23 警備部副部長_アイサ


 フィルは木にもたれかかり、気づかれないように小さく息を吐いた。

 つと、視線を向けると、ヒューストの姿が消えていることに気づく。


(いつの間に……二人っきりにしてもいいってことか?)


 少し前まではいたはずだが、目を離した一瞬で――それでも常に意識を向けていたにも関わらず――立ち去られていた。

 一方、アイサはヒューストが消えたことは気にした様子もなく、フィルに近づいてきた。


「聞きたいのは【狂華ヘアーネル】の………その、里のことなんです」

「里のこと?」


 個人的なことだとは思ったが、予想外の内容にフィルは片眉を上げた。


「私、里の出ではなくて……」

「……まぁ、そうだろうな」


 【狂華ヘアーネル】は混血に対して忌避感はないが、わざわざ、里に他の血族を呼ぶことはないので里の出ではないと思っていた。

 ぎゅっ、とアイサはマフラーを握り締め、


「このマフラーと似た物を持った【狂華ヘアーネル】を知りませんか?」

「そのマフラーと……?」


 そう言われてよく見れば、特殊なものだろうとは分かったが、一目では至って普通の代物だ。


「はい。マフラーと言いますか、ケープにもなるんですけど」

「臙脂色のマフラー、な……」


 恐らく、誰かからの贈り物なのだろう。

 それを持つ【狂華ヘアーネル】を探すということは、今、この〝島〟にはいないことになるが――


(それは………………いや、そこは詮索すべきではないか)


 審査中のフィルに尋ねてくるのなら、それなりの覚悟があるはずだ。

 里にいた同類のことを脳裏に浮かべつつ、アイサの年齢は十七、八歳ぐらいかと計算した。


「あまり、女性に聞くべきじゃないが……嬢ちゃんの歳はいくつなんだ?」

「えっ? ………二十八です」


 アイサは一瞬だけ口ごもり、答えた。


「二十八か。……じゃあ、ソレを持っている相手と別れたのは、いつなんだ?」

「……二十年前です」


 予想以上に昔だったので、フィルは眉を寄せた。

 それだけの年月が経っているとなると、この世界情勢では、少々、微妙かもしれない。


「二十年前なら……ちょっと分からないな」

「!」

「俺が里を出たのは二十年ちょっと前だ。入れ違いになった可能性もある。……里にいた頃、マフラーを着けている奴は見たことがなかった。そもそも、里にいる奴らのほとんどは〝力〟が衰えているか、子どもばかりだ。〝力〟のある――所謂いわゆる、絶頂期の奴らはほとんどいないんだよ」

「……………………そう、なんですか」


 アイサは唇を噛みしめると俯いた。


「【狂華ヘアーネル】は混血については特別な感情はないが……元々、故郷ってもんを顧みない奴らだからな。〝力〟が衰えて、落ち着きを取り戻せば帰郷する奴もいるが、戻って来ることは少ないんだ」


 実際に、空賊を辞めたフィルも〝力〟が衰えていると自覚したものの、里に戻ることはなかった。

 一応、里長に向けて近況を記した便りは出したが、それだけだ。


「どこかの里に行ったことは?」

「いえ。仕事があるので……」


 目を伏せて首を横に振るアイサに、フィルは頬をかいた。


「マフラーをした【狂華ヘアーネル】の噂も聞いたことがないな………」


 空賊でも『都市』に降りることもあるし、独自の情報網は持っているので、色々と有名な傭兵などの噂は耳にしていた。

 特に、一人で仕事をしていた〝黒空〟時代は。

 それでも、そんな目立つ人物の噂は聞いたことがなかった。


「あー………ちなみに、名前は何て言うんだ?」


 会ったことはないが、里で名前を聞いたことはあるかもしれない。

 そう思ってアイサに尋ねると、はっと顔を上げて、


「名前は――〝チャルビート〟です」

「………は?」


 一瞬、フィルは耳を疑った。

 まさか、その名が出て来るとは思わなかったからだ。


「〝チャルビート〟です。私の父で――」


 ぽかん、としたフィルの顔にアイサは小首を傾げたものの、もう一度言った。

 聞き違い、ではないようだ。


「――チャルビート、だと?」

「っ?」


 その声色に、やっとフィルが驚いていることに気付き、アイサは目を見開いて息を詰めた。


「ち、父を知っているんですかっ?!」

「は? 父?」


 さらに、あり得ない関係にフィルは目を丸くした。


(父って………この嬢ちゃんが〝娘〟? 娘がいたのか?)


 マジか、と改めて、アイサの顔を見つめた。

 ただ、その名は知っていても会ったことがないので、似ているかどうかは分からない。

 フィルは唖然としたまま、


「知っているも何も…………〝長老〟の一人だろ?」

「………〝長老〟?」


 聞いたことがないのか、ぱちぱち、と目を瞬かせるアイサ。

 【狂華身内】だけで伝わる呼び名なので、里に行ったことがないアイサは知らないのだろう。


本人からは何も聞いていないのか……?)


 フィルは内心で小首を傾げつつ、〝長老〟について説明した。


「【狂華ヘアーネル】の中でも、最年長である三人を〝長老〟って呼んでいるんだ。そのうち、二人の所在は判っているが、もう一人は所在不明――確か、そいつの名が〝チャルビート〟だったはずだ」

「っ!」

「年齢は………二百歳は超えていた気がするな」

「えっ……」


 チャルビートの娘だというアイサは、父の年齢を知らなかったのか目を見開いた。


「今、何処にいるのか分からないが………他の〝長老〟なら、知っているかもしれない」

「ほっ、本当ですか!」


 アイサが詰め寄って来るので、落ち着け、と両手の掌を向けた。


「俺が里を出た時は、亡くなったって話は聞かなかったしな……」


 恐らく、現在も存命だろう。相手は既に二百年以上生きてるのだ。二十年程度なら可能性は高かった。

 アイサは手がかりが見つかったのが嬉しいようで、顔を綻ばせた。


「………何なら、俺がいた里に連絡を取ってみるか?」

「えっ?」

「一応、〝長老〟の一人がいるデカい里だ。〝長老〟から話が聞けるように仲介ぐらいは出来るぞ?」


 アイサから視線を逸らし、フィルは言った。

 一度も里を訪れたことのないアイサが行くよりは、誰かを仲介した方がいいだろう。


(本当に〝チャルビート〟の子どもなら、混血だとしても話は聞いてくれるだろ……)


 嘘は言っていないようだし、里にいる〝長老〟――里長にとっても旧友の娘だ。会いたいだろう。


「い、いいんですかっ?」

「居場所は分からねぇかもしれないが………存命かどうかぐらいは分かるだろ」


 本当なら〝もう一人の方〟がそういう情報には詳しいのだが、少々、そちらと連絡を取るのは難しかった。


「……同族のよしみだ。連絡してみよう」

「あ、ありがとうございます!」


 アイサは満面の笑みを浮かべ、勢いよく頭を下げた。


(それにあっちに連絡したとしても、下手をすれば………っ?!)


 そこまで考えたところで、フィルは愕然とした。

 面倒だ、と思ってしまった――〝戦闘〟が。


(…………………………あぁ。重症だな、ホント)


 《血》が蠢いても、それに酔う事が――狂えなくなっている。

 はっ、とフィルは自嘲的な笑みを浮かべたが、頭を下げていたアイサに見られることはなかった。











          ***











 フィルが消えた森の中からヒューストが姿を見せたので、ユオンは笑みを向けた。

 ソーラはフィルの監視にので、木陰でのんびりと空を見上げていたのだ。


「残してきてよかったの?」

「君こそ、本当にいいのか?」


 ユオンは感情の見えないブラウンの瞳を見返し、肩をすくめた。


「……………それはアイサが決めることさ」


 現在、森の中にはフィルだけでなく、アイサの気配もあった。

 アイサがフィルを探して森に入った理由は分かっている。

 少し前にある事件があり、その日から〝島〟に自分を預けて姿を晦ました両親の行方が気になり、捜し始めていたのだ。

 その事は、ユオンたちは気づいていたが、チャルビートから「娘には内緒にしてくれ」とも頼まれたので、アイサに話すことはなかった。

 それについてはアイサも知っていて、またユオンたちが自分で調べるのなら邪魔をしないと決めていることも分かっているので、独自に調べているのだが、あまり、進歩状況は良くないようだった。

 そんな中、やっと、手掛かりになりそうな相手が見つかり、居てもたってもいられなくなったのだろう。半年もの間、声を掛けず、審査が始まってから声を掛けたと言う事は、相当、我慢していのだとは思う。


「……そうだな」


 ヒューストは小さく頷いた。

 〝約束〟から両親について教えることは出来ないが、自力で突き止める――調べることを止めようとは思わない。

 それが彼女の選んだことなら、ただ、見守るだけだ。




「――ちょっと、チャルビートが怒るわよ?」




 少し不機嫌な――咎める声が聞こえ、ユオンたちが振り返ると、そこにはいつのまにかウルリカが立っていた。

 フィルをからかっていた子どもっぽさのある表情や声ではなく、落ち着いた大人の女性の表情で、底知れぬ深さのある声をしていた。


「もう猫かぶりはやめたんだ」

「失礼ね。女にはいくつも顔があるのよ」


 ウルリカの冷めた声には、ユオンは苦笑を返した。

 フィルにじゃれていたのは、ウルリカが見せる顔の一つで、今の顔――《血》が表に浮かび上がった顔は、その時のモノとはまた違うモノ。

 それが現れているのは、何よりもアイサのこと――〝島〟の情報が知られることを懸念しているからだ。


「二人が何も言わないから、とうとう、アイサが彼のところに行ったじゃない。どうするの?」


 警戒心を含んだ言葉をかけられ、ユオンは小首を傾げた。

 

「俺は、チャルとの〝約束〟を破る気はないよ。……それに、どうする、って言われても――別に、どうもしないけど?」


 ユオンの返答に、ぴくり、とウルリカは眉を動かした。


「………」


 ユオンがヒューを見ると、彼は目を伏せて何も言わない。

 同意見、と言うことだろう。


「アイサが選んだのなら、止めないよ。それは分かっているよね?」

「………………」


 ウルリカは顔をしかめたが、何も言わなかった。

 彼女もユオンたちやヒューストと同様、最古参の一人だ。それに関しては、よく分かっていた。


「ウルリカ。相手は【狂華ヘアーネル】だよ?」

「分かってるわ」


 ソレが何よ、と彼女は眉を寄せた。


「【狂華ヘアーネル】が求めるのは、ただ《血》に従えるかどうか――損得は関係ない」

「………………情報を売って、手っ取り早く〝いくさ〟を起こそうとしない?」

「それはない」

「ないな」


 ユオンとヒューの声が重なった。

 ウルリカは訝しげに眉をひそめ、


「何よ、二人して……」

「彼は打算で動くような人じゃないからさ」

「………ヒューも同じ考え?」

「………」


 ヒューは無言で頷いた。

 はぁ、とウルリカはため息をつき、


「根拠は……いつもと一緒ね?」

「……まぁね」


 呆れた声には、笑って頷いた。

 納得させられるような根拠はない――敢えて言うとすれば、勘だった。

 ユオンの〝理見者〟の〝力〟なのか別の要因からか、理由がわからないが、直感がそう告げている。

 ただ、それだけだ。


「勘で〝島〟の今後に関わることを言われても、困るわね……」

「それが俺の《血》だから」

「………」

「あと、君が心配するのは――何よりも旧友の頼みだから、だろ?」

「…………それは――」


 ウルリカは困ったように眉尻を下げ、視線を逸らした。

 彼女だけでなく〝あの時の仲間〟の中で、未だ〝島〟に居る者たちの全員がを知っていた。

 何故、アイサをこの〝島〟に託したのか、その理由を――。

 アイサの父親は――アイサの母親もだが――三十年ほど前までは、この〝島〟に住んでいたのだ。

 あの戦役も共に戦い、その後、アイサを授かったので〝島〟を去っていた。

 それは、世界を巡り続ける〝放浪島〟の環境では、〝子育て〟をしていくには厳しい部分があるからだ。他にも、家庭を築いて〝島〟を降りた者たちもいる。

 その行き先のほとんどは戦役の時に知り合った『都市』だったが、チャルビートたちは何処かの〝空島〟に移り住んでいたはずだった。

 そして、二十年ほど前に再び〝島〟を訪れた昔馴染みは、愛娘を託して去っていった。

 つい、アイサについて過保護になってしまうのは、チャルビートを知る者なら皆一緒だ。


「ええ、そうよ………」


 ため息交じりに呟くウルリカ。

 迷い込んだ島民が選んだことは、尊重する――それは〝島の掟〟のようなもの。

 ただ、それを分かっていても旧友たちの愛娘であり、可愛がっていたアイサのことが心配なのだ。


「……………………でも、あなたの勘は外れない」


 だから、さっきの言葉は、全て、ただの愚痴だった。

 ムスッ、とした顔のウルリカに、ユオンは苦笑を浮かべた。


「……彼は一緒さ」


 ユオンは立ち上がり、服についた草を払う。


「一緒?」

「チャルビートとよく似てる」


 フィルは自覚していないとはいえ、求める場所はチャルビートと同じく〝戦〟だけではない――そう思った。


「!」


 その言葉に、ウルリカは目を見開いた。


「………」


 ヒューは何も言わないが、彼も同じ結論に達したはずだ。

 だからこそ、アイサがフィルに会う場から立ち去ったのだ。


「【狂華ヘアーネル】は〝戦闘狂〟としか言い表せない血族だけど、彼らは何処でも狂い咲くわけじゃない。ほとんどの【狂華ヘアーネル】は、それに気づいていないけど――」


 〝十空〟の一角、〝黒空〟。

 フィルがその座から降りて数年が経った今も、〝白空〟――ロキがその座を空けている理由をユオンは気づいていた。

 フィルなら、一度でも〝その座〟に相応しいと――ロキが望んでいる役割を果たせると認めたのだから。

 だから、認める者がいなければ、再び、誰かを就かせることはないだろう。


「彼は、まだ伸びる……」


 珍しく、出会って間もない相手をヒューが評価した。


「………ヒュースト」

「気づいてはいる………あとは、再び《血》に従うだけだ――」


 ヒューの言葉に面食らいながら、ウルリカは呟いた。


「二人とも、彼を買っているわね………」

「面白いだけさ」


 笑いながら言うユオンに、ヒューも同意して頷いた。

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