19 『リーメン』_ユオン
「!」
久しぶりに聞いた名前に、フィルはぎょっとしてユオンを見た。
〝空〟に住む者たちの間では、〝十空〟の名は知れ渡っているだろうから、その名が出ることは不思議ではなかったが、まるで、知り合いのような口ぶりと〝惚れた〟という言葉に動揺したのだ。
「〝十空〟の名前ぐらいは知っているよ。それに彼とは………何回か会ったことがあるから」
「……そうなのか?」
〝黄空〟にいた当時、ユオンたちに会った覚えはなかったので、フィルがいない頃の話だろう。
「面白い人だったよ」
「……いいのか? 〝放浪島〟が空賊と知り合いで」
ユオンの口ぶりは、敵対したわけでもないようだ。
(まぁ、敵対していたら無事では済まないか……)
『ビフレスト島』がいつ頃から〝
「別に仲良くはしてないさ。〝色なし〟に何十回も襲撃されているし」
〝色なし〟と限定するユオンにフィルは眉を寄せた。
「………………ジョイザから聞いたが、〝白空〟とは知り合いなのか?」
「―――えっ? ジョーから?」
今度はユオンがぎょっとしてこちらを見て来たので、マズかったか、と内心で舌打ちする。
ジョイザが言ってきたことなので、別に口にしても何の問題もないと思ったのだが。
「あー……あまり、知られたくないことだったのか?」
ユオンは目をパチパチと瞬き、いや、と肩をすくめた。
「〝島〟の皆も知っていることだけど………ただ、ロキとジョーは犬猿の仲だから、話したとは思わなくて」
「〝白空〟とジョイザが?」
〝七ツ族〟が持つ《役割》は、他の〝クロトラケス〟にとって《血》に従うことと同義――より強い衝動、行動原理を示してもいた。
その中でも、
―――〝クロトラケス〟同士の諍いを治める、《調停》の【
―――〝罪〟ある〝クロトラケス〟を罰する、《断罪》の【
(〝犬猿の仲〟って……だから、あの反応か。原因は――空賊と〝放浪島〟にいるからか?)
あの時、ジョイザの雰囲気が変わった理由は分かったが、どの〝クロトラケス〟よりも《
「ロキとは、腐れ縁さ。………昔は会う度に一戦交えていたけど、五十年ほど前に起こった〝戦役〟から、戦友になったんだ」
「! あの戦役から?」
約五十年前、〝アポロトス〟と〝クロトラケス〟の軋轢によって勃発した、とある大陸での大戦――〝ギガントマキア戦役〟。
その原因となったのは、〝アポロトス〟―― 一部の『都市』による〝クロトラケス〟の人体実験だった。
異能の〝力〟を持つ〝クロトラケス〟を恐れる者、力の根源を探る者、その先を目指そうとする者――様々な理由から〝クロトラケス〟狩りが行われ、人体実験が繰り返された〝前時代〟。
その発端は〝アポロトス〟派の『都市』が多く集まっていた『ギガントマキア大陸』に於いて、十の『都市』が〝クロトラケス〟の一団によって同時に攻撃され、壊滅した事件だった。
それは大きな波紋となって世界に広がり、他の大陸や列島の世情をも動かすことになった。
そして、二年間の〝戦役〟を経た世界には、〝アポロトス〟と〝クロトラケス〟の共存を掲げた新たな国際機関――〝世界会議〟が設立され、新たな時代の幕開けとなったのだ。
(まさか………いや、違うな)
恐らく、その当時もこの〝島〟に居たであろうユオン、シェナ、ソーラ、ジョイザ、ヒュースト、ウルリカ――まだ、数回しか会ったこともない者たちもいるが――彼らが、『都市』を襲撃するとは思えない。
それに〝クロトラケス〟の先導者的な存在とはいえ、〝七ツ族〟は〝アポロトス〟との抗争には現れない――もし、行動を起こした場合は、彼らの《役割》に準じたものになるだろう。
「………参戦、したのか?」
〝アポロトス〟と〝クロトラケス〟の全面戦争にはならなかったが、その寸前までいきかけた〝あの戦役〟に、ユオンたちが参戦したと言うのなら、彼らの〝立ち位置〟は――
「………ちょっとだけ、ね。オレには戦闘力はないから、戦ったのは皆だ」
苦笑交じりの言葉に、フィルは自分の予想が正しいのだと確信した。
「………旅団〝黄昏の虹〟の一員、だったのか?」
「………」
それに対して、ユオンは笑うだけだったが、否定はしなかった。
―――旅団〝黄昏の虹〟
それは開戦して一年あまりが経った頃、突如として現れた〝アポロトス〟と〝クロトラケス〟の混合部隊の名だった。
複数の中立であった『都市』を後ろ盾にし、対立する二つの血族が協力し合って『ギガントマキア大陸』はおろか、全世界に広がりつつあった戦場を治め、終戦に導いたとされる英雄たちのことだ。
当時の主要メンバー及び後ろ盾となった『都市』は、現在、〝世界会議〟の主要都市となっている。
五十年近く経った今では、当時のメンバーのほとんどが亡くなっているだろう。
恐らく、存命であるのは、特異型か神寿型の〝クロトラケス〟――そして、まだ若かった天佑型の〝クロトラケス〟か〝アポロトス〟だけになる。
(あれに〝七ツ族〟が参戦していたのか……!)
ユオンたちが参戦していたとしたら、当時の島民たち――つまり、〝七ツ族〟も関わっていたと言うことだ。
そして、【
ただ、ロキに関しては、納得できる部分もある。
〝罪〟ある〝クロトラケス〟を《断罪》する【
何を〝罪〟とするのか――その判断基準は分からないが、彼らが動くのは〝クロトラケス〟に関したものだ。
(………〝七ツ族〟が参戦………………なら、二年で治まったのも当たり前か)
〝戦役〟に参戦した〝七ツ族〟が彼らだけとは限らないが、少なからず、複数の〝七ツ族〟の参戦は大きな影響を与えたことだろう。
それが〝七ツ族〟の総意でなくとも、《血》が彼らを恐れるからだ。
そして、彼らをまとめた人物は、おそらく――
「とんでもねぇ奴らだな……」
フィルは内心の動揺を抑えるため、大きく息を吸ってゆっくりと吐き出した。
「何が?」
「………」
小首を傾げたユオンは、すっとぼけているわけでもないようだ。
「…………〝色つき〟が襲ってこないのは、おたくらが〝白空〟と戦友だからか?」
それを聞くのは憚られ、フィルは別の疑問を口にした。
まさか、とユオンは笑い、
「先代の〝
「!」
あっさりと、三つも〝十空〟を潰した、と言うユオンに、フィルは目を見開く。
「知らなかった?」
あれ、とユオンは小首を傾げた。
「だから、君はココに来たんだと思っていたんだけど」
「…………いや。それは俺が入る前のことだろ? 空賊になっても興味があったのは〝白空〟だけで、他の〝色つき〟の――それも、潰れた前任者なんかには、全く興味がなかった」
フィルがそう答えれば、「あぁ、なるほど……」と呆れた声を上げた。
「まぁ、『ビフレスト島』のことは聞いていたから、ちょっとは気にはしていたが………下に降りて探し始めた頃も、そうそうに見つかるとは思わなかったからな」
そこで、一体、何でだろうな、と視線を向ければ、ユオンはそっと視線を逸らして来た。
「えーと………〝橙空〟と〝緑空〟は戦役前で、〝赤空〟はその最中に潰したと思うから、確かに聞いてなかったら知らないか」
フィルの疑問には答えず、ユオンは話を元に戻した。
「………」
「………」
「………」
「………」
じと目を向けても、さらに顔を背けて、
「戦役後は〝色つき〟から襲われることはなかったんだけど、二、三十年経つと忘れるみたいなんだよね。………〝
「………………………忘れるって、〝七ツ族〟がいるんだぞ?」
仕方なく〝島〟についての追求は諦め、フィルは別の疑問を投げた。
〝
「世代交代とか関わった事がないのが理由だろうね。………そもそも、〝七ツ族〟が一つの〝放浪島〟に留まり続けると思う?」
「………………それは一理あるな」
〝七ツ族〟は表舞台に立つことは少ないが、時折、その存在は確認されていた。すぐに姿を消してしまうが。
ただ、全く、その所在が分からないわけではなく、隠れ里の場所があるであろう地域は噂となって流れ――また、はっきりと居場所が分かっている者もいた。
それが〝白空〟とあと三人――それぞれ、血族は違う者たち――だったが、そこに『ビフレスト島』は入っていない。
「ちょっと、そんなことを話してもいいの?」
「そうそう。あとあと問題にならない?」
そこで、盛り上がって話し込んでいたウルリカとソーラが二人が口を挟んできた。
フィルとユオンの会話に、何気に聞き耳は立てていたようだ。
「あとあと………それは、ダメってことか?」
落とす気かよ、と言外に言うとウルリカはにっこりと笑った。
「情報漏えいは防がないと」
「………………なぁ、笑顔で潰すって言われた気がするんだが?」
ユオンに視線を向けると「冗談だよ」と笑っていた。
「ダメだったときでも、身の安全は保障するよ」
「そうね。誰が漏えいしたかなんて、ヒューがばっちり分かるから」
「……恐ろしい監視付きだな」
ユオンに賛同するソーラの言葉に、フィルは頬を引きつらせた。
確かに【
フィルは、やれやれ、とため息をついた。
「ねぇ、一つ聞いてもいい?」
「何だ?」
改まったウルリカの声に顔を上げると、青色の瞳と目が合った。
そこにはからかうような感情はなく、海の底を覗いたかのような静けさが漂っていた。
「どうして〝黄空〟に入ったの?」
その問いに、ぴくり、と眉が動く。
メフィスに対しての嘲りは感じないので、純粋な疑問なのだろう。
「……………………さぁな。昔のことだから忘れた」
何故、空賊となったのか分からない。流された、胃袋を掴まれた、などと、容易に思いつく理由ではないだろう。
だが、その時、〝黄空〟に何か思う事はあったはずだ。
そうでもなければ、〝黒空〟になっても、留まり続けることはしなかっただろうから。
「〝十空〟の中で、メフィスは普通の奴だった。………いや、〝混血〟は普通とは言い切れないか」
知り合いなら、メフィスの《血》についても知っているだろう。
異なる〝クロトラケス〟同士の《血》を引いている〝混血〟だったメフィス。
その数は、決してゼロではないものの、一部の者たちには忌避されているとも聞いている。
「たぶん、〝混血〟に興味があったのと――何より、変な奴だったからな」
メフィスが〝混血〟だと知ったのは、出会って数日が経った頃――落ち着いてきた頃に、その《血》の匂いに違和感を覚えたことがきっかけだった。
故郷を出て一年ほどで出会った〝混血〟だったが、特に忌避感はなかった。
むしろ、どのような〝力〟の持ち主なのか、《血》の本質はどうなっているのか――〝七ツ族〟には及ばないものの――興味は尽きず、幾度か襲ったこともあるほどだ。
ただ、出会った時と同様に悉く避けられ、攻撃が当たるまで、そこそこ時間がかかったが。
「……それじゃ、同じものを〝
ウルリカは、ちらり、とユオンを見て、
「言っておくけど、ユオンはれっきとした【Lost Children】だよ?」
「…………そこまで鈍ってねぇよ。混じりのある《血》の匂いは覚えてる」
「《血》の匂い? ………匂いで判断するなんて、 さすが〝戦闘狂〟ね」
「茶化すなよ……」
軽い口調にフィルは顔をしかめた。
「分かるものなのかしら?」
「さぁ? でも、【
ソーラの問いに、ユオンは肩をすくめた。
「【
ぽつり、とウルリカは呟いて、小首を傾げた。
「なら、ヒューと会ってから、結構、鬱憤が溜まっているんじゃない?」
「………」
すぐに否定できず、フィルは黙り込んだ。
ウルリカはそれに何か思うことがあったのか、数秒ほど考え込んで「ちょっと待ってて」と言い残し、〝島〟の中心部の方へ足早に去っていった。
「…………一体、どこに行ったんだ?」
フィルはその背を見送って、ユオンとソーラに視線を向けた。
「あらら――だいたい、予想はつくけど」
「……やれやれ」
「?」
呆れた様子の二人に、理由が分からず、フィルは眉を寄せた。
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