焚書局

焚書局 1


 今夜は月が綺麗だ。

 〈虫〉は山盛りの瓦礫の上に停車していた。多脚車両は停まっていたとしても、巨大なムカデが横たわる姿によく似ている。

 まったく酷い足場だが、当面は人の手が入る予定はない。今でも物語の破片が転がっているこんな場所に、一般の作業員を連れてくることはできないからだ。

 上官は二十人の部隊を五つに分けることを決め、真弓は五つ目の班になった。五班のリーダーは箱崎ハコザキという一回りは年上の男で、あとの二人は梧桐ゴドウ瀬尾セオというらしい。二人は同期だったが、初めて組む相手だ。

「じゃ、達者でな」

「うるさいよ」

 少しの名残惜しさを噛み締めながら、真弓は三班になった舵上を見送る。さっきは酷く不安そうだったが、薬が効いたようだ。

「では、我々も進もうか」

 箱崎は柔和な笑みを浮かべながら先導してくれている。建造物の残骸が散らばる中を音もなくゆく様は、さすがベテランといったところか。配属されて半年の真弓とは、身のこなしが違う。

「作戦は聞いているよな? なんだが、今回も焼却任務じゃない」

 全員が手近な塀の陰に身を隠したところで、彼は自分の機関拳銃マシンピストルをトントンと叩いた。焼却弾でなく対人弾を使えということだろう。ブリーフィングの時に、おおまかな話は聞いている。今回の仕事で破壊し火にくべるのは、紙の本でもなければ光学ディスクでもなく、磁気テープでもない。生きた人間だ。今月に入って、もう二回目だった。

 物語に精神こころを汚染され、狂気の地平の向こう側に至った人間たち。物語保持者。彼らの手によって新たな物語がつくられる前に、その脳を撹拌してミンチに変え、頭蓋の外側へと弾き出す。それがこの任務の目的だ。

 真弓が梧桐と瀬尾に視線を送ると、二人は曖昧に頷いて、抱えたライフルの弾倉を示した。手のひら大の小箱に、一秒で人体をめちゃくちゃに喰い散らかす牙が満載されている。時代錯誤にも程がある強力すぎる武器。かつての戦争が残した科学の落胤だ。

「よし」

 簡単なミーティングを終えると、真弓たちは侵攻を再開した。明るくなれば隠密行動に支障が出るから、作戦は夜のうちに終わらせなくてはならなかった。箱崎が引き続き先導を担当し、真弓はしんがりを務める。

 銃器を持ったまま移動するのは、足場が悪いこともあり、訓練所でも非力な方だった真弓には骨が折れた。銃に限らず、武器というものは見かけ以上に重いのだ。


 三十分ほど進むと目標地点の建物に達したが、人影は見当たらない。監視ドローンを夜空に放り投げたあと、箱崎の指示で、全員が脊髄直結付属義肢アペンデージを起動する。腰に装着した一対二本の〈腕〉が展開し、人工筋肉の点検のため、手を閉じて開く動作を二、三度繰り返す。真っ黒な骸骨の腕か、さもなくば蠢く節足動物の脚。堅い殻を備えた機械の腕にライフルを渡して、ようやく自前の腕を休めることが出来た。

 箱崎は付属義肢に焼却剣鉈ナイフを持たせている。やや動きがぎこちないが、たぶんそれが、彼が軽量な機関拳銃を使っている理由だろう。彼は付属義肢に精密な動作をさせられないのだ。

 脊髄直結付属義肢は、背骨に埋め込みインプラントした電極で直接操作するマニピュレータの一種だ。つまりそれは、もともと存在していなかった第二の腕を操作するということに他ならない。精度は各々の適性や練度にかなり左右され、全く動かせない者も珍しくはない。箱崎が成人した頃には、まだこの技術はされていなかったはずだ。神経系が柔軟な年齢に訓練ができていなければ、付属義肢を使いこなすのは難しいだろう。

 十分な高度に達した監視ドローンたちが、各種電磁波によるスキャンを行う。一階に三人、二階に二人。情報総合端末ターミナルの画面に獲物の姿がはっきりと映し出される。

「武器は持ってないと思うが、注意はしておこう」

 一階の獲物は奥の部屋にいるようで、窓から狙える位置にはいなかった。焼却剣鉈を抜いた梧桐が朽ちかけたドアを破壊し、残りの三人が一斉になだれ込む。

「クリア」

 まったくうんざりするが、わかりきったことを口にするのも、この業務の一部だ。

 しかもクリアではなかった。標的のひとりが顔を出したので、脳天に点射し風穴を空ける。迂闊すぎる。向こうもこちらも。

「……クリア」

 三人が、ドンマイ、と代わる代わる肩を叩いてくれる。アットホームな職場です。すぐに先へ進んで、残る二人を問題なく射殺した。

 と、二階から大きな笑い声が聴こえてくる。のたうつような音もして、奴ら何か違法な薬物でも使ったのではないだろうか、と真弓は思う。物語を読んでいる時点でどのみち犯罪者ではあるのだが。

 こちらを混乱させる意図かもしれない、ということで(まずないだろう)、慎重に階段を登る。戦前の建物ということもあって、朽ち果てた今でも豪奢な装飾が見て取れる。部屋数が多いところを見ると、宿泊施設だったのだろうか。

 ドアの横で息を潜め、一、二、という合図とともに開け放つ。果たしてそこには、一人の男が倒れて──というか、笑いながら転げ回っていた。梧桐が射殺した。……一人?

 もう一人の姿を探すと、そいつはドアの陰にいて──やはり迂闊すぎる──真弓の腕を掴んだ。そして弱々しい声で、必死に訴えた。

「……どうぞ……どうぞ教えて下さい。僕は……僕の名前は、何というのですか」

 真弓は息を呑んだ。比較的長身で、痩せた男だった。窓から差す月光を浴びて、その眼は狂気に爛々と輝いていたが、理性の光を瞳の奥に浮かべてもいた。しかし……名前?

「名前……って、何の話だ」

 わけがわからない。真弓は眉を顰めて、男の言葉を反芻した。

「記憶が無いのか?」

 ばす、と音がして、青年の胸に大きな穴が空いた。真弓は奇妙に冴えた頭で、誰かが撃ったな、と感慨なく納得した。申し訳程度の血液が飛び散って、真弓の頬を濡らした。

 彼は胸にぽっかりと空いた空虚を見下ろして、たぶん自分の身に何が起こったのかを理解しないまま、倒れて死んだ。

「聞くな。物語を感染うつされるぞ」とライフルを構えたままの瀬尾が言った。銃口から立ち上る煙が白かった。

 真弓は青年を見下ろして、その体からすっかり魂が抜けてしまっていることを確認した。彼は正しく死んでいた。

「ああ……そうか、そうだね」

 瀬尾の対応は正しい。とても。物語は感染するのだ、人から人へと。物語とは、言葉の上を伝播する病原体なのだ。ゆえに焚書官には、物語に冒された人間を殺害する義務が生じる。それに釈然としないものを感じるのは、真弓の方に原因があるからだ。

「これで全員か」

 箱崎は部屋を隅々までぐるりと見回し、備え付けの机や朽ちかけのベッドを盗人のごとく漁ると、苦々しげに顔を顰めた。何も見つからなかったらしい。

「今回も外れかもな」


 念のため追加のドローンまで使って全ての部屋を精査したものの、特に変わったものは見つからなかった。どこかに隠されたという風でもない。

《一班、任務完了。目標Aはない》

《四班、任務完了。こちらにも見当たらない》

 目標A──ここにいた物語保持者が取り込んだはずの、テキストないし音声、もしくはビデオ。あるいはもっと別のもの。つまるところ、物語を含んだメディア。それを半年前から焚書局は探し続けているのだが、いつも見つかるのは保持者ホルダーの姿だけで、それらしいメディアを回収・破壊することはできずにいた。今回も保持者には対処できたのだから、まるきり失敗という訳ではないが……。

 二班と三班からも見つからなかった、と連絡が来て、それで任務は完了おひらきになった。あっけないが、この仕事はいつもこうだ。


「しかし、物語ってのは恐ろしいな。人間をあんなのに変えちまうなんて、おっかない」

 帰投のとき、〈虫〉の中で誰かが言ったその言葉に、真弓は「彼らだって人間だよ」と返して不興を買った。舵上がその場を納めてくれたが、その頃にはもう、真弓は別のことを考えていた。


 彼は、いったい何を言っていたんだろう。自分の名前を知らなかった。いや、忘れていた? 状況からして、彼が物語に触れたことは明白だ。しかし彼は明らかに、他の保持者と違った様子だった。

 彼と他の者と、何が違ったのか? 彼は、僕と


 そんなことを延々と考えてしまうのは、真弓もまた、物語を知る保持者ホルダーだからだった。

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