8. 再会
「あなたも、そんな目をするのですね」
少女はため息をこぼして王子を見やりました。くやしいとか、かなしいとか、そんな気持ちはありません。ただただ失望するだけでした。
「私は魔女でも化け物でもありませんよ」
「だったら何者なんだ?」
王子は腰のサーベルを構えました。
彼の質問に、少女は答えられません。
自分は「何」なのか。一番身近な「自分自身」が理解できなくて、自分でも自分がおそろしくて。そんな疑問に向き合わないために、難しい本を読んで、自分の興味が自分自身に向かないようにしてきたのですから。
王子は少女に剣を向けて、ゆっくりと警戒しながらにじり寄ってきます。
猟師のときには犬がいてくれました。ですが今、王子の白馬は家の外です。なすすべのない少女は一歩、一歩と引き下がり、すぐに壁際まで追いつめられてしまいます。
少女がなにもしてこないことを悟った王子は、一気に踏み込んで距離を詰めます。
「悪いね」
王子の一突きに、少女はぎゅっと目をつむりました。
しかしその一撃は、少女の服を壁に突き刺しただけでした。
「……殺しはしない。水をくれた恩があるからな」
サーベルは少女の脇腹すれすれを突き抜いています。少女にケガはありませんが、服を固定されて身動きが取れません。
「姫はもらっていくよ」
それだけ言うと、王子は少女に背を向けて棺の方へ歩み寄っていきます。
少女は歯を食いしばって剣を引き抜こうとしますが、見事なまでに壁に刺し込まれているようで、びくともしません。
そうしている間に、王子は棺のそばに坐して白雪姫の手を取り、「ああ、美しい」と嘆息しました。
少女は作戦を切り替えます。この態勢のまま服を破いてしまおうとしたのです。ところが刃が少女の身体を向いていて、ちょっとしたはずみで少女の身体が傷つきかねません。少女の脇腹にじっとりとした汗がにじみます。
もともとの非力さに加えて、そんな状況ですから、少女には力いっぱい布地を引き裂くことなんてとうていできません。少女がもがいているうちに、王子は白雪姫の艶やかな髪を手に取っています。王子は一房の髪を、そっとみずからの鼻先に持ってゆきました。
――嗅がれた。一緒に寝ていたときに、私だけが感じていた匂いを。
怒りで身体が冷えていき、思考が研ぎ澄まされ、少女からあせりが消えていきます。
少女は服を破くのをあきらめました。そして代わりに、服を壁に残したまま脱ぎ捨てようとしたのです。相変わらずサーベルは少女の間際で刃を剥いていましたが、もはや少女におそれるものはありません。身体をよじらせながら、まずは袖を引き抜きました。
あとすこし、と思っていたそのとき、少女は王子を見て愕然としました。
王子が白雪姫の顔を抱え込み、今にもキスをしようとしていたのです。
――させない。
少女はくぐり抜けるように貫頭衣を脱ぎ捨て駆け出し、途中の本棚で一番分厚い本を引っ掴んで、王子に飛びかかり、
「くたばれクソ王子いぃぃ!」
なけなしの全体重をかけて王子の首筋に背表紙を叩きつけました!
なにかが折れるような鈍い音が部屋じゅうにこだましました。
直後に王子の身体が持ち上がり、そのまま力なく床に倒れ込んで、ぴくりとも動かなくなりました。
「なんかすっごい痛い! っていうか血!? 口から血!? あ! 前歯がない!? え? え!?」
代わりに白雪姫が、口から血を流して激しくうろたえながら勢いよく飛び起きたのです。床では王子も口から血を垂れ流していました。棺の中には大きさの違う歯が二つ、ひっそりと転がっています。
「白雪姫」
少女が呼びかけますが、白雪姫は相変わらず取り乱したままです。
「……白雪姫!」
「はいっ!?」
二度目の呼びかけに白雪姫が振り向いたところで、少女はそっと彼女に口づけをしました。
――ファーストキスは鉄の味。
そんなことを想いながら、少女は白雪姫の頭に腕を回しました。
相変わらずあたたかい。そのことを身体中で感じて確かめて、ようやく少女は白雪姫を解放しました。
なにが起きたのか、理解が追いつかないままぼんやりとしている白雪姫に、少女は優しく語りかけます。
「消毒です」
「へ?」
「穢れに触れたら、こうしないといけないのですよ」
うっとりとした顔で、少女は白雪姫の手の甲にもキスをして、そして髪の毛にもくちびるを押し当てました。さっき王子が触れた部分です。
「小人さん……キャラ変わった?」
「東洋にはこんなことわざがあります。『男子三日会わざれば刮目して見よ』」
「いや女子でしょ小人さん」
「女子だって一か月もあれば変わります」
「一か月?」
白雪姫は、自分の身に起きた出来事を分かっていませんでした。少女は穏やかに微笑んで、ことのいきさつを丁寧に説明し始めます。どれだけ自分が悲しんだか、棺を手に入れるのにどれだけ苦労したか、王子の蛮行を阻止するためにどれだけがんばったか、などを切々と語り上げました。
話し終えて、少女はあらためて白雪姫をまっすぐ見据えました。
「一か月ぶりの、おはようございます」
前歯が一本欠けてしまって、もはや彼女は「世界で一番美しい」とは言えなくなりました。ですが、そもそも森での生活に美貌は必要ありません。
「そしてこれから先もずっとよろしくお願いします」
ちょっと間の抜けた性格にはぴったり、と少女は心のなかでつぶやきました。もちろん白雪姫は少女の内心なんか分かりません。
「うん、よろしく」
白雪姫は当たり前のように少女の言葉を受け止めて、にっこり笑って応えました。
そのまなざしには、猟師や王子が投げかけたような恐怖や嫌悪はまったく含まれていません。
少女は歓びに目を潤ませながら、もう一度白雪姫を抱き寄せるのでした。
****************
その後少女は部屋に転がっていた王子を白馬にくくりつけて、予定どおり王国に連れていくよう白馬にお願いしておきました。前歯は折れていますがなかなかの好青年です。王国の行事に参加して、きっと適当な姫君とよろしくやることでしょう。
こうして邪魔者はいなくなり、少女と白雪姫は森の家で末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。
グリムの野に咲く百合の花――白雪姫 九蘇屋ロウ @doukuso
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