32 共闘
〝島〟の警戒レベルがLEVEL4 に引き上げられ、各部署は避難と防衛の対応に追われていた。
シェナは緊急会議の招集がかかったが、工房の作業場で試作品の最終調整に勤しんでいた。
「シェナ。早く行った方がいいわよ」
「んー……もう終わるから!」
ルナに生返事を返して、シェナは手元の機器に数字を打ち込んでいく。
一つ目の調整――タイプ一は自分専用に終っているが、問題はタイプ二だった。
「今一つね……」
(んー………【
手合わせた時に感じたモノを踏まえた上で、調整を終えた。
あとは、実際に使って細かい調整をするしかない。
「ふぅ………って、何真剣に作っているんだろ」
ふと、我に返ったシェナは、ため息をついた。
作業台には、二セットのグローブが置かれていた。
一つは黒革の生地に白銀の糸、もう一つは青色の糸が使われている。それらの手の甲の部分には丸い金属板があり、無機質な光沢を放っていた。
グローブを手に立ち上がったところで、ぞくっ、と背筋に悪寒が走った。
「シェーナァー?」
猫なで声に込められた怒りにシェナは、びくっ、と肩を震わせた。
恐る恐る振り返ると、片眉を上げて笑うソーラと目が合う。
「ソ、ソーラ……っ」
「緊急って意味、分かっているのかしら?」
「それは分かっているけど、もう少しで――っ」
「ん?」
こてん、と首を傾げたソーラに、ひっ、とシェナは息を呑む。
「うぅ……っ」
「とりあえず、みんな揃っているから話はあとでね」
「………はい」
ソーラに引きずられるようにして『リーメン』に戻ったシェナは、はぁ、と大きなため息をついた。
「もう全員集まってるわよ」
「はい……」
ソーラがドアを開けると、ぴりっ、とした空気が肌を突き刺し、シェナは店内を見渡した。
緊迫した店内の空気の原因は、一目瞭然だった。
「……フィル?」
表情を固くしているのは、ダルグレイを初めとした部長たち。
そして、彼らをそうさせているのは、敵襲と店の奥――住居スペースに通じるドアの隣に佇むフィルだった。
「………」
フィルは腕を組んで、目を伏せて立っていた。
いつもの飄々とした雰囲気は完全に消え失せ、今にも爆発しそうなほどに濃密な殺意と憎悪を纏っている。
研ぎ澄まされた獣の気配――魔獣にも似た、他を寄せ付けない殺意の塊。
すっと瞼が開き、暗い光を宿した赤い瞳がシェナとソーラに向けられた。
「――遅いぜ、嬢ちゃん」
その口調は、普段と変わらない。
ただ、表情は抜け落ちたように無く、その声も酷く冷めていて突き刺すような声質だった。
「あなたのせいよ」
シェナは軽く肩をすくめ、ソーラと共にユオンがいるボックス席まで行くとそこに腰を下ろした。
フィルは一瞬だけ眉をひそめたが、それ以上は何も言わない。
(……………元〝黒空〟ね)
研ぎ続けた爪の片鱗を見せるフィルに、シェナは背筋が震えた。
内心の動揺に口元が緩むのを抑えるので精一杯だ。
そんなシェナの様子に気づいたユオンが、呆れたような視線を向けてきた。
「ごめん。遅れて」
「いいよ。じゃ、始めようか――」
ユオンは頷いて、改めて店内を見渡した。
「フィルがいるのは、彼にも関わりがあることだから今回はオレが声をかけた」
その言葉に店内にいるほぼ全員の視線がフィルに集まるが、フィルは気にした様子もなくユオンに視線を向けている。
その隣では、カウンターに腰掛けたヒューがオレンジジュースをちびちびと飲んでいた。
緊急事態のため、その瞳に眠気はなく虚空を睨んでいる。
「十三分前、ヒューがこちらに近づく一隻の〝空船〟を感知した。時速は約九十キロ——さらに上げている。こちらもスピードを上げているけど、追いつかれるのも問題だ」
「それって、改善した意味なくない?」
シェナは片眉を上げた。
「第八式の手がかりが遅かったから――それに、元々時間稼ぎ用だよ」
「……すまない」
ぽつり、とヒューが呟いた。
「いや、別にヒューを責めているわけじゃないから」
「ご、ごめん」
シェナは慌てて視線でユオンに先を促した。
「準備が出来次第、速度を落として迎撃する。作戦は立てた通りだけど――」
ちらり、とユオンはフィルに目を向け、
「彼も同行するから」
「………」
その言葉にフィルはさっと店内を見渡した後、目を伏せた。
「……………………………アレは俺の失態だ。完全に破壊できなかった」
「破壊しようとしたの?」
シェナに、ああ、と頷いてフィルは目を開く。
「俺の経歴を調べたのなら聞いていると思うが、俺が空賊を抜けた原因はあの〝船〟だ。アレが起動する前に、〝
そこで、小さく頭を左右に振るった。
その様子を横目にしながら、ユオンが説明を続けた。
「詳しいことは、直接、見ないと分からないけど……ヒューが見た限り、第八式が動いている動力源は一つだ」
第八式が何を動力源としているのか、この場にいる全員は分かっていた。
失われた技術であり、現在では禁忌とされている技法。
もし、それを使用すれば極刑は免れないが、『都市』が――〝世界会議〟が動いていないのなら、まだその尻尾を掴んでいないのだろう。
「逃げ足が速くて最近のことだから、まだ広まっていないのね」
「たぶん。………今の混乱の中だと、他の空賊が動き出すのは互いに牽制できてからだから、まだ猶予はある。作戦は〝空船〟の破壊を最優先にする。フィル、心臓部――〝核〟までの経路は分かるよね?」
ユオンの問いに、問題ない、とフィルは頷く。
「じゃあ、突入隊の先導を頼むよ。出来る範囲でヒューの指示に従ってほしい」
「分かった……」
「突入隊は三つ。第一部隊のヒューのところにフィルを加えて、他の二つは〝空船〟の制圧。制空はジョーとシェナで、〝核〟の破壊を確認してから外部からの援護を。ソーラはアイサの部隊と〝島〟の防御だ」
すでに周知されている作戦内容を簡潔に告げたのは、フィルへの説明だ。
「それで、出来た?」
「んー……まぁね」
促すように尋ねて来るユオンに、シェナはポリポリと指先で頬をかき、フィルに目を向けた。
「………何だ?」
目が合うと、眉を寄せて来る。
「はい。コレ」
ぽいっ、と一組のグローブ――出来たばかりの試作品を投げた。
フィルは片手でソレを受け取り、
「この前、試作品ができたら渡すって言ったでしょ? それよ」
「………何の試作品だ?」
フィルはグローブをひっくり返しながら尋ねて来た。
「名前は〝
「鋼糸を作って空中に? ―――って、まさか」
「そ。それと同じもの――昔、似た物を見たことがあってね」
フィルが使っていた物を参考にして、前に作った〝ウラノス粒子〟で鉄線を補強する技術を応用し、改めて作った物だった。
「でも、性能はそっちの方が高いと思うわ。まぁ、細かいことは企業秘密ってことで。あとで使い方を説明するから、頭に叩き込んでね」
「……なんで俺に?」
「他に鋼糸を使っている人はいないわよ」
「………」
フィルは複雑な表情をして、口を閉ざした。
「使い慣れた物がいいのは分かるけど、足場は必要でしょ?」
「………もらう理由がない」
最もなことを言われてしまった。
(素直に受け取ればいいのに……)
視界の隅で笑うユオンに、あとで怒ろうと心に決めて、
「じゃあ――プレゼントってことで」
「――は?」
一瞬、憎悪に染まったフィルの瞳が揺らぐ。
「珍獣だから」
「ちん――っ?」
「だって、〝黒空〟でしょ?」
「……元な」
「なら、ロキから聞いてない? 〝十空〟で意味がある――役割を求めているのは、〝黒空〟だけよ」
心当たりがあるのか、フィルはぴくりと片眉を動かす。
「だから、ずっと空席だったのよ。私たちには関係ないから、気にしてなかったけど……〝十空〟の名が知れ渡ってから、あなたがまだ三人目なのはね」
〝十空〟がいつから存在しているのかは分からない。〝七ツ族〟がトップとして君臨するので、おそらくは数百年近いだろう。
その長い歴史の中で〝黒空〟はたったの三人だけだ。
シェナが知る限り、フィルの前代から数十年以上の空白があった。
「移住云々は抜きにしても、それだけで理由は十分よ――何より、戦友が認めたんだから」
シェナは肩をすくめ、立ち上がった。
「それじゃ、行こっか」
「……会議はどうするんだ?」
フィルは店内を見渡すが、シェナはパタパタと手を横に振った。
「作戦はすでに練られていて、周知の通り。不安要素はあなただけなの。――まぁ、〝島〟の警備体制は教えられないでしょう?」
「俺が呼ばれたのは、突入隊の参加承認だったのか――」
そういうこと、とシェナは頷いてユオンを見た。
「あとでね」
「うん。すぐに行くよ」
***
シェナはフィルを伴って店を出た後、第三詰め所に向かった。
グローブの使い方を説明し、あとで軽く試した後、微調整を行うこと言えば、フィルは頷いてグローブをはめた。
(………まだピリピリしているわね。無理もないけど)
フィルは手を握ったリ開いたりと確かめているが、どこか心ここにあらずといった様子だったが、仕方ない事だろう。
彼にとっては破壊したはずの〝空船〟であり、空賊を辞めるきっかけとなったモノが現れたのだから。
(〝黄空〟が拾って来たのよね……)
シェナは、彼と〝黄空〟の関係がどういったものだったのかは知らない。
〝黄空〟とは幾度か会ったことがあるので、どのような人物かは知っているが【
だが、〝黄空〟から受けた影響は大きかったのだろう。彼の様子を見れば一目瞭然だ。
「嬢ちゃん。一つ聞きたいんだが……」
ふと、顔を上げたフィルが振り返ってきた。
「ん? 何を?」
「〝黒空〟の役割を何でおたくが知ってるんだ?」
少し硬い声で尋ねてくるフィルに、シェナは目を瞬く。
「…………ああ、アレ? ロキに聞いたのよ。戦友だってことは、知ってるでしょ?」
「ああ。けど、何か言い含んでいるようだったが……」
フィルは訝しげに眉を寄せる。
「別に、深い意味はないわ」
「………」
「ロキ――【
「……嬢ちゃんたちもだろ?」
「私たち? うーん……それは、ちょっと違うわよ。私たちにとっては〝長〟だけが〝七ツ族〟だから」
「………」
「〝七ツ族〟は《役割》に従って生きている――その《役割》が理解できないのは、やっぱり、〝長〟以外は〝七ツ族〟じゃないからだと思うわ」
「…………《失われた役割》か」
そう言う事、とシェナは頷いた。
「話が逸れたけど、相手が相手だけに何か別の役割があったのかな、って思っただけよ」
「別の………自由気ままにしてきたから、よく分からないな」
今一つピンと来ないのか、フィルは小さく息をついた。
「そう言うものよ。〝空〟に生きてるなら」
シェナは小さく笑い、
「私もしたいようにしているわ。それは誰に言われたわけでもないし、頼まれたわけでもない。……ヒューの言葉を借りると、心の赴くままってことかな」
「……くさいな」
「同感。さらっというのよ、ただの自己満足なのに……」
シェナは数歩ほど先に歩いて、フィルに振り返った。
「今、したいことってある?」
「………したいこと?」
それに、ぴくり、とフィルは片眉を上げた。
「〝黒空〟じゃないから、そっちはもう気にすることでもないでしょ」
「………ああ」
「だから、考えるべきことは、今度はどうするかよ。夢とかやりたい事……今さら、なりたいものがある年齢でもないでしょ?」
「……確かに、夢見る年齢ではないな」
苦笑して虚空を見るフィルに、シェナは目を瞬いた。
「何もない?」
再度、問いかければ、ぐっ、と息を詰まらせるフィル。
「小難しく考えるだけ損だと思うけど? どっちかって言えば、考えるより行動するタイプじゃない?」
フィルは何とも言えない顔をして、目を逸らした。
「……筋肉バカは考えても無駄ってことか」
「そういうこと」
あははっ、と笑えば、フィルは顔をしかめた。
「否定しないのかよ。………一理はあると思うが」
ぼそり、と呟くフィルに、シェナは笑みを消した。
「……大丈夫。あの八式は破壊するわ」
緩んでいたフィルの顔が引き締まり、その瞳に憎悪が浮かび上がる。
「他人の手を借りたくはないだろうけど、あの式番は残せないから」
フィルは目を細めて、小さく頭を横に振った。
「……俺だけでは無理だったんだ。手を借りることは仕方ない」
「必ず破壊する。そのために私やジョーも出るんだから――」
つと、シェナは目を細め、
「でもそのあとは、《血》の赴くままに生きるだけじゃないかな?」
「………」
「ちょっと、上から目線だった?」
あはは、と笑みを浮かべると、フィルはわずかに口の端を上げ、笑った。
「俺の倍以上の年長者に言われてもな……」
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