第4章 萌芽の兆し

18 ビフレスト島での生活


 審査が始まって一週間。

 フィルは日課となりつつあるイザベラの店の手伝いを終え、昼飯駄賃を持って〝島〟唯一の湖に向かった。




 先日、ユオンに案内されたのは表層にある施設だけだったが、市街――とは呼べない集落――以外は、特に何もない〝島〟だった。

 〝島〟の外縁側は森で囲われ、中央の市街から進行方向に道が伸びていて、その先には旅客が止まる宿泊施設ホテルと昇降口だけだ。

 そして、進行方向を十二時とした時、七時のあたりにある湖の周囲には牧場と畑、森の中―― 十時の位置に、産業室の工房があった。




 フィルが湖に着くと、何人かの子どもが水遊びをしていた。


(―――げっ)


 その内の一人に眉を寄せ、湖に背を向ける。


「――あ。フィル!」

「………」


 だが、去る前に目ざとく見つけられ、フィルは足を止めた。

 逃げても無駄なのは分かっている。


(何で気付いた? ……気配を消したのがマズかったのか?)


 ぎぎぎっ、とぎこちない動作で振り返ると、水滴を飛ばしながら大きく手を振る十代後半ぐらいの少女が目に入った。

 薄い青色の髪はショートに切り、カチューシャで前髪を上げている。綺麗なクロールで岸に近づくと、素早く陸に上がった。その服装は水着ではなく、シャツにホットパンツ姿なので恥ずかしさはないのだろう。


「……よお。ウルリカ」


 どこか気のないフィルの声に、少女――環境部長のウルリカは髪と同じ色の瞳を爛々と輝かせ、にっこり、と笑って白い歯を見せる。日に焼けた肌と腕や足は鍛えられて引き締まっており、小柄ながらも健康美に溢れていた。


「遅いじゃない。――あ、差し入れ?」

「違ぇよ!」


 ウルリカの魔の手から、さっと昼飯の入った袋を遠ざけた。


「これは俺の昼飯だ。それに、別に待ち合わせはしてねぇだろ………」

「えぇー……ケチ」


 唇を尖らせ、左手を腰に手を当てるウルリカ。

 フィルは呆れた視線を向け、


「それより、男の前でその無防備さは止めろ」


 シャツが身体に張り付き、うっすらと下着の形が浮かび上がっているのだ。

 わずかに視線を逸らしたフィルを見て、さらにウルリカは笑みを濃くした。


「あははっ――照れてる?」

「照れてねぇよ……」


 ウルリカは、ニヤニヤと笑いながらシャツの裾を絞るように捲し上げ、脇で縛った。細身の――括れた腰が丸見えになるが、フィルが顔色一つ変えないので、あれ、と小首を傾げた。


「女の子に興味がないなんて、


 つと、水で濡れた手を伸ばしてくるので、フィルは素早く距離を取った。


「濡れるだろ……!」

「つまんなーい」

「何がだよ! 少しは恥じらえ!」


 ウルリカの年齢は十代後半――ユオンやシェナと同い年ぐらいだが、彼女も見た目どおりの年齢ではないと《匂い》で分かった。


(…………この〝島〟、年齢詐欺が多くないか?)


 恐らく、十人には満たないと思うが、百人ほどの人口に対しての割合を考えると多いだろう。

 それも、フィルのような特異型だけでなく、寿の〝七ツ族〟が複数いるのだ。


(何でゴロゴロいるんだよ……)


 目の前にいる少女もまた、ユオンやジョイザと同じく〝七ツ族〟だと《血》が告げている。



 〝クロトラケス〟にとって、畏敬の念を抱く存在だと――。



 ただ、ウルリカがどの血族かまでは分からず、彼女もソレを名乗ることはなかったが。


(……今のところ、四つか)


 〝七ツ族〟のうち、四つの血族が集う〝島〟。

 少し前なら――〝白空〟と初対面で三日間の戦闘に突入した頃なら、〝島〟に足を踏み入れた瞬間に戦いを求めていただろう。

 だが、今は違った。

 その違い――己の〝力〟の衰えを改めて自覚し、フィルはため息をついてウルリカに背を向けた。

 森の方へ足を進めたが、ひんやり、とした冷たい手が左腕に触れる。


「……おいっ」


 細い手を払い、いつの間にかすぐ隣にいたウルリカから距離を取った。


(………だから、コイツは嫌なんだ)


 警戒していたにも関わらず、あっさりと懐に入られた敗北感にフィルは顔をしかめた。

 ズカズカと懐に入ってくる唯我独尊振りには、たった数回会っただけで苦手となった。

 『リーメン』の面々から感じる素朴な暖かさやヒューストへの畏怖とはまた違った雰囲気に、中々、慣れることが出来ないのだ。


(何で――)


 腕をさすって、掴んで来たその腕が濡れていたにも関わらず、


「いいでしょ? ちょっとぐらいお話しても」

「………………悪い。今から昼飯だ」


 ウルリカには、何を言っても無駄だろう。

 フィルは頬を引きつらせ、全力でウルリカから逃げようと踵を返し、




「照れなくてもいいのにさ」



「珍しいわね」




 いつの間にか、背後にユオンとソーラが立っていた。


「なっ……!」


 柄にもなく声を上げ、とっさに三人と向かい合うように飛び退く。

 ウルリカに気を取られたとはいえ、背後を取られたことに気づかなかった。


「いきなり、か……」

「あれ。珍しい組み合わせだね?」


 眉を寄せたフィルとは反対に、ウルリカはパチパチと目を瞬いて小首を傾げた。


「シェナは謹慎中よ」


 ソーラは肩をすくめた。

 ソーラとウルリカが話し出すと、ユオンはフィルに苦笑を向けてきて、


「動揺しすぎだって。気づかなかった?」

「ああ……」


 バツの悪い顔で頷くとユオンはさらに笑みを濃くしたが、ちらり、とウルリカを見た。


「………………………………もしかして、ウルリカが苦手?」


 足早にこの場を去ろうとしていたのはお見通しのようで、フィルは目を逸らした。


「……………………そうだな」

「その反応が面白いんだと思うけどなぁ」

「……分かってはいるが、無理だ」


 今の内に、とフィルは盛り上がって笑い声を上げる二人から、ゆっくりと距離を取っていく。それに、何故かユオンも続いた。


「苦手なタイプもいるんだ?」

「あの人種は無理だ」

「人種って……」

「ネズミにトラがじゃれているのを微笑ましく見守る奴らだな」

「分かるような、分からないような例えなんだけど………」


 ユオンは笑い、つと、フィルを見ると、


「もっと、冷静タイプかと思っていたんだけどなぁ」

「あ?」


 数メートルほど離れたところで立ち止まり、フィルはユオンに向き直ると、眉を寄せた。


「話に行った時は結構人を食ったような印象だったからさ。……ウルリカやイザベラと話しているのを見ると二十歳ぐらい見た目通りだよ?」

「………」


 真正面から子どもっぽいと言われ、フィルは面食らった。

 【Lost Children神寿型のユオン】の実年齢は、軽く見てもフィルの倍はあるだろうから、そう言われても反論は出来ない。

 そして、その指摘は特異型の――長寿の血族の特徴でもあるからだ。

 特異型の〝クロトラケス〟は、長い時を生きてきたズレ――その代償として、精神年齢の成長もやや遅く、見た目どおりと言ってもいいのだ。

 ただ、百年以上生きている特異型や神寿型は、例外を除き、悟ったというべきか――〝七ツ族〟は《役割》のためか――分からないが、人を喰ったような難儀な性格を持つ者が多かった。


「………バンバンこられると、素が出るんだ」


 女は百面相だ。腹の内で何を思っているかは分からない。


「ただ、ちょっとだけ懐かしい気はするけどな」

「………それって、空賊時代のこと?」


 一瞬、言葉に詰まり、「……ああ」とフィルは頷いた。

 〝黄空〟のメフィスに誘われてアジトに滞在し、仕事を手伝っていくうちになし崩しのように仲間になった。

 当初は《血》を抑えることが出来ず、自由気ままに戦闘を繰り返していたが、周りに気配りが出来るようになってからは本当に仲間としてそこにいたのだ。

 〝黒空〟になるまでの五年間、〝空島〟で暮らした時と似たものをこの〝島〟で感じていたのは確かだった。


(……郷愁ってやつなのか?)


 ただ、それが生まれ故郷ではなく、あの〝空島〟を思い出すのも不思議だ。


「前にいたところが、こんな感じだったな……」

「ふぅん? ………結構、人気者だったんだ」

「そう言うわけじゃないんだけどな」


 血族のことで突っ走ることはあったが、ただ気が合っただけな気もする。


「……留まるつもりはなかったけど、色々とな」


 メフィスに声を掛けられた時は、まさか、〝空賊〟になるとは思わなかった。




「――じゃあ、メフィスに惚れ込んで?」

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