25 『リーメン』のある一日


 シェナは工房へ、ソーラは機関部へ出かけているため、『リーメン』にはユオンとジョーの二人が残っていた。

 『リーメン』が忙しくなるのはランチから夕方までの時間帯で、午前中は比較的客足は少ないのが常だったが、移住審査中の最近は少し違った。






―――午前十時過ぎ




「ユオン様! 聞いてくださいよー」


 いつもの定位置に座っていたユオンの前に腰を下ろし、泣きつくような声を上げたのは、二十代前半ぐらいの男だった。


「何かあった?」


 藍色の髪に青い目を持つ男――ディクラは、警備部の一人で、非番の日に〝特定の人物〟の愚痴を言いに来るのだ。

 いつものことだったのでユオンは気にせず、手元の書類に視線を落としていた。


「ネルミノの奴が……!」

「うん?」


 ぺらり、とページをめくる。

 ネルミノとは、ディクラの同僚で年下の相棒のことだ。

 ディクラは数年前に移住してきたばかりなので、警備部の中では一番の新人だった。配属された時、教育係として年齢の近いネルミノが付いてから、何かとペアを組まされることが多いらしい。

 偶に猪突猛進気味になる年下の先輩への愚痴は、ここ最近、特に増しているようだった。


「どうにかして下さい! ずーと、あの希望者の近くをウロウロ、ウロウロしているんですよ? 突撃しないか気になって仕方がないんです!」

「でも、しないよね?」

「ずっと、ドキドキハラハラなんて嫌ですよ! アイツ、俺と実力は同じぐらいなのに、こういう時に限って上手く気配を消してきやがって――」


 ブツブツ、と呟くディクラに、ユオンはため息をついた。


「大丈夫だって。突撃しても問題ないから。むしろ、喜ぶんじゃないかな?」

「それで、はっちゃけて大暴れでもしたら、どうするんですか!!」


 ばんっ、とテーブルを叩いて、一際、大きな声を上げるディクラだったが、


「――ディクラ」

「っ! ………す、すみません」


ヒューに窘められ、身をすくませた。

 他の客たちは、偶に見る光景なので呆れた視線を向けてくるも、すぐにそれぞれに談笑に戻ったり手元の本に視線を落としていた。


(うーん……そこまで心配しなくてもいいと思うけど)


 ソーラによれば、フィルは身体が鈍らないように適度に運動はしているが、それ以外は図書室に行くかイザベラの店の手伝いをしているらしい。


「そんなに心配なら―― 一度、らせる?」

「どうして、そうなるんですか……!」

「手っ取り早いからさ。ネルミノも非番だよね?」


 警備部の班分けなどは、ある程度、頭の中に入っている。

 何より、相棒のディクラが非番なので、ネルミノも何もなければ非番になっているだろう。


「いやいや、止めて下さい! オレも引っ張り出されるんですから!」


(ツッコミ係だからね……)


 ペアとして扱われるのは、実力的な面と性格的な面の双方からの理由だ。


「まぁ、それは仕方ないとして、一度、ればすっきりするよ?…………たぶん」


 最後に、ぼそり、と付け加えれば「そこです!」と言われた。


「何が?」


 そう言われる理由が分からず、ユオンは小首を傾げた。


「その考え方が違うんですって!――シェナ様と同じですよ?」

「えっ……」


 続けられた言葉は予想以上に、ぐさり、と胸に突き刺さった。

 絶句するユオンに、うんうん、とディクラは頷き、


「ノリはそのまんまですね!」

「………」

「――で、ネルミノの奴も似た感じなんです! いやまぁ、拳で語ろう的な感じじゃないですけど、考え方が直情径行って言うか、猪突猛進と言うか……」


 ここぞとばかりに、言い始めるディクラ。


(……ま、まぁ、ネルミノを鍛えたのはシェナだから、仕方ない気もするけどなぁ)


 幼い頃に〝島〟に移住したネルミノを鍛えたのは、シェナだった。

 彼女のその〝力〟の特性もあって、最も適していたのだ。その結果、技術的なものだけでなく、その考え方も師に似たとしか言いようがない。


「だから、もう少し便済ますように言ってほしいんですよ!」


 説得して欲しい、と言う頼みから、再び愚痴を聞かされるユオンだったが、お昼時になったところで、喚くディクラが邪魔になったのか、ジョーが追い出し、強制的に話は終わった。









―――午後十四時半ごろ




「アイツ、面白いっスね~」


 頼んだコーヒーを一気に飲み、ジョーにおかわりを頼んだ三十代ほどの男は、カラカラと笑いながらそう言った。


「会ったの?」


 赤い髪に金色の瞳を持つその男――ザックは、〝放浪島〟の運行に関わる仕事を主にしているため、最もフィルと関わりが少ない。

 小首を傾げるユオンに、ザックは頷いて、


「イザベラ姐さんのトコっス。何か、ルナさんたちに絡まれてたっスけど」

「あー………それはシェナが原因だよ……」

「ルナさん、その時の気分は〝のんびり〟だったからか老婦人の姿だったんで、ものすっごいタジタジでした!」


 くつくつ、と思い出し笑いをするザックの前に、虚空を滑るように飛んできた二杯目のコーヒーとスコーンが盛られた皿が置かれた。

 ザックは驚くことなく焼きたてのスコーンを手に取ると二つに割り、その片方に添えられたクリームとジャムをたっぷりと塗ってから、口に放り込む。


「それで、どうだった?」

「………んー、フツーの奴っスね。噂に聞く【狂華ヘアーネル】のイメージと全然違ったっス」


 ごくん、と飲み込んでザックは言う。


「噂となれば、色々と尾びれが付くからね。でも――」

「事実も混ざってる」


 ザックは続くユオンの言葉を言った。


「……もうちょっと、ギラギラしているのかと思ってたんで、正直、拍子抜けした部分もあるっスよ」

「でも、警備部は楽だから、いいみたいだよ?」

「警備部はそうっスよねー」


 うんうん、と頷いて、次はそのままスコーンを食べる。


「ただ、機関部はそんなに関わりがないから、会うのも大変っスよ? ………アレ、イザベラ姐さんの陰謀があるんじゃないっスかね?」

「あー……それはあるかも」


 〝島〟の案内のついでに挨拶が出来る者もいるが、ザックたち機関部や情報部などはその仕事上、案内することが出来ないので、フィルに自分から会いに行くしかない。

 ただ、堂々と会いに行くのも如何なものかと―― 一部の者は実行しているが――考えた者は、イザベラの店に買い物に行って偶然を装いつつ会うことが多くなるのだ。

 結果、イザベラの店が繁盛していた。


(副業の方でもあんまり会わないからなぁ、ザックは)


 島民たちは本業と副業をしており、審査中は必要に応じて調整しているが、偶々、ザックはどちらも会う確率が低かった。


「でも、結構、押しに弱いっスよね? ちょっと流されているような感じもするっス……」


 ザックは二個目のスコーンを手にし、割ったところで動きを止めた。


「どうして、この〝島〟なんっスかね? 元空賊なら〝虹兎〟のことあの噂も聞いているはずなのに――」


 そっと窺うようにザックが見てくるが、


「そうだね。何でだろうね……」


ユオンは、ただ笑みを返した。

 ふぅ、とザックはため息をつき、


「けちっスね……」

「あははっ――聞いてみたら? 案外、あっさりと教えてくれるかもしれないよ?」

「………本当っスか?」









―――午後十七時前




「ユオン様。どういうことなの?」

「――え? 何が?」


 来店早々、そう言いながら目の前に腰を下ろすのは〝列島〟の民族衣装――薄い桃色のキモノを着た三十代ほどの背の高い女性だった。

 絹のように滑らかな金色の髪は左右を後頭部でまとめて翡翠色の球が付いた簪を挿し、残りは背中に流していた。

 現在、シェナが入り浸って引き篭っている工房を預かる女性――生業室室長のルナだ。

 どうやら、今日の気分は〝若い〟ようだった。


「シェナ様よ。ずっと篭ってて……」


 すれ違えば、誰もが振り向くような美貌を持つルナだったが、今はその形の良い眉を寄せていた。


「篭るのはいつものことだけど?」

「すっ呆けて……あの武器のことよ」


 じろり、と翡翠色の目で睨まれた。


「いつもの趣味だよ」

「趣味って………完成したらどうするの?」

「渡すんじゃない?」

「…………確かに、面白そうな子だったけど」


 さらにルカは眉を寄せた。


「んー……どっちかと言うと、持ってた物のが気になったのかな」

「……………………あの腕輪?」


 そ、とユオンは頷いた。

 フィルは常にその武器――〝腕輪〟を付けていたので、ある程度は構造は理解している。


「〝島〟に鋼糸を使う人いないけど、その発想が面白かったからさ」

「それは……」

「〝ウラノス粒子〟が使えないことを前提にしている武器は前に作ったことがあるし、余計にね」


 ルナも何か思う事があるのか、目を伏せて考え込む。

 少しして、上目遣いにユオンを見ると、


「………でも、渡すのはどうなの?」

「んー……その心配は分からなくもないけど……」


 要するに、その技術を悪用されるのを恐れているのだろう。


「大丈夫だよ。噂だと《血》に違わぬ〝戦闘狂〟だけど、結構、義理堅いみたいだからさ」

「………義理堅いって、それだけでいいの?」

「シェナには十分な理由だよ。ロキも〝黒空〟を任せていたみたいだし、新しい武器のきっかけになってくれたお礼かな?」


 ユオンが止める気が全くない事を確信して、ルナはため息をついた。


「………作っていることで影響があるってことを、もっと自覚して欲しいのだけど?」

「あー……自分の影響力その辺りは、それほど大きいとは思ってないからね」


 『ビフレスト島』の最古参の行動や意見は、島民たちの決断の一端に大きな影響を与えているが、その中でも、特に『リーメン』の四人は影響力が一際大きかった。

 〝相談役〟として、何かと話を聞くことが多いユオンに、同じくソーラも姉御肌的な性格からか話を聞くことも多く、ジョイザはその血族としての実力の高さから一目置かれていた。

 そして、『リーメン』の一人であるシェナも、ユオンたちと同様に高い信頼を得ているのだが、何故か、シェナ自身はそれほど大きな影響力はないと思っているのだ。


(〝島〟内の最高戦力の一人で、ちょっと技術者としてはトラブルメーカーだけど、何だかんだと世話焼きだからムードメーカーだし……みんな、頼りにしてるんだけどなぁ)


 どうしてそう思うのか、百年近い付き合いで幼馴染のユオンにも分からない。


「そこは、早く訂正しておいて欲しいのだけど?」

「いや、もう思い込みが大きすぎて……」









―――夕方




「ただいまー」


 『リーメン』を閉めて、リビングでくつろいでいたユオンとジョーは、疲れたシェナの声で玄関に通じるドアに振り返った。

 結わえた髪は力なくたれ、書類の束を抱えたシェナがリビングに入ってくる。


「やっと帰ってきたわね」


 キッチンから、呆れたソーラの声が上がる。

 今日の食事当番はソーラだ。

 ほんわりといい香りが漂ってくるが、まだ、出来上がりには時間があるようで何かを炒めている音がしていた。


「お帰り。遅かったけど、全然?」

「んー……なかなか」


 シェナは唇を尖らせ、ばさり、とテーブルの上に書類を落とす。


「……シェナ」


 ちらり、とジョーが目を向けると、ひとりでにテーブルに広がった書類は集まって山になった。

 それを確認して、ジョーは読んでいた本に目を落とした。


「完成形のイメージは出来ているんだけど………はぁ」


 へなへなへな、とその場に座り込み、シェナは書類の束にアゴを乗せた。


「昔、作って失敗したのを元にしてるんだよね?」


 ユオンは書類を一瞥し、視えたモノから尋ねると「うん……」とシェナは頷いた。


「〝ケリュシュオンの杖〟で基本は出来てるから、あとは〝粒子〟の吸収率と鋼線の硬化の方を改良して、えーと、収束装置も必要だから――」


 シェナは顔を上げ、パラパラとめくった書類の束から一枚の紙を引っ張り出す。


「でも、やっぱり、物質化と空に固定するのが……あんまり、上手くいかなくて」

「へー……」


 さっとシェナが書いた図面を見て、ユオンは紙を押し戻す。


「手は貸さないよ」

「えぇー……何で?」

「趣味の範囲だろ?……ジョー、何で出したのさ?」


 ユオンは恨めしげにジョーを見た。


「………ウルリカに言ってくれ。一戦やらせるとは思わなかった」


 ジョーは本から顔を上げずに言う。


「ホントかなぁ……?」


 長い付き合いから、ウルリカの性格は百も承知のはずだ。

 ただ、ジョーが苦手なだけだろう。


「ふふっ。―――ジョーって、ウルリカには弱いから」

「………」


 ジョーは視線を上げ、キッチンにいるソーラを睨むが、すぐに本へと戻した。


「フィルも苦手だったみたいだけど……あの押しかな?」


 肩越しにキッチンを振り返ると、肩を震わせて笑うソーラが目に入る。


「そうじゃない? イザベラの手伝い、させられてたみたいだし」

「あー……そう言えば」

「――それより、コレコレ」


 納得して頷いていると、シェナが図面を押し付けてくる。

 大きくため息をつき、ユオンは仕方なく受け取った。


「でも、作ってどうするのさ?」

「え? 使うけど?」

「………だから、フィルにも渡すんだよね?」

「うーん……まぁ、そうね」


 何か問題でも、とシェナは小首を傾げた。


(………うーん。直情径行っていうのかな?)


 ユオンは内心でため息をつく。

 フィルは、審査中の身だ。よく気に入った相手には作った物を渡しているが、さすがに審査中の人には渡したことはない。

 もし、決まらないうちに渡せば、他の者がどう思うか――。


(まぁ、気に入った相手に渡すのは、いつものことだし……そう大事にはならないか)


 一応、『リーメン相談役』の一人と自覚はしていても、一つのことに集中すれば、他のことはぽっかりと抜け落ちてしまうのがシェナだ。

 それで、何度、機関部が危機に陥ったか分からないが、彼女の発想力には舌を巻くことが多々あるので外すことも出来ず、余計にたちが悪かった。


(………絶対、オレだけじゃないよな)


 常々、皆から「〝直感〟だけで人を見るな」と言われているが、それについては、そういう《血》だと思うので仕方ないと開き直る気持ちが半分、シェナのこの性格の方が問題ではないだろうかと言う気持ちが半分あった。


(………十中八九……いや、七六ぐらいは……)


 多少は〝〟の影響はあるが、ちゃんと、その人となりも見ているつもりだ。

 とんとんとん、と指先で図面を叩きながら悩んでいると、


「えっ……そんなに難しい?」


恐る恐るシェナが尋ねてきた。


「いや、別のこと考えてた」

「ちょっとぉ!」

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