36 〝ネプトゥヌス〟機関部~救出~


 眼前の《鎖》に亀裂が入り、砂となって空に散った。


(成功、した?)


 シェナは息を吐き、距離を取る。

 〝空船〟から感じていた嫌な気配が消え、〝空船〟は慣性に従って流れていく。

 ビンッ、と糸を弾いたような音がして、〝空船〟は縫い止められたように動きを停めた。


『――保護した。これより、破壊活動に移る。全員、退避しろ』


 その声を受けて、〝空船〟から突入隊のメンバーが次々と飛び出してくる。

 シェナは〝空船〟の上空に向けて一本の糸を張った。


「固定よろしくっ」


 近くにいたジョーに言い捨て、シェナは髪から簪――〝ケリュケイオンの杖〟を引き抜く。

 くるり、と手の中で回せば、一瞬、手のひらが吸い込まれる感覚があり、簪は〝槍〟へ変形した。

 シェナは身を屈め、糸の上を駆けた。眼下に〝空船〟が見えたところで糸を蹴り、虚空に身を投じる。


「――はぁぁぁぁあっ!」


 矛先で空間が軋み、柄尻から光が爆発した。

 加速する槍は数秒で〝空船〟へと迫り――轟音が響いた。

 上部の操舵室を砕き、甲板を突き破ってもなお、その勢いは止まらない。攻撃の余波は、槍の防衛機能が防いでいた。

 矛先から固い物を突いた反動を感じ、反る様にして身を起こす。


「―――」


 粉塵に目を細めて地に足をつけると、ぴしゃり、と水しぶきが弾けた。感じ慣れたオイルの匂いが鼻腔をくすぐる。

 シェナが降り立ったのは、船体の下部――機関部だ。

 床にクレーターを作り出し、突き刺さったままの槍を引き抜いて、こん、と槍の柄尻で床を叩く。頭上の穴から風が流れて粉塵を晴らし、離れた場所に立つ二つの影が見えた。


「―――迎えに来たわ」

「……………………とんだ、嬢ちゃんだな」


 少し引きつった笑みを浮かべるのは、ジョーのコートに包まれた子どもを抱えるフィルだ。

 所々、服が千切れているが目立った負傷はなく、片頬に一筋のかすり傷があるだけだった。

 一方、その隣にいるヒューは無傷だ。


(……ん?)


 シェナはフィルの雰囲気が変化していることに内心で小首を傾げたが、抱きかかえられた子どもに視線を移した。

 まだ十代前半ぐらいの男の子で、やせ細った身体に白と灰色の斑な髪が痛々しい。

 シェナは目元を歪め、槍を一振りして簪に戻すと髪に挿した。


「……預かるわ」

「ああ。頼む」


 フィルから受け取った少年は、苦もなく抱えられた。予想以上に軽いその身体をぎゅっと抱きしめ、シェナはヒューに振り返る。


「………」


 ヒューは、小さく首を横に振った。

 、いないようだ。


「――っ!」


 シェナはこみ上げた罵声を呑み込んだ。噛みしめた奥歯が軋んだ音を立てる。


「……〝船〟はジョーが固定しているから、問題ないわ。一気にやって」

「………」


 シェナの気配が変わったことを敏感に察してか、フィルはぴくりと片眉を上げたが、何も言わなかった。

 ただ、物言いたげな視線を投げかけて来るので、


「………〝放浪島〟は〝旅島〟と違って、自由気ままよ。好きなように生きているし、大陸のことには気にしないことも多い」

「ああ……?」


 突然のシェナの言葉に、訝しげに眉をひそめるもフィルは頷いた。


「けど、我慢ならないことはあるわ」


 生き残ったのは、少年一人。

 〝空船〟の噂が流れて一年ほど経つが、その間、少年だけが動かし続けていたとは考えられない。

 一体、それまでに何人が犠牲になったのか――。

 その数を知るのは、《記録》を読めるヒューと〝理〟の奥深くまで覗くことが出来るユオンだけだ。


(………これが、私たちの限界)


 腕の中にいる子どもと似た境遇の子どもたち、その全ては助けられない。



 〝放浪島〟は、自由の象徴だ――。



 自由のために、ヒューやジョーたちも《役割》と関係なく、〝力〟を貸してくれている。

 誰もが〝島〟のため、自由のために戦っていた。

 それでも、外の事情に気づいてしまえば、動いてしまうのだ。

 〝島〟と関係がなくとも――手を出せば、〝島〟に害が及ぶ可能性が高くなることを分かっていても、助けずにはいられない。

 何故なら、島民の中には圧制された生活を強いられていた者、未だ根絶しきれていない人体実験の被験体だった者もいて――




 何より、シェナやユオンもを知っているからだった。




 突然、故郷を失い、『都市』に囚われ、脱出した先でジョーやソーラと出会った。

 そして、〝島の始まりタルタロス〟で『ビフレスト島』を授かったのは、新たな故郷を求めたからであり、ただ、自由に暮らしていきたかったからなのだ。

 そして、一時でも誰かの居場所となればと思っての事だったが、それこそが《役割》に近いもの――《血》の導きなのかもしれない。


「あとはよろしくね。フィル」


 そう言うと、フィルはわずかに目を見開き、


「……ああ」


狂気が窺える笑みを浮かべた。











         ***











 ヒューの通信から後方へ――〝壁〟を越え、森の近くまで下がっていたユオンは、頭上から近づいて来る人影を見上げた。


「ユオン!」


 ジョーの力で一直線に飛んで来たシェナは軽々と着地すると、その勢いのまま駆け寄って来る。

 その腕の中には、ヒューのコートに包まれた子どもが一人、抱えられていた。


「……ソーラ」


 未だ、〝壁〟の向こうにいるはずのソーラに声をかければ、足元の地面が盛り上がって、即席のベッドになる。

 シェナはそこに子どもを横たわせ、邪魔にならないように後ろに下がった。その代わりに呼んでいた医師のノギが子どもに近づき、容態を確認し始める。

 ノギは五十代ぐらいの男で、こげ茶色の髪は短く切っているが、無精ひげによれた白衣を着ていた。


「脈も呼吸も弱いが――どうだ?」

「………」


 ユオンは目を細め、子どもを視つめた。

 子どもを覆うように見える文字――その弱弱しさと今にも崩れそうな形に、眉を寄せる。


がマズイ――ひとまず、ここで応急処置をする」

「っ――分かった」


 ノギは連れて来た看護師に指示を出していく。

 ユオンがシェナを見ると彼女は、任せた、と頷いて踵を返し、糸を放って空に――戦場に戻っていった。

 子どもに視線を戻し、ユオンは目を伏せた。


(………絶対、助けるから)


 ユオンにはシェナたちのように、直接、戦闘面で役立てる〝力〟はない。

 〝理〟――その本質を読み解き、おのが〝力〟とするシェナ、僅かながらも〝理〟を並べ替えられるエイルミ、触れずとも動かし、その影響を伝播することが出来るオリビア。

 そんな中、ユオンが出来るのは他の誰よりも深く〝理〟が視えるということ。



 同じ血族でありながら、個々に発現する〝力〟が微妙に異なるのは、その《役割》を失い、《血》が乱れ、――【Lost Children】であるが故だ。



 ただ、深淵を見通さんばかりに視ているうちに〝理〟が〝文字〟として視え、やがて、〝触れる〟ことが出来るようになったが、それは触れられるだけでユオンには何も出来ない。

 だが、他の〝クロトラケス〟と一緒なら、その〝力〟は強力になった。


「………行くよ」

「ああ――」


 子どもの胸の中心――そこにある一際大きな、拳大ほどの〝文字〟に手を伸ばすと、その上にノギも手の平を翳した。

 今にも消えそうなほど弱い光を放ち、端々が崩れかけたその〝文字〟は、子どもそのもの――彼の《血》の根源であり、〝心臓〟だった。

 指先がソレに触れ、一瞬、ブレるように〝文字〟が揺れた。


「――っ」


 ノギはそのブレを――ユオンが〝力〟を使ったことを察して、自らも〝力〟を使う。

 ノギは【生の紡ぎ手ディアンケヒト】――〝ウラノス粒子〟を使った治癒能力に長けた〝力〟を持つ医者だった。

 こぉっ、と周囲の〝ウラノス粒子〟がノギの手の平へ――その下にある〝文字〟へと吸い込まれるように集まっていく。

 どくん、どくん、と脈打つように〝文字〟の光が瞬いた。

 強く光った時、染み込むように〝ウラノス粒子〟が〝文字〟に吸い込まれ、崩れかけたから溢れた光が漏れて子どもへと降り注いでいく。

 その光に触れた小さな〝文字〟が一つ、また一つと輝いていた。


「………」


 ユオンは〝文字〟の崩れがなくなってきたところで手を動かし、他の小さな〝文字〟へと触れていく。

 重点的に、最優先で治さなければならないところを触れて揺らし、そこにノギが〝ウラノス粒子〟を染み込ませるように注ぎ込み、治療を行っていった。


「…………これでひとまず応急処置は終わったよ」


 一通り、〝文字〟に〝ウラノス粒子〟を注ぎ込んで活性化させ、さらに治癒力も高まったところでユオンは手を下ろした。


「分かった。あとは俺たちで」


 頼むよ、と子どもをノギに任せて、ユオンはその場を離れた。


「―――」


 再び、〝壁〟を越えて、戦闘区域に視線を向けた。


(………やっとか)


 そこにある物を見つけ――ユオンは目を伏せ、細く長い息を吐いた。

 最後の、仕上げだ。

 

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