22 狂い咲く意味
「―――……」
ふと、近くに気配を感じ、フィルは目が覚めた。
懐かしい夢を――〝白空〟に初めて挑んだ時のことを見たのは、気配の主が影響しているのだろうか。
少しぼんやりとして、目の前に広がる緑を見ていると、
「―――起こしたか?」
静かな声に、顔を下に向けた。
木々の間から姿を現したのは、ヒューストだった。
少しだけ眠気を帯びた目で、見上げて来る。
フィルがいるのは、木の上――人一人が十分座れるほどに太い枝で、幹にもたれ掛かって寝ていたのだ。
フィルは苦笑して、
「いや……起きたところだ」
少しだけ、自分の声が固いことに気づく。
何故か、ヒューストには身構えてしまうのだ。それは萎縮していると言う訳ではなく、むしろ、相手との距離を図っている感じに近かったが。
(審査中でもあるけど………まぁ、こんなもんか)
一歩、踏み出しかけそうになる《血》の騒めきは、理性で抑えられる程度のものだった。
二十年ほど前に〝白空〟と顔を合わせた瞬間に《血》の赴くままに襲い掛かっていた頃と比べると、やはり、随分と〝力〟が衰えていた。
ただ、ユオンやジョイザたちには、特にそのようなことにはならなかったので、また別の理由があるのだろうか。
(ウルリカとも微妙だし………よく分からないな)
身体を傾けて落ちるように枝から降りる。身体を回して、すとっと足から地面に着地した。
「この 〝島〟の印象は?」
近くの木に背中を預け、ヒューストは尋ねてきた。
フィルは他に気配がないことを確認ながら立ち上がり、
「…………面白い奴ばかりだな」
「そうか……」
社交辞令のような、何の感情も窺えない言葉に小さく笑みを返す。
「おたくも、あの一員だったのか?」
「………〝旅団〟のことか?」
何の一員か、と言う疑問ではなく、確認が返ってきた。
常時、監視されているのだ。その話題が上がったころも知っているのだろう。
「ああ……」
「………そうだ。俺も参戦した」
やっぱり、と納得したフィルに、ヒューストは目を伏せる。
「我々だけ、な。………だから、君が思っている以上に影響はなかった」
「けど、〝旅団〟は戦役を鎮めた英雄だろ?」
「………………あの波紋は、まだ世界に残っている」
フィルの問いには答えず、ヒューストはそう言った。
憂いを帯びた声に、フィルは口を閉ざす。
確かに、表面上は消えていたとしても二つの血族の間に刻まれた溝は深く、数十年経ったとしても埋められるものではない――〝世界会議〟の手の及ばぬ場所で、未だに根強く残っていた。
「―――」
少しの間、沈黙が訪れたが、それを破ったのはヒューストだった。
「〝旅団〟のことを聞いたのなら、ロキとのことも聞いたか?」
「………………ユオンは戦友だと言っていた」
「……ユオンらしいな」
ヒューストは僅かに口の端を上げた。
笑った、のだと思う。
「君は、ロキに挑戦したと聞いているが?」
「!…………《記録》か」
フィルは、そんなことまで知っているのか、と目を丸くした。
〝白空〟との一戦は、内々のことだったはずだ。
「………………まぁ、三戦連敗だったけどな」
「三戦もしたのか……」
何処か呆れたような声色は、気のせいだろうか。
「初戦は死にかけた」
「……………………若いな」
少しの間があり、ヒューストは言った。今度は呆れていると思う。
(若かった、からなぁ……)
血気盛んだったことは反論できず、フィル肩をすくめた。
「―――」
再び、沈黙が訪れるが、不思議と居心地の悪さはなかった。
ヒューストは口数が多くないことは初対面のときに分かったので、話しかけない限りは口を開かないと思っていた。
わざわざ声を掛けてきたということは、少しは興味を持たれたのだろうか。
「おたくは、【
フィルは頭上を見上げ、独白のように呟いた。
―――「ここで狂い咲くかぎり、お前はいつでも挑戦できるぞ」
それは〝空〟に居れば、いつでも〝白空〟と
恐らく、それも含めていたとは思うが、今なら、もう一つのことを指しているのが分かる。
(何で、知ってるんだよ……)
〝空〟にいた頃は〝力〟が漲り、見た目の成長も止まっていたので、【
メフィスの死を目の辺りにした時も、彼の仇を取った時も、〝黄空〟の領域を犯そうとする空賊を〝色付き〟や〝色なし〟に関係なく、全てを切り捨てていった時もそうだ。
唯々、動揺する元仲間たちが立ち直り、代理の指揮系統が機能するまで守り続けていて――自分の内側に芽生えていた〝ある違和感〟に気付くことも出来なかった。
全てが終わった時、正気に戻ったのもアレだけの衝動を経て、枯れたのだと思ったのだ。
ただ、何故か〝空〟に居続けようとは思えなかったので、〝空〟から去った。
そして、戦場で傭兵として戦った時、〝力〟が衰えていることに気付いた。
その時は、〝空〟から降りたせいだとは思わなかった。
〝力〟が衰えていることは、何処か他人事のようでもあり、ただ、枯れ落ちた〝地〟から〝空〟を見上げ、空賊であった頃と今いる戦場の違いを考え――そこで、やっと自覚した。
自分はメフィスを慕っていたのだと――。
気の置けない奴だった。〝クロトラケス〟に関して博識で、協調性があると思えば唯我独尊の部分もあったが、カリスマ性も高く部下たちからも慕われていた。
例え、異なる血族との混血でも、その特殊な〝力〟を深く理解していて、フィルもその実力には一目置いていた。
だから――
「ずっと、この《血》の本質は〝狂ったように何処でも咲き乱れる〟と思っていたんだけどな………そう言う意味だったのか」
フィルはため息をついた。
ただ、メフィスが
「狂い咲く、か――」
ヒューストの
―――「ただ、【
そしてまた、ヒューストの後にそう言ったユオンも、【
(なら、半年も放って置かれたのは……?)
「………………………どうするか、決めるのは君だ」
ヒューストの言葉に、フィルは目を伏せた。
「…………ああ、そうだな」
このまま衰えていくか、再び〝力〟を取り戻すのか――ユオンは、それをフィルが決めるまで待っていたのだろうか。
(俺は――)
恐らく、この〝島〟に足を踏み入れた時に感じたものが答えなのだと思うが、まだ狂えていなかった。
何かが、足りないのだ。
だが、それが一体何なのか、フィルには分からなかった。
―――………。
ふと何かを感じて、フィルは息を吐いて目を開いた。
思ったよりも考え込んでしまったようで、周囲への警戒が散漫になっていたらしい。
いつの間にか周囲に気配が一つ、増えていた。
ちらり、とヒューストを見るが、変わらない表情にいつ気付いてのか分からなかった。
「……………それで――」
フィルは右手側の森に視線を向けて、
「嬢ちゃんは何の用だ?」
少し離れた場所にある木陰から、おそるおそる少女が顔を出した。
首に巻いた臙脂色のマフラーが垂れて、揺れる瞳と目が合う。
「あっ……ごめんなさいっ。立ち聞きするつもりは、なかったんです」
ぺこり、と頭を下げる少女――アイサに、フィルは片眉を上げる。
「そのわりには、気配を消していたが……?」
「すみません! ボスがいたので、話の邪魔をしてはいけないと思って」
申し訳なさそうに顔を俯かせながら、アイサは言った。
「……俺に用か?」
「はい……」
フィルが眉をひそめると、アイサは唇を噛み締めて、上目遣いに見つめてきた。
(………〝力〟は充分だが)
実力の高さは、直感で分かる。
何度か話をしていて、アイサは見た目とそれほど変わらない年齢だと思うが――
「あの! ……少し、話を聞きたくて」
「話?」
アイサは口を閉ざし、決意を固めるように大きく息を吸った。
「【
「……【
ぴくり、とフィルは眉を動かした。
ヒューストを振り返ると、彼は何も言わずに目を伏せて木に寄りかかったままだった。どうやら、口を出すつもりはないようだ。
「あの………私は――」
「【
言いにくそうに口を開くアイサに先んじて、フィルは言った。
「えっ?」
アイサは、はっとしてフィルを見ると、大きく目を見開く。
「何となく、匂いで分かる」
だから、先日、ヒューストが相手を選んでいいと言った時、ヒュースト以外で一番、アイサが気になったのだ。
「に、匂いですかっ?」
何を勘違いしたのか、弾かれたように飛び退いて、アイサは木陰に隠れてしまった。
その反応は今までにないもので、フィルは頬を掻き、
「…………いや、《血》の匂い――気配だ」
「……気配?」
そっと顔を覗かせたアイサは、ぱちぱち、と目を瞬く。
「ああ。おたくは分からないか?」
「えっと……何となく、気配は。でも、《血》の匂いかと言われると……」
小首を傾げるアイサに、個人差はあるから似たようなものだ、とフィルは頷いた。
「―――けど、【
「それはっ…………その………」
ちらり、とヒューストを見るもアイサは口を閉ざした。
(………何だ?)
その様子に眉をひそめ、フィルは二人を見比べた。
アイサの様子から、ヒューストに【
聞けない理由でもあるのだろうか。
「………………………まぁ、俺の分かる範囲でいいなら答えるが?」
今にも泣きそうな顔から、ぱぁっとアイサは顔を輝かせた。
「本当ですか!」
「話の内容にもよるけどな?」
「はい! お願いしますっ」
木の影から出てくると、アイサは勢いよく頭を下げた。
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