20 『リーメン』_シェチルナ


(戻って来ねぇなぁ……帰ってもいいか?)


 フィルは湖畔の木陰で昼食をとり、食後のお茶で一息ついていた。

 隣にはユオンとソーラも腰を下ろして、日向ぼっこをしている。


(――ってか、何でいるんだ?)


 わざわざ、やって来たのなら何か用があるのかと思ったが、ぽつりぽつり、と世間話をするだけだった。

 いつしか会話も途切れ、長閑な空気が流れる中、フィルがうつらうつらとしていると、


「ちょっ、ウルリカ! どこにっ」

「いーから、いーから」


少女たちの言い合いが聞こえてきた。


(やっと帰ってきたか。……けど、この声は――)


 フィルたちが声がした方向へ視線を向ければ、ウルリカに腕を引っ張られて『リーメン』のシェチルナが近づいてくるのが見えた。

 やっぱり、と諦めたような雰囲気のユオンとソーラを一瞥して、フィルは立ち上がった。


「――よぉ」


 声を掛けると、ウルリカを睨んでいたシェチルナは初めてフィルたちに気付いたようで、大きな瞳をさらに見開いた。


「フィルと――ユオンとソーラ! なかなか帰ってこないと思っていたら、こんなところで油売っていたの?!」

「いや、ウルリカが気になることを言って去ったから待ってたんだ………シェナこそ、よくジョーが出したね?」

「ウルリカよ……」


 ユオンの問いにシェチルナは顔をしかめ、ウルリカにじと目を向けた。

 ウルリカは、その視線は無視して「……さて」と腰に手を当てるとフィルとシェチルナを交互に見た。


「一戦、してもらおうかな」

「はいっ?」

「やっぱり……」

「………もぅ」


 素っ頓狂な声を上げたシェチルナとは違い、ユオンとソーラは肩を落とした。

 四人をぐるりと見渡し、


「………おたくらの方が戦闘狂だと思うぜ?」

「あら、言うわね」


 ソーラは笑うが、ユオンは物言いたげな目を向けてくるだけだった。


「―――」


 文句を言ってくると思っていたあとの二人は、こそこそと何かを話していて――ウルリカがシェチルナに耳打ちしていた。

 それを聞いたシェチルナは、一瞬、大きく眉をひそめたが「……分かったわよ」としぶしぶ頷いた。


「じゃ、やりましょうか?」


 長い髪を緩く編んでいたリボンを解き、シェチルナは一つにくくり直した。

 好戦的な光を宿した瞳に射抜かれ、ぞわり、と両腕に鳥肌が立つ。


「おいおい。俺はやるとは言ってないぜ?」


 突然、やる気満々になったシェチルナに、フィルは目を丸くした。

 それでも、ぴりぴり、とした威圧を感じ、口元が緩むのは止められなかったが。


(………一体、何を言ったんだよ?)


 ウルリカを見ると、にこにこ、と笑みを返され、


「ちょっとした食後の運動もいいわよ?」

「私も、ちょうど鬱憤溜まっていたのよね」

「あのなぁ……」


 フィルの意見を無視して、勝手に準備運動を始めるシェチルナ。

 フィルはユオンとソーラに振り返ったが、


「アレは止まらないよ」

「シェナの実力は〝島〟でもトップクラスよ。手ごたえはあると思うけど?」


 口を開く前に、そう言われてしまった。


(マジか……)


 はぁ、とため息をつき――


「っ――」


〝何か〟を感じて、フィルは後ろへ飛び退いた。

 その鼻先を黒い物体が横切り、風が顔を叩く。

 さらに近づいて来た気配から距離を取るため、バックステップを踏んで開けた場所に移動する。


「危ねぇな……」

「ん。いい反応」


 苦言を言うもシェチルナは気にした様子はなく、いつの間にか握っている棒をくるりと回して笑った。

 フィルはユオンたちに目を向けるが、どうやら止める気はないようだ。


「私は【Lost Children】だから、ジョーやソーラみたいに特殊な〝力〟はないわ。ただ、分かるだけよ」


 シェチルナは手に持つ棒の先で、地面を軽く叩いた。




―――ごぉ……っ!!




と。大気が蠢き、棒の先に淡い光が集まって全体を覆った。

 その光が消えると、棒の先には左右に刃が付いていて〝槍〟と化していた。

 無から有を生み出す〝力〟――大気に存在する〝ウラノス粒子〟を吸収し、物質化する術、〝練金術〟だ。


(この速さ………【銀の導者ルーフ】並みか)


 それは、ある血族が最も得意としているものであり、ほぼ数秒で〝物質化〟させる速さは、全く、引けを取らないだろう。


(―――いや待て、〝理〟を視るだけが【Lost Children】だろ!)


 シェチルナにツッコミを言う間もなく、《本能》が危険を告げてシェチルナから距離を取るべく、全力で地を蹴った。

 一瞬遅れて、シェチルナは槍先に左手を添えて、突進してきた。

 その切っ先が空を切り、突き出された一撃を交わしたフィルは、さらに足のバネを利用して大きく後ろへ飛び退く。


「!」


 シェチルナは大きく目を見開いた。

 十メートル近い距離を稼いだフィルは、周囲に意識を向けた。

 だが、一瞬でも前方の注意が逸れてしまい――その隙が大きかった。

 ぞくっ、と背筋が震えた瞬間、無意識に右手が動いていた。




―――ビンッ、




と。フィルの槍の切っ先が虚空に縫いとめられたように止まった。

 さらに指を動かして槍を回し、柄を左手に収める。


「っ!」


 フィルは下から気配を感じ、上半身を仰け反らせた。

 構える暇もない。

 あご先を突き上げられた掌底が通り過ぎる。

 青い瞳と視線が交差し、その口元には嬉しそうな笑みが浮かんでいた。

 フィルは倒れるままに手首を回し、槍を振り抜いた。その先が無防備なシェチルナの背中に吸い込まれ――


「――っ!」


左腕に衝撃と痛みが走り、身体が左に大きく傾く。

 シェチルナは振り上げた腕でフィルの左腕に肘鉄を落として、槍の一撃を凌いだのだ。

 そして、くるり、と身を回すと、裏回し蹴りを放ってきた。

 大きくバランスを崩したフィルに、避ける術はない。


「ちっ――」


 フィルは槍を手放して右腕を上げ、蹴りを受ける。

 右腕の衝撃は地を蹴ることで受け流し、そのまま、数メートルほど距離を取った。

 糸を張り、ぐぃっ、と引っ張ることで体勢を立て直す。

 一方、シェチルナは槍を蹴り上げると、ぱしっ、とその柄を掴み―― 一瞬で、その長さが縮まった。


(自由自在か――っ!)


 シェチルナは踏み込み、数十センチの棒となった得物を突き出す。

 まだ距離がある中での攻撃にフィルは眉をひそめ――右手の指を振った。

 再び、棒に光が吸い込まれ、倍の長さまで伸びたその先が真っ直ぐにフィルの喉元へ迫ったからだ。




―――二人の間に、細い光が瞬いた。




「っ!」


 ぴくり、と眉を動かしたシェチルナは、攻撃の手を止めて背後へ――フィルから距離を取った。

 フィルは追わず、さらに糸を展開していく。


「女の子の顔を狙うなんて」

「先に俺の顔面めがけて槍を投げてきた奴のセリフか?」


 初撃でシェチルナはフィルが距離を取ったのに合わせ、突き出した勢いのままに槍を手放した――投げつけてきたのだ。

 一方、糸を使ったフィルの攻撃は牽制の意図が大きく、当たるとは思っていない。


(……嬢ちゃんの体術はなかなか……だが、アレは……)


 シェチルナの得物――伸縮と変形自在の代物に眉を寄せると、


「コレ? 〝島〟オリジナルなのよ」


 シェチルナは三十センチほどの長さにすると、ぽいっ、と気軽に投げてきた。

 フィルがシェチルナとの間に張った、糸の隙間を通して――。


(バレてるか……)


 フィルは左手で掴んでマジマジと見てみるが、別段、変わった様子はない。武器製造や機械系には疎いので、どういう仕組みなのか分からなかった。


「…………オリジナル………開発した、ってことか」

「さっき見たとおり、〝ウラノス粒子〟を使うの。確か、【狂華ヘアーネル】は〝粒子〟は使えないけど、見えるでしょ?」

「ああ……」


 〝クロトラケス〟の〝力〟は、大気中に含まれる〝ウラノス粒子〟を使うものが多いが、【狂華ヘアーネル】は感知が出来ても扱うことは出来なかった。

 フィルが返すと、シェチルナは手の中で回してさらに長さを縮め、簪のように髪に差し込んだ。

 ちらっとフィルの右手――はめている〝腕輪〟に視線を向けて、


「そっちは鋼糸使い?」


(〝粒子〟が扱えるなら、分かるか……)


 それは、師から故郷を出る時に餞別として貰っただ。

 〝ウラノス粒子〟を扱えない【狂華ヘアーネル】でも、動力源となる〝粒石〟――〝ウラノス粒子〟が物質化したもの――を填めれば、制約はあるが〝糸〟を作り出すことが出来るのだ。

 ただ、その腕輪はもう一つあり、昔は両手に装備していたが、動力源となる〝粒石〟の手持ちが少なくなって来ているので、ナイフと併用して使っていた。


「……そうだ」


 フィルが頷くと、ふぅん、とシェチルナは呟いた。

 気のない返事だったが、相変わらず闘気を感じているため、フィルは張り巡らせた糸を回収せずにその様子を見守った。

 先ほどの一撃から考えるに、平然と不意打ちをしてきそうだったからだ。


「【狂華ヘアーネル】にしては珍しいわね?」

「……まぁ、そうだな。ナイフと拳法を合わせた近接戦闘も出来るが、教わった中でコレが一番、使いやすかったんだ」


 故郷では、その《血》に従って、幼少からの戦闘教育が施されている。

 一通り、武器の扱いを教わって、今後、研鑚していく一つを選ぶのだが、フィルがしっくりと来たのが〝鋼糸〟だった。

 ただ、一般的に剣や槍などの武器か徒手空拳を選ぶことが多いので、その使い手は極端に少ない――同世代ではフィル一人だった。


(まぁ、おかげでみっちりと教わって……コレも貰えたけど)


 この腕輪は、どうやら、なかなかの一品だったようで、それなりに血に塗れた空賊時代を過ごしていたが壊れることもなく、何度か技師にメンテナンスを頼むだけで性能も維持され、二十年近い付き合いになった。


特別製オーダーメイドよね………結構、変わった張り方しているけど、見たことがないわ」

「そう、なのか? 里では、蔵の肥やしになっていたけどな」


 〝糸〟は地面から生えたように現れ、空へと伸ばすことが出来る。また、糸から新たに糸を伸ばすことは出来るが、何もない所からは生じないのだ。

 それは、あくまでも〝粒石〟によって〝物質〟を変化させて糸が作り出されているからで、〝ウラノス粒子〟が扱える〝クロトラケス〟にとっては、不要の代物だろう。

 ふぅん、とシェナは呟いて、視線を空に転じた。


「鋼糸……鋼糸ね」

「?」


 ぶつぶつと呟くシェチルナからユオンたちに目を向けると、肩をすくめている。

 よしっ、と気合いの声が聞こえ、彼女から発せられていた闘気が消え失せた。


「ねぇ、一つ聞きたいんだけど」

「何だ?」

「〝ウラノス粒子〟の気配はどれぐらい分かる?」

「は? ………まぁ、そこそこは」


 唐突な質問に呆気に取られつつ答えると、にこっ、とシェチルナは笑った。


「じゃ、大丈夫ね。――ユオン、いいこと思いついたから、工房に行くわ」

「えっ、また?」

「いけそうな気がするの!」


 シェチルナはフィルの横を通り過ぎ、森へ――産業室の建物がある方角へ走り去る。

 

「シェナ! ストレス解消は?」


 その背中に、ウルリカは慌てて声を上げた。


「もういい!」


 そう叫んだかと思えば、振り返ってフィルを見て来た。


「――あ、フィル!」

「なんだよ……」


 シェチルナの瞳は楽しげに細められていた。


「面白いもの作るから、試作品はあげるわ!」


 シェチルナは髪を跳ねながら去っていく。

 フィルは唖然とシェチルナを見送って、糸を回収した。


「なんだったんだ? あの嬢ちゃん……」

「………………大丈夫。アレは普通だから」


 疲れた声にユオンが苦笑を返してきた。


「そうなのか?」


 この〝島〟は変人ばかりだ。


「せっかく、面白くなりそうだったのに」

「……なぁ、アレはどうにかならないか?」


 ウルリカを指すと、無理無理、とユオンは手を横に振った。


「あはは。諦めた方がいいよ」











「で? おたくらは本当はどういう理由で来たんだ?」


 フィルは、そろそろ帰るか、と思いつつも、ずっといるユオンとソーラに尋ねた。


「ん? 暇つぶしに来ただけだよ」

「暇つぶし………仕事はいいのか?」


 そこでユオンがどんな仕事をしているのか、知らないことに気付く。

 ジョイザは喫茶店のマスター、ソーラやシェチルナも何かといないことが多かったが、ユオンは常に奥のボックス席に座っているのだ。


「オレ? ……オレはご意見番だから」

「ご意見番?」

「何でも屋よ。変に器用だから、ちょこちょこと呼ばれるのよ」

「変って……そういう〝力〟だよ」


 ソーラにユオンは抗議の声を上げるが、うんうん、とウルリカは頷いている。


「便利よね。器用貧乏でもないから、役に立つし」

「便利言うな」


 じろり、とユオンに睨まれてもウルリカはどこ吹く風だ。


「……嬢ちゃんとホテルのオーナーと同じ血族でも使い方は違うんだな」


 シェチルナとホテルの支配人のエイルミも【Lost Children】であるはずだったが、明らかに戦闘特化したシェチルナと記憶操作が得意なエイルミでは、〝力〟の応用ってだけでは納得できない点もある。


「系統――得意不得意さ。応用の仕方も人それぞれだ」

「……………………………そういうことにしとくか」


 恐らく、神寿型ゆえのことなのだろう。

 ただ、〝クロトラケス〟の中でも、神寿型の〝力〟については謎が多い。

 内心で首をひねりつつ、ソーラに目を向ける。


「おたくは……お目付け役ってことか?」

「そんなトコかしら」


 にっこりと笑うソーラから、上手く言い表せない〝何か〟を感じて、フィルは片眉を上げた。


(………この女、読めねぇんだよな)


 初めて顔を合わせたのは半年ほど前だが、言葉を交わしたのは最近のことだ。

 恐らく、『リーメン』の四人の中では、調整役のような立場だと思う。

 ジョイザは外敵から守護する壁、ソーラはからかいながらも二人の暴走を食い止めているような雰囲気があった。

 ソーラの人当たりはよく、会話もそれなりに弾むが、瞳の奥に宿る冷たい光に油断はない。

 ただ、神寿型ではないと思うものの、一体、どの血族なのか、全く見当もつかなかったが。


(……どいつもこいつも面白い奴らばかりだな、『リーメン』は)


 ソーラから感じる気配は、今までに出会ったどの〝クロトラケス〟にもないものだった。

 常に、獲物を窺う獣のような気配が、

 正体不明の血族は、他の三人とは別の意味で興味をそそられる相手だった。


「………」

「あら。もう少し動きたいの?」


 いつの間にか睨んでいたようで、ソーラがからかうように言ってきた。


「……いや」


 フィルは小さく頭を横に振るう。


「ほら、ウルリカが吹っかけるから」

「えぇー、そんなことしていないわよ」


 ウルリカはユオンに肩をすくめ、湖へ踵を返す。


「そろそろ、仕事に戻るわ」


 じゃあねー、とひらひらと手を振りながら湖に飛び込む。


「仕事………泳いでいるのが?」


 再び、綺麗なクロールで去っていくウルリカに呟くと、


「逃げた……」

「そうね」


 やれやれ、とユオンとソーラがため息をついた。


「……フィルは、これからどこに?」

「ん? メシも食ったし、昼寝だな」


 今後は、湖に近づかないようにしよう。フィルが森の方を見ながら言うと、


「木を切り倒したら、ウルリカ来るから気をつけてよ?」

「倒さねぇよ……」


 ユオンにフィルは顔をしかめた。


「あと、暇つぶしに俺のところに来られてもな……」

「君も暇だよね?」

「………まぁ、審査中といっても、何をすればいいのか分からないからな」


 警備部長の目があるとはいえ、元空賊の身だ。〝島〟の中を移動するだけで、警戒されるのが目に見えている。


「あらら。いそいそとイザベラのところに通っているのに?」


 ソーラの言葉は、誤解を招きかねなかったが、反論したら藪蛇になりそうだったので、聞き流した。


「……昼飯がタダで、小遣いが出るからだ」

「食べ物でつられるって……」

「………食は大事だぞ?」


 小さく笑うユオンにじと目を向けると、ふふふっ、とソーラも笑っていた。


「そうね。食べることは大事よ。恨みも大きいし」

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