04 【狂華】の男


 宿泊施設ホテルは三つの建物が連なっていて、二階建ての中央棟に共同の食堂やフロントがあり、その左右にある三階建ての建物が客室となっていた。

 ユオンとエイルミが着くと、時刻は九時を回った頃。

 まだ朝食の時間帯だったのでフロントに問題の旅客の所在を尋ねれば、既に部屋に戻っていると言われた。


「ここだよ。


 エイルミに案内されたのは、一階の〝108〟とプレートの付いた部屋の前。

 見た目そのもの外向き用の顔で告げて、「じゃあね!」と言って立ち去った。


「ありがと」


 その背に礼を言ってドアに視線を戻すと、ユオンは一息ついた。

 ノックしてしばらく待てば、ガチャ、と鍵が開く音がし、


「やっと来たか。待ちくたびれたぜ」


内側にドアが開いて顔を出したのは、二十歳ぐらいの男だ。

 薄茶色の髪に少したれ目がちの赤い瞳がユオンを捉えると、長期滞在の旅客――フィルは、にっと口元に笑みを浮かべた。


「上からの命令で」

「そろそろ、次の『都市』に着くらしいからな。――まぁ、入ってくれ」


 ユオンの嫌味をさらりと流して、フィルは身体を横に退けるが、ふと動きを止めた。


「………あ。『リーメン』に行った方がいいか?」

「いえ、何処でもいいですよ」


 その言葉の意味は分かったが、ユオンは気づかない振りをした。


「………なら、休憩室に行くか」


 フィルは片眉を上げつつも、そう提案した。

 中央棟二階にある食堂の隣は娯楽室兼休憩室となっていて、そこの一角はいくつかのパーテーションで分かれているので、話し合うには丁度いいのだ。











 娯楽室兼休憩室に行くと、備え付けのドリンクコーナーで淹れたコーヒーを手にして、ユオンとフィルは空いている席に向かい合って座った。


「話に来たってことは……もしかして、追い出しか?」

「いえ、そう言うわけでは……結果的にどうなるかは分かりませんが」


 ニヤニヤと笑うフィルに、ユオンはため息をついた。

 〝放浪島〟にとって部外者である旅客への対応は、かなり繊細な問題だった。

 特に島民のほとんどを〝クロトラケス〟が占め、様々な事情から世界から〝はぐれた者〟たちがいるこの〝島〟は――。


……)


 半世紀ほど前までは、特別な事情がない限り、旅客を受け入れてはいなかった。

 何故なら、その頃は〝クロトラケス〟は特異な〝力〟を持つことやその容姿から〝アポロトス〟から迫害を受け、最悪の場合、人体実験なども行われていることも当たり前な世界情勢だったからだ。



 だが、そんな時代も終わりを迎えた――。



 そのきかっかけとなったのは、二つの血族の間で勃発した全面戦争であり、それを治めたある〝一団〟だった。

 その者たちが設立した〝世界会議〟――新たな指導者たちによって、国際法が施行され、二つの血族が共に歩み出したのだ。


(……でも、この人も――)


 時代が変わり、わずか三十人の旅客を乗せる意味と『都市』を巡る交易の重要性を理解しているため、『ビフレスト島』も受け入れを始めた。

 それに受け入れる旅客の身元保証は〝世界会議〟が定めた法により、入島させた『都市』が請け負うことになり、その危険性も低下しているのが理由でもある。

 ただ、未だに黒い噂は絶えてはいないため、『都市』からの情報を鵜呑みにせず、〝島〟の情報部が独自に調査も行われていた。

 フィルの場合、本名と書類の名前や経歴が違うことは。分かっていた上で、問題ないと判断したのだが――


「降りる予定だった『サンスフィラ市』で降りず、それからずっと居座られるのは困ります」

「それは……そうだろうな」


 はっきりと言うと、フィルは苦笑した。


「それと、私に繋ぐように従業員に言付けられても……そちらは、私の仕事ではありませんので」


 『都市』を訪れる度に、幾度も手続きなどで従業員たちがフィルを訪ねているが、滞在の延期申請ばかりで一向に降りる気配はなかった。

 そして、とうとう二ヶ月前には、




―――「『リーメン』のユオンとなら話す」




と、言い出した。

 その一件はすぐにユオンに報告されたが、旅客の対応はエイルミたちに一任しているので無視した。

 それに白髪赤目と目立つ容姿であるため、旅客とはあまり会わないようにしていたからだ。


(………失敗だったな)


 フィルに目をつけられたのは、半年前のある騒動が原因だった。

 それから何度となく『リーメン』にも足を運んで来ていたが、二ヶ月前に言付けをしてからは訪れなくなっていた。


「いや、おたくに話した方が話も進みやすいだろ? ……意外と頑固なんだな」

「はぁ……?」

「……まぁいいか」


 フィルはユオンに呆れた表情を向けるも、ため息をついてその表情を消した。

 すっと真っ直ぐに赤い瞳を向け、


「――俺はココに移住したい」

「………」


 その申し出については予想が付いていたので、特に驚きはなかった。


「それは、正式な申し出と受け取っても?」

「ああ。審査を受けさせてくれ」


 〝島〟に移住するには、その〝島〟が定めた審査を受ける必要があった。

 『ビフレスト島』の場合は分かりやすく単純だったが、困難だと言われている。


「……ここの審査は厳しいですが?」

「知ってる。だから、言ったんだけどな」


 その言葉の真意は分かるが、何故、それに気付いたのかユオンは訝しげにフィルを見て――


(……っ)


 フィルから飄々とした雰囲気が消えて、年齢以上の落ち着きと威圧を感じ、ユオンは息を呑んだ。


「本当に俺に言わせる気か……?」

「…………」


 その呟きにユオンは答えず、コーヒーに手を伸ばす。

 フィルは小さく息を吐くと顔を背け、窓の外に視線を向けた。


「長居をすれば、痺れを切らしてくるかと思ってたが……こっちがしびれを切らしたぜ」


 気は長い方なんだけどなぁ、と苦笑交じりに言った。


「言付けを頼んでも二ヶ月も姿を見せねぇし……気が長すぎだ」

「ですから、入島管理そちらは私の仕事ではありませんので」


 ユオンが淡々と言い返せば、フィルは表情を改め、


「俺は、おたくが〝島〟内でも有力者だと思った。それは『リーメン』にいる他の三人もだが……」

「………」

「脅しじゃなくて、自分を売り込もうと思って話がしたかったんだ」

「そんなことを言われても――」

「ここのちっちゃい嬢ちゃん、記憶操作系の能力の持ち主だろ?」


 ユオンの言葉を遮るように言われたその内容に、ユオンは目を僅かに見開いた。

 エイルミが旅客部の部長――表向きは別の者になっている――をしている理由はいくつかあるが、最も大きな理由の一つが、彼女の血族としての〝力〟で、〝他人の記憶を操作する〟ことが出来るからだ。

 そして、彼女の〝力〟は〝クロトラケス〟ではない者――〝アポロトス〟にとっては強力過ぎ、また、耐性があるはずの〝クロトラケス〟でさえ、その〝力〟から逃れることは容易ではないほどのものだった。


(………あの時、使ったけど)


 ユオンがフィルと知り合うことになった事件――その時、『リーメン』も出撃していた。

 通常、非常事態は警備部が中心となって対処するが、〝島〟の外縁部の森から中心部へ戦闘区域が広がりつつあったからだ。

 〝島〟のであるシェナ、ソーラ、ジョーの三人は事態の収拾に出撃し、同じく、前線に出たヒューに代わってユオンが指揮を執っていた。

 旅客には避難勧告が出ていたが、腕に自信のある者の何人かが野次馬をしており――フィルもそのうちの一人だった。

 〝島〟の戦力が知られないよう、エイルミが記憶操作を行ったはずだが――


「わざと打ち消したわけじゃねえよ」


 僅かにユオンの気配が変わったのを感じたのか、フィルは苦笑交じりに言った。


「俺も〝クロトラケス〟だ。身体強化に特化した〝力〟だから、外部からの干渉を受け付けたことはない。まぁ、〝力〟によっては多少の影響はあるものもあるが………それでも、俺の《血》は忘れないぜ?」


 にやり、と笑うフィルの瞳に狂気の色を見つけ、ユオンはため息をついた。


(……隠しきれない、か)


 この〝島〟で、記憶操作の〝力〟を持つのはエイルミだけだ。

 彼女の〝力〟の影響を受け付けないのなら、他に打つ手立てはない。


「……【狂華ヘアーネル】だったっけ?」


 ユオンが外向きの口調ではなく素で尋ねれば、「ああ。そうだ」とフィルは笑う。

 【狂華ヘアーネル】――〝クロトラケス〟の中でも、自らを〝戦闘狂〟と呼ぶほどにいくさを好む血族で、特異な〝力〟こそないものの、驚異的な回復力と異常に高い身体能力を持っていた。


「それじゃあ、実年齢は?」


 そして、【狂華ヘアーネル】の最大の特徴といえば、その〝力〟が一定レベルまで達すると肉体の老化が止まり、半永久的な命を得ることだ。

 ただ、反対に〝力〟が維持されなければ、再び成長が進み年齢を重ね、死へと繋がってしまうが。

 その在り方は、【狂華ヘアーネル】にとっては〝力〟が全てであり、〝力〟を失った者は死に値する――と言う根幹から来るもので、〝戦闘狂〟と呼ばれる所以ゆえんだった。

 フィルの年齢は、書類上は二十歳となっているが【狂華ヘアーネル】として考えるのなら、二十歳ぐらいその頃が〝力〟のだったのだろう。


「四十二だ。【狂華ヘアーネル】では、まだ若いな」

「……確かに」


 【狂華ヘアーネル】の平均寿命は、百二十歳前後。

 数百年前まではもう少し長かったが〝世界会議〟によって世界の情勢も安定し、紛争地域も限定されている昨今では、〝力〟を維持しなければ死ぬ【狂華ヘアーネル】にとって、生きづらい世界になっていた。

 だからこそあえて暴走し、火の粉を振りまく者も出てきているが。


「本名じゃなくて、偽名を使った理由は?」


 そう問いかければ、フィルは片眉を上げ、


「そっちも調べたのか?」

「怪しすぎたからだよ――ホフィースティカさん?」


 本名で呼ぶと「……あー」とフィル――ホフィースティカは顔をしかめた。


「偽名なのは、その名前が好きじゃないからだよ。噛みそうだし、女っぽいだろ?」

「……まぁ、初めて聞くと、性別の判断はつきにくいけど」

「だろ? けどまぁ、【狂華ヘアーネル】と知られようと、それが理由で襲われようと俺は大歓迎さ」

 

 そう言って、嬉しそうに嗤うホフィースティカ。

 その瞬間、彼から放たれる気配に、



――― ぞわっ、



と。一瞬、背筋に悪寒が走った。

 ごくり、と生唾を呑み込んで、表面上は平静を保ちながら尋ねた。こういう時、表情がうまく隠せるのは年の功だろう。


「それで、移住したい理由は?」


 ホフィースティカは「それはだな……」と目を細めた。


「『リーメン』……正確には、に興味がある」

「………オレ?」


 思わぬ理由に、ユオンは眉を寄せた。


(いやいやいや……【狂華ヘアーネル】に興味をもたれるって)


 ただ、その内心では冷や汗をかいていた。

 ホフィースティカがユオンを指名してきたのは、〝島〟の有力者だと予想して自分を売り込むことでスムーズに移住をするため――そう思っていた。

 『リーメン』の他の店員たちに興味が行くのは分かる。

 あの三人の実力――その血族としての〝力〟に《血》が騒ぐのだろう。

 だが、冗談を抜きにしても、ユオンにはシェナたちほどの実力はなかった。

 ホフィースティカの実力は不明だったが、【狂華ヘアーネル】は〝クロトラケス〟の中でも上位クラス――戦闘に特化した血族だ。

 その血族の中で〝四十二歳〟という年齢はまだ若い方だが、彼の過去から考えると実力は相当なものだろう。


「死にたくは、ないんだけど……?」

「いや、戦いたいわけじゃねぇんだよなぁ、コレが。………どちらかと言うと、それは他の三人の方とりてぇし」

「じゃあ、どうして……オレは【狂華ヘアーネル】に興味をもたれるほど、実力はないんだけど」


 ホフィースティカは初めて戸惑いの表情を浮かべた。


「……あー……実力とかじゃないんだよな」

「は?」

「【狂華ヘアーネル】としては、まだまだ未熟だと理解している。けど、相手の力量ぐらいわかると思っていたんだけど………何だかなぁ」


 困ったように眉尻を下げて、ぼりぼり、と頭をかくホフィースティカ。


「そんなこと、言われても……」


 ユオンの【Lost Children】の〝力〟は、世界の〝理〟の成り立ち――その構造が理解できる《理見者》。

 人よりも多くのことが視えるだけで、身体能力は〝アポロトス〟と変わりない。


「俺にもよく分からない感覚なんだよ。………まぁ、言い換えれば何がそう思わせるのかがわからないから、興味が出たってことだけど」

「……!」


 打算も何も感じない言葉に、ユオンは本心を言っているのだと気づいた。

 出会ってから半年近く。会話をしたことは数えるほどしかなかったが、それだけで相手がどういう人物か、能力とは関係なく判断出来るぐらいは生きている。


「おたくが〝虹兎〟、だろ?」


 それは、今までユオンが――或は『ビフレスト島』がしてきた事を示す、ユオンの異名だった。


(………かなぁ)


 〝虹兎〟に関する噂が色々と飛び交い、その中には真実も含まれていることは知っている。

 何かと騒動に首を突っ込んでしまい、それを治めていくうちに、いつのまにか『都市』の間ではそう呼ばれるようになっていた。


「………」


 ユオンは肯定も否定もしながったが、それだけでホフィースティカは納得したのか、にやり、と笑った。


「それが理由ってことで。……それとも【狂華ヘアーネル】はお断りなのか?」


 【狂華ヘアーネル】は、その性分から忌避されるが、が理由で移住を認めないことはない。ただ――


「いや、そこが問題じゃない。問題なのは、空賊の元トップ――〝十空じゅっくう〟の一角だったことだよ」


 その言葉には、フィルは僅かに目を見開いた。


「そこまで、調べたのか………」

「二十年近く前に〝黄空おうくう〟に拾われ、その後、〝十空〟の一角になったものの、五年前に〝空〟から姿を消した――」


 情報部が調べ上げた内容を口にすると、少し戸惑いながらもホフィースティカは頷いた。

 飄々とした雰囲気が消え、ふと、その表情に陰りが見えた気がした。


「あぁ、辞めた。――それから、〝旅島〟とかで世界中を回っていた」


 〝放浪島〟にとっての天敵である元空賊。

 それも世界中に散らばる数多の空賊たちの中でも、一目置かれている存在――〝十空〟の一角を担っていたことが問題だった。

 空賊は〝色つき〟と〝色なし〟――二つに分類された。

 〝色つき〟とは別名〝十空〟と呼ばれ、空賊のトップに君臨する〝クロトラケス〟が選出した十の一団のことだ。その規模も戦力も他の空賊――〝色なし〟とは比較にならず、さらに己の領域を持つ、空賊のトップ集団だった。

 ただ、その中でも〝黒空〟は異質な存在だった。

 他は数十人から数百人近い大規模な一団であるにも関わらず、

 それは反対に一人で〝十空〟の一角を担えるほどの実力を持っているということでもあったが。

 だが、もし空賊をしていた事実がなければ、過去を知った時点で〝島〟に入れなかっただろう。


「やっぱり、そこが引っかかるよな……」


 小さくため息をつくホフィースティカに、つと、ユオンは目を細め、


「とりあえず、要望が出たことは上に報告するから」

「ああ、頼む」

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