24 気の向くままに


 産業室の工房は、進行方向に近い森の中にあった。

 コの字型の建物は二階建てで森に隠れているが、その幅はゆうに三軒分にも及ぶため、ずっしりとした威圧感を放っていた。

 シェナは森を抜けると、機械音を鳴らす建物を無視して中央にある正方形の一回り小さな建物へ向かった。

 エントランスホールは狭く、右手にカウンターがあり一人の老女が座っていた。列島諸国の民族衣装――キモノに身を包み、カップに注がれた紅茶をのんびりと飲んでいる。


「やっほー。今日はおばあちゃんなの?」


 声を掛ければ閉じられた瞼が開き、翡翠色の目がシェナに向けられる。

 白髪は一つにまとめられ、瞳と同じ色の珠がついた簪を挿していた。


「のんびりしたい気分なの」


 紡がれたのは、艶やかで若さに溢れた老女とは思えない張りのある声。

 シェナは見た目と声の感じが違い過ぎて、顔をしかめた。


「……ルナ。ちょっとソレは怖いわよ」

「………………そうかい?」


 にやり、と笑う老女――ルナの声は一瞬で掠れ、言葉遣いまで違うものになる。


「遊んでないで、仕事したら?」


 この前見かけたときは、二十代半ばぐらいの若い姿だったが、今日はゆっくりとしたい気分なのだろうか。

 ルナの血族は、特異型の【夜魔琴オィンガス】。

 その〝力〟は、姿だけでなく声でさえ変えることで、よく、気分でコロコロと姿や声を変えている悪癖があった。


「どうしようかねぇ」

「……工房、借りるわよ」


 のらりくらりとした態度をとるルナにじと目を向けて、シェナは奥に向かった。


「そういえば、あの坊主はどうだい?」


 数歩も歩かぬうちに、背後から声を掛けられる。

 シェナは足を止めて、ルナに振り返った。


「坊主……フィルのこと?」

「そう、その子だよ」


 のんびりとした声に、頬が引きつった。

 いつも思うが、そこまで成りきらなくてもいいだろう。

 ふぅ、と息を吐いて、沸き起こった怒りを抑える。


「さっきは、ウルリカがじゃれてたわよ」

「そうなのかい。ユオン様も何かと気に掛けているようだからねぇ」

「イザベラもこき――世話を焼いているわ。…………あと、ヒューも」


 ぼそり、と付け加えると、ルナは目を丸くする。


「ヒュー様まで? それはそれは……」


 その言い方が気になり、「ん?」と眉を寄せると、


「おやまぁ、シェナ様も知っているでしょうに」


にんまり、と言い表すのが適切な笑みを向けられて、シェナは視線を逸らした。


「……分かっているわよ。それぐらい」


 『ビフレスト島』の移住審査は、全島民による投票と謳っているが、実際のところ、〝島〟の相談役や幹部たちによる判断が強い影響を及ぼしていた。

 その筆頭が『リーメン』であり――特に、ユオンの人を見る目は信頼が厚い。他にはヒューストやウルリカたち、最古参のメンバーだ。

 それは常に彼に会うことがないからこそ、信頼できる者の意見を尊ぶからでもあった。

 ルナは喉の奥で笑い、


「シェナ様も、気になっているようだしねぇ」

「っ!」


 図星を指されてしまい、シェナは、びくりっ、と肩を震わせた。


「顔を見れば分かるよ」

「そんなこと、ないわ……」


 言葉に詰まりながら答えると、ルナは楽しげに目を細めた。


「それで、今日の御用件は? ……この前の一件の謹慎は、もういいのかしらねぇ?」

「うっ……」


 それは、つい先日、改修したばかりのところを検査していて、ちょっとした行き違いから起こしたひと騒動のことだった。


(あれは、ザンカが……)


 ケンカになって謹慎になるのは日常茶判事だったが、『リーメン』に篭っているのは、そこそこ暇だった。


「……………………やれやれ。ジョー様も甘いわねぇ」

「それは、ウルリカが引っ張ってくるから……」

「ん? どういうことだい?」


(あ。マズッ……!)


 ウルリカに唆されてフィルと手合わせしたと言えば、さらに何を言われるか分からない。

 興味深げに片眉を上げるルナを遮るように、シェナは手を振った。


「はいはい。私も興味が出てきましたよ――じゃ、お邪魔しまーす」

「…………建物だけは壊さないでおくれよ」


 納得していない声が背中に掛かるも、シェナは無視してホールを抜けて奥に通じるドアを開けた。

 数十メートル四方の広い部屋で、中央にはテーブルが陣取っていた。そこには書類がぶちまけられ、ペンやコンパスなど様々な文具が転がり、こぼれ落ちた書類は床に積み重なって紙の棚と化していた。

 他にも所々に丸められたロール紙やダンボールが積まれている。

 そして、壁際には板が立っていて六つの小部屋に仕切られており、五つの作業場と地下に通じるドアがあった。

 作業場の四つは、男女が二人ずつ左右に分かれて座っており、正面の場所だけは誰もいなかった。

 誰もが背中を丸めて熱心に作業を行い、部屋に入って来たシェナに気づいた様子ない。

 どの作業場も、壁には乱雑に貼られたメモや機械の部品、工具で埋め尽くされていて、そこに人がはめ込まれているようだ。

 シェナは左側――地下へのドアの隣室にいる三十代ぐらいの黒髪の男に近づいた。小柄なためか空いた空間の分、他の作業場よりも物が多い。


「――ス・ワ・ン・ト」


 一句ずつ、区切るように声をかけると、びくりっ、と肩を震わせた。

 背中越しに聞こえていた金属音が途絶え、ぎちぎち、と軋むように首が動いて男――スワントは振り返った。


「シェ、シェナ様っ――どうして?」


 掛けていたゴーグルを上に上げて、スワントは目を丸くした。


「どうしてって……来たらダメなの?」

「いえっ……だ、だって、謹慎中だと、」

「ん?」


 にこー、と笑みを向けて、髪に挿してある簪を握る。

 部屋にいる他の三人もシェナに気づいたのか、室内はしんっと静まり返っていた。

 まるで、飢えた獣を見つけて、息を潜めている小動物のようだった。


「いえ!  なんでもないです。僕の勘違いでした!」

「あら、そう?」


 身を挺して作業していた物を守るスワントに、シェナは簪から手を離した。


「そ、それで、何か御用ですか?」

「うん。いいアイディアが浮かんだのよ!」

「……は、はぁ?」


 ひくっ、とスワントの頬が引きつった。またですか、と言いたげな顔は無視して、


「この前の鉄線と……あと、〝粒子〟をかき集める装置、まだあった?」

「鉄線は……たぶん、倉庫にあると思います。装置は改良して、別の物に使ったんで一から作らないと……」

「そう。……装置の改良版って、手のひらサイズだったっけ?」

「はい――あ、この前、ルナ室長がエネルギー源の〝粒石〟凝縮に成功して、もう少し小さくなりましたよ。内包するエネルギーも二十パーセントほど向上しています」

「えっ……そうなの?」


 スワントの言葉に、シェナは目を見開く。

 スワントは何かを言おうと口を開き――ふと、シェナの後ろに立つ人物に気付いて、口を閉ざした。


「ちょっとぉ、報告書は提出したけど?」


 猫なで声が聞こえ、ふわりっ、と甘い香水の香りが漂う。


「室長……っ」

「わっ!……もう、飽きたの?」


 顔のすぐ傍に、妖艶に微笑む女性の顔があった。

 ぎょっとして振り返ると、絹のように滑らかな金色の髪を持つ、三十代ほどの背の高い女性――ルカが身を起こして立っていた。

 つなぎの上からでもわかるほどに女性らしい身体つきで、くびれた腰に手を当てている。流し目の翡翠色の瞳が真っ直ぐにシェナに向けられていた。

 とても、ホールにいた人物と同じだとは思えない。


「だって、面白いことを言っているから」


 ルナは細いアゴに手を当て、


「鉄線と装置を使うということは、合わせるのね? でも、昔、失敗したんじゃなかったかしら?」

「何で覚えてるのよ……」

「一通り、関係しそうな資料には目を通すわよ?」

「………………あの時は、今よりも〝粒石〟の精成率悪かったから。私、使うのはいいけど、作るのは微妙だし」


 シェナの【Lost Children】の〝力〟は、ユオンやエイルミとはまた違う系統だ。

 ユオンのように〝真理〟までは理解できず、エイルミのように僅かながらも書き換えることも出来ない。

 出来ることは〝理〟の上辺――その構造を理解し、扱うことだった。

 その〝力〟を特化させていった結果、武器や機械類なら達人ウィザード〟まで至ったのだ。

 感覚で構造を理解できても、それを知識として噛み砕くことはなかなか難しい。


「微妙で改良しないでくれる?」


 ちくり、と最近の失敗を穿り返された。

 シェナは、藪蛇だったか、と顔をしかめ、


「いけると思ったの!」

「勘でね……」

「アレだけ出来て〝勘〟で済ませるって……」


 思わず声に出たのだろう。

 ルナはちらりとスワントに視線を向けてから、シェナに戻した。


「それで鉄線と装置を合わるのなら、空中にでも固定するの?」

「そうだけど?」


 あっさりと言い当てられてしまったので、シェナは頷いた。

 ルナは眉を跳ね上げ、


「…………………………まさか、〝鋼糸〟を作るつもり?」

「えっ?」


 スワントがぎょっとして、シェナを見上げた。


「うーん…………まぁね」

「シェナ様!」


 周囲からどよめきが聞こえ、シェナはぽりぽりと頬をかいた。


「戦闘用ってわけでもないけど……ちょっと、面白いかなと思って」

「面白い?」

「ウルリカが発破をかけてくるから、軽く一戦……手合わせしたのよ」

「……されたんですか」


 誰かの呆れた声は無視した。


「以前に、何処かの血族が使っていたから、面白そうとは思ったんだけど………〝島〟だと使い勝手が悪いから、それほど気にしてなかったのよね。でも、〝粒石〟を使ってて……」

「あらら。触発されたってことかしら?」


 一度、失敗して諦めた物と似た物が目の前に現れたのだ。気にならないわけがない。

 茶化すように言うが、ルナの目は真剣だ。


「…………ま、そういうことかな」


 ルナに苦笑を返し、シェナは足元に視線を落とした。


「ソーラ。機関部でザンカとって来て」

『……私。今、忙しいんだけど』


 足元に波紋のようなものが広がり、くぐもったソーラの声が響いた。


「ヒューがいるでしょ、ヒューが。よろしくね?」

『…………………もう。仕方ないわね』


 ため息交じりの声を最後に、波紋は消えた。「さて……」と奥の作業場に踵を返す。


「奥、使うから」

「シェナ様!」


 呼び止めたルナの声がいつもよりも増して固いことに気づく。

 振り返り、にっ、と口元に笑みを浮かべた。


「気になるなら、会えばいいじゃない」

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