第3話 相田さん

 夏が来た。

 中学生最後の夏。

 そろそろ本格的に高校受験に向けて勉強を始めなきゃいけない、この大切な時期。

 ボクも受験勉強に打ち込むつもりだったんだけど、ひとつだけ気になることがあった。

「へっ? 妖精組がない?」

「そうなんだよ、いくら探しても見つからないんだ」

 いつものように三人で学校に向かうすがら、相談してみた。

「もしかしたらと思って調べたんだけど、どの高校にも妖精組のことが書かれてないんだよ」

 妖精組は全国の、どの中学校にもあるって聞いている。

 ボクのところは三年生からだけど、中にはもっと早い段階から編入させられるところもあるらしい。

 だから当然、高校にもあると思っていたんだけど……念のためにと調べてみたら、何故か見つからなかった。

「呆れた。あゆむってば中学生のうちに決着を付けようって気はさらさらないのね?」

「そ、そうじゃないよ」

 紫苑ちゃんに軽く睨まれて、ボクは慌てて言い訳をする。

「でも、もしかしたら幼生のままかもしれないし、その時、頑張って高校に入ったのに『あれ、キミはまだ幼生なんだね。悪いけどうちに妖精組はないから、他の高校に行ってくれるかい?』とか言われたらイヤだもん」

 まぁ、そうならないようにしたいとは思っているんだけどね。

「ふーん。でも、妖精組なんてあって当たり前だから書かないんじゃね?」

 だから気にする必要なんてないってと光君が笑い飛ばした。

 光君は以前から、あまり細かいことは気にしない性質だったけれど、男の子になってからはますます拍車がかかっている。

 何かと細かいことを気にしてしまう自分とは正反対な、能天気ぶりが羨ましい。

「それよりもさ……あゆむ、どこの高校を狙ってる?」

「うーん、第一志望は花翁高校なんだけど」

「花翁! マジか!?」

 その能天気な光君が、ボクの答えを聞いて珍しくずーんと落ち込んでしまった。

「あらあらー。残念だったわねぇ、光。光の頭じゃ花翁は無理よねぇ?」

 紫苑ちゃんの顔に意地の悪い笑みが浮かぶ。

「う、うるせぇ! てか、紫苑こそモデルの仕事があるから、高校は東京だろ?」

「残念。この前、事務所と話をしてねー。高校も地元に進むことになりました~」

「なにぃ!?」

「てわけで、私とあゆむは花翁に進むから。あんたは今度の全国大会でせいぜい名を売って、どっかの名門校で野球漬けの青春を過ごすといいわ」

 そう言って紫苑ちゃんは光君に見せ付けるように、ボクへ抱きつく。

 紫苑ちゃんの言葉通り、光君率いる我が中学の野球部は地方大会を勝ち抜いて、夏休み中に開催される全国大会への参加を決めていた。

 今はまだ無名に近い光君だけど、ここで活躍すれば甲子園の常連校からスカウトされることもあるはず。甲子園で活躍して、いずれはプロへ。光君が描いた夢にまた一歩近付いていて、とても喜ばしいことだと思うんだけど……。

 今、目の前にいる光君は沈み込んでいて

「……言われなくても高校でも野球漬けの毎日を送らせてもらうつもりだ」

 肩を震わせながら、力なく呟いた。

 えっ!? もしかして泣いてる?

「ただーし、それはあゆむと一緒に通う高校での話! 決めた! オレも花翁に行くぞ!」

 突然、丸めていた背中をしゃきんと伸ばし、肩をいからせて、光君が宣言した。

 泣いているなんてとんでもない、光君の肩の震えは武者震いだった。

「えー? 考え直した方がいいわよ、光? 花翁って野球、弱いし」

「弱小をオレの左腕で甲子園へ連れて行く。これぞ男のロマン!」

「そもそも光の頭じゃ花翁なんてムリのムリムリ」

「逆境こそ勝利! 高い壁を乗り越えてこそ、男の中の男!」

 それにオレには野球で培ってきた、ここ一番って時の集中力がある、スポーツバカが全てを勉強に注ぎ込んだ時の爆発力をナメんな! と光君が意気込んだ。

 おおっ、光君、やる気充分デス!

 なのに。

「ああ、飛ぶ時のゴキブリのIQが跳ね上がる、みたいなヤツ? あれ、結構眉唾モノだから信じないほうがいいわよ?」

 紫苑ちゃんがヒドい事を言った。

「おい、紫苑! さっきから言いたい放題言いやがって、誰がゴキブリだっ!」

 さすがに光君の堪忍袋の緒が切れ、握りこぶしを作った右手を振り上げる。

 でも、そこはさすが幼馴染。光君の怒りの防波堤をちゃんと見抜いていた紫苑ちゃんは、すでにきゃーと声をあげながら駆け出していた。

「おい、待ちやがれ! お前は一度血を見ないと分からないみたいだな!?」

「えー、光は乱暴だから痛くしそうでイヤ! その点、あゆむは優しくしてくれるに決まってるもん!」

「ば、ばか! そういう血じゃねぇよ!」

 光君が頬を一瞬にして赤く染め「あいつ、マジでむかつくよな?」とボクに同意を求めてくる。

 ボクは「あはは」と笑って誤魔化した。



「あの、先生。ちょっと進路のことで相談が……」

 その日の妖精組の授業(男の子用)が終わってから、ボクは先生に相談することにした。

 朝はうやむやになったけれど、やっぱり高校の妖精組が気になって仕方がなかったんだ。

 と言うのも、朝の連絡事項で今や妖精組唯一のクラスメイトである相田さんが、明日転校することが告げられたから。

 なんでもよりカリキュラムが充実した妖精組のある学校へ移るらしい。

 相変わらず本を読んでばかりで、授業には全く参加しない相田さんだから、転校に意味があるのかどうかは分からない。ただ、転校という事実がボクの心配症な想像力を刺激してしまった。

 例えば中学を卒業しても幼生だった場合は、特別な施設へ強制的に収容されるかも、とか。

 一度考え始めると怖くなって、だからボクは先生に訊いてみることにした。

「高校に妖精組? どうしてそんなのが気になったんだい?」

 先生が訝しむ顔をするので、ボクは恐る恐る抱いていた不安を口にする。

「ははは、なるほどー。上月さんは想像力豊かだねぇ」

 だけど、と先生は笑って続けてくれた。

「大丈夫だよ。そんな施設はないから」

「本当に?」

「うん。そもそも人間誰しも中学を卒業する迄には必ず変態するから、高校に妖精組はいらないんだ」

「そ、そうなんですか!?」

 中学を卒業する迄には必ず変態する……そんなの初めて聞いて、びっくりしてしまった。

 朝は紫苑ちゃんにあんなことを言ったけれど、あと半年ほどでボクが男の子か女の子のどっちかになるなんて正直まだ実感できない。

 だからこそ高校でも妖精組かなぁって思っていたんだけど……。

「だから余計な心配はせずに、今は早く男の子になるか、女の子になるのかを決めて、受験勉強に専念出来るようにしないとね」

 先生は安心させるようにぽんぽんとボクの肩を叩いて、教室を出て行った。

 残されたボクは複雑な気持ちでひとりぽつんと立ち尽くす。

 高校に妖精組のない理由が分かったのは良かったけれど、でも、これまでずっと解決できずにいた問題をあと半年ほどでクリアしなきゃいけないなんて……。

 体に何か重いものがのしかかってきたように感じ、ボクは振り切るように教室を出ようと足を踏み出した。

 その時だった。

「くすくす」

 かすかな笑い声が聞こえた。

 驚いて振り返ってみると、相田さんが珍しく本から視線をあげていて。

 多分初めて見せる柔らかな笑顔で、ボクを見ていた。

「相田さん?」

「上月さん……あなた、何も知らないのね」

「えっ!?」

 知らない? 知らないって何のことだろう?

「高校に妖精組があるかどうかなんて……思わず吹き出しそうになったわ」

 馬鹿にされている……と思う。

 だけど相田さんが浮かべる表情はボクを馬鹿にしたり見下したようなものじゃなくて、なんかお母さんが子供を見るような、くすぐったいけれどどこか安心出来る微笑だった。

 だからボクも素直に、相田さんの言葉通りだなって思って答えた。

「あはは。うん、ボクも先生に言われて、あ、そうだったんだって思」

「違うわよ」

 ボクの言葉を遮った相田さんの顔から俄かに表情が消えた。

「え、えーと……何が違うの?」

「先生の言ったこと。あんなのでたらめ」

「ええっ!?」

 驚いた。一体何を言い出すんだ、この人?

「確かに高校に妖精組はないわ。だけどその理由を、先生は正しく説明してない」

「……どういうこと?」

「知りたい?」

 開け放たれた窓から、風が吹き込んできた。

 相田さんの黒髪がさらさらと風にそよぎ、口元を隠す。果たして微笑んでいるのか、それとも口を一文字に結んでいるのか分からない。ただ、瞬きひとつしない眼が、ボクをずっと見つめていて「どうするの?」と問いかけていた。

「……うん」

 時間にしてほんの数秒だったと思う。だけどその数秒の間に、ボクの頭の中で好奇心とか、危機感とか、常識とか、信頼感とか、とにかく色んなものがせめぎあった。

 結果、ボクは相田さんの話を聞くことにした。

 明日になれば相田さんは転校で遠くへ行ってしまう。そうなればもう話をする機会なんてない。

「そう。じゃあちょっと付き合って」

 相田さんが立ち上がる。

 と、不意によろけた。

「だ、だいじょうぶ!?」

 慌てて駆け寄るボクを相田さんは片手で制し「問題ないわ」と言うけれど、どこか全体的に生気のない様子が気になった。


「妖精組の存在意義って何だと思う?」

 ふらふらと隣を歩く相田さんが突然問いかけてきた。

 学校を出て、相田さんはボクの家とは逆の方向へ歩き始めた。

 どこへ行くのかは「ちょっと、上月さんに見せたいものがあるの」と答えるだけで、教えてくれない。

 だからボクは黙って横を歩いた。まぁ、変なところには連れて行かれないでしょ……多分。

「え? 妖精組?」

「そう。簡単に言えば、どうして妖精組があるのか?」

 そんなの、幼生であるボクたちを一日も早く変態させるために決まっているとボクは告げた。それよりもやっぱり調子悪そうなんだけど……と続けたけれど

「そうね。でもよく考えて? どうしてそんなに変態を急かせるの?」

 無視されて、さらに変なことを言ってきた。

「妖精組なんて作って、変態済みの子達と分けて、まるでお前たちは発育不良だとばかりに差別までされて、変態を急かす理由は何?」

「……」

 言葉が出なかった。妖精組とはそういうものなんだと思っていて、疑問を持つことすらしなかった。だけど確かに言われてみればおかしい。わざわざ勉強まで中断されて、どうしてこんなことをさせられるんだろう?

 相田さんは先生がウソをついていると言った。

 もしかしたらウソだけでなく、先生にはボクたちには言えない何かがあるのかもしれない。

「今まで考えてもいなかった、って感じね。だったらいい機会じゃない。よく考えてみるといいわ。あ、それから」

 それまでずっと前を見るばかりだった相田さんがかすかに首を傾げて、ボクの顔を覗き込んできた。

「上月さんって誕生日はいつ?」

「誕生日? えっと、二月十四日だけど?」

 意外な質問に思わず面食らった。

「そう。なるほどね」

 何がなるほどなのかボクには見当もつかない。

 バレンタインデーに生まれたから、チョコレート並みに甘い考えだって言いたいのかな?


「着いたわ」

 ごく普通の住宅街、ごく普通の一軒家で、相田さんが足を止めた。

 よく手入れされた小さな庭に、自家用車一台分のガレージ。ポストには「チラシを入れないで下さい」のシールが貼られていて、その上に「相田」と彫られた御影石の表札があった。

「ここって?」

「うん、私の家。さぁ、どうぞ?」

 鞄から取り出した鍵で玄関を開け、相田さんがボクを手招きする。

 鍵がかかっていたということは、中に家の人は誰もいないんだろう。変に気遣いをしなくていいのは助かるけど、逆に言えば家の中にボクと相田さんのふたりきりになるわけで。

 それは教室や、ここまでの道すがらとも変わらないはずなんだけど、なんか変にドキドキするのだった。

「ちょ、ちょっと。見せたいものがあるんじゃなかったの?」

「そうよ。家の中にあるの」

 来ないの? と相田さんが首を傾げた。

「じゃあ、ちょっとだけ」

 お邪魔します、と一声掛けて相田さんに続く。

 外見と同様、中もごく普通だった。

 ちょっとここで待っててと言われたのでリビングのソファに座っていると、制服姿のままの相田さんがトレイにふたり分の麦茶を乗せてやってきた。

「あ、ボクが持つよ」

 相変わらず相田さんはふらふらしているんだもん。危なっかしいよ。でも。

「お客様に持たせるものじゃないわ。それよりも私の部屋に行きましょ」

「……そう?」

 意外と相田さんは頑固だった。

 それよりもやっぱり相田さんの部屋に行くのか……ドキドキがさらに高まった。

 漫画で男の子が女の子の部屋に招き入れられてドキドキするシーンを読んだことがあるけれど、その気持ちがなんとなく分かったかもしんない。

 相田さんもボクも同じ幼生だから、変な話だけれど。

 階段を上がると短い廊下の左右に扉がひとつずつ。そのうちのひとつに「かなめ」と札がかかっていた。

「私、両手がふさがってるから開けてくれる?」

 相田さんに言われて、ボクは扉のノブを握り、ゆっくりと押し開ける。

「うわぁ」

 思わず声が出た。

 部屋自体は普通の八畳洋間。南側に窓があって、カーテン越しに淡い光が部屋を包み込んでいる。

 驚いたのは、その中身だ。

 本、本、至るところが本だらけ。

 本棚は勿論、机の上、床にも本が山のように高く積み上げられていて、ベッドの上にすら散らばっている。まるで図書館……の書架。しかも全然整理できてない、ダメな書架だ。

「勉強机の椅子にでも座って」

「う、うん」

 積み上げられた本の山を崩さないよう、慎重に進む。椅子に座るのも、下手な振動を起こさないように、そーっと。

「麦茶、どうぞ」

 ようやく一息入れられたボクに、相田さんが麦茶を手渡してくれた。

「あ、ありがとう。ところでボクに見せたかったのって、この部屋?」

「え?」

「相田さんっていつも奇麗な姿勢で本を読んでいたから、とても几帳面で、キチンとしている人だなって思ってたんだ。だけど、この部屋を見て、ちょっと印象が変わった」

「……ぷっ」

 ボクの言葉に最初は驚いたような表情を浮かべていた相田さんが、やがて我慢できないように吹き出した。

「あ、あれ? ボク、なんかおかしなこと言った?」

「あはは、おかしいどころじゃないわよ。そう、上月さんの目に私ってそんなふうに映ってたんだ。幻滅した?」

「ううん、むしろ親しみが湧いた。ボクの部屋だって結構散らかっていて」

「でも、私の部屋ほどじゃないでしょう?」

「えーと……うん。でもね、ホント幻滅とかじゃなくて、本当の相田さんを見せてくれたようで」

 嬉しいな、とボクは言った。

 本当の気持ちだった。

 同じ妖精組なのに授業には参加せず、ずっと教室の片隅で一人読書する相田さん。殻に閉じ篭った相田さんを、ボクたちはどうすることも出来なかった。

 でも、転校する前日に、こうして普段からは想像できない姿を見せてくれたのはなんだか嬉しかった。

 相田さんが吹き出す顔も見れたしね。

「……そう、ね」

 だから相田さんが不意に顔を背けた時、笑っていたはずの瞳に何か光るものが見えたのは目の錯覚だと思う。

「案外、本当に見せたかったのはこの部屋だったのかもしれないわね」

 言いながら相田さんはボクにお尻をむけて、四つん這いになって本棚へと近寄ると、下の段から一冊の本を取り出してきた。

「でも、私があなたに見せたかったのはコレ」

 手渡されたのは一冊の文庫本。表紙に男の子と、ふたりの女の子が描かれていた。

「読んだことはある?」

「ううん。面白いの?」

「私はあんまり……。だけど、上月さんは目を通す価値があるかもしれないわ」

 面白くない本をオススメするのはどうなんだろうって思ったけれど、次の相田さんの言葉を聞いて理由が分かった。

「この本の主人公ね、上月さんに似てると思うの。だから何か参考になるかもしれない」

 参考って言うのは、きっとそういうことなんだろう。

 ずっと本を読んでいた相田さんらしいアドバイスだと思った。

「ありがとう。あ、でも、相田さん、明日には転校しちゃうんだよね。どうしよう、返せないよ」

「いいわ、あげる。私は読んじゃったし、それにもう必要ない」

「そんな、悪いよ。ボク、何も用意してないのに」

 別れの手向けに、ボクも何か相田さんに出来ることはないかなって考える。

 だけど相田さんと言えば、本が好きってことしか出てこない。見渡す限りずらっと部屋を埋め尽くす本の山……ボクが持っている本で、相田さんが読んだことがないもの、さらに読む価値があるようなものってあるかなぁと必死に頭の引き出しを開けまくった。

「あ、そうだ! 相田さんって、こんな小説を読んだことある?」

 ボクは思い出した中で、一番相田さんに読んで欲しい小説の話をした。

 いわゆるラノベって呼ばれるヤツで、暗殺術を仕込まれた盗賊団の少年が、ひょんなことから奴隷の少女を預けられ、やがてふたりで生きる意味を見い出していく話だ。

 ちょっとグロテスクな描写もあるけれど、これまで真っ暗闇の世界で生きてきたふたりが光を求める展開は心に迫るものがあった。

「ううん、ないわ」

「良かった! じゃあそれを明日持ってくる! 朝だったら大丈夫でしょ?」

「ええと……そうね」

 相田さんの言う「そうね」を、ボクは一瞬「大丈夫」って意味だと思った。

 だけど違った。

「上月さん、私のこの部屋を見て、なにか思わない?」

「なにかって、相田さんも結構無精者だなぁ、って」

「それはさっき聞いたわ。そうじゃなくて、これが明日転校する人間の部屋に見える?」

「あ……」

 なるほど。確かにそうだ。荷造りどころか、整理すらされてないもん。

「分かった? 明日から行くところはね、何も持っていけないのよ」

「……そんな」

 それでも文庫本一冊ぐらいは持っていけるんじゃないかな。ポケットに入るぐらいの大きさだもん。と、ボクは粘る。

 でも相田さんは「何も持っていけないの」と頭を振った。

 そして。

「ねぇ、上月さん。妖精組はなんで妖精組って呼ばれるか知ってる?」

 いきなり話ががらっと変わった。

「え? 幼生と妖精を掛けてるんでしょ? って、それよりも」

「それだけじゃない。人は幼生のまま死ぬと妖精になるからよ」

「……はい?」

「神様は人間に三つの変態をプレゼントしたの。ひとつは男の子。もうひとつは女の子。そして最後に人間を捨てて、神様の元に仕える妖精」

 飛躍した上に、とんでもなくファンタジーな話が始まった。

「人間は十五歳の誕生日を迎えるまでに、この三つのどれかを選ばなきゃならない。大抵は男の子か女の子を選ぶわ。妖精になれるとはいえ、誰だって死ぬのはイヤだから」

 とても夢見がちで、現実味のない話を語る相田さん。さっきは笑われたけれど、今度はボクが笑う番だったのかもしれない。

 にもかかわらず、相田さんがボクを見つめる眼差しは真剣そのもので、笑い飛ばせなかった。

「でもね、妖精を選んだ人間はひとつの奇跡を起こすことが出来るの。もちろん、一人の人間が出来る範囲の、だけど」

 ねぇ、上月さんはどうする?

 男の子? 女の子?

 それとも命を捨ててまで起こしたい奇跡が何かある?

 相田さんの瞳がボクに語りかけてくる。

「ボク、ボクは……」

「うん」

 相田さんに促されるように、ボクは素直な気持ちを口にした。

「ボクは……相田さんがどうしてこんな話をするのか、その理由が知りたいな」

「あら?」

 相田さんの目が大きく見開かれる。

「てか、相田さん、一体何の話なの?」

「あらら、てっきり信じ込んだと思ったのに」

 残念、と相田さんがぺろっと舌を出す。そんな表情も出来るんだと思う反面、ボクはさすがに呆れていた。

「いくらボクでもそんなお伽噺を信じるわけないよ」

「そうね。私も半年前にある人から聞いたんだけど、笑い飛ばしちゃったわ」

 けれど夢のある、素敵なお話だと思わない? との言葉に、ボクはうーんと頭を捻る。夢、あるかなぁ? 自分の命と引き換えの願いなんて、ボクには到底考えられないんだけど。

 

 それからボクたちは色々な話をした。

 接点がないと思っていたボクたちだけど、一度うちとけるとウソのように話が弾んだ。

 いつも本を読んでいた相田さんは、それでも授業中のボクたちの様子もちゃんと見ていたそうで、あの時の誰それの言動が面白かったとか、もとから男の子気質の桐山さんが女の子になろうとしている様子は傍から見ていておかしかったとかで盛り上がった。

 気が付けば部屋に夕陽が差し込む時間になっていて、ボクはやっぱりもう一度、明日の朝早くに例の本を持ってくるからと約束した。

 転校先に持っていけなくても、例えば移動の車や電車の中で読んで欲しいと思ったからだ。

 相田さんは固辞したけれど、最後には溜息をつきながら好きにすればいいと折れてくれた。

 だから翌日。

 ボクは自転車を走らせて、相田さんの家にやってきた。

 時間は朝の七時。基本的には出かけるには早すぎる時間だろうから、絶対に相田さんに会えると思ったんだ。

 だけど呼び鈴を押すボクを迎えてくれたのは、相田さんのお父さんで。

 その口から「もうかなめは行ってしまった」と告げられたボクは、持って来た小説を手提げ袋ごと落してしまった。

 慌てて拾い上げて「じゃあせめてこれを送ってあげてくれませんか」と頼むボクに、相田さんのお父さんはただ首を横に振るばかり。

 最後に「ありがとう」というお礼を言われて、扉を閉められてしまった。


 相田さんもいなくなり、妖精組でひとりぼっちになったボク。

 夏休みが始まるまでの授業は、ほとんど覚えていない。

 おまけに夏休みに入ってもあまり勉強に身が入らず。

 紫苑ちゃんとショッピングに出かけても。

 この夏一番のイベントだった中学軟式野球全国大会も。

 誘ってくれた紫苑ちゃんや力投した光君には悪いけれど、ボクの心は別のところにあった。


 ――どうして妖精組はあるんだろう?

 ――それに、どうして相田さんはあんな話をしたのだろう? 

 

 そして二学期が始まる二週間前。

 緊急に開かれた三者面談で。

 ボクは、あの日、相田さんから聞いたお伽噺の一部を、先生から聞かされることになる。

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