焚書局
焚書局 1
■
今夜は月が綺麗だ。
〈虫〉は山盛りの瓦礫の上に停車していた。多脚車両は停まっていたとしても、巨大なムカデが横たわる姿によく似ている。
まったく酷い足場だが、当面は人の手が入る予定はない。今でも物語の破片が転がっているこんな場所に、一般の作業員を連れてくることはできないからだ。
上官は二十人の部隊を五つに分けることを決め、真弓は五つ目の班になった。五班のリーダーは
「じゃ、達者でな」
「うるさいよ」
少しの名残惜しさを噛み締めながら、真弓は三班になった舵上を見送る。さっきは酷く不安そうだったが、薬が効いたようだ。
「では、我々も進もうか」
箱崎は柔和な笑みを浮かべながら先導してくれている。建造物の残骸が散らばる中を音もなくゆく様は、さすがベテランといったところか。配属されて半年の真弓とは、身のこなしが違う。
「作戦は聞いているよな? またなんだが、今回も焼却任務じゃない」
全員が手近な塀の陰に身を隠したところで、彼は自分の
物語に
真弓が梧桐と瀬尾に視線を送ると、二人は曖昧に頷いて、抱えたライフルの弾倉を示した。手のひら大の小箱に、一秒で人体をめちゃくちゃに喰い散らかす牙が満載されている。時代錯誤にも程がある強力すぎる武器。かつての戦争が残した科学の落胤だ。
「よし」
簡単なミーティングを終えると、真弓たちは侵攻を再開した。明るくなれば隠密行動に支障が出るから、作戦は夜のうちに終わらせなくてはならなかった。箱崎が引き続き先導を担当し、真弓はしんがりを務める。
銃器を持ったまま移動するのは、足場が悪いこともあり、訓練所でも非力な方だった真弓には骨が折れた。銃に限らず、武器というものは見かけ以上に重いのだ。
三十分ほど進むと目標地点の建物に達したが、人影は見当たらない。監視ドローンを夜空に放り投げたあと、箱崎の指示で、全員が脊髄直結
箱崎は付属義肢に焼却
脊髄直結付属義肢は、背骨に
十分な高度に達した監視ドローンたちが、各種電磁波によるスキャンを行う。一階に三人、二階に二人。
「武器は持ってないと思うが、注意はしておこう」
一階の獲物は奥の部屋にいるようで、窓から狙える位置にはいなかった。焼却剣鉈を抜いた梧桐が朽ちかけたドアを破壊し、残りの三人が一斉になだれ込む。
「クリア」
まったくうんざりするが、わかりきったことを口にするのも、この業務の一部だ。
しかもクリアではなかった。標的のひとりが顔を出したので、脳天に点射し風穴を空ける。迂闊すぎる。向こうもこちらも。
「……クリア」
三人が、ドンマイ、と代わる代わる肩を叩いてくれる。アットホームな職場です。すぐに先へ進んで、残る二人を問題なく射殺した。
と、二階から大きな笑い声が聴こえてくる。のたうつような音もして、奴ら何か違法な薬物でも使ったのではないだろうか、と真弓は思う。物語を読んでいる時点でどのみち犯罪者ではあるのだが。
こちらを混乱させる意図かもしれない、ということで(まずないだろう)、慎重に階段を登る。戦前の建物ということもあって、朽ち果てた今でも豪奢な装飾が見て取れる。部屋数が多いところを見ると、宿泊施設だったのだろうか。
ドアの横で息を潜め、一、二、という合図とともに開け放つ。果たしてそこには、一人の男が倒れて──というか、笑いながら転げ回っていた。梧桐が射殺した。……一人?
もう一人の姿を探すと、そいつはドアの陰にいて──やはり迂闊すぎる──真弓の腕を掴んだ。そして弱々しい声で、必死に訴えた。
「……どうぞ……どうぞ教えて下さい。僕は……僕の名前は、何というのですか」
真弓は息を呑んだ。比較的長身で、痩せた男だった。窓から差す月光を浴びて、その眼は狂気に爛々と輝いていたが、理性の光を瞳の奥に浮かべてもいた。しかし……名前?
「名前……って、何の話だ」
わけがわからない。真弓は眉を顰めて、男の言葉を反芻した。
「記憶が無いのか?」
ばす、と音がして、青年の胸に大きな穴が空いた。真弓は奇妙に冴えた頭で、誰かが撃ったな、と感慨なく納得した。申し訳程度の血液が飛び散って、真弓の頬を濡らした。
彼は胸にぽっかりと空いた空虚を見下ろして、たぶん自分の身に何が起こったのかを理解しないまま、倒れて死んだ。
「聞くな。物語を
真弓は青年を見下ろして、その体からすっかり魂が抜けてしまっていることを確認した。彼は正しく死んでいた。
「ああ……そうか、そうだね」
瀬尾の対応は正しい。とても。物語は感染するのだ、人から人へと。物語とは、言葉の上を伝播する病原体なのだ。ゆえに焚書官には、物語に冒された人間を殺害する義務が生じる。それに釈然としないものを感じるのは、真弓の方に原因があるからだ。
「これで全員か」
箱崎は部屋を隅々までぐるりと見回し、備え付けの机や朽ちかけのベッドを盗人のごとく漁ると、苦々しげに顔を顰めた。何も見つからなかったらしい。
「今回も外れかもな」
念のため追加のドローンまで使って全ての部屋を精査したものの、特に変わったものは見つからなかった。どこかに隠されたという風でもない。
《一班、任務完了。目標Aはない》
《四班、任務完了。こちらにも見当たらない》
目標A──ここにいた物語保持者が取り込んだはずの、テキストないし音声、もしくはビデオ。あるいはもっと別のもの。つまるところ、物語を含んだメディア。それを半年前から焚書局は探し続けているのだが、いつも見つかるのは
二班と三班からも見つからなかった、と連絡が来て、それで任務は
「しかし、物語ってのは恐ろしいな。人間をあんなのに変えちまうなんて、おっかない」
帰投のとき、〈虫〉の中で誰かが言ったその言葉に、真弓は「彼らだって人間だよ」と返して不興を買った。舵上がその場を納めてくれたが、その頃にはもう、真弓は別のことを考えていた。
彼は、いったい何を言っていたんだろう。自分の名前を知らなかった。いや、忘れていた? 状況からして、彼が物語に触れたことは明白だ。しかし彼は明らかに、他の保持者と違った様子だった。
彼と他の者と、何が違ったのか? 彼は、僕と同じだったのか。
そんなことを延々と考えてしまうのは、真弓もまた、物語を知る
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