神様が初恋に戸惑っているようです

「神様が初恋に戸惑っているようです」番外編

「そういえば今日は四十九日だね」

「え?」

 珍しくお勤めが早く終わったからでかけよう。そう言った天様に連れてこられた綺麗な湖のほとりに腰を下ろしていた恵は、天様の唐突な言葉の意味が分からず、湖で優雅に泳ぐ白鳥から視線を天様に移す。

「私と恵が出会った日が、恵が現世での務めを終えた日なのだろう? だったら間違いない。私は恵とのことは何でも覚えているからね。出会った日を間違えるはずがない」

「そう、ですか?」

 すごいだろうと自慢げな顔をされたが、どういう反応をしていいのか分からない。

 四十九日。仏教の教えによると、人は亡くなってから四十九日をかけて極楽浄土に行けるかどうかの裁判を受けるという。現世では、その判決を受ける大事な日に故人が極楽浄土に行けるように供養をする日であり、四十九日法要というものが行われることが多いということは知っていた。

 だが、恵にはまるで関係のないことだ。何故なら、天様の婚活をサポートするという名目で天国へと連れてこられた恵は特例で地獄での裁判を免れているし、現世にはそもそも恵の四十九日法要を行う者もいない。両親は幼い頃に恵を捨てて互いに再婚しているし、恵を育ててくれた祖父母は一足早く故人となっている。

「恵はそのような必要がないぐらいにいい子だけれど、四十九日に受けた供養は地獄での裁判に影響を与えるほどに重要なものだからね。たとえば恵のように裁判を受けていない者であっても、受ける恩恵はある」

「そうなんですか? それなら、祖父母の時にもっと大々的にやってあげればよかったな……」

 大事な人が亡くなったことでいっぱいいっぱいになってしまって、祖父の時も祖母の時も、お葬式から四十九日、一周忌法要に至るまで、近所の人の力を借りて何とかやり遂げることができたような有様だった。

 恵がちゃんとできなかったせいで、祖父母の裁判が不利になっていたとしたら。そう考えて暗い気持ちになった恵の額を、天様の指がぴんと弾いた。

「閻魔大王が聞いたら怒るよ? 現世の物差しで測るのはよくない。派手にすればいいということではないんだ。大勢ですればいいというものでもない。大事なのは、供養をする側の気持ちだよ。恵のことだから、たくさん悲しんであげたのだろう? そうして心の底から惜しんでくれる人がいるということは、それだけ現世での徳を積んだということになるんだよ」

「……だとしたら、尚更俺には四十九日は関係ないと思います」

 恵が死んだことを悲しんでいる人なんて、現世にいるはずがない。

 恵は本気でそう言ったのに、天様はまるで駄々をこねる子供をなだめるみたいな顔で、恵の肩を抱き寄せて言った。

「私はね、恵が私のことだけを考えていればいいと思うけれど、だからといって誤解をそのままにしておくのはよくない」

「誤解、ですか?」

 誤解をしているのは天様のほうだと思う。天様はちょっと恵のことを過大評価している部分がある。現世での恵には友人と呼べる相手すらいなかったのに、一体誰が悲しんでくれるというのか。

「もしかすると、このまま知らないほうが恵の心は穏やかでいられるのかもしれない。けれど誤解したままでは、いつまでも思い込みの呪縛から逃れられないからね」

「……?」

 天様の言うことがちっとも理解できなくて首を傾げると、天様は恵の肩を抱いたまま、さらりと湖の水面にもう片方の手を滑らせた。すると波紋が静まった後の水面に、テレビのように鮮明な映像が浮かび上がる。

「これって……」

 水面には一人の女性の横顔が映っていた。ほとんど顔を覚えてはいなかったが、悔しいことにその横顔に自分と似た部分を見つけ、それが誰なのか理解する。

「……俺の、母親……ですか?」

「そうだね。恵の母君だ。やはり血の繋がりがあるだけあって、恵とよく似ているね」

 じっとどこかを見つめる母親の横顔に、恵は複雑な感情を覚える。

大嫌いだと、そう思ったこともあった。ひそかに母親という存在に憧れた時期もある。けれど自分を捨てたその人に、何を期待しても無駄だとすぐに馬鹿馬鹿しい願望は捨てた。

この人が自分を捨てた人か。そう思うとちりっと心のどこかに怒りの炎が燃えた気がしたし、だから何だと思う気持ちもあった。

湧き上がるような怒りを持つには、年月が経ちすぎている。恵にとっては、とうの昔にもういないものとして割り切った相手だから。

「この人が、俺の四十九日を?」 

 神様の力というものは本当に不思議で、水面に映る映像にはちゃんと音声もついていた。うっすらと聞こえてくる読経が、法要の最中であることを窺わせた。

「そうだよ。今まさに行われている最中だね」

 自分の母であった人の横顔を見つめる。恵にはもう父と母しか身寄りがなかったから引き受けるしかなかったのだろうが、別に無理して四十九日法要までしなくてもよかったのに。少し冷めた気持ちでそう思っていると、意外なことが起きた。

「……っ」

 母の目から、ぽろりと一滴の涙が零れたのだ。

「……悲しんでるふりをするなんて――」

「違うよ? 君の母君は四十九日法要を一人で行っている。他に誰もいないのに、どうしてふりなどする必要があるんだい?」

「…………」

 お坊さんがいるじゃないか。そんな屁理屈みたいな台詞はさすがに言えなかった。

 そうこうしているうちに読経が終わる。母は恵の位牌を胸に抱いて頭を下げ、その場を後にした。

「君の母君は、確かに君と離れる選択をしたのかもしれない。けれど、だからといって君のことがいらなかった訳ではないらしい」

「そんな、はずが……」

 どうやら、自ら寺に赴き一人で法要を行っていたようだ。じゃりじゃりと音を立てながら砂利道を進んで、母は誰もいないベンチに腰を下ろした。

『恵……ごめんね……馬鹿なお母さんで、ごめんね……っ、こんなことなら、手放さなければよかった……っ!』

 恵の位牌を抱きしめて項垂れる母の映像から目を逸らす。

 捨てておいて、今更何だ。世の中何でもごめんで済むなら苦労はしない。

 とうの昔に諦めて、今更腹を立てることでもないと思っていたはずなのに、胸の奥からぐぐっとこみあげてくるものがあった。

「こんなの……っ、こんなの俺は見たくないっ」

「そう言わないで。確かに今更なことではあるけれど、恵が自分をひどく卑下して軽んじる根本の原因は、君が自分を捨てられた子供だと思っているからだ。私は君がそうして過去に縛りつけられているのがとても腹立たしい」

「腹立たしい……?」

 天様はよく恵の容姿や性格を褒めてくれるけれど、恵はそれを素直に受け入れることができず、そのたびに天様がそんな恵に少し困ったような顔をしていることには気づいていた。でも、腹立たしいとまで思っていたとは知らなかった。やはり自分は人を不愉快にさせることばかり上手い。こんな性格だから天様に――

「ほら、そういうところだよ?」

 抱きしめた恵の肩を揺すって顔を上げさせた天様が、ちゅっと頬にキスを落として窘めるような口調で言った。

「君ときたら、神である私にこんなにも愛されているというのに、いつまでたっても自分の価値を誤解したままだ。しかもそれが私以外の誰かのせいだなんて、本当に腹立たしい。恵に影響を与えるのは、常に私だけでありたいのに」

 こんな時だというのに、天様の優しい瞳にきゅんとする。本当に恵のことを心から大事に思ってくれていると分かる優しい視線に促されるように、恵はこれまで一度も口にすることのなかった本心を口にした。

「……ずっと、ずっと俺は自分に自信がなくて……だって、親だって俺をいらないって捨てたのに、そんな俺が他人に好かれる訳がないって、そう、思って……っ、でも……違ってたんですか? この人は……俺のことがどうでもいい訳じゃなかった……?」

 これまで、誰にも言ったことがなかった恵の気持ち。

幼い子供の頃から、自分はどうして愛されなかったのだろうと何度も考えた。それでも言葉にしなかったのは、自分を愛情深く育ててくれた祖父母の気持ちを裏切るような気がしたから。

祖父母は恵を大事にしてくれた。それなのに、親の愛情を貰えなかったことを気にしているなんて知られたら、きっと悲しい思いをさせると思った。

けれど、それでも考えずにはいられなかった。仲良く歩く親子を見るたびに。店の中で子供の我儘に困ったような顔をしながら、それでも愛情が滲み出るような表情を見せる親の姿を見るたびに。

水面に映る母の泣き顔を見つめる恵の目に、同じように涙が零れ落ちていく。

「亡くした子を思って泣く涙は、尊く美しい。君の体を流れる私の神気がより君に馴染んでいくのが分かるかい? あの涙のお陰で君の徳が積み上がり、君の魂の位が上がったからだ」

 これまで自分の中に流れる天様の神気を深く意識したことがなかった。だが今は、自分の体の中に大きな力が満ちているのが分かる。

「これが、天様の……?」

「分かるようになったということは、私に一歩近づいたということだ。君は元々魂の位は人間にしては高いからね。これから次第ではより一層私に近づくことになるだろう。とても楽しみだね」

 君の母君のお陰だ、と天様が微笑む。水面に視線を戻すと、母が恵の位牌にぽつりぽつりと話しかけ始めた。

『あの時の私には、あなたを一人で育てるだけの力がなかった……だからあの人に託すことがあなたのためだと思ってたのよ……まさか、あの人がお義父さんとお義母さんに預けて放置したなんて、そんなこと知らなかった……っ! あなたは、きっと幸せに暮らしてくれてるって、そう思って……っ』

 確かに、女手一つで子供を育てるのは大変なことだったかもしれない。でも、それでも一人で子供を育てている母親はたくさんいて、恵の冷静な部分がそれは免罪符にはならないと冷めた声を出す。

 母も当然そう考えたのだろう。自嘲するように口元を歪めた。

『違うわね……私には覚悟がなかったのよ。一人であなたを幸せにする覚悟が。だから逃げたの。そんな私にあの人を責める資格があるはずがないわよね……』

 母にも事情があることは分かる。それでも、母が後悔をしていたからといってすべてを許す気にはなれなかった。

これが小説やドラマの世界なら、涙で過去を洗い流してハッピーエンドという展開が相応しいのに、どうしても許せないと感じる自分の心の狭さをみっともないと思う。それでも、そんな風に簡単に割り切られてしまったら、あの頃悩んだ自分が可哀想な気がした。

「全てを許す必要はないんだよ? ただ、君が思うよりも君が人に思われていたという事実は知ったほうがいい」

 天様の手が水面を滑る。するとまた水に波紋が広がり、それからまた違う映像が映った。

「これは……会社の、皆?」

 見慣れた光景は恵の仕事場だった場所だった。恵の席があった場所には花が生けられ、そこに皆が集まっている。

『今日で四十九日か。お葬式もなかったし、何だか私、実感がないのよ』

『彼がいなくなってから仕事の進みが悪くて……私はそれで彼がいないことを実感するよ』

『誰より真面目に仕事をしてましたからね』

『俺達、頼りきりだったってことなんだよなあ』

 社員の一人が、恵の不在を確かめるようにそっとデスクを撫でた。恵がいなくなっても誰も気にも留めていないだろうと思っていたので、恵は驚いて言葉をなくす。

『今だから言うけど、俺あいつに嫉妬してて』

『分かる。三神君、いつでも真っすぐで日和ったりしないじゃない? 三神君を見てると、長いものに巻かれる自分がすごくちっぽけに見えて何だか嫌になるのよね。だから私、三神君に冷たく当たっちゃってたかも。本当に……馬鹿みたい』

『あいつ、頑固だけど嘘はつかないし、信頼はしてたんだよ。そういうの、もっとちゃんと言葉にしてればよかったよなあって。デスク整理してたらあいつの本とか出てきてさ。それが俺の趣味とドンピシャなの。あいつとちゃんと話してたら、もしかしたら今頃親友になってたかも。ああいう信用できるやつって、大人になると貴重なのにな……』

 皆の言葉に、喉の奥からひぐっと感情が湧き上がってくる。もう今更どうしようもないことではあるけれど、自分が嫌われていた訳ではないということが、こんなにも嬉しいとは思わなかった。

とっくに諦められていると思っていたものは、ただ厳重に鍵をかけて見ないようにしていただけで、ずっと恵の中に傷として残っていたのだ。その傷が、今ようやく癒されていくような気がした。

 天様の綺麗な指がまたさらりと水面を撫で、映像を終わりにする。

「最後の彼が恵に話しかけていたら、今頃君のいない辛さに耐えられなかったかもしれないね」

「天様だけですよ? そんなことを言うのは」

 目に浮かんだ涙を指で拭いながら、思わずふふっと小さく笑みがこぼれた。茶化すような言葉は、天様の優しさだ。天様はいつも物事を好意的にとらえていて、そういう風に考えられることが羨ましいと思うことがある。

 でも、これからは卑屈な自分を捨てよう。恵はそう心に決める。

 うじうじしていた現世での時間、恵は何も変わらなかった。卑屈になって自分の殻に閉じこもった結果、自ら誰かと係るチャンスを逃していたこともあったかもしれない。

 後悔しても、もう時間は戻ってこない。砂時計が落ちるようにずっと時は流れ続けていて、その砂時計をひっくり返して元に戻すことはできないのだ。

 けれど、落ちた砂を集めて砂山を作ることはできる。自分次第で、それはどんな風にだって形を変えることができるのだ。

 ずっと見ていたものが、考え方ひとつでまた違ったものに見える。

 いい子でなんかなくていい。人それぞれいろんな人生があって、それを誰かに認めてもらえなくてもいい。

自分で見ていると思っていたものに別の側面があったように、人の目を気にしたところで結局のところは他人の気持ちなんて分からないのだ。それなら、人の目なんかを気にしないで胸を張っていよう。

自分のことを大好きだと言ってくれる天様に恥じないように。自分を恥じることは、好きだと言ってくれる天様に失礼だ。

「天様……俺、すごく愛されてますよね?」

「疑問形にされるのは気に入らないな。問いかけなければ分からない?」

 わざと拗ねたような顔をしてから、天様が恵の唇を奪う。そのままゆっくりと体重をかけられ、草の上に押し倒された。

「きっとまだまだ私の愛情表現が足りないせいかな? 恵に私のこの愛が伝わるように、精一杯頑張らなければいけないね」

 しっとりと唇を重ねられても、恵は抵抗しなかった。

「もっとあなたの愛が欲しいって強請っても、呆れたりしませんか?」

「私としては嬉しい限りだ。当然、君がはしたなく乱れても嫌いになったりしないから、安心して乱れるといい」

 天様はいたずらっぽく笑って、それから恵の衣服を乱し始める。

 ここは外で、誰に見られるかも分からなくて。それでも恵は、恥ずかしさを押し殺して天様の体に手を伸ばした。

 誰に見られたっていいから、今すぐ天様を感じたい。

「恵、私は君のもので、君は私のものだ。他の誰かのせいで心を縮こまらせたりしないで、私には素直に甘えて欲しい」

 天様に甘やかされたら、どんどん我儘になってしまいそうだ。

 それでもきっと、天様はそんな恵のことも許すのだろうなと、恵はそんなことを考えてひどく泣きそうな気持ちになる。

 これほどの大きな愛を得るための人生だったというならば、これまでの自分の辛さが報われる気がした。

「天様、大好き。ずっとそばにいて」

 ずっとなんて無理だ。それは分かっていたけれど、恵は震える声で我儘を口にした。

 すると天様はふふっと笑いながら恵を見下ろし、恵の頬を指で撫でる。

「私の全てをかけて、その我儘を叶えよう」

 こんなものはただの言葉遊びだと分かってはいるけれど、天様のその気持ちが嬉しくて、恵は両手を伸ばして天様を抱きしめた。

 そして、天様と共に快楽の海へと飛び込む。

「これで言質は取ったからね?」

 口元を引き上げた天様のつぶやきに気づかないまま。

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佐倉 温先生作品★スペシャルショートストーリー 角川ルビー文庫 @rubybunko

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