27 【狂華】のある一日


(どんな感じなんだ……?)


 フィルは手早く作った朝食を食べながら、審査のことに考えを巡らせていた。 

 審査も十一日目となり、次の『都市』まであと数日。

 『都市』に着く前に審査結果が分かるので、猶予はないだろう。


(全員には会ってる、よな?……それなりに話しかけて来るやつとか、視線も少なくなってきているような気がするし……)


 『フェルダン市』に滞在中、成り行きでイザベラの店を手伝い始めてから、店を訪れる島民と知人になり、声を掛けてくる者もいた。

 ただ、相変わらず、ウルリカに見つかればちょっかいを出され、警備部のある坊主には目の敵のように付きまとわれ、生業室のばぁさんにはアレコレと腕輪のことについて――数人の技術者に囲まれるおまけ付きで――質問攻めに遭っていた。

 何度も行き来しているうちに倉庫で働く面々と飯を一緒に食べるようになったのは、ここ最近のことだ。

 何となく打ち解けて来た気はするが、それでも、まだ部外者に対する一線が引かれているのは感じていた。


(上手くいってるのかいないのか分からないな……)


 このまま、手伝いを続けるだけでいいのか疑問に思うものの、ただ、歩き回っているよりは交流はあるか――と考えた所で、




―――ピンポーン




と。インターフォンが鳴った。

 こちらに近づいて来る気配には気づいていたが、まさか、この部屋を尋ねて来るとは思わず、フィルは片眉を上げてドアへと振り返った。


(しかもこの気配は……)


 尋ねて来る相手は限られているが、その気配とは違う――それでいて、よく知っている者だった。

 ピンポーン、ともう一度、催促するように鳴らされた。


「はいはい……」


 何の用なんだ、とフィルは内心で小首を傾げつつ、ドアを開けた。


「おっはよー!」


 途端に、底抜けに明るい声が聞こえた。

 朝だと言うのに既にテンションが高いのは、

 にこっ、と笑みを浮かべてドアの前に立っていたのは、十代前半ぐらいの少女――エイルミ。

 宿泊施設ホテルで世話になっていた職員の一人だ。


「おう。……朝から元気だな」


 フィルも朝に弱いわけではないが、このテンションは出てこない。


「で? 何か用か?」


 約半年、ホテルに滞在していたことや〝記憶操作〟されかけたこともあって、顔を合わせることは、少々、複雑だったが、エイルミは――審査中も幾度か会ったが――気にした様子もなく、いつも通りだった。


「お知らせがあるの。お兄ちゃんにとっては、いい話かな?」

「……いい話?」


 審査のことかと思うが、それならユオンが言ってくるだろう。


「うん! 次の『都市』までの日にちなんだけど、二日ぐらい延びるんだって。だから、お兄ちゃんの審査も必然的に延びることになるから」

「…………延びたのか」


 航路が延びることは珍しくないが、


(前は、早まっていたが………)


 確か、『フェルダン市』に来る前は――どんな理由か分からなかったが――日程が早まっていた。遅くなるのは珍しくはないが、早まることは滅多にないので、一体何があったのか見当もつかなかった。


「そう。だから、あと五日ぐらいあるよ?」

「ああ。分かった……」


 フィルが頷くと、じゃあね、と小走りにエイルミは去っていった。

 フィルはドアを閉めてカギをかけ、イスに座り直す。


(延びたってことは、航路を変えたのか………?)


 何故、と疑問に思うも理由など、空賊以外にはないだろう。


(確か、この〝島〟に入る前に少し騒がしくなって来ていたから………それか)


 半年前の噂では、世界各地で空賊――恐らく、〝色なし〟だ――の動きが活発化してきていたので、その波紋は大きく広がってきたのだろう。


「……………まぁ、いいか」


 フィルは頭を振って、再び、朝食に手を伸ばした。











(―――ピリピリしているな)


 手提げカバンを右手に図書館に向かっていたフィルは、周囲の気配――〝島〟の雰囲気がいつもと違う気がして、内心で小首を傾げた。

 行き交う島民たちは普段と変わりないが、僅かに雰囲気が違うのだ。

 いつも付きまとう視線も、心なしか、少ない気がする。

 その様子を横目にしながら、フィルは役所の中に入った。

 図書館は役所の二階からしか通じてないのだ。


「おはようございます」


 受付に座る女性が、にこり、と笑みを浮かべて声を掛けて来た。

 フィルも挨拶を交わし、左右にある階段のうち、左側に向かった。


(ここも……ちょっと違うな)


 やや慌ただしい雰囲気を感じながら、二階の通路に出ると〝図書館〟とプレートのある部屋の前で止まった。

 両開きの重厚なドアを軽くノックし、


「おーす」


ドアを押し開ければ、紙の匂いが鼻腔をついた。

 ドアのすぐ左手側にカウンターがあり、そこに一人の姿があった。

 背中を丸め、熱心に手元の本に視線を落としている。


(相変わらず、行儀が悪いな……)


 ゆっくりと近づいていくと、イスの上に器用に両足を乗せて、その膝の上に本を置いているのが分かる。

 ただ、ちゃんと、靴は脱いでいるようだ。

 その人物は三十代半ばほどの女性で、薄い緑色の髪は肩の辺りで切りそろえられ、所々、寝癖で跳ねていた。髪と同じ色の瞳は、舐めるようにページを見つめている。


「………」


 ぺらり、とページがめくられた。

 フィルが入って来たことには、全く気付いていないようだ。

 はぁ、とため息をつき、


「………おい!」

「ひぇあっ!」


 すぐ近くで呼びかけると、びくっ、と身体を震わせて、その女性は飛び上がった。イスから転げ落ちそうになって、右手で本を抱きしめて左手をばたつかせる。


「――っと」


 フィルは女性が落ちる寸前でその左腕を取り、強く引っ張って元の位置に戻した。

 驚いて息を荒げる女性――キリニは、ふぅー、と大きく息を吐くと、フィルに振り返った。


「ちょっと! 驚かさないでよ!」

「………仕事中に趣味に走ってるのが悪いんだろ。客だ客」


 はぁ、とため息を返し、フィルは手提げカバンから読み終わった本を取り出して積んでいく。


「だって、こんな時しか堂々と――ぁ……」

「………」


 つい出たであろう本音に、フィルはじと目を向けた。

 あはは、と誤魔化すように笑って、キリニは抱いたままの本をカウンターに置き、積み上げられた本に視線を向けた。


「もう、読んだの?」


 あからさまに話題を変えて来たが、フィルは頷いて、


「ってか、こういう系の本は俺に勧めるなよ……」


 借りた本は、キリニにオススメとして紹介されたものでシリーズ全五冊だ。


「ええー……オススメって言ったじゃない!」

「何でもいいとは言ったが、さすがに恋愛小説はな……おたく、わざとだろ?」


 題名はいたって普通のモノだったので借りた時は分からなかったが、読み始めると甘々の恋愛小説だったのだ。

 今までは軽く絡んで来ることはあったが、さすがに恋愛を主にしている本は手に取ったことはなかった。


「私の中では、ここ最近の一番だったのにー」

「頼むから別のにしてくれ。前の旅行記はよかったのに……」


 その前に勧められて借りた旅行記物は、中々、面白かった。

 だから、似たような題名の物を勧められても迷いなく借りたのだ。


「注文多いなぁ……」


 ブツブツ言いながらも、キリニは手元の機械に何かを打ち込んでいく。


「うーん………旅行記系なら、まぁ、いいんだよね?」

「………まぁ、恋愛要素が濃くなければ」


 キリニは両手を組んでグニグニと動かし、ちらり、と上目遣いに見上げて来た。

 何だ、と片眉を上げると、そっと視線を逸らして引き出しを開ける。


「じゃあ、そんなあなたにオススメなのは――コレ!」


 どんっ、とカウンターに置かれたのは、厚さ五センチ以上はある一冊の本。こげ茶色の表紙に暗い赤色の糸で幾何学的な模様が描かれ、中央には何かの紋章があった。


「……厚いな」


 手に取り、題名を読むと、




―――〝黄昏に掛かる虹の行方〟




と。あった。

 その題名に眉を寄せ、キリニに視線を向ける。


「おい。これって……」


 〝黄昏〟や〝虹〟という単語から、連想されるものは一つしかない。


「〝戦役〟を題材にした物語。かなりの希少本よ?」

「物語……題材ってことは、史実とは少し違うのか?」

「まぁ、少しだけね」


 曖昧な答えに、フィルは眉を寄せた。


(少し、な……)


 この単語と希少本と言うことから、十中八九、ココに関係しているのは分かる。


「どれだけ違うかは――ご想像にお任せするわ」


 にやり、とキリニは笑った。


「どうして、今更――」


 勧めて来る理由が分からず、困惑した声が出た。


「えっ? 面白いよ?」

「…………」


 他に何かあるの、と言う表情のキリニから視線を外し、フィルは手にした本の表紙を見つめた。











 結局、フィルは押し付けられるようにその本を借りて、次にイザベラの店に向かった。

 『リーメン』に行って、航路のことでも聞こうかと思っていたが、何故か行く気にはなれず、このまま、昼食を買ってアパートに戻ることにしたからだ。そのまま、本を読んでしまうつもりだった。


(史実を基にした物語、か……)


 ずっしりと重い本を気にしながら、ブラブラ、と歩いていると、


「おーす! フィル!」


軽く肩を叩かれた。

 振り返ると、そこには三十代前半ぐらいの灰色の髪の男が立っていた。

 灰色の髪を短く整えた細面の優男で、フィルよりも背が高く――恐らく、百九十センチ近くはあるだろう。細身ながらも肩幅はがっちりとしていて、見るからに鍛えられた身体をしていた。

 にかっ、と笑みを浮かべ、碧眼は楽しげに細められている。


「おう。珍しいな? こんなところで」


 灰色の髪の男――ヒョウゴと会ったのは、イザベラの店の手伝いをしている時だった。イザベラは弁当の注文も受けていて、ヒョウゴの仕事先まで届けたことがあるのだ。

 ただ、そこが輸入した物を一時的に収める倉庫であったため、何故かその整理を手伝う羽目になったが。


「メシだよ、メシ。久々に皆で取ることになって、イザベラ姐さんのトコに貰いに行くところだ」


 ヒョウゴはそう言って、「お前も行くんだろ?」と尋ねて来た。


「ああ。昼飯を買いにな」

「そうか。一緒に行こうぜ」


 断る理由もないので、フィルは頷いた。

 ヒョウゴは、ちらっとフィルが持つ手提げカバンに視線を向けて、


「また、本を借りたのか? 今度はキリニにどんなのを勧められたんだ?」

「あ? ……あー……〝ギガントマキア戦役〟を題材にした本だ」

「〝戦役〟を?」


 ヒョウゴは小首を傾げ、何かに気付いたように「ああ」と声を上げた。


「〝虹の行方〟な。俺も読んだことがあるぜ」

「そうなのか?」


 本を読むタイプには見えないので、疑わし気な視線を向けると、


「おいおい。お前には言われたくないな」

「……俺は暇つぶしだ」

「暇つぶしでも考えられねぇって」


 はははっ、と笑われ、フィルは顔をしかめた。


「で。どんな話なんだ? 史実に基づいたって言っていたが……」

「そんなもん、読んだら分かるさ」


 にべもなくそう言われてしまった。正論だったが、


「前にキリニに勧められた本、恋愛小説だったんだよ」

「ん? ああ、さすがにそっち系は合わねぇか。……わざとだな」


 じっと見て来たかと思えば、ぷっ、とヒョウゴは吹き出した。


「くっくくっ……お前に恋愛系……ははっ、似合わねぇー」

「おい……」


 フィルは眉を寄せて、ヒョウゴを睨む。


「くくっ………悪い、悪い」


 肩を震わせて笑うヒョウゴは、口元を緩めたまま、フィルを見て、


「あー……安心しろ。そっち系じゃねぇよ。普通の戦記物――ってわけでもないな。至って普通だ、普通」

「………なら、いいが」


 ちらり、とフィルは手提げカバン――その中にある本に視線を向けた。


「まぁ、生まれる前のことだからなぁ……どれだけ、史実に基づいて書かれているのかは俺にも分からねぇけど、その本を書いたのは〝戦役〟を生き抜いた奴には違いねぇぜ?」

「……そうなのか?」

「その著者、〝世界会議〟の発足当時のメンバー ――その家族なんだよ。知り合いの可能性は高いだろ?」

「!」


 勧めて来た理由を気にするばかりで、著者までは見ていなかった。


「結構な厚さがあるけど、面白かったぜ。次の『都市』に着くまでには、読めるんじゃないか?」

「………ならいいが」


 あまり、深く気にせずに読んだ方がよさそうだ。

 はぁ、と息を吐き、


「………そう言えば、何で日程が延びたか聞いているか?」


 キリニには、本の事を気に取られて聞くのを忘れていたので、改めて、ヒョウゴに尋ねた。


「ん? ――ああ。空賊だってさ」


 問いかけると、あっさりとヒョウゴはそう答えた。


「何か、ここら辺の空域は色々と騒がしいみたいだぜ?――あ。その対応もあるから、今日明日は『リーメン』に行かない方がいいかもな」

「! そうか………なら、大人しく本でも読んでいるか」


 ついでに明日の食材も買ってくか、とフィルは呟いた。












「いらっしゃい。珍しい組み合わせね?」


 店頭で棚を整理していたイザベラは、フィルとヒョウゴに気付くと、そう言って笑った。


「偶々、そこで会ったんだ」

「頼んでいた昼飯、取りに来ました」

「お弁当はカウンターの上にある袋の中よ。――フィルは……昼ごはんを買いに来たの?」


 イザベラはヒョウゴに店の中――奥のカウンターを指した後、尋ねて来た。


「ああ。航路変更のことで、『リーメン』もバタバタだってヒョウゴが言ってたからな」

「そうね。……それで、今日はどうするの?」

「キリニに面白そうな本も借りたから、今日と……明日は部屋にいるつもりだ」


 だから明日の分も買ってくぜ、とフィルが言うと、「ふぅん?」とイザベラは呟いて、何かを考え出した。


「明日、ちょっと手伝いに来て欲しかったんだけど……」

「明日?」


 イザベラが店の手伝いを依頼してくるのは、図書室に向かう時か買い物に来た時が多かった。あとは、偶に引き続き来てほしいと仕事終わりに言われることもあったが。


「いくつか配達があって。暇でしょ?」

「いやまぁ、暇だが……」


 渋るフィルに、イザベラは片眉を上げた。


「………ああ、空賊のことが気になるの?」

「…………まぁな。対応を考えている中で、あんまうろちょろとしているのは目障りだろ?」


 審査中の身なので自重はする。

 だが、イザベラは目を丸くして、


「そんなこと気にしてたの? 大丈夫よ」


そんな気遣いは無用、とあっけらかんとした口振りで言った。


「!」


 さすがにその言葉が返って来るとは思わなかったので、フィルは面食らって口を閉ざす。


「ねぇ? そう思わない?」


 イザベラは振り返って、店の奥から大きめの四角い肩掛けカバン——クーラーボックスだ――を持って来たヒョウゴに小首を傾げた。


「………まぁ、そうだな」


 ヒョウゴは、ちらり、とフィルに視線を向け、苦笑しながらも頷いた。


「審査中ってことは、それなりに信用はしているのよ?」

「!………そうなのか?」

「そうでもなければ、元空賊のあなたをうろちょろさせないでしょ?」

「…………」


 予想外の事実にフィルは、ぽかん、とした表情で、イザベラを見つめた。


(そう言えば、最初にフェイクがどうこう言ってたが……そういう意味なのか?)


 審査を受けることが出来たこと――或は〝島〟に旅客として滞在することが出来たのなら、フィルの過去については気にしているほどの問題ではなかったのだろうか。


「………」


 確かめるようにヒョウゴに視線を向けると、無言で肩をすくめられて事実だと悟る。


「それに、何かあったらヒューストが対応するわよ」

「…………なるほど」


 イザベラが――島民たちが見せた、〝七ツ族〟への絶対的な信頼には納得したものの、


(何なんだ、この〝島〟は……)


今までの常識が通じないこと――次々に分かる事実に、フィルはこめかみの辺りを揉んだ。

 その様子を少し気の毒そうにヒョウゴが見ていることに、フィルは気付かなかった。


「だから、出ていても問題はないわ」

「………ああ」

「明日、手伝ってくれるわよね?」

「そうだ―――は?」


 そして、戸惑っているうちに、いつの間にか手伝いを約束させられるフィルだった。

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