒の世界向けて跳躍した。



「Opening Execution :ACT3」へ続く



===



☘TIPS:世界観情報


 魔術結社サン・ハンムラビ・ソサエティの精確な発足時期を人々は知りません。ただ、内情を知る元メンバーの一人の証言によれば、古くは1400年代、ローマ異端審問会の魔女狩りから逃れ、それらに対抗した人々が作り上げた組織が、その母体であると語っています。


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