21 閑話_21年前~病室にて~


「――― ……?」


 消毒液の独特の匂いが鼻腔をついた。

 血の匂いが混じった空気に顔をしかめると、引きつったような感覚と激痛が走った。呻き声は出ず、唇が震えるだけだ。全身は熱を持ち、手足に力が入らない。

 身体はどこかに横たわっていて、茫洋とした瞳で天井を見つめた。


(そう、か…………俺は、いつ………?)


 意識を失うまで何をしていたのかは思い出せたが、いつ意識を失ったのかは分からなかった。


「――やっと起きたか?」


 どれぐらい天井を見上げていたのか、唐突に、視界にメフィスの顔が現れた。


「………」


 全身を苛む痛みに細い呼吸を繰り返し、声を出す気力も無く目だけを動かす。


「さすがに、その怪我で三日間もぶっ通しに戦闘を続ければ倒れるわな」


 一体、何が楽しいのか、くっくっく、と笑っていた。ガガッ、と何かを引き寄せる音がして――イスだろう――メフィスは腰を下ろした。


「一時期、危なかったんだぜ?………十日も寝ていたぞ」

「……ロ……は?」


 乾いた唇をなめて口を動かすと、かすれた声が出た。


「……ほらよ」


 その様子に苦笑して、メフィスは近くに置かれていた水差しを口に差してくる。

 僅かに頭を傾けた途端に脳天から足先まで激痛が駆け抜けたが、顔をしかめながらもほどよくぬるい水を喉の奥に流し込む。

 じわじわと染みるように、あっと言う間になくなった。

 口からこぼれた水は、タオルを押し当てられて拭かれる。


「……っ」


 水を飲むだけで疲れ、目を閉じて大きく息を吐く。

 途端に突き刺されたような痛みが胸に走り、目元を歪めた。息を詰め、浅い呼吸を繰り返す。

 一息つくのもままならなかった。


「あー……まぁ、ピンピンしているな。三日間不眠不休の戦闘はさすがに堪えたのか、丸一日は寝ていたみたいだが、もう仕事に行ったぞ」

「はっ………っ」

「さすがに、〝七ツ族〟相手はキツかったか?」

「………………べつ、に」


 吐き捨てるように言うと、メフィスは片眉を上げ、


「左腕複雑骨折に右肩脱臼とその上腕にヒビ、肋骨は三本折れて四本にヒビ。両手の指は裂傷だらけで、打ち身、擦り傷は多数の左足の骨折ときたもんだ。……あっちはお前の糸で切り傷多数の出血多量。包帯男になっていたが数日で復帰―――こりゃ、お前の負けだな」

「………」


 無言で目を逸らすと、ふっとメフィスは笑みを浮かべた。


「ふてくされることはねぇさ。三日間も続けさせたのは、お前が始めてだ。まとめて全治数ヶ月はかかるだろうが……【狂華ヘアーネル】ならすぐに治る」


 手の指も問題ないってさ、とメフィスは付け加えた。


「………あれ、が……」

「ああ。〝七ツ族〟の一角、《断罪》の【白神鬼シグルス】だ」


 不老長寿の〝七ツ族〟は〝クロトラケス〟にとって、絶対的な存在だ。

 その神寿型の中でも一、二を争う戦闘能力を持つのが【白神鬼シグルス】だった。


「それを知りながら立ち向かうのは、お前ぐらいだな。………一日目は遊んでいるようだったが、後半は半ば本気だったぞ」


 空賊の集会場のようなところで始めたので、他の〝色つき〟たちにも見られているだろうが、まさか、ずっと見ていたのだろうか。 

 〝白空〟が本気でなかったことは、理解していた。

 そもそも、通常の戦闘で本気を出すとは思えなかった。その本質、本気を見られるのは《断罪》する時――《血》に従う時だけだ。


「……《断罪》」


 呟くと、メフィスは目を細めた。


「妙なことは考えるなよ。〝法の守り手〟同様、敵とみなす者には一切の容赦はないからな。………それが、例え、同じ〝七ツ族〟だとしてもだ」

「………」


 フィルの脳裏に浮かぶのは、不敵な笑みを浮かべ続ける銀髪の男の姿だ。

 血にまみれ、戦闘によって風景が一変した中で、隆起した大地に平然と立つ男。

 その姿を思い出しただけで《血》が滾った。怪我による熱とは別のモノが全身を駆け巡り、喉元に何かがこみ上げてくる。


「――っ!」


 滾った《血》の衝動に、全身から激痛が走る。

 噛みしめた奥歯が軋んだ音を立て、視界が白く染まった。


「おいおい。まだ絶対安静だぞ」


 滾るな、滾るなとメフィスは左肩を叩いた。


「っぐ――お、おま……っ!」


 折れた左腕に激痛が走り、涙の浮かんだ瞳でメフィスを睨んだ。

 身体を動かそうとすると胸に軋んだ痛みが走るために身動き一つ出来ない。

 浅く荒い呼吸を繰り返すフィルに、ほっとメフィスは息を吐いた。


「落ち着け。万全でこの結果だ。その状態で追いかけても瞬殺されるのがオチだ」

「………」

「またいつでも挑戦できる。血気盛んなのはいいが、ちょっとは落ち着け」


 ふんっ、とフィルは鼻を鳴らし、目を閉じた。


「何にしろ、生きていただけでもうけもんだぜ。フィル――」


 ごつ、と額を拳で叩かれた。


「〝白空〟が了承しているんだ。誰もお前を止めようとは思わねぇよ。部下の場合、ボスが負けるとは思ってない――まぁ、お前が負けると確信しているんだろうがな。お前もロキも互いに殺す気じゃなかっただろ」


 ふぅ、と一息つき、


「それによく考えてみろ、神寿型っていうは、そう易々と会わないぞ?」


 その言葉に目を開けると、苦笑するメフィスが目に入った。


「それ、は……」


 メフィスの言葉にも一理ある。

 〝七ツ族〟の中でも姿を現す頻度が多いのは、《断罪》と《調停》――あとは《番人》の三つの血族だ。

 他の四つの血族はここ百年近く、姿を現してはいない。


「じっくり行けばいい。ここで狂い咲くかぎり、お前はいつでも挑戦できる」


 その言葉に、フィルは目を見開いた。

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