第4話 ボクの作戦
「そ、そんな……」
先生の話を聞いて、お母さんが絶句した。
妖精組で男の子用の授業を担当していた先生だった。
「残念ですが、これは本当の話です」
先生が眉間に皺を寄せながら、もう一度、ボクたちに絶望の言葉を浴びせかける。
「十五歳の誕生日までに変態できないと、上月さんは死にます」
と。
先生によると、これは十五歳の誕生日を迎える半年前までに変態をしていない幼生と、その家族にのみ伝えられるらしい。本来ならほとんどないケースだから、世間に知れ渡って下手な心配を煽らないよう他言無用を徹底されていて、実際ボクたちも面談の前に念書へサインをさせられた。
全く心の準備が出来ていなかったお母さんは相当ショックだったみたい。
先生から「まだ半年ありますから」と慰められても、泣きじゃくっていた。
対してボクは先生の話を冷静に受け止めることができた。
相田さんのおかげだ。
相田さんが転校してから、ボクはずっとあの日話した内容を頭の中で繰り返していた。
先生がウソをついていると話した相田さん。
妖精組の意味をよく考えてと宿題を出した相田さん。
ボクの誕生日を聞いて何かを納得した相田さん。
十五歳までに変態しないと妖精になって死んでしまうという話を、半年前に聞かされたと言っていた相田さん……。
考えているうちにふっと気になって、相田さんの誕生日を調べてみた。
七月七日。
それはボクと相田さんが仲良くなった日の翌日。
相田さんが転校してしまった、あの日だった。
おかげでなんとなく分かってしまって、心の準備が出来た。
もし相田さんが話してくれていなかったら、今頃ボクもお母さんと同じように凄いショックを受けていたと思う。
もちろん自分が死ぬかもしれないと勘付いた時は心が苦しくなったけれど、相田さんはそんなボクのために、何をするべきかのヒントも与えてくれていた。
だから先生が
「お母さん、どうでしょうか、上月さんを他の学校に転校させるというのは?」
泣きじゃくるお母さんにそんな提案をしてきても、上手く対応する事ができたんだ。
「お母さんも気付いておられるとは思いますが、上月さんが変態できないのはひとえに綿貫光、九重紫苑のふたりから求愛を受け、どちらかに決めかねているのかが原因です。そのふたりから遠ざければ、今からでも変態は十分間に合います」
先生が言うにはふたりと遠く離れてしまえば、問題から解き放たれて自然と変態できるようになるってことだった。
「最初は三人とも辛い思いをするでしょうが、やがてこの選択が正しかったと思える時がきっとくるはずです」
一筋の光が見えて落ち着きを取り戻しつつあるお母さんへ、先生がさらに追い討ちをかける。
と言って、お母さんだって先生の提案に抵抗がないわけじゃない。
子供の頃からボクたちを知っているんだもん。将来は光君があゆむを貰ってくれるのかしら、それともあゆむが紫苑ちゃんをお嫁さんにするのかしらねって、嬉しそうによく言っていたしね。
それが両方ともダメになる。とても受け入れられる提案じゃないけれど……。
「それしかないのでしょうか?」
「はい。これが唯一にして、確実な方法です」
先生の言葉にお母さんは深く溜息をつくと、ようやく気が付いたかのように隣に座る僕を見つめ、突然がばっと抱きしめてきた。
「お、お母さん、苦しいよぅ」
「あゆむ、ごめんね。こんなことになるなんて、母さん、思ってもいなくて」
本当に、本当にごめんなさいとせっかく涙が止まったのに、僕の肩でまたお母さんは泣いた。
けれど、お母さんは何一つ悪くない。
悪いのは全部ボクだ。
早くにお父さんを事故で失って、女手一つで懸命にボクを育ててくれた。そのお母さんをボクが悲しませていると思うと、心が急にざわめいて一緒に泣きたくなった。
「納得、してもらえたようですね」
先生の声も震えていた。
先生だって、本当はこんなことを伝えるのは辛かったと思う。ボクのことをよく考えて出してくれた、苦渋の方法だったとも思う。
「あ、先生」
でも、ごめんなさい。ボク、ワガママ言います。
「ボク、転校しません」
先生が驚いて目を見開いた。
ボクの肩で泣いていたお母さんも、びっくりしたように見つめてくる。
いつも素直に言うことを聞くボクが、反対するなんて思ってもいなかったんだろう。
「ボク、ようやく分かったんです。自分が何を求めていたのか? どうして男の子にも、女の子にもなれないのか?」
これも相田さんのおかげ。
「多分こうすれば問題は解決できそうだなぁってアイデアもあります。だから」
本当にありがとう、相田さん。
「ボク、転校しません」
ボクはにっこりと笑顔で言った。
二学期が始まると、ボクは妖精組から一般クラスへと編入された。
と言っても、変態したわけじゃない。受験勉強もそろそろ本格化する中、これ以上は変態のための授業ばかり続けるわけにはいかない、という名目だった。
「いやー、学校もいいところあるよなぁ。オレと一緒のクラスにあゆむを入れてくれるなんてさ」
席が左隣になった光君が両手をぎゅっと胸の前で構えて「くぅー」と変な声をあげた。
「そうね。まぁ正確に言えば、私と一緒のクラス、だけど」
紫苑ちゃんが冷めた口調で光君の発言を訂正しながら、右隣から机を寄せてくる。
そう、ボクは光君と紫苑ちゃんと同じクラス、しかもふたりと両隣の席に編入してもらっていた。
かつては光君に想いを寄せる女の子たちから嫌がらせを受けたこともあるから、こんなあからさまなやり方はどうかなとも思う。だけど中学三年生の二学期と言えば、迫り来る高校受験を前に、恋愛モードの熱も維持するのは難しくなるはずだ。
それになによりボクには時間が限られている。
多少のムリは押して通さないといけなかった。
なんせ。
「おい、紫苑、あゆむに近付くなよ!」
机を寄せる紫苑ちゃんに、光君が牽制の一声をかける。
「何言ってんの? あゆむはこれまで妖精組にいたから勉強が遅れているのよ。だから私が教えてあげるの」
光君の牽制もなんのその、紫苑ちゃんは我が道を行く。
「だったらオレも!」
「あゆむより成績の悪いあんたが何を教えるってのよ?」
「だからあゆむに勉強を教えてもらうんだよ!」
「そっちか!」
あんたこそ近付かないでよと手でしっしと振り払う仕草を見せる紫苑ちゃんに、光君ががるると唸り声をあげた。
ね? こんな小学生の頃から変わらない、ボクを挟んでの睨みあいを相変わらず始めてしまうふたりなんだ。
まずはこれをなんとかしなくちゃ。
「ダメだよ、ふたりとも」
ふたりの仲を取り持つのは、いつだってボクの役目。
でも、これからはもっと強引に行くよっ!
「紫苑ちゃん、ボクに勉強を教えてくれるのは嬉しいんだけど、光君にも教えてあげてよ?」
「ええっ!? このアホに?」
いつもはただ仲良くしようよって言って終わりなのに、具体的な話が出てきて驚いたのかもしれない。紫苑ちゃんはえらくどストレートに驚いた。
「アホとは何だよっ! この」
「光君は紫苑ちゃんにもっと感謝しなくちゃダメ!」
紫苑ちゃんの配慮のない言葉に、光君がかっとなんて何を言おうとしたのかは分からない。でも、きっと紫苑ちゃんを怒らせるようなことを言おうとしたのに違いないので、ボクは割り込んで中断させた。
「はぁ? なんでオレが紫苑なんかに」
「紫苑ちゃんは優しいから、なんだかんだ言ってこれまでも光君に勉強を教えてくれたよね。おかげで赤点を回避できたこともあったじゃない。光君はもっと紫苑ちゃんに感謝すべきだよ」
「あー、そりゃあまぁ……」
光君の痛いところを突いた。中学に入って早々の一学期の中間テストで光君は酷い点数をとっちゃって、このままだと夏休みは部活動返上で補習を受けなくちゃならない事態に陥ったことがある。それを助けてくれたのは、他でもないボクたちの中で一番頭のいい紫苑ちゃんだった。
光君が鼻をぽりぽりとかく。さすがに反論できないよね?
「そーだそーだ、光はもっと私に感謝して崇め奉りなさい。そうねぇ『紫苑様、どうか馬鹿な自分をお救いください』とお願いするなら、私だって鬼じゃないわよ?」
思わぬ劣勢に立たされた光君に、紫苑ちゃんがここぞとばかりボク越しに「ほーら、どうするの?」と、せっかくの可愛い顔を意地悪く歪ませる。
「紫苑ちゃん! 紫苑ちゃんも意地悪はやめて素直になろうよ」
振り返って、今度は紫苑ちゃんを非難する視線を送った。
「素直って……わ、私はいつだって素直よ、あゆむ?」
「ウソだよ。紫苑ちゃんだってホントは光君のことが心配なんでしょう? 補習で部活が出来なくなっちゃったら光君が可哀想だからって勉強を見てあげたんだし、今だって本当に光君も一緒に花翁高校に通えるかどうか不安に思ってるはず!」
いつも自信満々な紫苑ちゃんが珍しくどもったのを好機と見て、ボクは一気に捲し立てた。
おかげで紫苑ちゃんは目を白黒させて、口をぱくぱくさせてはいるものの、上手く言葉は出てこないみたいだ。
「だからね、ふたりとも仲良く勉強しようよ?」
ボクは唖然としているふたりの机を自分から手繰り寄せる。
こうしてボクたちの、中学最後の二学期が始まった。
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