29 閑話_6年前➁~散りゆく華~


―――〝黄空〟の死去



 仕事を終えたフィルは、〝白空〟から流れて来る情報の中にその単語を見つけ、〝黄空〟が根城にしている〝島〟に向かった。

 発着場に泊める暇も惜しんで、町中に愛船を突っ込む。

 町のほぼ中心部にある役所の屋上に泊め、一足飛びに屋上に飛び降りた。屋上の縁に駆け寄って、すぐ隣――集会場を取り囲んでいる住民たちを見下ろす。


「………」


 〝空船〟の出現に、誰もが緊張と警戒の面持ちでこちらを見上げていたが、その姿を見つけると驚愕で目を見開いた。

 騒めきは一瞬。

 しんっ、と静まり返った――耳が痛くなるほどに静謐とした空気の中、集会場と住民たちの間に躊躇なく飛び降り、重厚な作りのドアを蹴り開けた。


「―――!」


 突然、響いた重低音に、室内にいた全員が振り返る。

 重く沈んだ空気が叩かれると言う暴挙に殺気立った視線を入り口に向けるが、そこに立つ人物を見ると一瞬で消え、住民たちと同様に驚いて目を見開いた。


「…………」


 すぐ横を血と汗の臭いが鼻腔を通り抜け、ぴくり、と《血》が反応する。

 室内にいたのは、元仲間たちだ。

 その半数以上は負傷しており、用意された長いすに腰を下ろしていた。

 あとは無傷の者ばかりなので、恐らく、〝島〟に居た者か後方支援を行っていた者たちだろう。


「――フィル」


 一番奥に立つ男――ブライドは顔を歪めて口を開くが、それ以上の言葉は言わず、口を閉ざした。

 その隣で、青い顔をした元相棒のオルギスも、無言でフィルを見つめるだけだ。その身体は汗と血に汚れ、所々に包帯を巻いていた。


「………」


 無言のまま、一歩、足を踏み出す。

 ねっとりとした空気――悲壮漂う空気が身体に纏わりつき、突き進むことを拒否していた。

 いや、現実を――聞こえた情報が真実だと知ることを、身体が拒否しているのだ。


「―――っ」


 やがて、辿り着いた先、一番奥に置かれた棺の中には、五十代ほどの金髪の男――メフィスが横たわっていた。

 目を閉じた表情は穏やかだったが、そこに〝生〟はなかった。

 血の気が完全に消えて、日に焼けながらも青白い顔には、はっきりと死相が現れている。




―――ぎちり、




と。何かが軋んだ音がした。

 握り締めた拳の中に生暖かいものが流れ、ぴちゃり、と床に落ちる音がよく響いた。錆びた鉄の臭いが、鼻をつく。


「………………………………メ、フィス」


 呼び声に、答える者はいない。

 その掠れた声が、自分のものとは思えなかった。

 嗅ぎなれた血と死の臭いに、くらり、と頭が揺れた。

 こんな時でも、《血》は騒めいてしまう。

 ぐにゃり、と歪んだ視界に耐え切れず、目を閉じた。


「――誰だ?」

「フィル。今のお前は――」

「副長派か……」


 目を開き、ブライドを遮って呟いた。

 ほぼ全員に近い元仲間たちが室内にいるが、十数人ほど姿が見えない――その気配がこの〝島〟にいない者がいた。


「………」


 周囲から返って来る無言が、フィルの言葉を〝是〟としていた。


(あぁ………なるほど)


 ははっ、と呼気のような笑いが漏れる。


「っ!」


 誰かが息を呑む音がしたが、構わずに口元を歪めた。


(そうか……そういう事かっ!)


 いないと言う事は――

 別に、気に入らない相手ではなかった。

 出会いが出会いだけに最初は警戒され、仕事に付いて行ってもその後でグチグチと小言を言われていたが、それは一人で暴れることで周囲にいる自分たちへの影響を心配してのことだった。

 少し口うるさいが、メフィスからの信頼も厚く、前衛で支えるブライドと同様に、参謀のような立場で支えていた副長。

 次第に打ち解けて来て――〝仲間〟だと思っていた。

 思っていたが――




「―――俺が殺す」




 その言葉は、すんなりと口をついて出た。

 それに呼応するように心臓が早鐘を打ち、沸き起こる〝熱〟が全身に回り出して身を焼いた。胸の奥から上手く言い表せないがこみ上げ、肩が笑うように揺れる。


「フィ――っ」


 ブライドは呼びかけようとして、フィルから放たれた濃密な殺気に気圧され、息を呑んだ。

 他の者たちも敏感にを察し、気配が揺れた。

 ひしひしと感じる視線に恐怖が含まれていることに気付きながら、言葉を続ける。


「俺が殺す。―――誰にも邪魔はさせない」


 こみ上げる重く暗いが完全に形となる前に、言葉を吐き出した。

 吐き出さなければ、今すぐにでも爆発しそうだったからだ。

 ゆらり、と身体を揺らして、そっと棺の中に手を伸ばす。


「おたくらは体制を整えろ――降りかかってくる火の粉は、全て俺が払う」


 そして、そこに入れられている一枚のバンダナを手に取った。



 それは〝黄色〟のバンダナで――〝黄空〟に属する証だった。



 綺麗に畳まれた黄色のバンダナをポケットに突っ込み、メフィスの穏やかな顔を見つめた。

 目を大きく見開き、その顔を焼き付けるように凝視する。


「おたくが守ってきたものは、奪わせない」


 ぼそり、と周囲に聞こえないように口の中で囁いて、背を向けた。


「っ!!」


 ガタガタッ、とその顔を見た元仲間たちが、イスを後ろに押すように身を引き、ある者は立ち上がって距離を取った。

 左右に立つブライドと相棒も、声を掛けることが出来ずに立ち尽くしていた。

 

「…………」


 誰もが口を閉ざして開けた道を振り返ることなく通り抜け、〝島〟を後にした。











         ***










 

 炎と爆発音、また、金属が軋むような音にも支配された空間で、二人の男が向き合っていた。

 一人は全身を血に染めて、暗い影を纏いながらも爛々と輝く赤い瞳に、能面のように表情のない若い男で、その両手からは細い糸が無数に放たれ、周囲に張り巡らされていた。周囲に踊る炎に照らされ、キラキラと輝きを放っている。

 そして、もう一人は同じように血に染まりながら機械に背を預け、座り込んでいる五十代ほどの男で、ぐったりと手足を投げ出しているが、その右手首と左足の脛から先はなく、血だまりが出来ていた。

 その男は自身の血に染まりながら不規則な呼吸を繰り返し、俯いていた顔をゆっくりと上げた。

 ごぼり、と口の端から血を漏らし、それを拭うこともせずに淀んだ瞳を目の前で見下ろしてくる若い男に向ける。


「ぐっ――やは……おまえ、が……来る、……か」


 大きく咳き込み、さらに血に染まっていくのは、その身に無数の切り傷があるからだ。

 一際、大きな切り傷は左肩から腹にかけて一直線に刻まれていて、一目で致命傷だと分かる。


「………」


 次第に血の気を失っていく男を若い男――フィルはじっと見つめているだけで、無言だった。

 男がした行為については、糾弾もせず、疑問も投げかけない。

 それが無意味だと、分かっているからだ。

 既に終わったことに対して何をしようと、もう変わらない――〝黄空〟の座は空いてしまった。


「空賊なら、欲しい獲物は奪い取る――それは分かる」


 淡々とした、感情が抜け落ちた声でフィルは言った。


「――だが、不文律はある」


 空賊にも、犯してはならぬ不文律はあった。

 圧倒的な〝白空〟のその実力の下、それは〝十空〟だけでなく〝色なし〟にも――全ての空賊に多大な影響力を持っていた。

 何故なら、それを犯した者たちは全て粛清対象となり、〝黒空〟によって排除されるからだ。

 それが〝十空〟の中でも異質とされる、〝黒空〟の一面だった。


「〝黒………〝白、空〟の……狗が……!」


 その罵りは幾度も聞かされて慣れているため、フィルの表情に変化はない。

 〝黒空〟を打診された時、初めて〝仕事〟があるのだと知り――そして、それを承知した上で引き受けた。

 空賊の不文律は、唯一つ。




 ―――〝受けた恩や借りへの義理は通す〟




 ただそれだけのことだったが、欲望に塗れた空賊には必要だと思い、引き受けたのだ。

 〝白空〟の了承の下、空賊同業者と敵対出来ることや狗と呼ばれることになろうが、どうでもよかった。それさえも失ってしまえば、危険に満ちながらも自由なこの〝空〟がなくなるような気がしたからだ。


「―――いや、それは違う」


 コレは自分がやりたかっただけで、〝白空〟や〝黒空〟とは何の関係もない。

 フィルは右手で左袖をめくり上げ、腕を見せた。

 、そこに巻いてある〝黄色〟のバンダナを。


「―――っ……!」


 男はソレを見て、目を見開いた。

 黄色いバンダナを持つ意味――それは、今回のことは〝黒空〟の仕事の一貫ではなく、元〝黄空〟のメンバーであった頃の義理として行ったことへの証明だった。

  

「……だかっ……【ヘアー………嫌……んだ」


 ごぼっ、と口から血が溢れ、目が揺れて瞼が落ちていく。


「おま………ちの《血》………を選ぶ………」


 そして、少しだけ目を開いたまま、男は動きを止めた。

 それを見て、フィルは数秒だけ目を閉じた。

 再び、瞼を開いた時には、既に男を見てはいなかった。


「次は――」


 頭上を――〝空〟を睨み、ふっと息を吐く。

 まだまだ、これからだ。

 顔を下に向けて男を一瞥し、


「沈め――欲望と共に」


フィルは糸を振るった。 






―――そして、約一年ほど【狂華ヘアーネル】は〝空〟に狂い咲き続け、散った。

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