第10話 本当の願い

「え!?」

 当然だけど、ボクは驚いた。

 ボク以外誰もいなかったリビングに、突然相田さんがあたかもずっとそこにいたかのように現れたんだもん。

 おまけに。

「やっぱりこうなっちゃったのね」

 驚くボクをよそに、相田さんが顔を覗き込んできた。

 やっぱりこうなっちゃったって、そりゃあ驚くよ。いきなり現われたんだもん。

「そうじゃないわ。私が言っているのは、やっぱり上月さんも妖精になっちゃったねってこと」

「……妖精?」

 心を読まれたこともそうだけど、それよりも妖精って言葉が気になった。

「そう。上月さんも分かっているでしょう?」

 そして「体を起こして」と相田さんは優しく言う。

 え、でも、体を起こしてといわれても力が……

「あ、あれ?」

 不思議な感覚だった。どこにも力をいれてないのに、勝手に上半身が起き上がった。それでいて無理矢理起こされたわけでもない。加えて重さを全く感じない。なんだろこれ? 無重力?

「体から解放されて、魂だけの存在になったからよ」

 不思議がるボクをみて、相田さんが説明してくれた。

「魂だけの存在って、やっぱりボク……」

「そう、上月さんは死んでしまったの」 

 薄々とは感じていたけれど、やっぱりそうなんだ。

 涙は出ないけれど、悲しかった。

「そして幼生のまま死を迎えたから、これから上月さんは私と同じように妖精になるの」

「……あの話、本当だったんだ?」

「そうよ。上月さんも最後には信じていたでしょう。だって、起こす奇跡も考えていたみたいだし」

 全てを見透かされていて驚いた。

 相田さんが言うには、死んで妖精になってからずっとボクを見守ってくれていたらしい。おまけに妖精は魂そのものを見ることが出来るらしくて、そこに隠し事は出来ないそうだ。

 だからボクが何をお願いするのかも分かるそうだけど

「でも、奇跡は口にしないとダメ」

 と、なんか変なことを言ってきた。

「口って、魂だけの存在なのに?」

「う。細かいことを……。たしかに厳密に言えば口で言うわけじゃないけれど、私が勝手に思考を読んで、叶えるわけにはいかないってことよ」

 たじろぎつつ、説明してくれる相田さん。こう言ってはなんだけど、外見といい、あまり妖精らしさが……。

「悪かったわね。妖精らしくなくて」

 うわわ、考えていたことを読まれてしまった。

「それよりも起こしたい奇跡を言って。ただし」

 相田さんがボクをじっと見つめて、言った。

「奇跡はひとつだけ。そして一度口に出した願い事は決して翻すことはできないの。私は上月さんが何を願っているのか知っている。でも、今一度本当にそれが上月さんの起こしたい奇跡なのか、よく考えて」

 相田さんの瞳に映るボクが、ごくりと唾を飲み込むのが見えた。

 そうだ、相田さんが言うように、ボクはもし奇跡が起こせるのなら、これをお願いしようってことを決めていた。

 何故ってそれがボクに出来る、みんなへの精一杯の餞だと思ったからだ。

 光君や紫苑ちゃん、それにお母さん……これから長い人生を生きていくみんなが、ボクがいなくなっても苦しまずにいられる唯一の方法――。

 相田さんの言葉を信じるなら、あとは口にするだけで叶うっていう。

 だったら

「ボク、上月歩の願いは」

「ストップ!」

 いきなり相田さんが似合わない大声を上げて、ボクの願い事を遮った。

「え、なに?」

「上月さん、私、言ったわよね。奇跡は一度、口にしたら変更なしって」

「うん。聞いたよ」

「よく考えて、っても言ったわよね」

「うん。言ったね」

 それなのに、と相田さんが軽く溜息をついて、


「『みんなの記憶からボクのことをなくす』のが、本当に上月さんの起こしたい奇跡なの?」


 ボクを睨みつけてきた。

 相田さんの言いたいことは分かる。

 そんな奇跡、悲しすぎるって。

 だけど。

「……だって、しょうがないよ」

 ボクはこんな時も笑顔を浮かべた。

「ボクはみんなに心から感謝しているんだ。本当にこれまでありがとうって」

「知ってるわ。チョコレートのメッセージカードにそんなことを書いていたものね」

「うん。だからね、そんな大好きなみんなを悲しませたくないんだ」

 だから最初からボクなんていなかったってことにすれば。

 みんなの記憶からボクが消え失せてしまえば。

 ふたりは何の傷も背負わず、これからも付き合っていける。

 お母さんだって辛い想いを引き摺らなくてすむ。

 それでもみんなには感謝の気持ちを伝えたくて、一日早いけどバレンタインのチョコレートを送った。

 そういえばふたりにはもう食べてもらえたかな? 明日には忘れられちゃうから、今日中に食べてって言伝をお願いしたけれど。

 お母さんは……無理かな、やっぱり。リビングで倒れているボクを見つけて、きっとチョコレートどころじゃないはずだもん。

 それでもチョコレートに籠めた気持ちに気付いて、食べてくれたらいいなと思った。

「……なんだったら、それを奇跡のお願いにする?」

「はい?」

「今、思ったこと。みんなにチョコレートを食べて欲しいってお願いを奇跡にする? って言ったの」

 そんなくだらない提案を相田さんが真面目な顔で言うものだから、ボクは思わず笑ってしまった。

「ははは。さすがにそれは馬鹿馬鹿しいよ、相田さん」

「そう? でも上月さん、残念だけど、あなたのチョコレートは誰にも食べてもらえそうにないわよ?」

 相田さんが何気ない様子でリビングのテレビの電源を入れた。

「え?」

 突然の行動にも驚いたけれど、画面に映った映像にはもっとびっくりした。

 映し出されたのは見慣れたボクんちのリビング。ソファにボクがぐったりと横たわっていて、その側に

「なんで……ふたりが……?」

 お母さんと一緒に、光君と紫苑ちゃんもいて、三人揃ってボクの体を必死に揺さぶって大声で呼びかけていた。

「あゆむ! 目を覚ましてくれ、あゆむ!」

「ヤだ、死んじゃヤダよ、あゆむ!」

「あゆむ! あゆむ!」

 光君も、紫苑ちゃんも、そしてお母さんも、みんな泣いていた。

「これって……?」

「今、現世で起きていることよ」

 なんでも死んだ瞬間に魂は現世とそっくりの「あの世」へと移動するらしく、ボクが今いるところはその「あの世」だそうだ。

「なんでふたりともボクの家に……?」

「さぁ、それは私も知らないわ。ただ、ふたりとも制服姿だし、時間的にも学校から直接やってきたって感じね」

 そんな……それじゃあまだふたりともチョコレートを食べていない? メッセージカードも見ていない?

 ううん、今はもうそんなことを言っている場合じゃない。

「相田さん、お願いだから今すぐ」

「上月さん、あなたは奇跡を起こすことが出来る」

「うん、だから」

「でも、それはみんなの心から大切なものを奪って、隙間を作るような、そんな悲しい奇跡なんかじゃない。こんなにあなたのことを想って泣いてくれているのに、次の瞬間、どうして泣いていたのかとその理由すら忘れてしまうような、つまらない奇跡なんかじゃない!」

 そして相田さんが強い口調のままボクに問いかける。

「上月さん、あなたが起こしたい本当の奇跡を思い描いて!」

「で、でも……」

「でも、じゃない! いい、上月さん、奇跡は信じられないことが起きるから奇跡って言うの。願った人が嬉しくて、嬉しくてたまらないことが起きて神様に感謝するから、奇跡って言うの。あなたが今言おうとしたのは、単なる自己満足。そうじゃない、あなたの本当の想いを、願いを言って!」

 ボクの本当の願い……そんなの、決まっている。

 でも、まさかそんな……そんなことって……。

「上月さん、奇跡を信じないと。ね?」

 奇跡を信じる……!?

 だったら、ボクの願いは……


「お願いです、神様! ボクは光君や紫苑ちゃんといつまでも仲良く一緒にいたいんです!」


 大声でボクは叫んだ。

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