34 〝ネプトゥヌス〟上空
「なに、アレ……」
呆れた声を出すシェナにユオンは苦笑した。
「曲芸だね」
ユオンの視線の先には、空を駆けるフィルがいた。
その足元はジョーの〝力〟ではなく、シェナが作った試作品によるものだ。
それを手にして一時間も経っていないが、彼の操る糸は敵の砲撃はおろか、空を駆けるヒューたちを遮らないように展開され、縦横無尽に跳び回っている。
〝空船〟上空に辿り着くフィルに、甲板上にいる敵の視線が集まった。
そして、四方八方に糸が放たれる。
獣の爪に絡めとられ、悲鳴と血を振りまきながら数人の男たちが眼下へと消えていった。
〝空船〟に降り立ったフィルに注目が集まった隙をついて、ヒューたちも辿り着き、散開――空賊たちとの戦闘に入った。
フィルを先頭に、ヒューが率いる第一部隊が船内に消え、
――― どくんっ、
と。〝空船〟が身震いをした。
その瞬間、ユオンの視界に〝奇妙な文字〟――【Lost Children】にしか見えない文字――が浮かび上がった。
〝彼〟が目覚めたのだ。
「――来るよ」
これからが、正念場だ。
「じゃ、行ってくる」
「あとは頼む」
ユオンの声にシェナとジョーは空へ、アイサたちは縁の方へと駆けていく。
そして、ソーラは、ととんっ、と地面をつま先で叩いた。
ソーラを中心にして、黄緑色の文字が溢れ出し、それらは〝島〟を構成する黄色の文字に組み込まれて、新たな形となった。
「〝壁〟を中心に、山形でいいわね」
独白し、ソーラは顔を上げた。
正面に防壁として点在する壁が、次々とソーラたちに覆いかぶさるよう弧を描きながら高く伸びていった。
それはソーラの〝力〟――〝
数秒で、眼前に高さ十数メートルほどの防壁が複数、姿を現した。
〝空船〟からの砲撃音は止まらないが、防壁に当たる音はしない。元々、全てシェナとジョーが防いでいるのだ。
だが、敢えて今作り出したのは、これから必要になる可能性があったからだ。
(制圧は問題ないか……)
総力ではないが、〝島〟の主戦力の三分の一を投入した。戦闘は、ほどなく終るだろう。
「……あの子をうまく保護できればいいけど」
ユオンは口の中で呟いた。
戦闘空域は、ソーラが作った〝防壁〟で所々しか見えていないが、ユオンにはまた別の光景が見えていた。
それは〝理〟――文字で形作られた
黄色と黄緑で染まる壁の向こう側は、文字で溢れていた。
水色の文字が満ちた中に佇むのは、シェナとジョーだ。
シェナは空に糸を渡し、その上に立っている。フィルの張った糸はすでに消えているので、空にあるのはシェナが展開したものだ。
一方、ジョーは何もない虚空――黄緑色の文字で作られた板の上に立っていた。
ジョーの〝力〟――〝
攻撃には〝クロトラケス〟の〝力〟によるものも含まれているが、打ち落としの漏れはない。
シェナは張り巡らした糸の間を舞って砲弾を逸らしていており、もう一つ、ある仕事が来るのを待っていた。
〝空船〟に意識を向けると、黄色い文字で形作られた〝空船〟の中に見慣れた文字を見つけ、状況は有利に進んでいると判断する。
だが、〝空船〟の端々に黄緑色の文字が浮かび上がってきた。
(………恐怖か)
黄緑色の文字が密集しているのは〝空船〟の〝核〟。
そう見えるのは、その文字が表しているのがそこに組み込まれた――捕らわれている〝クロトラケス〟の〝力〟だからだ。
―――第八式は〝クロトラケス〟を動力源とする〝空船〟だった。
その〝力〟と命を引き換えにして、他の〝空船〟にはない速度と機動力を持つ、残虐非道の〝空船〟。
「―――シェナ」
耳元の通信機に呼びかける。
『――了解』
シェナから返答と共に、黄緑色の文字が爆発した。
シェナが放った糸が面となって〝空船〟との間に展開し、ジョーがその隙間の空間を固定して補強を施した次の瞬間、
―――どんっ、
と。大気が震え、ユオンは顔をしかめた。
その余波が前方に張り巡らされている防壁を揺らし、軋んだ音が響いた。
「――っ」
目を閉じて、壁の形成に集中していたソーラが息を呑んだ。
「大丈夫ですか?」
比較的、近くにいたアイサが振り返った。その目元はミラーシェードで隠れているが、心配そうな声だ。
だが、ソーラは答えずに防壁の維持に〝力〟を注いでいた。
アイサは戸惑うように、ユオンに顔を向けてきた。
「ここからだ本番だよ」
「……はい」
アイサがかけているバイザーは、他のメンバーも掛けているもので、内側は画面となり、より近い〝空船〟の映像が映っているはずだ。
さらに通信機も兼ねているので、警備部の全員に配給されている代物だった。
ただ、今回は突入部隊は掛けず、防衛部隊だけが状況を見るために掛けていたが。
「ユオン。……アレは」
「大丈夫だよ――まだ……」
ソーラにユオンは言葉少なに答える。
「…………ごめん」
そっと目を逸らすと、肘で頭を小突かれた。ソーラに視線を戻せば、苦笑しているその目と目が合う。
「生意気……」
何も言えず、ユオンは頬をかいた。
***
「【
シェナは張り巡らせた糸を駆け、襲い掛かる砲撃を逸らし続けていたが、突然、〝空船〟から生えたソレに目を細めた。
鈍い色は装甲の中から生えているためだったが、その形によく似合っている。
―――それは、巨大な《鎖》だ。
金属のこすれ合う音が響き、シェナは跳んだ。
足元を太さ一メートルほどはある《鎖》が横殴りに通り過ぎ、張っていた糸を切り裂いていく。
ふっ、と頭上に黒い影が落ちたので、顔を上げれば押しつぶすような二撃目だ。
身をひねって直撃を避けるが、体勢を崩してしまった。さらに殺気を感じて、右手に糸を掴み、ぐいっ、と糸を引っ張って身を持ち上げるとすぐ下を三撃目が通り過ぎた。休む暇もない。
「反撃はダメって………けっこう、キツイわね」
ユオンから、一切の攻撃を行うな、と言われている。
その巨大な《鎖》を操るのは、動力源として捕らえられた〝クロトラケス〟だった。
本来なら〝島〟を襲撃する側――〝空船〟を操る者を気遣う理由はないが、事情が事情なので攻撃をするわけにもいかない。
〝空船〟の破壊は最優先事項だが、〝核〟となっている〝クロトラケス〟――【
【
そのため、今は〝空船〟と同化させられ、〝ウラノス粒子〟を集め、それを動力源となるように〝核〟として組み込まれていた。
その状態で〝空船〟を破壊すれば、中の〝クロトラケス〟を殺すことになりかねない。
そして、【
シェナたちの目的は、あくまでも〝空船〟の破壊であり、決して、囚われた〝クロトラケス〟を殺すことではなかった。
「シェナ!」
ジョーの警告と、一瞬で張り巡らされた糸を全て断ち切られたのは同時。
四方から迫り来る〝鎖〟に対し、シェナは後ろへと大きく跳んだ。
喰らいつき、圧死させんばかりに広がった〝鎖〟は、下から見えない何かに突き上げられ、耳障りな音を立てた。
「っ!」
その音にシェナは顔をしかめながらも〝空船〟から距離を取り、ジョーの立つ場所まで下がった。
歪んだ空間の上に立って、眼前に壁を形成する。破裂音が響き、新たに迫っていた〝鎖〟が弾かれる。
「……やってられないわね」
「〝核〟を保護するまでだ」
「向こうは……大丈夫そうね」
〝空船〟の甲板上に《鎖》は見えない。
「問題はこっちだ」
【
その全てが〝島〟へ襲いかかってきていた。
言葉を交わす間も攻撃は続き、糸が断ち切られるごとに新しく張り替え、ジョーが補強する。
「………鬱憤が溜まりそうだわ」
***
―――『ビフレスト島』襲撃、数日前。
本拠地の〝島〟にある一室に幹部の男たちが集まり、会議を開いていた。
「利益は上々ですね。ボス」
品物を売り払いに出かけていた部下の報告に、幹部の一人は頬を緩めた。
「……そうだな。ボス、よろしいですか?」
「ああ。酒を振舞え」
すぐさま参謀の男の意図に頷き、ボスと呼ばれた男は報告書に視線を落とした。
参謀は部下に指示を出し、新たな書類と地図をテーブルに広げた。
「こちらが調べておいた物です。もう少し情報を得てから調達に向かおうと思っています」
「だが、あまりのんびりとはしていられない。急がせろ」
「ですが、アレはまだもつでしょう?」
二人の会話に幹部の一人が口を挟んだ。
「予備がない以上、油断はするな。技師たちは一番同調率がいいといっていたが、それは今まで潰してきた経験を生かしてのものだ」
「技師たちはなんと言っている?」
「今のままだと、運行だけで半年――防衛機構も発動させれば、数ヶ月というところですね」
「さすがに当初よりはマシか……」
「一ヶ月ももたなかったですからね」
「防衛機構って、大丈夫ですか?」
一人の幹部が顔をしかめ、参謀の一人は唸った。
「……反乱か?」
「そんな意思はねぇだろ」
はんっ、と鼻で嗤った男に一瞥を送り、ボスは口を開いた。
「そっちは技師たちに任せる。〝十空〟の動向はどうだ?」
「未だに動きはありません。前〝黄空〟の領域で睨み合いです」
「『フェルダン市』や『リュカル市』は?」
「そちらもまったく。あの〝通信社〟は動いていますが、こちらのことはまだ掴んでないな」
「……読みどおりだな」
縄張りとして活動している『フェルダン市』近郊での懸念事項――それが『フェルダン市』と〝白空〟の関係だ。『都市』と空賊が敵対関係以外の関係を持つことはありえないが、半世紀前の〝戦役〟で『フェルダン市』は〝世界会議〟の初期メンバーだった。
そして、〝白空〟も〝世界会議〟の前身である一団に参加していたことが、伝説として流れている。
だが、それはあくまでも噂の一つであり、〝白空〟は空賊内では最大の勢力を誇ったまま、未だに空賊団トップとして君臨している。あの〝空船〟を手に入れるまでは〝白空〟の顔色を窺っていたが、あれさえあればどんな空賊とも対等にやりあえる自信はある。
例え〝七ツ族〟といえども、空中では戦術も限られるのだ。
「――よし。あと数回襲撃を行ってから、調達に移る。各自、準備を進めておけ」
「はいっ!」
『リュカル市』より数百キロほど離れた空域で〝島〟を見つけ、戦闘準備に入った。
襲撃は速度任せに近づき、相手が立て直す前に叩き潰す、ただ、それだけだ。
「砲撃開始!」
号令に従って、砲撃が開始される。
「敵襲っ! 十数人ほど、空を渡ってきます!」
「何だとっ?」
部下の報告に、その手から参謀は双眼鏡をひったくった。
「砲撃で牽制! 近づかせるな!」
「はい!」
通常、〝島〟の者たちは、〝空船〟か遠距離攻撃での迎撃しか行えないため、この〝空船〟ならば十分に接着出来る――はずだった。
あちらからの接近――つまり、それを可能に出来る〝クロトラケス〟がいるという事を意味していたが、ただ、それを可能に出来る〝クロトラケス〟がいる〝島〟は限られているのだ。
「っ!――まさか、『ビフレスト島』っ?!」
参謀の苦渋に満ちた声に、室内にいた全員が顔を強張らせた。
その〝力〟の持ち主だけでなく、複数の者たちも一緒に移動させることが出来るほどの〝力〟を有する血族は限られており、考えうる可能性としては、その〝島〟が最も高かった。
その名は、空賊の間では〝白空〟や〝黒空〟と同じように忌避されているもの。
今までに彼らに潰された〝色なし〟の空賊は数知れず、〝十空〟でさえも過去に三席が壊滅に追いやられたと言う噂や、はては〝白空〟とも対等に戦えるという噂まである〝放浪島〟だった。
(……確か、あそこには)
不利を悟り、ボスは操舵手を振り返った。
「防衛機構を発動させ、離脱する。技師たちに通達しろっ」
「はいっ」
――― がくんっ、
と。船体はつんのめるように揺れた。
「どうした?!」
ボスの問いに操舵手の男は、手元の機械を操作するが、
「―――ダメです! 動きませんっ」
「捕まったかっ」
それを聞いた仲間が、吐き捨てるように呟く。
「……全員、敵襲に供えろ。防衛機構を発動させ、その隙に撤退だ」
「はいっ」
ボスは参謀を振り返り、
「ここは任せる。未だに遠距離攻撃を行わないのなら、〝核〟が目的の可能性が高い」
「分かった。だが、気をつけろ」
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