終章
39 過去との別れ
フィルは空を駆け、〝島〟の縁側に着地した。
「――ふぅ……」
地に足が着いたことにため息が漏れる。棒を回して、とんとん、と肩を叩きながら、さっと辺りを見渡した。
突入した警備部の面々が思い思いに休んでおり、その中でアイサとソーラが被害状況を確認しているが、聞き耳を立てるかぎりは問題ないようだ。
ただ、今もなお、緊迫した空気は変わらなかった。
むしろ、〝空船〟の迎撃作戦の時よりも張り詰めている気がするが、あいつがいるので、それは無理もないことだ。
「お疲れさん」
フィルは近くにいる警備部の面々――突入隊に声を掛けると、全員がぎょっとしてこちらを見てきた。
怪我の手当てを受けている者もいるが、かすり傷ばかりだ。
「………何だよ?」
「いや……お疲れ」
次々と上がる戸惑った声にフィルは肩をすくめ、シェチルナたちの元へ足を向けた。
「――嬢ちゃん、助かったぜ」
「いいわよ、お礼なんて」
ぽいっ、と投げると、振り返りざまに受け取ったシェチルナは一瞬で簪に戻し、髪に挿す。
「……あのガキはどうした?」
周囲を見渡し、その気配を探っても近くにいないようだった。
「あの子? もう医療院に行ってるわ」
「衰弱しているけど、命に別状はないそうよ」
シェチルナと話していたソーラの言葉に、ほっと息を吐く。
「………そうか。ならいいが」
ユオンに目を向けると、フィルの視線を感じてかアイサの報告を止めて振り返った。
「ん? 何?」
「………何で、アイツがいるんだ?」
フィルはアゴで〝島〟の外――その下空にいる者を指す。
アイツの他にも、知った気配ばかり感じる。
恐らく、上空からは旅客の目につくため、〝島〟の下から回り込むように来たのだろう。
「たまには仕事をしてもらわないとね」
苦笑混じりに言ったユオンへの反論は、足元から聞こえてきた。
「おいおい。お前に俺の仕事をとやかく言われる筋合いはないぞ」
ごっ、と風が吹き荒れ、〝島〟のすぐ横に一隻の〝空船〟が姿を現した。
全長数十メートル近くある大型艦で、その甲板からこちらを見る二人の男女がいた。
どちらも二十代後半ぐらいの見た目だったが、男は数百年を生きる〝七ツ族〟だ。
太陽の光を反射して白銀に輝く髪に青い双眸は、眼下にいるフィルたちを睥睨している。
―――〝十空〟の一角、〝白空〟のロキ。
〝島〟の天敵である〝空賊〟の親玉だ。
そして、彼の背後に控えるのは、黒髪に冷徹な光を宿した赤い瞳を持つ女性――〝白空〟の秘書であり、副長のレミティア。
フィルと同じ【
「!」
その姿を見て警備部の面々に緊張が走るも、ユオンやシェチルナ、ソーラ、ヒューストは平然としていた。
ただ、ジョイザの姿が消えているのは、ロキと顔も合わせたくないのだろう。
「それに、今は〝空賊〟じゃない方の用事だからな」
(じゃない方? ……〝七ツ族〟のことか?)
ロキの言葉にフィルが眉を寄せていると、シェチルナが咎めるような声を上げた。
「ちょっと、遅いわよ」
「急に呼び出したのはそっちだろ」
ロキは肩をすくめ、〝島〟に降り立った。その隣に、軽やかにレミティアも降り立つ。
「――よぉ。ホフィースティカ」
周囲を見渡したロキは、フィルに視線を留めると、にやりと笑った。
フィルが本名嫌いと知っているので、本名で呼ぶのはただの嫌がらせだ。
ただ、〝黄空〟にいた時は〝フィル〟と呼ばれていた気はするが。
「ちょっとは成長しているが………《血》が滾っているのなら、また狂い咲いたか?」
ぴくり、とフィルは片眉を上げる。
「!」
背後で警備部が息を呑むのに気づいたが、
「……さぁな」
フィルは肩をすくめて言葉を濁し、ユオンに振り返った。
「また何で〝白空〟を呼んだんだ?」
「ちょっと用事があったんだ」
ユオンは小さく笑いながら、そう答える。
「用事?」
「こっちもお前に用事があったからな。ちょうどよかったぜ」
「………それは、制裁ってことか?」
ロキの言葉に、フィルの口の端が歪む。
好戦的な態度のフィルに、レミティアは目を向けてくるが、何も言わない。
「お前は相変わらずだな……」
くくっ、とロキは喉の奥で笑い、
「いいや、違うぜ。用があるのは俺じゃない。……分かっているだろ」
その見透かしたような言葉に、フィルは眉を寄せる。
ロキが乗って来た〝空船〟の甲板に人の気配を感じ、視線を向けると見知った顔が二つあった。
「……フィル」
固い表情で呟く元仲間に、フィルはため息をつく。
「久しぶりだな。オルギス、ブライド」
***
ユオンに『リーメン』を勧められ、フィルはオルギスとブライドを伴って訪れた。
その場で話すことになったロキは文句を言っていたが、誰も相手にしていない。
〝十空〟では絶対的な力を持つロキへのその対応が可笑しかったが、戦友と呼ぶ間柄の気安さなのだろう。
『リーメン』のドアを開けると、カウンター内にジョイザがいた。
「………」
ジョイザは一瞥を向けてくるものの、無言で手元に視線を落とす。
フィルも何も言わずにボックス席の一つに腰を下ろした。向かい合うようにオルギスとブライドも座った。
「五年ぶりか。……ちょっと、老けたな」
「……それはお前の方だろ」
からかいながら言うと、オルギスは固い声で返して来る。
オルギスも特異型なので、五年ではそれほど変わっていない。
ただ、ブライドは天佑型なので、もう七十を超えた爺さんだ。穏やかな笑みを浮かべているが、纏う気配は衰えるどころか老練さが加わり、さらに食えない男になっていた。
「……衰えた、のか?」
「ああ。ケリがついてから――まぁ、本当についたのはさっきだから、ついたと思った時からな」
フィルはオルギスに肩をすくめ、話題を変えた。
「ロキの話からすると、俺を探していたのか?」
「そうだ。全く足取りがつかめなかったぞ、フィル」
それには、ブライドが苦笑しながら答えた。
「そりゃ、空賊に追われる可能性も考えて、必死で隠れてたからな」
「やはり、そうか」
「それで? 一体、何の用なんだ?」
半ば予想は出来たが、フィルはあえて尋ねた。
オルギスは緊張しているのか、落ち着こうと大きく深呼吸をして、
「空賊に戻ってくる気はないか?」
「………」
「お前がメフィスさんを慕っていたことぐらい、メンバー全員が知っている。空を離れたのもあの人がいなくなったからだろ? ……だが、俺たちだとダメなのか?」
〝黄空〟にいたのは、五年ほど。〝黒空〟となってからもよく通っていたが――
「――いや、無理だな」
「何故だっ。俺たちはお前に――」
フィルは片手を挙げて、その先の言葉を遮った。
「〝黄空〟の時、楽しかったのは本当だ。だが、それは昔のことだ。今は違う」
「っ!」
あの頃、充実していたのは確かだった。
だからこそ――メフィスの願いとも重なっていたこともあり――〝
ただ、そこを去った今では、既に過去でしかなかった――。
〝空〟を降りた直後――最近までは、引きずっていたのは確かだ。
それは、故郷を出て、初めて見つけた場所を失い、その場所の居心地のよさを知ってしまったが故に、抜け殻となって能力も低下していった。
だが、今は――
(全く……世話の焼ける奴だな)
フィルは鼻を鳴らして、オルギスを見据え、
「……いい加減、腹をくくれよ」
「――はっ?」
「〝黄空〟の話、きているんだろ?」
「!?」
フィルが知っているとは思いもよらなかったのか、二人は目を見開いた。
「ロキがただの空賊を連れてくるかよ。この〝島〟の奴が呼んでそこに連れてきたのなら、なおさらだ」
正直なところ、そこまでするロキには驚いたが、〝七ツ族〟の行動原理は勘繰っても分からないので、時間の無駄だ。
オルギスは瞳を揺らし、「……ああ」と苦い顔で頷いた。
「………他の連中は?」
ブライドを見ると、ため息をつきいてオルギスに視線を向けた。
どうやら、オルギスだけが渋っているようだ。
「メフィスの後継だ。嬉しくないのか?」
相変わらず面倒な奴だな、と思いながら、フィルは尋ねた。
「そんなわけがないだろっ! ――だがっ」
何かを言いかけて、オルギスは口ごもる。
「………俺は、お前の方がっ」
「悪いが、もう空賊に戻るつもりはねぇよ」
「フィル!」
オルギスは声を荒げ、立ち上がった。
――― かちゃっ……
と。オルギスの目の前に、コーヒーカップが置かれる。
「え……?」
オルギスはジョイザを振り返るが、カウンター内から動いた様子がないことに唖然とした。
「落ち着けってさ。……いや、カフェインには興奮作用があったか?」
ジョイザに目を向けると、そ知らぬ顔が目に入った。
「飲めよ、うまいぞ」
「………」
「………いただこう」
気を削がれたオルギスの隣で、ブライドはコーヒーを口にした。
頼んでいないのでサービスだろうと、フィルも口をつける。
「………」
しぶしぶオルギスもコーヒーカップを手にした。
オルギスが一息ついたのを見て、フィルはカップをソーサーに置いた。
「メフィスはお前に継いでもらうつもりだった」
「!」
はっとして、オルギスは顔を上げた。
「俺もお前が適任だと思う。実力にしろ、仲間たちからの信頼にしろな」
「――なっ……!」
「俺は上に立つ性分じゃない。どちらかというと、トラブルメーカーだ」
「だが、〝黒空〟をしていたお前なら――」
「甘えるな。もういい年だろ」
「っ!」
フィルは何かを言いかけたオルギスを睨むことで制す。
「見た目は変わらないが、時間は過ぎている………お前が初仕事をして、何年経っていると思っているんだ?」
やれやれ、とため息をつき、
「お前が率いろ。それがメフィスの望みだ」
「……?!」
びくり、とオルギスは肩を震わせた。
〝黄空〟時代、オルギスの教育係となってから、殴りあった回数は覚えていない。
いつの間にか〝ツーエース〟と仲間が言い出し、相棒としても悪い気はしなかった。
「もう、そこでは狂い咲けねぇ………咲き終わったんだ」
もう既に、次の〝咲き場所〟を見つけてしまったのだ。
審査結果は出ていないが、そう思ってしまった今では、戻ることはない――出来ないだろう。
(まぁ不合格だったら……どうするか決めてねぇけど)
ちらっと目に宿った剣呑な光は、瞼を閉じることで抑える。
再び、目を開くとフィルは少し困ったように笑い、
「戻っても、前のようにはいかない。―――悪いな、相棒」
「………」
オルギスは一瞬目元を歪め、何かをこらえるように目を閉じた。
「分かった……」
搾り出すように呟いたその言葉は、少しだけ震えている気がした。
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