28 閑話_6年前①~黄空と黒空~


 その日、フィルは仕事帰りに〝黄空〟の根城である〝空島〟を訪れていた。

 発着場に愛船を泊めて、地面に降り立つと隣を見た。


(………仕事前か)


 積み荷や人でごった返している〝空船〟は、出港準備を行っていて、気配を探ると、町の中央にある建物に知った気配が固まっているのが分かった。

 どうやら、仕事の打ち合わせ中のようだ。


(どうすっかなぁ……)


 ただ、近くに来たので、飯を食べに寄っただけだった。

 既に〝黄空〟のメンバーではないので、そこに行くのは憚れるが――


(まぁ、いいや)


ふと、気配を消して、どこまで近づけるか確かめたくなり、にやり、と笑う。途中で気付かれたらそこで止めればいいし、気付かなかったら中のことを盗み聞きしてやろう。


「おう、フィル!」

「元気そうだな」

「どうだ、仕事は?」

「ボチボチだな……」


 見知った者たちが声を掛けて来るので、適当に挨拶や返答をする。

 気配を消しながら発着場を出て、ブラブラと中心部に向かった。気配が完全に消えれば、通りを歩く住民たちはフィルに気付いた様子はない。











(さて。場所は――)


 程なくして、フィルは町の中心部――役所に着いた。

 気兼ねなく玄関のドアを潜って玄関ホールを抜けて、仕事前の打合せをしているいつもの会議室に向かう。

 時折、すれ違う者たちは、フィルを見ても挨拶を交わすだけで、特に止める素振りは見せない。

 その様子に「一応、部外者なんだけどな……」と内心でぼやきつつ、目的の部屋の前に辿り着いた。


(さすがにドアからは入れねぇし――)


 どうするか、と周囲を見渡した時だった。


「おいおい。平然と入って来るな、一応、部外者だろ」


 ドアが開いて、顔を覗かせたのはブライドだった。呆れた表情で、こちらを見下ろして来る。


「お? 気付いてたのか?」

「気配を隠すなら、着いた時にしろ。メフィスが気付いてたぞ」


 にっと笑みを見せると、ため息をつかれた。


「だよな」

「………お前な」


 分かっているだろうにと言うブライドに、ははっ、と笑えばさらにドアが開いて赤い髪の男が姿を見せた。

 二十代後半ぐらいの男で髪と同じ赤い瞳を持ち、深緑色のつなぎを着ていた。


「おい。笑いごとじゃないぞ、フィル」

「よぉ、オルギス」


 軽く手を挙げれば、赤い髪の男――オルギスは眉を寄せる。


「何だよ? 今日はやけに機嫌がいいな?」

「そうか?」


 ニヤニヤと笑えば、二人は顔を見合わせた。


「何か気持ち悪いな……」


 オルギスはフィルに視線を戻して、ぼそり、と呟いた。

 

「失礼な奴だな………るか?」


 一瞬で、フィルの瞳の奥に剣呑な光が宿るも、慣れている二人は顔色一つ変えなかった。

 二人の視線がフィルからその後ろに動く。

 フィルも後ろに立つ気配に気づいて振り返る前に、ごつっ、と後頭部を何かで叩かれた。


「何だよ……」


 邪魔をされたことに眉を寄せて振り返れば、そこにはメフィスが立っていた。

 背後を取られてしまうのは、相変わらずだった。

 メフィスはフィルの頭を叩いた右手を下ろすと、呆れた視線を向けて来た。


「おいおい。遊ぶなら〝下〟でしてきてくれ。これから、仕事なんだ」

「あぁ? ………いいのか?」


 フィルはさらに眉を寄せたものの、その言葉の意味を理解すると目を輝かせた。


「ああ。群れの中でボス争いがあってな……何頭か抜けた奴が暴れているんだ。ブライド、連れてってやれ」

「………まぁいいだろう」


 ブライドはメフィスをちらりと見て、小さく頷いた。


「ん? おっさんも行くのか?」

「指揮をな。若手を連れていくつもりだ」


 既に現役を引退しているブライドは、後方支援――次世代の育成に力を入れていたことは知っていたが、まさか、陸獣討伐に同行してくるとは思わなかった。

 どうやら、若手の訓練の一環として討伐しに〝地上〟に降りるようだ。


「ってことは、他にもいるのか……」


 やれやれ、とため息をつくと、オルギスは何についてのため息モノなのか察し、


「相手は〝キュプロス〟だぞ? 油断するなよ?」

「ああ。分かってるよ……」


 気のない返事に、オルギスは眉を寄せる。


「さっきまでウキウキしていたクセに………忙しい奴だな」

「…………………やっぱり、るか?」


 睨み合う二人にメフィスは笑い、ブライドはため息をつく。

 フィルとオルギスの遠慮のないケンカ腰の言い合いは、相棒だった頃からのものだった。

 〝黄空〟時代にオルギスの教育係をしたことがきっかけで、たった数年だけの相棒だったが、互いに気の置けない関係は今も続いていた。


「だから、〝下〟に行け」


 フィルの死角から拳を振り上げたメフィスは、再び、軽く拳を下ろした。

 メフィスがツッコミを入れて来ることは予想がついたので、さっと身を引いてその一撃を躱す。


「――お?」

「そう何度もくらうかよ」


 不思議そうなメフィスや驚いた様子のブライドとオルギスたちに、にやり、と笑った。

 メフィスは片眉を上げ、


「何だ。本当に調子がいいんだな………強敵にでもあったのか?」

「ああ。仕事終わりに〝空賊狩り〟に

「は?」

「お前な……」


 あっけらかんと〝空賊狩り〟――敵に会って笑うフィルに、オルギスは目を丸くし、ブライドは額に手を当てた。


「〝空賊狩り〟か。……強敵と言う割には、怪我はねぇな?」


 ただ一人、メフィスは少しだけ真剣な表情をしてフィルを上から下へと見た。


「相手は全員、遠距離攻撃系の力ばっかりだったんだよ。………負ってもかすり傷程度だったから治ったぜ。ただ、〝空船〟の方が被害が大きくて、直すのに金がかかったけどな」


 ふむ、とメフィスは頷いて、


「覚えていることを聞かせてくれ。お前を襲ったぐらいだ、〝十空〟にも手を出してくるかもしれん」


アゴで会議室の中を指した。


「ああ。いいぜ」











「――っと、まぁこんなところだな」


 一通り、覚えている〝空賊狩り〟の戦力と戦闘中に思ったことを伝えると、メフィスは副長にまとめて仲間たちに情報を徹底させるように指示を出した。


「ひとまず、相手の〝空船〟は壊したんだな?」

「ああ。航行不能で落ちたぜ」


 ブライドにフィルは頷いた。

 オルギスは片眉を上げ、


「……何だ。追い打ちはかけなかったのか? 見せかけの可能性もあるだろ?」

「そうだな……攻撃系の〝力〟を持つ〝クロトラケス〟なら、〝下〟に落ちたところで、どうにでもなる」


 オルギスに幹部の一人が頷いた。

 周囲の視線を集め、「あー」とフィルは目を逸らす。


「……まぁ、こっちも〝船〟の損傷があったからな。引き分けってことだ」

「へぇ……?」

「お前が?」

「引き分けか……嘘くせ」


 周りにいるほぼ全員にじと目を向けられた。


「いいだろ、別に」


 フィルは顔をしかめ、その視線を振り払うように手を横に振った。


「それより、仕事の話は良いのか?」

「ああ。最終確認だけだったからな」


 お前が来た時に終わったぜ、とオルギスは言った。

 

「ふぅん……?」


 フィルは目の前にある大きな机――そこに乱雑にる書類にさっと視線を向けたが、「もう片付けたぞ」と言われて肩をすくめた。

 隣に立つブライドに視線を移し、


「俺たちはいつ出発するんだ?」

「二時間後だ。一応、地図を渡すが――」


 ブライドは近くにいた者に取ってくるように指示を出し、フィルに呆れた視線を向けて来た。


「どうせ、飯を食いに来たんだろ? あとでメフィスの家に届けてやるから、それまで腹ごなしでもしてろ」

「………」


 メフィスに視線を向けると、心得ていると言わんばかりに、にやり、と笑っている。


「………まぁ、な」


 小さく呟けば、くくっ、と周囲で笑い声が上がって、それは室内にいる者たち全員に伝播していった。


「相変わらず、だな。お前……」

「うるせぇ」


 ニヤニヤと笑うオルギスに、フィルは顔をしかめて顔を背けた。











「最近の仕事はどうだ?」


 テーブルに所狭しと並べられた料理を片っ端から口に入れていくフィルを見ていたメフィスは、唐突に尋ねて来た。


「………ボチボチだな」


 ごくり、と口の中の物を飲み込んで、フィルは簡潔に答えた。


「この前、〝赤空〟と揉めたって聞いたぞ?」

ふぁ?――ああふぁふぉ下っ端の下っ端となふぁんふぁっふぁのふぁふっあほな

「いや、分からねぇよ」

「…………だから、下の下の奴らだよ」


 苦笑するメフィスに、フィルは言い直し、


「横取りしたとかしないとかでな……まぁ、一応、話はついたから」

「一応、なぁ……?」


 ほぼ半殺しにした下っ端の下っ端を〝赤空〟の領域に連れて行って出て来るのを待ち、をしただけだ。


「別にり合ってねぇぞ?」


 全面的には、と言う言葉は敢えて言わなかった。

 相手がフィルたちを発見した時、何を勘違いしたのか襲って来たので返り討ちにした――殺してはいない――のだ。

 それから、やっと〝赤空〟がやって来て、ただの話し合いだけで終わった。


「………そうか。残念だったな」


 メフィスは、フィルの表情から嘘は言っていないことに気付くと、そう言って来た。


「まぁいいさ。……も見つけたし」

「いや、敵なんだが……」


 全く、とメフィスは呟くも、口元は笑っていた。






 食事を終えて一息ついた頃に、若い男がフィルを呼びに来た。

 少し緊張した様子で、ぴんっ、と背筋を伸ばしてブライドの言伝を伝え、勢いよく頭を下げる。


「よろしくお願いします!」

「ああ。よろしくな」


 男は顔を上げたかと思えば、次にメフィスにも一礼した後で、そそくさと出ていった。

 さすがにトップの前には長居をしたくないのだろう。


「……大丈夫か?」

「まぁ、これからだ」


 その背中を呆れた様子で見送り、メフィスを振り返ると楽しげな笑みを浮かべていた。

 そう言うものか、と内心で小首を傾げつつ、イスから立ち上がる。


「じゃあ、また食いに来る」

「おう。またな」


 フィルは、ひらり、と手を振ってメフィスに背を向け、その家を後にした。






 ―――それが、メフィスとの最後の会話だった。

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