16 閑話_23年前~黄空の根城にて~


 空賊に誘ってきた男――メフィスに引っ張られるようにして連れてこられたのは、彼らが根城としている〝空島そらじま〟だった。

 〝空島〟の下部には鋼線――直径十数メートルほどはある――が幾つもあり、近くの山脈の頂上と繋がっていた。

 〝空島〟に住むのは、彼の部下とその家族や支援者で、百二十人ほどしかいないらしい。






 着陸場に降り立った〝空船〟に幾つかの機械が取り付けられ、周囲から人が集まり、次々と積み荷が降ろされていく。

 メフィスとその部下――副長らしき男に先導され、〝島〟に降りた。荷物は大きめのトランクが一つだけだ。

 ぐるり、と辺りを見渡し、


(………なかなか)


 いくつか強い気配を感じ、ぴたり、と前方にある町並みで動きを止める。


(――ん?)


 ふと、こちらに近づいて来る気配を感じて振り返ると、そこにはがっしりとした体格の男がいた。

 銀色の髪を持つ男で、右頬には大きな切り傷がある。年は五十代半ばぐらいに見えるが、男の纏う気配は刃のように鋭く、放たれる気配で肌がチリチリと痛い。


「――メフィス。どうだった?」


 男は陽気にメフィスに声を掛け、「ん?」とこちらに目を向けてきた。


「なんだ? その坊主は」

「いや、仕事は達成したというか……コイツに先を越されていたんだ」


 苦笑の混じった声でメフィスが言い、その視線が向けられる。そこに副長の気配も加わった。

 ほぉ、と小さく呟いた銀髪の男に目を向けると、ぴくり、とその目元が動いた。


(―――なるほど)


 ふっと口元が綻び、左手の指先を動かそうとして――


「おいおい。せっかち過ぎるぞ」


 メフィスに肩を小突かれ、動きを止めた。視線だけを向ければ、呆れた声が返ってきた。


「コイツは俺の右腕の一人だ。手を出すなよ」

「………」

「……おい。お前、寝ぼけているな?」


 片眉を上げるメフィスに、茫洋とした目を向けて瞬く。


「あれだけ警戒されれば、寝れねぇよ……」


 こみ上げるあくびをかみ殺して、改めて銀髪の男に視線を向けた。

 銀髪の男は訝しげに眉をひそめ、


「この坊主は?」

「……無理矢理、連れてこられたんだ」

「おいおい、人聞きの悪いことを言うな」


 バンバン、と肩を叩いて来るメフィスにじと目を向ける。


(……事実だろ)


 あの後、シャワーを浴びてさっぱりしたところにやって来たかと思えば、半ば無理矢理、彼らの〝空船〟に乗せられたのだ。

 せっかくの報酬が、と肩を落としていると、前払いだった宿代が多少増えて返ってきたのでよかったが。

 

「いい腕をしていたから、スカウトしてきた」

「スカウト?」

 

 銀髪の男は副長に目を向け、頷きが返ってきたので顔をしかめた。


「スカウトはいいが……素性は? それに名は何て言うんだ?」

「ん? そう言えば、何も聞いてなかったな」


 あっけらかんと言うメフィスに、お前なぁ、と銀髪の男は目元を指先で揉む。

 どうやら、メフィスは突拍子もないことをいつもしているようだ。


「俺はブライドだ。坊主、名は?」

「………」


 男――ブライドに無言でいると、メフィスは片眉を上げた。


「何だ? お前、名無しなのか?」


 ちらり、とそちらに視線を向けて、すぐに逸らす。


「……………………………………………嫌いなだけだ」

「嫌い? けど、名前もないとなぁ」


 腕を組み、うーむ、と何か悩んでいたが、


「……ちなみに、何て言うんだ? あだ名を決めてやるよ」


言ってみろ、と催促してくるが、無言を貫き通す。


「じゃ、勝手に決めるか――」


と。次々と変な名前を上げ出したので、はぁ、とこれみよがしにため息をつき、仕方なく口を開いた。


「……………………ホフィースティカだ」

「変わった名前だな」

「…………!」


 じろり、と睨むも「何より長いしな」とメフィスは無視して頭上を振り仰ぐ。


「あー………そうだなぁ………………〝フィル〟でどうだ?」


 あからさまに思い付きで出したような――大して悩んだ様子もない口調で言った。

 そのあだ名に眉を寄せる。


「……………………フィル?」

「ああ。ホースとかティカもなぁ……だから、フィルでいいだろ」


 決まりだな、と本人の意見を禄に聞かず、メフィスは何度も頷いた。

 表面上は顔をしかめていたが、意外と悪い気はしなかった。


(フィル………フィル、か。まぁ、さっきのよりはマシだな)


 既に呼ぶ気満々であるメフィスに否と言っても聞いてくれそうにないので――何より、これ以上話をするのも面倒だったので――小さく頷きを返す。

 どの道、今だけのあだ名だ。


「あー……じゃあ、フィル」


 呆れた様子で見ていたブライドに呼ばれ、まぁいいか、と仕方なしに視線を向けた。


「お前、〝クロトラケス〟だろ。血族は何だ?………言いたくないか?」


 〝クロトラケス〟同士は、何となく雰囲気で――その《血》の気配で、判別がつく。

 それにホフィースティカ――フィルは気兼ねなく答えた。




「――【狂華ヘアーネル】」




「!」


 その血族の名にはブライドと副長の目が見開かれ、息を呑んだ。

 何故なら、〝クロトラケス〟の中でも忌み嫌われている血族だからだ。


「…………」


 僅かに揺れる瞳の奥に、知った感情が見えて小さく鼻を鳴らす。

 だが、そんな二人とは正反対の反応が――気楽な声が横から聞こえてきた。


「何だお前、見た目に反して年くってたのか?」


 メフィスは驚いてはいるものの、そこに忌避感はなかった。


(………!)


 そのことに心が騒めく。

 今まで【狂華ヘアーネル】と知られた相手の反応は、ブライドたちと同じだったからだ。


「………いや、十九だ」

「何だ、違うのか。――十九ってことは、まだ出立して間もないのか?」

「一年ちょっとになる……」


 何で、聞かれるままにホイホイ情報を出しているのだろう。

 アホらしくなり、「じゃあ、俺はこれで」とフィルは踵を返して町の方へと向かった。

 〝空島〟の下部からケーブルが伸びていたので、それで地上に降りれるはずだ。


「おいっ! どこに行くんだ?」


 背中にメフィスのぎょっとした声がかかった。

 仕方なく立ち止まり、億劫げに振り返った。


「………地上の森。何匹か〝キュプロス〟がいる」


 〝キュプロス〟とは、地上を彷徨う魔獣の中でも上位クラスの魔獣モノ

 非常に高い凶暴性と強靭な肉体を持つ魔獣は地上を彷徨い、海中に潜んでいるが、唯一、空を飛ぶ種類が少ないことが救いだった。

 そんな世界で平然と住めるのは、戦闘能力が高い〝クロトラケス〟だけで、戦闘能力が低い〝クロトラケス〟や〝アポロトス〟は『都市』をつくり、空に〝島〟を浮かべたのだ。


「お前、ずっと飯食ってないだろ! ――ってか、勝手に動くな!」

「………俺は、仲間になるとは言ってない」


 フィルはため息をついて、三人に背を向けた。

 つと、足元――その下にいるであろう強敵に笑みが零れる。


「たぶん、〝キュプロス〟の縄張り……巣があるんだろ? ちょうどいい暇つぶしになる。それにこう警戒されると――」


 ぺろり、とかさついた唇を舐めて、顔を上げた。


「《血》が騒ぐ……っ」


 顔を上げたところで、目を見開いた。

 目の前に、いつの間にかメフィスが立っていたからだ。


「止めとけ止めとけ。下の奴らは他のところとは少々毛色が違うんだよ」

「あんたは……」


 いつ接近されたのか、全く分からなかった。

 目を丸くして、マジマジとその顔を見つめた。


「とりあえず、飯食って寝ろ。その後、下に連れてってやるから」


 はぐらかすように笑って近づいて来たメフィスは、フィルの肩に腕を回した。

 ぐいっ、と強く引っ張られて踏鞴を踏んだ。何気ない仕草でヘッドロックをかけられてしまった。


「ガキじゃあるまいし、〝キュプロス〟ぐらい――」

「ガキだよ、ガキ。それに殲滅でもされたら、こっちが困るんだ。自然の摂理ってもんがあるからな」


 そのまま、町の方へ引っ張られていく。振りほどこうと思えば出来るのだが、何故か身体は動かなかった。


「それは……分かるが……」


 ぽつり、と呟いて、あっと思ったのは後の祭り。


「そうかそうか。じゃあ、ひとまず飯だ飯!」

「……おいっ」

「遠慮するな。俺の料理は美味いぞ」

「なっ…………おたくが、作るのか?」


 唖然としているうちにズルズルと引きずられ、メフィスの家に連れ込まれた。




 結局、食べきれないほどの料理が出され、満腹になったフィルは眠気に負けて横になり、気付けば翌日になっていた。

 その後、下の森に連れて行ってもらったりして留まっているうちに、いつの間にか〝黄空メフィスたち〟の一員に。

 のちに、仲間たち――〝黄空〟のメンバーに「ボスに餌付けされた」とからかわれることになるが、半ば事実でもあるために反論することは出来なかった。




 そして、〝十空〟の実質的リーダーである〝白空〟との幾度目かの戦闘を経て、〝十空〟の一角――〝黒空〟の座に就くことになるのは、それから五年後のことだった。

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