第6話 嘘
十二月になった。
本格的な受験シーズンの到来を前に、ボクたちも準備が整ってきている。
まず光君の成績が急ピッチで上がってきた。
最初は「花翁高校なんてムリだ」なんて言っていた先生も、ここに来て「十分狙える!」と太鼓判を押してくれたほど。さすがは運動部、ここぞという時の集中力はハンパないね。
それにもうひとつ。紫苑ちゃんの体力づくりもしっかりと成果が出てきていた。
最初は「ヤダー」とか「もうムリー」とか言っていた紫苑ちゃんだったけれど、光君の立てた見事なメニューのおかげで気がつけば順調にレベルアップ。まぁ、本当のところは挫けそうになるたびに光君が「あらあら、もうギブアップですかぁ」とか言ってきて、ムキになって噛み付いていたらいつの間にかメニューを消化していたらしいけど。
それでも今では光君が本来走っていた五キロのコースを、それなりの速度で走れるようになったんだから、大したものだと思う。
おかげで。
「人間の腕とハトの翼はどのような関係になる?」
「相同器官だろ。どちらも魚の胸鰭から進化してるからな。ちなみに昆虫の翼とハトの翼は進化の祖先が違うから相似器官だ」
さらに痕跡器官とは、と光君が続ける。
学校への登校中、歩きながらみんなで問題を出し合うのは変わらないけれど、以前は自信なさげだった光君の回答が堂々としたものになっていた。
それどころか頼んでもないのに解説を加えたり、薀蓄駄々漏れだったりと、なんか学校で習ったことを喜んでお母さんに話す子供みたい。
「ちっ! 当たりよ。光、あんた、たまには間違いなさいよ」
あはは、バカだーって見下してやるのが楽しかったのにと紫苑ちゃん。
「紫苑こそそろそろ弱音を吐いていいんだぜ」
言いながら光君が歩く速度を上げる。
こんな時にも体力トレーニングを欠かさず、最初の頃はゼーハーゼーハー言いながら紫苑ちゃんも付いてきていた。
「うるさいわね。それよりもトレーニングのレベル、もっと上げなさいよ。最近のはヌルくて体がなまっちゃう」
それが今では息ひとつ乱してない。うーん、凄いなぁ。ボクもそろそろキツくなってきているんだけど。
「それを言うなら、紫苑こそ問題の難易度上げろよ。頭の運動にもなりゃしないぜ」
うんうん、光君も頼もしい限りだ。
それにボクを飛び越してふたりが憎まれ口を交わすのも相変わらずだけど、その内容にボクが絡まないことが多くなったのは大きな変化だと思う。
喧嘩するほど仲がいいと昔から言うけれど、確かに今の光君と紫苑ちゃんのそれは、お互いのことを分かり合えているふたりのものだった。
よかった。これならなんとか間に合いそう……。
ボクはそっと歩みを緩めて、ふたりの後方にさがる。
楽しそうなふたりの背中を眺めて、ボクはかすかに微笑んだ。
☆☆☆
夏の三者面談の前。
ボクは相田さんから貰った小説を読み返していた。
相田さんがボクに「見せたい」と言った物語は、ある男の子を取り合う女の子ふたりの話だった。
もともと子供の頃は仲良しだった三人。でも変態して思春期を迎え、お互いに異性として意識しあうようになると、その関係にヒビが入り始めた。
最初はちょっとした気持ちのすれ違いだった。それが徐々に大きくなり始めて、ふたりの女の子は幼馴染の男の子を奪い合うようになる。
結局は主人公の男の子が苦渋の選択でひとりを選ぶんだけど、選ばれなかった女の子がショックで自殺をしてしまい、残されたふたりも罪悪感で別れてしまうという救いのない結末を迎える、確かに相田さんが言うように「うーん」な話だった。
でも、相田さんがボクにこれを見せたいと言ってくれた気持ちは、なんとなく分かる。
多分、今のままではボクたちの未来も、この小説と変わらないんじゃないかな。
ボクたちの物語を悲劇にするわけにはいかない。
だから必死になって考えた。
そして分かったんだ。
ボクは結局三人一緒にいつまでも仲良くいたいんだって。
それを可能にするには、そう、光君と紫苑ちゃんが付き合って、ボクはふたりと仲のよい友達関係を続ければいいんだ。
そうすればきっと男の子になることにも、女の子になることにも躊躇いがなくなって、ボクは無事にどっちかへ変態できるはず。
「……上月さん、それは転校するよりもずっと辛くて厳しい選択だよ?」
先生が難しい顔をしてボクを見つめて言ったけど、これしかないと思った。
「ふたりに事情を話してみるのはどうかしら?」
三度泣きそうな顔をするお母さんに、ボクは頭を横に振った。
「考えたけど、多分ダメだよ。それだとボクを助ける為のお芝居みたいになっちゃって、きっと変態できないと思う」
仮初の恋人じゃ意味がない。本当にふたりがお互いを選び取ってくれないと、ボクは吹っ切ることができない。
「本当に……それで?」
いいんだねって最後の問い掛けに、ボクは頭を縦に振った。
☆☆☆
ふたりの後ろを歩く。
その背中に、このままボクに気遣いなんかしなくて、ふたりで歩いていっていいんだよって気持ちをこめる。
けれど。
「あれ、どうした、あゆむ!?」
ちょっと後ろに下がっただけで光君はすぐボクに気がついた。
「ごめん、もしかしてペースが速すぎた? ちょっと光、ちゃんとあゆむのことも考えてあげなさいよ」
紫苑ちゃんだってほぼ同時に気付いて、光君に毒づく。
「す、すまん。紫苑なんかにかまけてあゆむを疎かにしたとは、我ながら一生の不覚」
「紫苑なんか、って言葉には異議を申し立てたいところだけど、そうね、あゆむのことを忘れてたってのは致命的よね。ってことで」
あゆむは私のものってことで決定しましたーって紫苑ちゃんが抱きついてきた。
「あ、こら! なんでそうなるんだよ、ふざけるな!」
慌ててボクを紫苑ちゃんから引き離す光君。目がマジだ。
「なによー、あんたがミスったのが悪いんでしょう?」
「だからってあゆむがお前のもんになるわけじゃないだろーが!」
そして久々にボクを挟んでがるるってやり始めた。
「はぁ」
せっかく上手く行っていたと思っただけに、つい溜息もついてしまう。
(やっぱり次の段階が必要なのかなぁ)
その時チクっと。
体のどこかで痛みが走ったけれど、ボクは気付かない振りをした。
ふたりを引っ付ける為に、次にボクがするべきこと――それはふたりだけの時間をもっと作ることだった。
三人での勉強会の途中に何度も席を離れてみたり。
みんなとの朝の待ち合わせに遅れてみたり。
先生に呼ばれているからとふたりには先に帰ってもらったり。
以前ウソをついた時に陥った罪悪感も、何度も繰り返す度にどんどん薄れていって、ついには――
「ええー!? あゆむ、風邪引いちゃったんですかぁ!?」
「そうなのよ」
「じゃあ、今日みんなで遊びに行くって約束は……」
「ごめんなさいね。光君と紫苑ちゃんだけでも楽しんできてってあゆむも言っていたわ」
おめかしして迎えに来たふたりに、玄関先でお母さんが申し訳なさそうに断りを入れるのを、いたって元気なボクは階段の上から気付かれないように覗き見していた。
十二月二十五日。クリスマス。
受験生だけど、この日だけは思いっきり遊んじゃおうって三人で前から約束していた。
ホントはボクも行きたい。
だけどふたりの仲を決定的に進行させるには、このイベントを最大限に利用しない手はない――こんなことも出来るようになっていた。
「それじゃああゆむに『早く風邪を治してね』ってお伝え下さい」
お見舞いを申し出るも「風邪が移ったら大変だから」とお母さんからやんわりと断られ、仕方なくふたりは伝言だけを残してボクの家を後にした。
自分の部屋に戻り、カーテンの隙間から様子を覗いてみる。
肩を落して遠ざかるふたりの背中が見えて、思わず小さな声で「ごめんね」って謝った。
でも、仕方ないんだ。ボクにはこうするしかなかったんだもん。
それに今はがっかりしていても、そのうちボクの分まで楽しもうと立ち直ってくれるはず。
カーテンから離れて、でも勉強する気分にもなれず、ベッドに寝転んでいるとガチャリと音がしてお母さんが入ってきた。
「ねぇ、あゆむ。ホントにこれでよかったの?」
三者面談時は取り乱したけれど、普段はいつも笑顔を絶やさないお母さん。でも、ボクを見下ろしてくるお母さんの表情は珍しく怒っているような、困惑しているような。そして必死に隠そうとしてくれているけれど……ウソまでついてふたりとクリスマスを楽しむことができない僕を憐れんでいるようだった。
「……うん。だってしょうがないもん」
そんなお母さんの顔を見たくなくて、ぼんやり天上を見上げてボクは続ける。
「それにクリスマスはなにも今年だけじゃないもんね」
来年もあれば、再来年もある。
ボクが生き続けている限り、今年の穴埋めをする機会はまだまだ何度も訪れるはずだよって笑ってみせた。
「そう……そうよね」
お母さんも気丈に微笑んでみせる。
お母さんも辛いはずなんだ。
自分の子供がどんどん死の淵へ近付いているのに、何も出来ない無力さに。
もしかしたらボクよりも辛いかもしれない。でも、笑ってボクを見守ってくれている。まるで笑うことで、色々な不安や嫌なことを払いのけようとするみたいに。
変な話だけど、ああ、ボクってやっぱりお母さんの子なんだなぁって思った。
自分が辛い時ほど笑顔になる。
相手の為に。
自分の為に。
笑顔が何もかもを解決してくれると信じて。
子供の頃、クリスマスにサンタさんには色々なおもちゃをお願いした。
そして今、お願いするのはただひとつ。
どうかこの笑顔がホンモノになりますように。
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