第9話 最後の日

 二月十三日。

 ボクに残された最後の日。

 あの日から学校に行っていないボクが目を覚ましたのは、お昼過ぎだった。

 念のために体を確かめてみる。

 当然のように、何の変化もなかった。

 ベッドを降りる。

 と、貧血みたいに頭がクラクラした。最近よくなる。そう言えば、と相田さんもフラフラしていたのを思い出した。

 リビングに降りて行くと、お母さんの姿はなかった。

 どこに行ったんだろう。見当がつかない。

 こんな最後を迎えるのは、本当に悲しかった。


 先生でも、医学でも、ボクを変態できなかった結果、お母さんが最後に救いを求めたのは宗教だった。ボクも色々なところへ連れ回された。

 面白かったのは、そのうちのひとつに「変態出来ずに死んだ人間は妖精になる」と唱えている宗教があったことだ。あの日、相田さんから聞かされたお伽噺、そのソースがこんなところにあったなんてと驚いた。相田さんは笑い飛ばしていたけれど、反面信じているようでもあったから、案外ここの信者だったのかもしれない。

 もっともボクを救いたいお母さんは死んだ後の話なんて聞きたくなくて、すぐにそこは飛び出たけれど。

 そんなお母さんを見かねて、ボクが心のうちを全部話したのは数日前のことだ。

 ボクは、ボクが思っていた以上に欲張りだったんだって。

 ふたりが付き合い始めても、三人一緒にいられたらそれでいいんだって思っていたけれど。

 実は違ったんだ。

 ボクが本当に求めたものは……ふたりが付き合っても、光君の右にはボクが、紫苑ちゃんの左にもボクがいて、つまりはふたりの中心にはいつもボクがいるっていう、すごく欲張りな関係だったんだ。

 そんなの出来るわけがないじゃないかって今になっては思う。

 だけど、ふたりが付き合い始めるまで、ボクたちなら出来ると思っていた。

 バカだ、どうしようもないぐらい本当にバカで欲張りだ。

 結局、ボクが変態できないのは、今までの関係を崩したくなかったからだけど。

 崩れてしまった今となっては、ただただ後悔するばかりで。

 欲張りすぎる自分に絶望するだけで。

 変態して生きていこうって気持ちになれなかった。

 こんな話をするボクに、お母さんはただただ呆れて、叱ってくれた。

 生きている中で失恋や失敗なんてのはいくらでもある。それを乗り越えていくのが人生だって教えてくれた。

 苦しいこと、辛いこと、嫌なこと、いっぱいある。でも、同じくらいに嬉しいこと、楽しいこと、面白いことも今は見えていないだけでいっぱいある。

 だから生きようって励ましくれた。

 それでも変態できないボクに、とうとう愛想が尽きたのかもしれない。

 お母さんの居ないリビングがとても寂しく見えた。


 最後の日をどのように過ごすか。

 ちょっと前から考えて、昨日のうちに用意を済ませていた。

 お母さんにナイショで作った、丁寧に包装し、ちょっとしたメッセージを添えた、手作りのバレンタインチョコレート三つ分。

 ひとつは光君に。

 ひとつは紫苑ちゃんに。

 そして最後のひとつはお母さんに。

 バレンタインデーといえば、日本では女の子がチョコレートと一緒に、想い人へ愛の告白をするものだけれど、本来は大切な人にちょっとした贈り物をするものだそうだ。だから女の子の紫苑ちゃんや、お母さんに送ってもおかしくないよね。

 それをまだ学校に行っているはずの、ふたりの家に届けに行く。

 最後にふたりに会いたくないと言えばウソになる。でも、会えばきっと泣いちゃうから、もうふたりの前で泣き顔は見せたくないから、出会うことのない時間のうちに届けに行くんだ。

 ふたりの家はとても近いのに、身体がフラフラして大変だった。

 呼び鈴を押し、出てきてくれた光君のおばあちゃんも、紫苑ちゃんのお母さんも、真っ青な顔をしているボクを見てびっくりしていた。

 だけどボクが体調を崩して学校を休んでいるのはふたりとも知っているみたいで、余計な説明をしなくて済んだのは助かった。おかげでボクは軽く挨拶をした後にチョコを取り出して、一言だけ言伝を頼むだけでよかった。

「バレンタインデーは明日だけど、必ず今日中に食べてねって伝えて下さい」


 ふたりの家に配り終えて戻ると、やっぱりお母さんはいなかった。

 どこへ行ったのだろう。

 早く戻ってきてくれるといいな。

 ……戻ってきてくれる、よね?

 やっぱりお母さんには最後に直接ありがとうって言いたかった。だからリビングのソファに座って待つことにしたのだけれど……。

 不意に。

 力が抜けた。

 まるで操り人形の糸が次々と切れるみたいに、身体を支えている力が抜けていく。お腹の前で組んでいた手が離れ、首ががくんと右に落ちた。その衝動で体も右に倒れていく。

 えっ、もう?

 もう終わりなの?

 ああって思ったその時。

 ボクの前に、突然相田さんが現れた。

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