35 〝ネプトゥヌス〟機関部~戦闘~
〝ネプトゥヌス〟内に突入したフィルは、迷いなく通路を駆けていた。
目指すのは、心臓部――機関室だ。
通路に敵影はないが、四方八方から殺意を感じ、獣の巣穴に飛び込んでしまったような気分に陥った。
「っ!」
フィルは走る勢いを殺さず、身をよじる。
右前方から飛び出した何か――《鎖》が頬をかすめ、背後へと通り過ぎた。
一瞬、頬の傷に意識が逸れたその間にも、次々と《鎖》が襲い掛かってくるため、一瞬の停滞も許されない。
フィルは通路の床だけでなく、壁や天井を蹴って跳ね回るように駆け抜けた。
その背後にある気配はヒューストだけで、同じ部隊に分けられていたディクラたちの気配は、離れていっている。
恐らく、操舵室を制圧に行ったのだろう。
その迷いのない足取りは、集まっている気配の場所を察しているからか、或は、内部構造を教えられたか――。
(知っていた? …………いや、その可能性は低いか)
【
恐らく、それなりの人数で手分けして《記録》を行っているだろう。
それは、ヒューストが〝放浪島〟に住んでいることから予想がついた。
〝放浪島〟とはいえ、そこに住んでいるとなると、彼が《記録》出来るのは『ビフレスト島』とその航路上だけになるからだ。
もし、何らかの方法で他の【
(さすがに知ってたら……)
ふっとフィルは息を吐き、前方へ転がるように跳んだ。
丁度、右の視界から首元を凪ぐような《鎖》の一撃——その余波が背中を押す。左手をついて一回転し、右手の糸で態勢を整えたフィルは、変わらない速度で通路を走った。
(けど、何で……)
ただ一つ、気になることはある。
ヒュースト——もしくは、ジョイザの行動だ。
彼らの《役割》は、《記録》と《調停》。
その《役割》に準じない限り、中立の立場を貫く〝七ツ族〟だからこそ、〝島〟や『都市』に住まず、人知れずに行動している――そう云われているが、彼らは〝島〟のために行動していた。
それは〝島〟に住むのなら当たり前だが、どこか違和感を覚えたのだ。
《役割》からではなく、その意思で十全に己の〝力〟を振るっているこに――。
(……何に従うか、か)
フィルは床を蹴り、さらに横手の壁を蹴ってさらに天井ギリギリまで飛び上がった。
空中で身を回し、天地がひっくり返った眼前を《鎖》が通り過ぎる。
天井に両足をつき、その《鎖》に糸をかけて身体の向きを元に戻す。
「っ!」
そして、落下の勢いのまま、正面のドアを蹴り破った。
床を転がることで勢いを殺しつつも起き上がれば、低い駆動音が辺りを満たしていた。
機関室だ。
天井はかなり高く、機械や通路、パイプ、配線で支配された中にその気配を感じた。
(……【
周囲に渦巻いていた気配の塊が、視線の先から強く感じた。
だがもう一つ、〝クロトラケス〟の気配もあり、フィルは身構えたまま視線を上げた。
「お前がリーダーか……」
前方――数十メートル先にある、二階ほどの高さに取り付けられた通路を睨む。
その機械の陰――死角から人影が現れた。
「――〝黒空〟だな」
その人物は、四十代半ばほどの茶髪の男だった。細められた瞳から敵意と殺意を覗かせ、見た所、武器はないが身のこなしから、どこかに暗器はあるようだった。
フィルは顔をしかめ、
「………元だ」
「姿を晦ました――消えたと聞いていたが………〝島〟に鞍替えしたのか?」
「……ただ、この〝空船〟が嫌いなだけだ」
その嫌味にフィルは口の端を上げ、
「だから、コレは破壊する」
そう言い終える前に、床を蹴った。
機関室に《鎖》は現れていない。今、感じる気配は目の前の男とその奥にあと一つだけ。
背後にいたはずのヒューストの気配も感じないが、問題はない。
(―――コイツが……っ!)
この男がこの忌々しい〝船〟を修復させた張本人――それだけで充分だった。
フィルは狂気が宿る瞳を見開き、糸を展開しながら男に突撃した。
距離は数歩で詰めれる程度で、その高さもないに等しい。
「………」
一歩、二歩と歩を進めその時、男が手を横に払い――バラバラ、と小さな〝何か〟が落ちた。
それは親指ほどの太さの――中心が抜けた筒だった。
床に落ちることなく、ふよふよ、と男の周囲を漂う筒は、意思があるかのようにその身を回して、一方をフィルに向けた。
その穴の先に周囲を漂う〝ウラノス粒子〟が収束し――
「っ!」
上に跳び上がろうとしていたフィルは、とっさに右へ跳び退いた。
一条の光が、一瞬前までフィルが居た場所を通り過ぎる。
その光によって、展開していた糸が切り裂かれた。
体勢が崩れる前に糸を引っ張って配管に降り立ち、さらに近くの機械へ跳んだ。着地と共に振り返り、眼前に糸で壁を作る。
バシュッ、とその壁は一瞬で蒸発し、焦げ臭い匂いが鼻をついた。
だが、フィルの首筋に向かって放たれた攻撃も掻き消える。
フィルはさらに糸を展開しながら、少し離れた場所で筒を従わせている男を睨んだ。
圧縮した高エネルギーを放つのは――
(……【
光魔の矢を放つ血族。
本来、筒など使わずとも〝力〟は使えるはずだが、その攻撃力は知っている【
恐らく、収束率を高め、その威力を上げているのだろう。
その筒の数は十ニ。全てを落とすことは可能だろうが、その威力が厄介だ。遠距離攻撃――それも〝ウラノス粒子〟で構成されているため、防御がしにくいのだ。
(………いけるか?)
糸自体にも特殊加工をしているので易々とは切れないと、シェチルナは言っていたが、糸で編んだ壁は、あっさりと切り裂かれていた。
恐らく、まだ扱い慣れていないことが理由だろう。
(――ったく)
フィルは笑みを浮かべ、糸を動かす。力押しで行けるほど、弱くはないようだ。
シェチルナの説明では、糸に〝ウラノス粒子〟を纏わせて硬質化するらしいが、そのままでは〝ウラノス粒子〟が扱えないフィルには使用することが出来ない。
そのため、指先で制御できるように制御プログラムが組み込まれていたが、今まで以上の――より繊細な制御を要求してくるのだ。受け取って間もないがために、糸の硬度にムラが出てくるのは仕方がなかったが――
―――「あなたなら、大丈夫でしょ」
一度、使用してから最終調整を行ったシェチルナは、そう言って来た。
頭ではなく身体で覚えろ、と。
それも戦闘中――因縁の〝空船〟を前にして。
(―――冗談がキツイぜっ)
普通なら眉を寄せるところだが、何故か、フィルはグローブを使ったままだった。いつもの癖で腕輪もしているので、
「―――」
全身を漲る〝力〟に押されて身体を動かし、フィルは放たれる【
攻撃を紙一重で交わしても服を掠め、糸の残滓が視界を踊る。
殺意に満ちたレーザーを受けながら、グローブの使い方を身体に叩き込んでいく。
「っ」
知らずと、口元に笑みが浮かんでいた。
《血》が命じるままに身体をわずかに横に倒して、とんっ、と床を蹴った。
レーザーがフィルを中心に収束するが、展開した糸や壁を蹴り、身を回して通り抜ける。
男との距離は数メートル―― 一歩で詰められる距離だ。
フィルが鋼糸を放つのと、レーザーが放たれるのは同時。
鈍い手ごたえがあり、レーザーは脇に逸れた。縦横無尽に張った糸の中を駆け、男に向かう。
男は慌てずに筒を手元に集め――そこに、エネルギーが収束する。
―――ぞわっ、
と。両腕に悪寒が走った。
フィルはとっさに展開していた糸をまとめ、引き絞った。
〝ウラノス粒子〟が糸に収束して光を放つ。
そして、フィルはソレを振るった。カウンター気味に放たれたレーザーは、糸の刃に弾かれて消えた。
「ぐぅっ!」
そして、糸は男の筒を切り裂き、その身体へと吸い込まれていく。
「っ!」
フィルは首を傾けた。
一瞬、鋭い痛みが頬に走り、どろり、とした血が流れる。
糸が消えた先には、己の血で身体を染めた男が通路の手すりにもたれかかっていた。
「〝黒……っ!」
ごぽっ、と口から血を吐き、言葉は消えていた。
そして、身体を傾かせた男は手すりを乗り越え、視界から消えた。
鈍い音と共に完全に男の気配が消えたのを確認し、フィルはふっと息を吐いた。
張っていた糸を回収し、袖で頬の血をぬぐって〝核〟へ向かった。
(………何だ?)
少し不思議な感覚に囚われつつも、フィルはユオンに言われた目的に従って、足を動かす。
「………レーザーが周囲に当たらないようにしていたのか?」
誰もいない中で尋ねると、
「――ああ」
どこからともなく、ヒューストの声が返ってきた。
声がした方向――階段下を覗くと、そこにヒューストの姿があった。階段を駆け下り、その前を通り過ぎる。
「ココに《鎖》の出現がないのも、そうなのか?」
「そうだ……」
「おたくなら、手間もかからないだろうに……」
あの男の攻撃が機関室に着弾しなかったことと、《鎖》の出現がなかったこと――罠かと警戒していたが、ヒューストが防いでいたのだ。
「あの男は私の敵ではない」
一瞬、実力差のことかと思ったが、すぐに違うと分かる。
「自覚したのなら、君がけりをつけるべきだ」
「何故、それを……」
振り返ると眠気のない瞳と目が合う。
「全ては《血》と意思によるもの。………再び咲き場所を見つければ、狂うことが出来るだろう」
***
機関室の中央には、一つの柱があった。
全面ガラス張りの円柱で、中には淡く発光する黄色の液体で満たされている。
そして、そこには一人の少年が入っていた。
まだ十代前半ぐらいの子どもだ。天井部からはいくつもの管が落ち、少年の口や腕、胸に繋がっている。着ているものはなく裸身をさらしているが、胸のあたりから下は無骨な岩で覆われていた。
まるで、岩から削りだされた彫刻のようだ。こぽこぽ、と泡が下から上へと流れていく。
「【
少年の頬はこけ、身体の肉は落ちて骨が浮かび上がっている。のび放題の灰色の髪は、所々、白くなったものもあり、ゆらゆらと広がっていた。
僅かに開いた瞼の下は茫洋とした灰色の瞳があり、生気はなかった。
「〝核〟のエネルギー収束と防御装置として組み込まれたのだろう」
顔色一つ変えず、ヒューストは言った。
「助けられるのか?」
「………問題ない。接続を切るから、出してやってくれ」
ヒューストに頷いて、フィルは少年に近づいた。
ごぼぼっ、とひと際大きな音が聞こえ、顔を上げたると、生気のなかった瞳の奥に、わずかに恐怖の色が見えた。
どうやら、意識はあったようだ。
「安心しろ。今、出してやるよ」
「………」
ぱちんっ、とヒューストが指を鳴らした。
――― ぴしっ、
と。少年を捕らえる岩に亀裂が走り、次の瞬間、粉砕した。
その衝撃で、少年の身体が揺れる。
フィルは糸で柱の脇を切り裂き、満たされている液体を抜いた。さらに繋がっている管を切って、倒れないように身体を固定する。
周囲から響いていた駆動音が少しずつ弱まっていった。核であった少年を抜いたので、運行が止まったのだろう。
水が充分に抜けたところで柱を破壊し、少年を抱えた。
予想以上に、その身体は軽かった。
「………ぁ……ぅっ」
何かを言いたげに口を動かすが、長い間、声を出していなかったのだろう。何を言いたいのか、聞き取ることは出来なかった。
「眠ってろ。もう大丈夫だ」
「………」
少年は唇を震わせ、目を閉じた。
「くるんでやれ」
「ああ……」
ヒューストが脱いだコートを受け取って少年をくるみ、左肩に頭を乗せて左腕で足を支え、右手を背中に添えた。
「保護した。これより、破壊活動に移る。全員、退避しろ」
ヒューストは虚空に視線を向けて、呟いた。
それだけで全体に伝わるのだろう。
「……それで、コイツはどうするんだ?」
「すぐに迎えが来る。少し下がるぞ」
言外に邪魔だと告げると、ヒューストは来た道を戻り始めた。
(……下がる?)
フィルは言葉の意味が理解できなかったが、その後に続いた。
中心部から数メートルほど離れたところで、ヒューストが振り返ったため、フィルも足を止め――
「ん?」
ふと、近づいてくる気配に気づいた。
それは通路の先ではなく、頭上からだ。
(なんっ……?!)
本能が警鐘を鳴らし、フィルが糸で壁を形成した次の瞬間——〝核〟の上部にある天井が爆発した。
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